#3834/5495 長編
★タイトル (AZA ) 97/ 4/19 14:56 (200)
そばにいるだけで 6−1 寺嶋公香
★内容
ベッドを抜け出て、寒さに背を心持ち丸めつつ、純子は窓際に立った。
「あ」
カーテンを開けるや否や、飛び込んできた真っ白な景色に短く叫ぶ。
バレンタインの朝は雪と共に訪れた。うっすらと積もっただけだが、家並み
や道一面に白が広がっている。空を見上げれば、曇り。まだ降るかもしれない。
(寒いのは嫌だけど、雪は)
羽織を肩から外すと、てきぱきと着替えて、ランドセル片手に一階へ降りる。
「おはようっ。雪よ、雪」
すでに起き出し、台所に立つ母の背中に言う。
「分かってます。新聞取り入れたときは、まだ降っていたのよ」
「へえ。また降り出しそうだから、楽しみ」
「それより純子、お父さんを起こしてきて」
「え、何で? まだ早い……」
「ひょっとしたら、車が出せなくなってるかもしれないからよ。さ、早く」
「はあい」
今朝は素直に動ける。雪が降って、うきうきしているのが大きい。
再び二階に上がり、両親の寝室のドアを勢いよく開ける。これから起こすの
だから、遠慮しても意味がない。
「お父さん、起きて! 雪だよ、雪。車、大丈夫なの?」
「……ん。あぁ……」
まだ眠そうだ。最終的に、起こすのに要した時間約三分。
「バッテリー、見てくる」
まだ寝ぼけ眼。眠気が抜け切らぬまま、父親は外に出て行った。
(お父さんも大変そう……)
食堂に戻って、純子は母親に聞いてみた。
「今日、お母さんはお父さんにチョコレート、あげるの?」
「ま」
純子の前に朝食を置いた母親は、途端に相好を崩す。
「何を言うかと思えば、この子ったら」
「しんどそうだよ、お父さん」
黙っていただきますをしてから、箸を手に取った。
「だからあげれば、元気出るって? うふふ、そうかもね」
「私もあげようかな……」
つぶやいてからお味噌汁を口に含む。と、母親がぴたりと足を止めるのが、
視界の端で捉えられた。
「誰に? ボーイフレンド、できたの?」
「そうじゃないわよ。お父さんにあげようかなって」
「なあんだ」
がっかりしたような、ほっとしたような母親の声。いそいそと台所へ戻る。
「お母さん、てっきり、好きな子ができたのかと思ったわ」
「誰もいないってば」
「そう? 去年、謝りに来たり送ってくれたりした男の子……相羽君と言った
かしら」
「やだなぁ。あの子はそんなんじゃない。送ってもらったのだって、たまたま」
「顔をしっかり見たのは一回しかないけれど、なかなかハンサムだったわ。今
からつかまえておいたら、いいと思うな」
「お、お母さんっ! ご飯が食べられないわ!」
母と娘が騒いでるところへ、首をすくめた父が戻って来た。
「うー、寒い。どうにか動いたよ。……ん? どうしたんだ?」
学校に来ると、たいていの女子は今日というイベントで持ちきりだった。純
子達の班も、校門をくぐるなり弾けるようにばらけて、通用口へと雪崩れ込む。
当然ながら、純子はチョコレートなんか買っていない。だから一人、取り残
されたような格好になってしまった。
(みんな、あげる相手がいるのかなあ? 私より年下なのに、進んでいるとい
うか。……学校が終わったら、お父さんにあげる分、買いに行こうっと)
空しい計画を巡らせながら、ゆっくりと通用口に到着。下駄箱に向かう。
何とはなしに、男子の靴入れに目が行った。各人の靴入れのスペースには蓋
が付いているから、そのままでは中は見えない。
(入っているとしても、まだ少ないはず)
さすがに朝は、みんな一斉に登校してくるのでチョコレートを入れるチャン
スは少ないだろう。日番に当たるなどして早く登校した子か、あるいは他人に
見られてもいいという子であれば、話は別になるが。
(クラスで一番は、やっぱり立島君かな。この間の郁江達の話もあるから、相
羽君もいい線行くだろうけど)
チョコを食べる相羽の姿は、想像するとどこか滑稽に思えた。
(紅茶にクッキーなら似合いそう。お見舞いのときのイメージが強いせいかな)
