AWC ナコンラチャシマの星はラビナルの太陽(3)  横山信孔


        
#3734/5495 長編
★タイトル (YOK     )  97/ 1/26  21:50  (200)
ナコンラチャシマの星はラビナルの太陽(3)  横山信孔
★内容

                                   †

  夕方に事務所へ行って調整員と話をした。そしてその足で買い物へ行った。平
日だったため、隊員宿泊所には隊員がいない。ひとりで簡単に夕食を作って食べ
ていると、7時頃、同期の荒木浩二がやって来た。荒木は首都のナショナルチー
ムで野球のコーチをしている隊員で、図体はごつかったが妙に腰の低い男だった。
そして岡田の最も気の許せる隊員のひとりでもあった。
 「カズさん、久しぶりだねぇ」と荒木は大きな声を出す。
 「3週間ぶりだね、首都にあがってきたのは。元気にしてた?」
 「いや..相変わらずッスね。今回はどうしたんですか」
 岡田は支援経費のことで、調整員と話があったことを説明した。
 「ふーん。いろいろと大変だなぁ。僕には全然分かんないッスね。で、結局調
整員はなんて言ってたんスか」
 「うん。自分のそのアイデアについては賛成してくれた。調整員も今度の定例
会議に出席してもらって、その話をしようと言ってくれたし。援助したお金がも
ったいないとかそういう問題じゃなくて、何とか彼らがやる気を出して、長続き
できるプロジェクトにしていきたいからさ」
 「そうッスかぁ」荒木には活動分野の違うことなので、それ以上何も言えなか
った。
  「ところでお前は? こんな夜にここ来て、何か用事があったんだろ」
  「ああ、そうそう!!」と言って、荒木は慌ててテレビのスイッチをつけた。
「NBAですよNBA。これ見に来たんです。家のテレビ、ケーブルテレビが入
ってないんですよ」
 「何だっけ、そのNBAって?」
 「カズさん嫌だなぁ。アメリカのプロバスケットボールですよ。マイケル・ジ
ョーダンとか、チャールズ・バークレーとか聞いたことあるでしょ」
 「ああ、あれね」と気のない返事をする。
 「カズさん、暇があったらこれは見た方がいいですよ。だいたいこのアメリカ
大陸にいて、ほとんど時差なしにNBAが楽しめちゃうんですからね。日本に帰
ったら、こんな楽しみはできないッスよ」
「僕はロケッツのオラジュワンとか、ブルズのピッペンとかのファンなんですよ。
でね、今年はジョーダンが大リーグ目指してブルズやめちゃったから、今年の本
命は..」と忙しそうに身振り手振りで、彼が知っているNBAのすべてのことを
話そうとしているようだ。内心おめでたい男だと岡田は思った。
 試合はシカゴ・ブルズ対ミルウォーキー・バックス。90対96でバックスが
勝った。「ほら、やっぱり今年のブルズはダメなんだよぉ」と荒木は大の字にな
って寝転び、大げさに嘆いてみせた。

