AWC そばにいるだけで 3−2   寺嶋公香


        
#3772/5495 長編
★タイトル (AZA     )  97/ 3/11  18:23  (200)
そばにいるだけで 3−2   寺嶋公香
★内容

 掃除も終わる頃。純子が教室に帰ったとき、すでにそれは始まっていた。
「このっ」
 清水が短く叫んで、手を出す。
 姿勢を低くしてその拳を避けた相羽は、清水の懐に潜り込み、組み付いた。
 清水は、相羽の肩を殴ると言うよりもむしろ押して、身体を離そうとしてい
るようだ。が、相羽に足をかけられ、そのまま教室の床に倒される。
 仰向けの清水のお腹辺りに、相羽が跨る形になった。
 必死の形相で足をばたつかせる清水だが、全く動けないらしい。
「畜生、どけ、このやろっ」
 今度は両手を振り回す。目つきをきつくした相羽は、それを落ち着いた態度
で捌く。清水の拳は一発も当たらず、疲れからか、やがて動きが鈍くなった。
 相羽はおもむろに右手で相手の胸ぐらを掴むと、左手に握り拳を作り、大声
で叫ぶ。
「約束しろ! もう二度と言わないって!」
「くそ−−大谷っ」
 清水は右方へ目を向け、援軍を求めたが、当の大谷は勝馬に制止されていた。
周りには、クラスのほとんどみんなが輪を作っていた。
「約束しろよっ。でないと……殴る」
 そう警告する相羽は、どこかしら、泣くのをこらえているように見えた。
「けっ、誰が」
 清水が強がって応じた途端、振り下ろされる左の拳。
 目を閉じる清水。
「やめてー!」
 声−−主に女子の声が起こる。
 それが聞こえたためなのかどうか分からないが、相羽の手は清水の顔面に触
れるか触れないかの位置で、止まった。
「頼むから」
 相羽の声に、目を開けた清水。
「……何でやんないんだよっ? 意気地なしが」
「殴ったら、言うこと聞くのか、おい?」
「……」
「頼むから約束してくれ。約束してくれたら、やめる」
「……ちぇ」
 あきらめたように、清水は両手を床にだらんと着けた。そっぽを向く。
「分かったよ、くそっ。約束する。二度と言わない。これでいいんだろ」
「本当だな」
「ああ。だから、どいてくれよ」
 相羽は身を翻し、さっさと清水から離れた。
「俺が悪かった。ふざけすぎた。ごめん」
 いつもに比べると素直に頭を下げる清水。きっと、ばつの悪さも手伝ったの
だろう。
「もう、いい。さっきみたいな悪口、二度と言わないんなら、いい」
 言い置くと、ランドセルを持った相羽は、足早に教室を出て行った。
 教室内の空気の緊張が解けた。
 清水は、相羽と出くわす気まずさを避けるためであろう。大谷と二人して、
何かの話に入っていた。
「……ねえ、何があったの?」
 事情を知らない純子は、町田、富井、井口の三人をつかまえ、聞いた。焼却
炉までごみ捨てに行って、戻って来たら喧嘩が始まっていたのだ。
「正確なところは、私も分からないんだけど」
 前置きして始める町田。富井達二人は、純子と同じく聞き手に回った。
「清水のやつが、相羽君をからかったみたいなの。悪口言って」
「……たったそれだけで、取っ組み合いになったの? 信じられない」
 純子が言ったのは、滅多なことでは腹を立てないイメージが相羽にあったか
ら。
(あの相羽君が手を出すぐらいだから、先に清水が手を出したのかと思ったの
に……)
「どんな悪口だった?」
「うーんとね」
 清水達の方を気にするように、肩越しに振り返る町田。それに気が付いたの
か、清水と大谷は立ち上がり、ランドセルを肩に引っかけ、教室を出て行った。
「『新聞に載ってたの、おまえの親父じゃないのか』って言ってたのが、聞こ
えたのよね」
「新聞?」
 首を傾げる純子に、町田はうなずいた。
「うん。だから、想像なんだけど……涼原さん、朝刊の一面、読んだ?」
「今日の? 読んだと言うか、見るだけは見たわ。裁判の記事だったよね。殺
人事件の犯人に、無期懲役が出たって」
「その犯人の名前、覚えてる?」
 謎かけのように問うてくる町田。純子は若干、上目遣いになって思い出そう
と努めた。
「−−あ、『相葉』だった、確か」
「そうなのよね。羽じゃなくて葉っぱだけど、『あいば』って読むのに間違い
ないと思う。それに、私の記憶では、下の名前が『しんいちろう』だったの。
相羽君と同じ『信一』に、太郎の『郎』っていう漢字」
「ふうん。それじゃあ」
「きっと、清水が言ったのは、相羽君のお父さんが殺人犯じゃないのかってい
う、からかいよね。名字の漢字が違うんだから、そんなの、ありっこないって
分かってて、わざと言った」
「そうだったの……」
 純子は目を伏せ、ゆっくりとうなずいた。相羽の怒りの原因を理解できた。
(たとえ悪い冗談でも、亡くなったお父さんをそんな風に言われたら、腹が立
つに決まってる)
「私も不思議なのよねえ、あの相羽君が、あんなに怒るなんて」
 町田が頭を振る。相羽の父親のことを知らないのだから、無理もない。
「そりゃあ私だって、『町田』っていう何かの犯人がいて、関係ないのにから
かわれたら、怒るけどさ。相羽君は、そういう場合でも怒らないと思ってた。
怒っても、手を出すなんて意外。そう思わない?」
「さ、さあ」
 自分の口から言うべき話ではない。純子は曖昧に笑った。
 そのあとを引き取ったのは、今まで黙っていた富井。
「やーっぱり、相羽君のこと、ちゃんと見てないのよ、純ちゃんは」
「何で」
「ちゃんと見てたら、絶対、変だと思うはずよ」
「べ、別に、あいつのことなんか、知らなくてもいいもん」
 ちょっとだけ、嘘を、ついた。

