AWC ナコンラチャシマの星はラビナルの太陽(4)  横山信孔


        
#3735/5495 長編
★タイトル (YOK     )  97/ 1/26  21:54  (167)
ナコンラチャシマの星はラビナルの太陽(4)  横山信孔
★内容

                                   †

  ラビナルには夕方6時過ぎに着いた。昼食を抜いていたので腹ペコだった。鼻
につんとする匂いを嗅ぎながら、メルカードで夕食の材料を買った。首都でカレ
ーのルーを買ってきたので、今日は久しぶりにカレーライスにしようと思った。
田中さんとか近所の隊員を呼んでもいいな、とも思った。
  自分の家へ帰る途中、いつも挨拶するインディヘナの老人に会った。岡田はち
ょっとこの老人のことが苦手だ。苦手というより、できることなら会いたくない
人だった。左脚が悪いようで、いつも大袈裟っぽくびっこをひいている。いつも
大きく口を開け、抜けた歯をむき出しにして笑っていた。そして街ですれ違う人
達皆に挨拶して歩いている。
 彼はなぜか岡田のことを気に入っているようだった。彼をみかけると、挨拶だ
けでなく、世間話もしようとした。岡田はいつも、苦手意識をもろに顔に出して
しまっていた。
 すれ違い様にその老人は挨拶をしてきた。岡田も右手を挙げて挨拶した。そし
て老人は岡田のほうを向いて足を止めた。
 やはり..。
 と岡田は思った。岡田もバックパックと、いましがた買った野菜などが入って
いる袋を持ったまま、立ち止まって老人を見た。
 「元気でしたか」老人は目を泳がせながら、大きな口を開いて尋ねた。
 「はい、おじいさんは?」
 「わしは元気じゃよ。いつもの通りな」ちょっと口を閉じて唾を呑み込み、ま
た話し始めた。
 「グアテマラは..ラビナルは..好きかい?」少し真顔になったような顔をして
話し、すぐに笑顔に戻った。
 「ええ、ラビナルは好きです」と答えた。そして岡田はちょっとうつむき加減
にため息を一度ついた。
 老人の顔は少し強ばり、次の言葉を考えている風だった。岡田は慌てて頭を掻
いた。そして彼の次の言葉が出る前に、ちょっと急ぐんで..と断ってから軽く会
釈して歩き出した。そしてもう一度、前よりも深いため息をついた。
 この老人は会う度に同じ質問をする。そのためか、岡田はうんざりしていた。
少し行ったところで足を止め、後ろを振り返ってみた。老人は背中を向け、左脚
を不器用にコントロールしながら、薄暗い夜道をゆっくりゆっくり歩いていた。
 岡田はしばらくのあいだ、その姿を見つめた。そして自分の家の方角へ歩き出
してすぐ、もう一度振り返った。老人の体は外灯に照らされて、うっすらと見え
るだけだった。その丸まった背中は非常に小さかった。前から歩いてくる若者に、
老人は挨拶をした。その若者は怪訝な顔をして通り過ぎていく。そして若者は少
し歩いてから、また老人の方へ振り返っていた。
 岡田は老人の姿が見えなくなるまでたたずんでいた。

