#3757/5495 長編
★タイトル (BYB ) 97/ 2/19 19:16 (192)
死霊の都8 つきかげ
★内容
ジュリアスは、その海に同化しようと考える。水の中の水のように、砂の中の
砂のように、事物のひとつ、世界との連続体として、海の中へと沈み込んでいく。
自我と呼ばれるべきものが、剥がれていくのを感じた。それは森の中の一つの木
となり、自然の流れを感じるのと似ている。
自分と自分の境が、曖昧になっていった。死ぬというのは、こういうことかと
思う。死とは、「もの」と「もので無い自己」の境目が消えてしまうということ
か。
やがて、声がするのに気がつく。それは、遥か遠い水面で起こるさざ波に似て
いた。自分は海の底で流れのない暗黒に同化しているのに、水面でおこる波紋が
自分のかつて人間であった部分を震わせる。
その声がジュリアスにとって意味があるものになるには、随分長い時間が必要
だった。ジュリアスは、自分に呼びかけられる声を理解する。
(ご機嫌は、いかがかね。ジュリアス王子)
(ああ、悪くはない)
ジュリアスは、その声に答えたとたん、自分の精神が血肉の中へ墜ちていくの
を感じた。
(ここは、どこだ。あんたは、誰だ)
声が答える。
(私は、医者だ。ラブレスと呼んでくれ。君は、今自分がどういう状態にあるか
判っているかね?)
(ああ、私は暗殺者の手に落ちて、濃硫酸のプールへ沈められ、おそらく死んだ)
(君は、助かったんだよ、奇跡的にね。ただ、君の肉体は、ほとんど消失したも
同じだが。君の精神を魔道によって別の空間に保持し、その間に残骸となった君
の肉体の再生を行っている。ほぼ、内蔵と骨格は再生できたので、君の肉体へ君
の精神を戻したんだ。今だから言うが、これは成功する確率の低い作業だ)
ジュリアスは、物憂げに言った。
(私の肉体に、私の精神をもどすことが難しいのですか?)
(その通りだ。厳密に言えば、もうジュリアスという人間は死んでしまっている
といえる。ただ、かつてジュリアスと呼ばれていた人間を構成していた部品は残
っていた。それをもう一度組みあげたのだよ。
もう少し具体的に説明してみると、今君の肉体を再生しているのは、殆どギミ
ックスライムという虫なんだ)
(虫ですか)
(ああ。こいつは、不定形生物で、ふつうはただの蛋白質の固まりにすぎない。
ただ、寄生生物である為、宿主にとりつくと、その宿主の肉体を喰らい、肉体を
構成する情報を手にいれる。その情報から喰った部分の肉体を再現し、宿主と共
生関係を作る。
ただ、問題は、この寄生生命が宿主の精神を乗っ取ってしまう事にある。私は、
魔道の技術体系の中にある、邪神と呼ばれるエネルギー生命体や、竜族と呼ばれ
る宇宙の前形成領域の生命体と契約を結ぶ方法が、ギミックスライムのように原
始的な生命にも通用するのではないかと考えた。そしてそれに成功したのだよ)
ジュリアスは、うんざりして言った。
(ようするに、私は虫になったのですね)
(そうではない。細かいやりかたを説明できないが、君とギミックスライムを共
生させるには、ジュリアス王子である君を無くし、ギミックスライム=虫も無く
し、第三のあたらしい生命体を作ることになる。でなければ、免疫機能が作動し
なくなり、すぐ死んでしまうからね)
ジュリアスは、混乱していたが、どうでもいい気もした。
(免疫ですって?)
(君と、君でないものをどうやって区別するかだ。もしも、君が虫になったのな
らば、かつてジュリアスであった部分が虫に殺され、死ぬだろう。君が君であり
続ければ、虫の部分を殺し、死ぬことになる。生きるということは、自他の区別
をつけ、他者からの進入を阻止する事だからね。君は、新しい主体を確立しなけ
ればならなかった)
ジュリアスは直感的に理解した。
(ああ、私は生まれ変わるのか)
(そうだ)
(だったら、女性になりたいな)
(なぜかね)
(女性には王位継承権がないからです。トラキアの法律でそう決まっている)
(王になりたくないのか?)