思い出し笑いをしながら、自分の上履きを取ろうと、下駄箱の蓋を開ける。
「−−え」
動きが止まる。息も極短い一瞬、止まったかもしれない。
(何か入ってる)
十センチ四方ぐらいの正方形の箱と、口を金色のテープで閉じた赤い袋。ど
ちらも凝った包装が施されていた。
二つを手に取って、振ってみる。途端に、純子は顔を赤くした。
「これ−−チョコっ?」
一声だけ叫び、慌てて口をつぐむ。
(ま、まさか。あはは……は。きっと、間違って入れたんだ)
宛名があれば確認してやろうと、箱と袋を掌上でひっくり返す。
確かに宛名はあり、それは純子の名前ではなかった。しかし、彼女は軽いめ
まいを感じた。
箱にも袋にも手製らしきシールが張られていたのだが、そのどちらにも「古
羽相一郎様」と書き記してあった。おまけに、片方はハートマーク付き。
「だだだ、誰よ」
送り主の名前を確かめようとするが、そこへ富井らクラスメート何人かが男
女取り混ぜてやって来てしまった。
(見つかるっ)
急いでダッフルコートのポケットに突っ込む。箱は左に、袋は右に。
「おっはよっ。純ちゃん、下駄箱の前で何してるのかなぁ?」
朝の挨拶をするなり、富井がにやにや笑いかけてきた。
「何だかんだ言って、誰かにあげる気になったんじゃない?」
「違う! 何でもないのっ。−−それより郁江こそ」
「しっ」
人差し指を立て、唇に当てる富井。
「聞こえたら恥ずかしいよ」
「今さら。大っぴらに言ってるようなもんじゃない」
「男子がいるもん」
「じゃあ、いつあげるつもり?」
二人とも靴を履き替え、教室へ向かう。
「ひょっとして、手渡し?」
「そんな大胆なこと、できないよぅ」
遊び半分ならできそうに思うけど、という言葉を、純子は飲み込んだ。
「昼休み、また下駄箱のところに来るつもり。それがだめだったら、放課後、
相羽君の机に入れようかなって」
「そんなところよね。でも、ライバル多いでしょう? はっきり知ってるだけ
でも久仁香がいるし、ひょっとしたら町田さんだって」
「何言ってるの。最大のライバルは純ちゃん、キミだよ」
「はい?」
きょとんとして、足が止まってしまう純子。富井はどんどん先に行く。
「共同戦線を張ってるんだ、私達。私達ってのは、二組で相羽君をいいなと思
ってる女子のことよ。それでね、相羽君の目を純ちゃんからこちらに向けさせ
ようと、力を合わせる協定になってるの」
「そんな大げさな……。それに前にも言ったように、相羽君は私のこと、何と
も思ってないはずなんだから」
「あのときは納得したけど、やっぱり簡単にはねえ、信じられませーん」
やっと追いついた純子に、富井はうらやましそうな表情を向けてきた。
(そんな風に見ないでよぉ。誤解だってば。自分のことで手一杯になりそうな
のに……どうしようかな、これ)
純子は小さくため息をつき、服の上から両ポケットの中身を押さえた。
授業中に先生が喋る内容は無論、休み時間での友達との話も、純子の頭には
ほとんど入ってこなかった。意識が一つのことに集中する状態は、昼休み、給
食の時間になってもまだ続いた。
(こんな物を入れたの、誰なのか、早く確かめたい。気になってしょうがない
わ。どこか一人になれる場所……)
中身を見れば、きっと出した当人の名前があるだろう。
(絶対に誰にも邪魔されない場所−−トイレの個室ぐらいしかないよね。けど、
食べ物かもしれない包みをトイレで開けるっていうのも……)
細かいところでこだわってしまう。
(結局、家に持って帰ってから開けるのが一番確実。よし、これでもうおしま
い、うん。学校にいる間は忘れようっと)
どうにか気分を落ち着け、心に余裕ができた。ほとんど進まなかった食事を、
急ピッチで片づけにかかる。
他のクラスメート達の大半はすでに食べ終わっており、雪が残る校庭に遊び
に出るか、逆に寒さを避けて教室で騒ぐかしている。
「おまえ、何個もらった?」
後ろの方で、何の前触れもなしに勝馬の声がしたものだから、純子は飛び上
がりそうになった。
(知られてる?)