  宿泊所の呼び鈴が鳴ったので、扉を開けに外へ行った。荒木と同じく首都隊員
の吉田幹久が立っていた。
 「あれ? 吉田さん。お久しぶりですねぇ」岡田はちょっと意外な口調で言っ
た。吉田は隊員宿泊所のすぐ近くに住んでいたにも拘わらず、ほとんど宿泊所に
は顔を出さない。そのため、岡田のような地方隊員は、なかなか会うチャンスが
なかった。
 「ああ、岡田さん。お久しぶり。珍しいねぇ平日に」
 そう言って吉田は下駄箱をすり抜け、戸外にある乾燥機から、剣道の胴着と袴
を持ってきた。そして居間の絨毯の上で、黙々とたたみ始めた。
 吉田はシステムエンジニアという職種で官庁街で働いていたが、週3回グアテ
マラ人に有志で剣道を教えていた。いろいろな隊員の任地で開かれる日本文化紹
介などでも、たびたび彼の生徒と剣道のデモンストレーションを行っていた。岡
田も一度だけだが、見たことがある。吉田は確か、本業よりも剣道の活動の方に
むしろ力を入れていて、1年の延長をしたのもこの剣道の活動に因るものだと聞
いたことがある。岡田と年齢はひとつしか違わなかったが、グアテマラ隊員とし
ては、2年も先に来た先輩隊員だった。
 「吉田さんもあと任期半年ですね。吉田さんがいなくなっても剣道の活動のほ
うは大丈夫なんですか」岡田は率直に尋ねてみた。
 「うん。難しいねぇ、グアテマラの剣道の未来は。ちゃんと続いていける生徒
があまりにも少ないんだ。やっぱり空手や柔道のように、メジャーじゃないから
ね」吉田はため息混じりにそう答えた。
「これは、昨日今日考えて出した自分の判断じゃないんだよ。とにかく何度もグ
アテマラ人には裏切られているから、どんなに希望を捨てないでいようと試みて
もダメなんだね。たまに独りで素振りをしながら、暗い道場で生徒を待つ自分の
姿を顧みると、やるせないものがあるよ」
 岡田は非常に寂しい気持ちになったが、吉田の言葉に割ってはいる隙はなかっ
た。
 「僕も分かりますよ..。ホントにここのグアテマラ人って誠実さに欠けている
っていうか」荒木も暗い面立ちで賛成した。
 「嘘をつかれたりするのはいいんだ。下手な言い訳とかも慣れたし。でもやっ
ぱり練習に行くと言っておきながら、何も連絡せずに約束破られたりするのは耐
えられないんだよ。はじめから練習する気がなかったら、剣道教えてくれ、なん
て言わなければいいんだ」吉田は吐き捨てるように言った。
「どこで知ったか分からないけれど、剣道を習いたいから、わざわざ大使館で僕
の名前と電話番号を調べて電話してくる熱心な人もいるんだよ。そしたら僕も飛
び上がるくらいうれしいじゃない」
  「そういう人もいるんですか」岡田が言った。
 「でも来ないんだよ」吉田は袴をたたみながら目を伏せた。
 「え??」岡田は苦笑して言った。「すぐ来なくなっちゃったんですか」
 「一度も来てないよ」
 「そんなバカな」岡田は言った。「じゃぁ、どうしてその人は、わざわざ吉田
さんのところへ電話を?」
 「そんなの僕が聞きたいよぉ!」吉田は岡田を振り返って、少し声を荒らげた。
 「でも岡田さん、そういう人ばかりなんだよ。挨拶がわりのように、皆やりた
いやりたいって言うけれど、道場にさえ足を運んでくれる人はホントに極僅かな
んだ。これが現実なんだよ」吉田の声の調子は低くなった。「興味がないなら興
味がないとはっきり言って欲しいよ」
 それから少しのあいだ、吉田と荒木がありとあらゆるグアテマラ人との経験談