(ジュリアスは死んだ。でも、あなたがつくる新しい人物が、ジュリアスの代役
をさせられる可能性はある。ごめんだね。私は、死ぬ事によって果たすべき義務
は果たした。だったら、くだらない争いからは解放されたい)
(無理だね)
ジュリアスは、為息をつく。
(なぜ?)
(遺伝子レベルの組み替えは、私にもまだできない。君を女性的にすることなら
できるが)
(まぁ、そのへんで手を打ちましょう)
(判った。見た目は女性になるということで、勘弁してくれ)
ジュリアスは笑った。自分を縛り付けていた、あの下らない権力闘争に絡む陰
謀から解放されるとは。ジュリアスは思う。生まれ変わるのは、悪くないと。
その後、肉体を女性として再生したジュリアスは王位継承権を承認される成人
の儀式まで自分が女性化した事を隠し続ける。そして、すべての貴族、長老たち
の集まる成人式の場で自分の裸体をさらけ出し、宣言した。
「私、ジュリアスは本日を持って男性を捨てます」
それは、辺境の名門と呼ばれたローゼンフェルト家にとって歴史に残る不祥事
となる。ジュリアスはその場で、国外永久追放となった。
私の意識が、路地裏のジュリの占い所へ戻る。私は、ジュリの記憶の再生と同
調した。ジュリの記憶の一部がなだれ込み、私も又、ジュリの記憶を追体験した
のだ。
目の前で、水晶球が冴えた輝きを放っている。高架を通る電車によって、路地
が揺れる。ジュリの瞳も、現実に戻って来た。その目は、私が王国で会ったジュ
リのものだ。
ジュリは呼吸を整えると、囁くように言った。
「シュラウトを止めないと」
その時の経験がきっかけとなったのか、月影と同じように、他人の記憶の夢を
見るようになった。そして、その夜、私の記憶はツバキの記憶とシンクロするこ
とになる。
雨が、降っているようだ。事務所に置いた簡易ベッドの中で目覚めた私は、空
気に混ざる水の臭いを感じる。
フィードバックノイズが鳴り響いている状態の頭で、考えた。飲んで意識が無
くなった状態でも、本能で事務所に戻ってきたようだ。明かりの付いてない事務
所は、灰色で色がない。ただ、窓のブラインドの隙間から日差しが差す所を見る
と、陽は昇っているようだ。
シャワーを浴び、着替える。その事がとほうもない難事に思えたが、私は無理
矢理体を起こす。白いコートが目に入る。どうやら、コートのままベッドに倒れ
込んだらしい。
立ち上がった時、ドアをノックする音を聞いた。事務所の居住用に使っている
部分から、来客時の応接用の部屋へと移動する。確かにドアがノックされていた。
私は、無視すべきか、一瞬考える。ただ、物騒な客だったら先に追い返してお
いたほうがいいと判断した。
ノックは、止みそうもない。私は、窓のブラインドを上げ、道路を見る。昼さ
がりの街が、眼下にあった。やくざ者の車は、止まっていない。
しつこく繰り返されるノックに、応えることにした。
「何の用ですか」
女性の声が応える。
「あの、仕事の依頼で来ました」
仕事?ああ、私は探偵だった。と、まぬけな事を考える。私は、ドアを開けた。
黒いコート姿の女性が立っている。随分若い。
「えっと、お出かけの所だったとか?」
私は、コートを着たままだった為、でた質問らしい。私は、否定すると部屋に
入るよう勧めた。エアコンが作動していない部屋は、結構寒い。私と彼女は、コ
ートを着たままソファへ座る。彼女の手には傘が握られたままだ。彼女が尋ねる。
「あの、椿真夜子さんですね」
私は、とりあえず、認めておいた。
「私は、鏡樹理といいます。弟を探してほしいんです」
私は、それから延々と私の職業を説明した。私は、いわゆる興信所の下請けの
下請けである。個人の調査能力はたかのしれたものだ。失踪した人を探すのなら
まず、警察。それがいやなら、私が契約している大規模の興信所を紹介してもい
い。
彼女は、全く私の話を聞いていなかったように、少年の写った写真を出す。
「これが、私の弟の写真です。鏡修羅という名です」
美しいが、瞳が強い光を放つ少年に一瞬気を取られた。しかし、私は立ち上が