恐々、肩越しに覗き見ると、違った。純子のすぐ後ろの席の相羽に、勝馬が
話しかけたようだ。
「人に聞くなら、まず自分から。それが礼儀というものである」
わざとらしく、かしこまった言い方を駆使する相羽。
純子はそれとはなしに、聞き耳を立てた。
「言ってもいいぜ。ゼロだから」
苦笑の声をこぼす勝馬。
「参ったか。さあ、相羽。白状しろ」
「参りました。−−四つだよ」
その答に、勝馬が短く口笛を鳴らした。いや、口笛ではなく、口で「ひゅー」
と言ったのだ。
(四個。なかなか。郁江も、もう渡したのかな?)
感心しながら、純子はけんちん汁の汁を飲み干した。すっかり冷えて、味が
よく分からなくなっている。その間も、後方での会話は続く。
「いいよなあ、もてる奴は。おこぼれに与りたい」
「絶対にやらない」
「分かってるって。前の学校では、どうだった? これより多い?」
「僕だって、前の学校ではこんなことなかった」
「もてなかったのか?」
「さあ……何しろ、学校にチョコを持ってくるの、禁止されてたからな」
勝馬が大きくため息をつくのが分かった。
純子は潮時と見て、笑いをこらえながら食器を返しに席を立った。
(女子だけじゃなく、男子も大変ね! 六年になった途端、急にバレンタイン
で騒ぐなんて、慣れないことするから)
その点、私は気が楽ねなんて考えながら、食器を戻し終わった純子。
「ね、ね、純ちゃん」
昼休みは残すところ十五分足らず。遊びに出るほどの時間はないので、席に
戻ろうとしたら、肩をつつかれた。振り返らずとも、声で富井と分かる。
「お願いがあるの。引き受けてくれる?」
言うなり、手を合わせて拝んでくる富井。必死さが全身からにじみ出ていた。
「どんなことなのか、言ってくれないと分からない」
「うん、それが……何とか相羽君を連れ出してほしいんだ」
「ええ? 何で私が」
相羽のいる方を気にしつつ、問い返す純子。勝馬は自分の席に戻ったようで、
相羽は一人、本を読んでいた。
「純ちゃん、相羽君と仲いいしさあ、二学期、一緒にクラス委員やってたし」
「仲いいことないよ。クラス委員なんて、それこそ無関係だわ。どうして相羽
君を連れ出したいわけ? チョコを手渡すのなら、自分でやった方が」
「手渡しなんて、できないって言ったでしょ。机の中に入れるつもり。昼休み
に相羽君、机を離れると思ったのに、ずっといるんだもの」
「放課後まで待てば?」
「それだと、相羽君が実際に受け取るの、明日になっちゃう。どうしても今日
中に渡したいよー」
「そっか。……でも、机じゃなくてもいいじゃない。今朝、下駄箱って言って
なかった?」
「だめだよ。よく考えたら、あんまりきれいくないし、それにほら、雪でぐち
ょぐちょだもん」
「雪。納得」
この天気では、朝、相羽が来ない内に入れない限り、下駄箱はおすすめポイ
ントではなくなっている。
「だからさあ、相羽君を連れ出してもらってる間に、机の中にさっと入れよう
かと思って。こんなこと、男子には頼めないし、女子だって純ちゃんぐらいし
かいないもん」
「……一番のライバルの私に、そんなこと頼んでいいの。ふーん」
今朝のやり取りをぱっと思い出して、目を細める純子。
富井は、顔を真っ赤にし、早口になった。
「あ、あれは冗談ですぅ。純ちゃん、バレンタインに無関心なもんだから、か
らかいたくなって。謝るから、お願いっ」
「−−分かった。時間ないわ。手っ取り早くやろっ」
壁の時計を見、純子は真っ直ぐ、相羽のところへ向かった。
−−つづく