に悪態をついた。吉田はある程度冷静だったが、荒木は声を荒立てて、全グアテ
マラ人を罵りまくった。
 「だいたいなんスかねぇ、街中で男と女が暇さえあればブチュブチュしやがっ
て。他にやることねぇのか、てめぇらって気がしません?」荒木が言った。
 「まえ、バスの横に座ってたカップルが始めたときは参ったよ」
 「美男美女がやってんならともかく、腹出た中年の親父と小汚いばばあが目の
前でいつまでもディープキスしてたら、もう俺悲しくなってきますよ、ホント」
 「もう少し違うところに脳味噌使って欲しいよなぁ」
 「マジでグアテマラ人って、一日の80%はエッチなこと考えていると思いま
すよ、絶対。もうほとんど知的生物とは言い難いっスよね。本能のままに生きて
いるだけの、ランブル鞭毛虫以下じゃないかと最近思うわけスよ..」
 ランブル鞭毛虫とは、協力隊のあいだでは有名な寄生虫だ。荒木はグアテマラ
に派遣されてすぐ、この寄生虫にやられて嫌な思いをした。そのため、こういっ
た下手な比喩を使いたがった。
  「そう思うでしょ? カズさんも」ふいに荒木が言った。
 「まぁね」岡田は言った。「でも、ラビナルの人は皆気さくな人ばかりだよ。
首都のグアテマラ人とは違うような気がするな」
  「そういう面では田舎の方がいいよね。素朴な人が多いから」吉田が言った。
 「実際、僕も首都にあがってくるのは嫌ですね。地方に住んでいる隊員のほと
んどがそう思ってるんじゃないでしょうか。バスで5、6時間かけて来るのも大
変だし、それに治安も悪い。グアテマラ人の態度も、地方とでは雲泥の差がある
と思いますよ」岡田は控えめに言った。「スケベなのは、ラビナルの人も一緒で
すけどね..」
 「そういえば、田中さんの教室のミシンが盗まれたことがあったよねぇ」吉田
がふと思いついたように言った。
 「ええ。田中さんも最初は落ち込んでいましたけど、いまは少し落ち着いたか
なって思っています」
 「ひどいよ。ひど過ぎるッス..。あれだって、日本の小学校から中古のものを
送ってもらったんでしたよね。人の好意を踏みにじるとはこのことッス」荒木は
ため息をついた。
  3人は少しのあいだ黙った。荒木は少し苛立っているようだった。
 「煙草くれないか?」岡田は荒木に言った。
 「あ、いいスよ」荒木がグアテマラ製の煙草を1本さしだした。岡田はそれを
吸って天井を見上げた。吉田は黙って袴をたたんでいた。荒木も煙草を吸い始め
た。
  吉田は、胴着と袴をたたみ終えると、スーパーのビニール袋に入れた。そして
立ち上がって靴を履いた。
 「もう帰るんですか」岡田は言った。
 「家がすぐそこだからね。そんなに心配はいらないよ。走って帰れば大丈夫な
んだ」吉田が言った。「こんな時間じゃないと、なかなか洗濯に来れないんだよ
ね」
 岡田は吉田が玄関から出るまで送っていった。吉田は岡田がそこまでついてき
たことに、ほんの少し戸惑っていた。吉田は玄関から出るとき、岡田の方へ振り
返った。
 「いろいろあるけどね..」吉田は言った。
「ひとり強いのがいるんだよ。少なくとも任期終了までは、そいつのために剣道
を続けていくよ」吉田は岡田にそっと話した。
 岡田は目を伏せ、「がんばってください..」とだけ言った。
 岡田がそう言うと、吉田はにこりと笑って手を挙げた。そして吉田がスーパー
の袋をかついで走っていく姿をしばらくのあいだ見送った。岡田は吸いかけの煙
草を外に捨てて、靴底で火を消した。