 その夜、純子はクラスの電話連絡網を記した用紙を引っ張り出した。二学期
になって新たに作られた物だから、まだまだ白っぽい。
 相羽の家の電話番号を確かめ、送受器を取る。こちらから電話するのは、初
めてだ。
 呼び出し音は二度で終わった。
「−−遅い時間に失礼します、私、涼原と言いますが、相羽さんのお宅でしょ
うか」
「はい。純子ちゃんね?」
 相羽の母だ。名前で呼ばれて、内心、汗をかく気持ちになる純子。
「は、はいっ」
「信一に用でしょう? ごめんなさいね、今、お風呂に入ってるのよ」
「あ、そうなんですか……」
 意識して、少しどきどきしていただけに、気抜けした。
「差し支えなかったら、言付けておくわよ」
「い、いえ、そういう話じゃないですから」
「だったら、こちらからかけさせようかしら」
「え? あ、いいです。かけ直します」
「そう? でも、電話があったことを言ったら、あの子、きっとすぐにかける
わ。だから……二十分経っても電話がなかったとき、純子ちゃんの方からかけ
てくれる?」
「分かりました。すみません」
 思わず、電話口で頭を下げる。
「いいのよ。それより、また遊びに来てね」
「は、はい。いつか必ず」
 勢いで、そんな返事をしてしまった。
(あちゃあ。余計なことを……)
 後悔する純子の耳元へ、相羽の母の声。
「それじゃ、一旦、切りましょうか」
「あ、はい。し、失礼します」
 電話を切る。
(き、緊張したあ)
 送受器をフックに戻した姿勢のまま、大きく息を吐いた。
(最初はうまく喋られるのに、段々、おかしくなるのよね。癖なのかな)
 そんなことに頭を悩ませながら、二階の自分の部屋に戻る。
「あーあ、何やってんだろ、私って」
 机に向かい、そして両肘を突いた。
(電話して、どう聞こう? それが問題。相羽君にとっては、深刻な話題だろ
うから……電話でするような話じゃない気がしてきた)
 かと言って、「やっぱりいいです」なんて電話を、今さらかけるわけにもい
くまい。
 迷っている内に、送受器を置いてから十分が経過していた。
 不意の電話のベルに背筋を伸ばした純子は、椅子を離れ、階段を駆け下りる。
「私が出る」
 廊下に顔を見せた母を制して、電話に飛び付いた。
「はい、涼原です」
 純子の声と、相手の「涼原さんのお宅ですか」という気負い込んだような声
とが重なった。
 次の瞬間、両方ともが黙る。
「−−相羽君でしょ?」
 先に、純子が口を開いた。
「あ、うん、そうだけど、何だ、涼原さん本人が出てたんだ」
 安心したらしい声が、流れ聞こえてきた。
「さっき、電話してくれたんだって? 悪い、風呂に入ってて」
「うん、聞いた。謝らなくていい」
「それで、用事って何?」
「用事というか……今日の放課後のことだけど」
 切り出すと、相羽の方は押し黙ったような雰囲気。
「相羽君?」
「聞いてるよ。それがどうかした?」
「喧嘩するの、珍しいから、みんな心配してたわ。あなたがさっさと帰っちゃ
ったから、なおさらよ」
「迷惑かけたんだったら、謝るよ」
 相羽の口調は彼に似つかわしくない、投げ遣りな響きを含んでいた。
「そうじゃなくて、心配してるし、不思議がってるの。どうして悪口言われた
ぐらいで、手を出したのかって」
「……聞いてなかった?」
「あとで町田さんから聞いて、だいたいは想像できているつもりよ。言っても
いい?」
「−−どうぞ、言って」
 一つため息をついて、相羽は促してきた。
 純子は、町田の話をそのまま聞かせた。
「−−どうかしら」
「……正解」
 仕方なさそうな相羽の声。
「分かってるなら、問題ないじゃないか」
「そうは行かないわ。何故、これぐらいのことで手を出したのか、それが大問
題。腹を立てるにしたって、言い返せばいいじゃない……って、みんなは思っ
てる、きっと」
「……そうか。涼原さんは父さんのこと、知ってるんだもんな」
 納得したのか、相羽の息遣いは安堵のそれに変わったようだ。
「やっぱり、お父さんのことをからかわれたからこそ、怒ったのね」
「そうだよ」
「あのさ、みんなに変に思われたままでいいのかなって、考えたんだけど」
「父さんがいないこと、みんなに言えって?」
 察しがいい。純子はつい、電話であることを忘れ、大きくうなずいた。
「そうよ。怒らせたら怖い奴なんてレッテル、張られたくないでしょ?」
「レッテルなんて言葉、知ってるんだ? ははっ、いいな」
「笑い事じゃないわっ」
 声を荒げる純子。母の視線が気になったが、今はまあ、どうでもいい。
「あなたの言いたくない気持ちは、分かる。だけど、誤解されたままって、何
か……」
「大丈夫だって。心配いらない」
「でも」
「いいんだ。ある人のことを全部知るのは、ゆっくりゆっくり、時間がかかっ
た方がいい」
「何、悟ったみたいに言ってるのよ」
「いいから、いいから。要するに、清水ときちんと仲直りすれば、すむこと」
 小さく聞こえた、相羽の笑い声。
「用は、これだけ?」
 まだ不安な純子を置いて、尋ねてくる相羽。

−−つづく




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