  8時前に家に戻り、こんな時間じゃ、田中さん達もきっと夕食済ませてるか、
準備中だよな..と考えた。それでも田中の所には挨拶に行ってみようと、家に荷
物を置いてすぐに、外へ出た。彼女の部屋は、2ブロック先の田中の洋裁教室と
隣接している。
 岡田が彼女の部屋の扉を開けると、すぐにカレーの独特な風味が伝わってくる。
 なんだ、考えてること同じだな。
 岡田はおかしくなって、ちょっと吹き出した。
 彼女の部屋には、野菜隊員の菊村昭子もいた。彼女はグアテマラへ派遣されて、
まだ約3ヶ月しか経っていない新隊員だ。菊村は、新卒ながら協力隊に参加した
若い子で、はやくもラビナルのアイドルなどと言われていた。
  「あら岡田さん、いま帰ったん?」と田中。
 「岡田さん、私家に2回探しに行きましたよぉ。無線で首都の高柳さんがずっ
と呼び出してたんですからぁ」菊村は大きい瞳をさらに見開いて、少女のような
高い声で言った。彼女はいつも語尾を伸ばす癖がある。その口調が非常に愛らし
いと評判だった。
 地方隊員が首都の事務所などと連絡をとるときには、だいたい無線で行う。電
話が普及していない地方がほとんどだからだ。ラビナル隊員の無線装置は、田中
の家にある。毎日夕方の6時から7時までのあいだは、無線を開けて待機しなけ
ればならない。これは地方隊員の義務だった。
 「高柳さん?」と岡田は怪訝な顔をする。
 「そうやねん、高柳さんなぁ、相当焦った口調で大至急岡田さんと連絡取りた
いって言うとったで」
 「そうそう。はやく電話局へ行って連絡してきた方がいいんじゃないですかぁ」
菊村は両手を前で握って祈るように話している。その素振りがとてもかわいらし
い。
 「その必要はないと思うな」岡田は田中の居間にあるテーブルの椅子を引いて
座った。「高柳さんはいつもそうなんですよ。用件も知ってるし」
 「なんやねん、その用件いうのは」田中がせっかちに聞く。
 「実は菊ちゃん達の歓迎会の会計報告を、隊員宿泊所だけに貼って、事務所に
は貼ってなかったんです。それを高柳さんに怒られたんですよ」
 「それで? 貼ってきたんやろぉ?」
 「いや、貼らずに帰って来ちゃったんです」岡田は苦笑して頭を掻いた。
 「そら高柳さん怒るでぇ。一応あんたらの隊次のリーダーやからなぁ」
 「しかし何も無線で呼び出さなくても..。全地方隊員に聞こえたでしょうね。
きっと何事かと皆思ってますよ」
  菊村は黙って聞いていたが、「本当にそんな用件だったんでしょうかぁ?」と
呟いた。
 「どうして? 他に用件なんてないよ」
 「うーん、分かんないですけどぉ..」菊村はうなだれていた顔を上げ、もう一
度祈るように両手を合わせて訴えた。
 「やっぱり電話して聞いてみた方がいいですよぉ。もしも重大なことだったり、
一分一秒を争うことだったら大変じゃないですかぁ」
 「菊ちゃんは高柳さんがどういう人か知ってる?」岡田は面倒くさそうに頭を
ボリボリ掻いた。
 「すっごく頭のいい人ですよねぇ。確か京大かなんか出て来たんだって聞いた
ことがあります」
 「京大出たっていうのはいいとして..。彼女はいちいちやることが細かいんだ
よ。そしてちょっと暗いんだよね」岡田はこれさえ言えば菊村が納得するだろう
と、人差し指を彼女の顔の前に置いて話し始めた。
 「先月、自分が隊員宿泊所の乾燥機の中に、洗濯物を入れっぱなしにしておい
たことがあったんだよ。それを見た高柳さんは、わざわざ田中さんに言付けまで
して首都に呼び戻そうとしたんだよ。もちろん僕が悪いんだけど、乾燥機の中の
洗濯物くらい出してくれたっていいじゃない。それだけのために、ラビナルと首
都を往復できないでしょ」
 菊村は目を大袈裟に丸くして「へぇぇぇぇ....」と感心した。
 「あのときは私もビックリしたわぁ」と田中も苦笑した。「結局私が岡田さん
の洗濯物を乾燥機から出して、ラビナルまで持ってきたんやけどな」
 「申し訳ありませんでした」と岡田は大袈裟にテーブルの上へ手をついて頭を
下げた。
  「それからもっとすごいこともあった..」と岡田は得意満面に言った。
「これも自分が悪いんだけど、隊員宿泊所の灰皿に、煙草の吸いがらを残したま
ま帰って来ちゃったんだ。灰皿は使ったら洗う、というのが原則なんだけど。で
も自分だけが使った訳じゃないんだよ、その灰皿..」ちょっと岡田は赤面して、
コホンとひとつ咳払いをした。「いや、言い訳はよそう」と言って照れた。
「そしたらそれを見付けた高柳はどうしたと思う?」岡田はちょっと興奮して、
高柳を呼び捨てにした。「自分の郵便棚にその灰皿を入れたんだよ。『自分で使
った灰皿は自分で洗ってくださいね。』って書き置きまでしてね。しかも洗って
くださいね、の次に赤いペンでハートマークまでつけてあるんだよ。アホかって。
一体何様のつもりなんだっての」
 相当岡田は興奮していた。
「隊員宿泊所の管理委員長は武田さんだって言うのにさ」
 さらに、
「あれじゃぁ、29になっても男がいないのも分かる気がするね」なんてことも
言ってしまった。さすがにこの発言は田中を刺激した。田中は目を細くして岡田
を睨んだ。
 「私ももう30なんやけど、男おらへんなぁ」
 それを聞いた岡田は赤面して、「いやあ、田中さんと高柳さんとは全然違いま
すよ。月とすっぽんです」
 岡田は体裁が悪くなってうなだれた。
  菊村が右手を口元にあてて微笑む。
  「せやけど、岡田さんに問題があることばっかやん。あんた、もうちょっとし
っかりしぃや」
 「まぁそうなんですけど..」
 田中にそう言われると、岡田のさっきまでの威勢のよさはどこかへ吹き飛んで
しまい、意気消沈したようだった。ちょっと場の雰囲気を壊してしまったかな、
と田中は少し反省し、「腹減っとるやろ、カレーライス食べてきな」と岡田の背
中を平手で思いっきり叩いた。岡田はわざとらしくせき込んだ。