ると、ドアを開ける。
「お帰りは、こちら」
「私は、占い師を仕事にしています」
私は嫌な予感がしたが、手を組み黙って聞く姿勢を取る。彼女は続けた。
「いわゆる、超常現象の相談にくる人も中にはいます。そういう人から聞いたこ
とがあります。
ある人が行方不明の息子を探していた。その男の子は、見つかった時には、過
去の記憶を失い、全く別の人格、別の性格を持った人間へと変貌していた。その
男の子にとりついた憑き物を祓った祈祷師の能力を持った探偵がいると。
その探偵の名は、椿と聞きました」
私はため息をつく。
「あなたの弟も憑かれていると?」
「私の弟、修羅はデルファイという麻薬を常用していました。この麻薬によって、
別の世界の別の記憶を得ることができるといわれています。はっきりとは言えま
せんが、修羅の中には、別世界での彼が潜んでいたように思います」
「私は祈祷師ではない」
「ええ」
樹理と名乗ったその女性は、静かに笑う。
「でも、受けて下さるのでしょ」
私は、再度ため息をついた。
「誤解をとく為に言っておくが、私が祈祷師ではないと言ったのは、祈祷師の能
力を持っているのは、私の兄だと言いたかったんだよ。十年前に死んだ私の双子
の兄こそ、憑き物を祓う力を持っている」
樹理の目が大きく見開かれた。
「その私の兄が、私に憑いている。兄が憑依し、トランス状態になった時だけだ。
私が祓うことができるのは」
私は、驚きの表情をした樹理に言った。
「受けよう、この仕事。多分、兄ならそうするだろうからな」
憑依と一口でいっても、様々な形態がある。陰陽師が使役する式神や、修験者
の使う護法童子も一種の憑き物といえるだろう。その他に犬神筋や、いずな、く
だぎつね、おさきぎつねのような動物の精霊もいる。ものに憑けば付く喪神にな
るし、場所(屋敷)に憑けば座敷童子だ。又、生き霊、死霊も当然人に憑く。
祓うことができるのは、一般的には呪詛といった呪術によって意図的に憑かさ
れた憑き物といえるだろう。むろん、すべての憑き物を祓う対象にできるはずだ
が。
憑き物とは、ようするに偶発的な現象に形態が与えられた状態といえる。偶然
を意味のある物語の一部へ転化する力の発現を、憑依といってもいいだろう。
たとえば、ある一家が病で全滅したとする。病の発生自体は偶発であるが、そ
れがその一家がある修験者の恨みを買いその呪詛を受けたということになると、
必然へと転化させられるわけだ。
祈祷師の中にある力とは、偶然を必然へと転化する力であり、無意味な現象を
物語の一部分へと取り込む能力といっていい。私の中にはおそらく、その力があ
る。
それは、こういってもいいだろう。人は物語の中に生きている。ただ、人は時
として物語からはずれ、物語の形成される以前の混沌とした世界に落ち込む。そ
ういた人は、概して誤った物語に憑かれる。それが憑き物。祈祷師とは、そうい
った人を正しい物語へと戻すのが役目だ。
私の中にそうした力があるのは、確かである。過去、そうした祈祷師としての
役割を果たしたこともあった。ただ、私自身はその力をコントロールする事がで
きない。ようするに、私の兄が私に憑依した時、私は私の周りをひとつの物語の
中へ組み込むことができる。
私と私の兄は、愛し合っていた。当然、許されることのない愛である。私と私
の兄は私たちを支配していた祈祷師のいうなれば組合のようなものから、逃走を
企てた。しかし、兄は私を守るため死んだ。あたかも、それが予定調和であった
かのように。
組合は、時の権力者と結びつき、呪詛による政敵の調伏、あるいは呪詛に対す
る祓いを行っている。兄は絶大なる能力を持っていた為、元締めが逃亡を許さな
かった。兄を放置するのは、危険すぎると判断したのだろう。私には兄のような
能力はない。その為、元締めも兄が死んだ以降、私に手をのばすことはなかった。
私は、兄とともに死ねばよかったのかもしれない。しかし、兄の憑坐となった
今、死ぬに死ねず、生きるに生きれない状態だ。