 荒木は9時半頃、自転車に乗って帰ると言う。
 「気をつけて帰れよ。夜は危ないんだから」
 「大丈夫ですって。カズさんよりか首都には詳しいんだから」
  そう言われると岡田は何も言えなかった。
 ラビナルなどの地方都市に比べて、首都は圧倒的に犯罪が多い。どこの国の首
都もそうなのだが、グアテマラは協力隊派遣国の中でも異例と言っていいほど、
事件発生率が高かった。再三事務所から、治安対策勧告が出ていることは岡田も
よく知っている。そのためいつも、岡田は首都にあがってくると外食を嫌い、面
倒でも自分で調理した。
 ストレスのたまる国だ..。
 荒木を玄関まで送り、扉に南京錠をかけると岡田は自然にそう思えた。しん..
と静まり返る隊員宿泊所にひとりでいると、ちょっと気持ちが悪い。自分のロッ
カーから便せんを取り出し、夜中の1時までかかって、今日もらったすべての手
紙の返事を書いた。

                                   †

  次の日少し遅めに起きてもう一泊しようかな、とも思った。しかし、赤井の手
紙に刺激されたようで、ラビナルに今日中に帰ろうと思った。
  昼頃隊員宿泊所を出てバックパックと共に玄関口に行くと、呼び鈴が鳴ったの
で、岡田は扉を開けた。すると早足で入ってきた高柳の姿が目に入った。ところ
が岡田が扉の陰に隠れてしまって、高柳には見えなかったらしい。彼女はすたす
たと隊員宿泊所の中に入っていって、すぐに見えなくなった。何か急ぎの用事な
のだろうか。気のせいか高柳の無表情な眼鏡顔が険しく見えた。それにしても..
 扉を開けてくれた人に、振り返って礼ぐらい言えよなぁ..。
 と心の中でぶつぶつ呟いた。後から、事務所専属の運転手、セサルが続いて入
ってくる。高柳は、彼の車に乗せられて宿泊所に来たらしい。彼は  「オラ..。
(やぁ)元気だったか、カズ!」とすぐに声をかけてくれた。
 岡田は高柳と話をしたくなかった。すぐに扉をくぐり抜け、バックパックを背
負って街へ出た。ほんの少し、高柳の表情に後ろ髪を引っ張られながら..。

  首都からエルランチョまでの80キロくらいは快適な道のりで、バスも相当飛
ばす。ところが、そこからサラマまでの約50キロは山岳地帯で、カーブが増え
てくる。サラマを越えると、舗装されていない凸凹道がラビナルまで続く。この
ラビナルまでの道中で、名物とも言える難所(?)は、ラビナル峠と呼ばれる所
だ。3〜4メートルくらいしかない幅の狭い道が、山肌に這うように続いている。
下を見れば、息を呑むような断崖が遥か下界へとつながっている。振り返れば、
対岸する山々には、いま通ってきた山道が、細長い紐に巻き付いているように見
える。バスの足下を見ると、車輪が通ったときに跳ね飛ばされた、いくつもの石
ころが絶壁の断崖へと転がっていく様が見える。
 はじめ岡田がこの峠を通ったとき、1時間くらい続く、目も眩むようなこの渓
谷に、冗談だろ..と思った。首都にあがる度に、こんな峠を越えなければならな
いことを考えただけでも、頭がクラクラした。しかし、何度もこの峠を越えてい
るうちに、岡田も随分と慣れてきた。バスが極限まで速度を落として走っている
ので、拓けた高速道路をビュンビュン飛ばすバスより、事故が少ないと聞いたこ
とがあるからだ。それでも、こんな狭い山道をオンボロバスがすれ違うときは、
いまでも手に汗がにじむ。よせばいいのに、いつも窓から車輪を凝視した。バス
の側面が、崖よりも外側に出て、崖との境界線がバスの内側に入るときは、いつ
も反射的に目をつぶった。バスの運転手は、一体どのようにして後輪の位置を把
握しているのだろうか。岡田はいつも感心する。後10センチでも外側だったら
バスが落ちていた、という状況に何度も遭遇しているからだ。
 岡田はいつもこの峠を通るとき、ふと『死』を感じる。
 もしここで死んだら..。
 グアテマラの隊員は皆どう思うだろうか。事務所はどのように対処するだろう
か。自分の家族は、日本の友達は、昔の会社の同僚は、そして各国の同期隊員諸
君は、どう反応するだろうか。彼らは泣いてくれるだろうか。悲痛の叫びをあげ
て、帰ってきてくれよぉ、と涙してくれる人はいるだろうか。
 たとえ話なのに、いつもそんなことに感情移入してしまって岡田は泣いてしま
う。車窓から対岸の山を照らす夕焼けを見ながら、ぐすりと泣いてみた。となり
のおばさんに「どうして泣いているんだい?」と聞かれたらどうしよう、そんな
ことを思って我に返った。




前のメッセージ 次のメッセージ 
「長編」一覧 横山信孔の作品
修正・削除する         


オプション検索 利用者登録 アドレス・ハンドル変更
TOP PAGE