  田中の部屋の中に和やかな雰囲気がまた戻ってきた。
 岡田は思い出したように、赤井が県の支援で、中古の機材を取り寄せたことを
話した。田中はうーん..と少し考えてから、
 「岡田さんの友達がどんな機材を送ってもらったか分からんけども、足踏みミ
シンって、いくら中古でもいまの日本には見つからんと思うわ」と答えた。
 そうか..岡田は少しは名案かな、と思っていただけに、失望の色は隠せなかっ
た。
 「でも岡田さん、少し気にかけといてくれたんやな。ホントありがと」
 そこで菊村が話題を変えようと、岡田に尋ねた。
 「岡田さんは今度の連休どうするんですかぁ」
 「ああ、今度は伊藤さんの任地の、コバンに行ってみようと思ってるんです。
彼女と前々から約束してたもんだから」岡田の口調は随分穏やかなそれに変わっ
ていた。
 「ほぉ..ええなぁ。春かぁ?」田中が横目で菊村を見て、ウィンクをした。
「利子ちゃんええ子やからなぁ」
 菊村は驚いて「そういうことだったんですかぁ」と晴れやかな表情になった。
そして菊村も田中にウィンクを返した。
 「え、何が? 違うよぉ。何言ってんですか田中さん! 菊ちゃんは純粋なん
だからすぐ信じちゃうでしょ」
 「まるで私がすれきっとる女みたいな言い方するなぁ」
 「そんなこと言ってないじゃないですか。僕は年上の人は平気ですけれど、自
分より体重がありそうな人ってダメなんです。ものには限度ってものがあります
からね..」
  さすがの岡田も言ってから「しまった」と思った。この発言には田中はもちろ
んのこと、菊村からも相当非難を受け、食べかけのカレーライスも奪われそうに
なった。
 「さっきから言いたいことゆうとるなぁ。ホンマこのおっさん。最近口悪くな
ったがと、とと..」田中は口を押さえたが、岡田も菊村もそれを聞き逃さなかっ
た。

  田中の部屋には日常的な平和が漂っていた。
 しかし菊村は何かもう少し言いたいことがあった。それでも岡田らふたりが仲
よく話をしている様を見ていると、何も言えなかった。
 菊村は感じていた。歓迎会の会計報告のことなら、どうして高柳さんは私達に
伝言を置いてくれなかったのだろうか、と...。

  そのことには岡田も気付いていた。





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