#3703/5495 長編
★タイトル (AZA ) 96/12/31 16:58 (195)
コード館の殺人 16 永山
★内容
「しかし、メイド達は承知したのですか? 戸井刑事、特に森田さんとは険悪
な様子ですが」
「安全のためだと言って、押し切ってやりましたよ。この程度の強制力は、発
揮させてもらわんと。その代わり、奴め、明日の朝飯の味は保証できないと抜
かしおった。口の減らない野郎だ」
「夜通し見張ることは、全員に伝えましたか?」
法川が尋ねた。
「ああ。その方が効果があるだろう。犯行を思いとどまってくれりゃあ、あり
がたいね」
「刑事こそ、注意してくださいよ。犯人は不可解な方法で殺しを重ねている。
いくら警戒しても、警戒しすぎることはない」
「忠告、ありがとよ」
刑事は肩を揺らし、自信ありげに笑った。
板倉が部屋から出て来るのを見かけ、私は声をかけた。
「大丈夫ですか? その、もし、私をお疑いでしたら、それは誤解−−」
「ご心配はいりません」
固い口調だ。だが、彼女の顔色は昼前に比べると、よい。
「私は、永峰さんだけを疑っているんじゃありませんから」
荒っぽい手つきで鍵をかけると、急がしそうに去ろうとする。
「どこへ行かれるんです?」
「幸道さんが、薬に異変があるようだって、おっしゃってきたので……」
皆まで言わず、階段を駆け下りる板倉。どうやら、幸道氏から電話をもらい、
駆けつけるところらしい。それにしても、薬に異変とは穏やかでない。邪魔に
ならないよう、追いかける。
玄関前を通り、細い廊下を行くと、幸道氏の部屋に到着。
「幸道さん? 板倉です」
彼女が軽くノックすると、やまびこのように「入ってくれ」という声が聞こ
えた。ドアを開けた際、ちょうど幸道氏と私の目が合った。
「おお、永峰さんもいたか。ちょうどよい。戸井刑事を呼んでくれんか。ひょ
っとしたら、わしもやられるところだったかもしれん」
「は、はい」
差し出た真似は控えようと考えていた私だが、突如、役目を与えられ、急い
で引き返した。
戸井刑事の他、法川も連れて、幸道氏の部屋に押し掛ける。
「薬に手が加えられたかもしれないと伺いましたが……」
「ああ。ほれ、板倉さん、見せてやってくれ」
板倉は黙って、両手を差し出してきた。白いハンカチを広げたその中央に、
カプセル薬が一つ、載っている。黄色と赤色のカプセルを、半分ずつ張り合わ
せたような形状だ。
「糖尿の薬なんだが、カプセルにある文字がずれておるのと、一部が欠けてい
るだろう。それで怪しんでな」
幸道氏の言う通りで、カプセル表面にあるアルファベットと数字の一文が、
微妙だがずれている。それに、カプセルの赤い側の縁が、わずかに欠けていた。
「これと同じ薬を見せてもらえませんか」
「こちらです」
板倉が、今度は手の平に薬を載せて、示してくれた。四カプセルあった。目
を近づける刑事。
「ふむ。こちらの方は、どれも文字がずれていないし、欠けてもいない。問題
のカプセルは、ずっと幸道さんがお持ちで?」
「昨日、彼女が来た際にもらった。そうだったのう、板倉さん?」
「そうです。新しい薬をお試しになるということで、こちらでご用意して、今
度の旅行に合わせてお持ちしたんです。間違いありません」
「あ、これ、今までに使っていた薬とは違うんですか。ふむ」
黙考を始める刑事に代わり、法川が聞いた。
「あの、この薬は、この部屋にずっとあったんですね?」
「そうだよ」
幸道氏が答え、板倉もうなずく。
「この紙袋にひとまとめにしてな」
「誰かが入って来て、一つだけ持ち出し、細工をした物を再び、こっそりと入
れることは、可能でしょうか? もちろん、幸道さんに気づかれずに」
「可能も何も、事実、こんなことをされておるんだからのう」
いささかのんきに、幸道氏。
「薬の袋を監視しておる訳じゃなし、薬の細工は難しくないだろう」
「そうですか。薬を飲むのは、この部屋に限られますか?」
「そうだな。持ち歩かんでも、飲むのは就寝前と朝食後だから、そう不便では
ない」
「分かりました。薬を受け取ってから薬の異常を発見するまでの間に、この部
屋を出入りした人−−いや、出入りしていない人を挙げてもらえますか」
「出入りしていない……そう、あんたの他、刑事さんも永峰さんも今が初めて
だな。板倉さんには、何度か来てもらった」
「はい」
返事する板倉。だが、もし彼女が薬に細工するなら、何度も部屋に出入りせ
ずとも、薬を渡す前にいくらでもチャンスがあるのだから、無意味だ。
「実道の奴は当然、何度も来ておるし、貴島も同様だ。江梨はわしの方で呼び
つけることはしょっちゅうだが、森田は来ておらんな。女ギャンブラーは、ま
だ一度もここには姿を見せていない」
「神代さんのことですね。ひそかは来てないはずですから、死んだお二人につ
いても、念のため、お聞かせください」
「あん? そんなことまでかね。ん、いやあ、来とらん。二人とも、ここに入
ったことはない」
「どうも。もう一つ、今度は板倉さんに聞きたいんですが」
「私に答えられることでしたら……」
ほんの少しだけ、不安な陰を覗かせる板倉。そんな彼女に、法川は笑顔で語
りかけた。
「昨日、島に船で来ましたが、荷物を一時的に奪われたり、荒らされたりする
ようなことはなかったですよね?」
「船で薬に細工された可能性を言ってるんですか。あり得ません。鍵のかかる
ロッカーに仕舞っていましたから」
「なるほど、どうもありがとうございます。そうなると……息子さんを含めて
四人が、薬に細工する機会を持ち得たとなります」
法川は、幸道氏へ向き直った。そこへ戸井刑事が、プライドを思い出したか
のように大きな声で割って入ってきた。
「おいおい、法川。調子に乗ってやってくれるのは大目に見るが、あんまり先
走りせんことだ。薬に本当に細工がされているのか、具体的に言えば毒の混入
をされたかどうかを確認しない内はな」
「どうやって確認します? まさか、誰かが実際に飲んでみる訳にもいかない」
「簡単だ。動物実験をするしかないだろう」
「この島に、何か動物がいましたかしら」
板倉が左手の人差し指を顎に当て、上目遣いに考える素振りをする。
「いますよ。これからつかまえに行くんですよ」
「これからって、そんな簡単に」
「釣ってくるんです。活魚のまま持って帰り、実験台になってもらおう。これ
しかない」
誇らしげに胸を張る刑事。彼に、法川はぼそりと言った。
「船が動かないんですよ」
「あ……。かまうものかっ」
恥をかいた刑事は、瞬時に顔を赤くした。が、すぐに我を取り戻したようで、
さらに大声で宣言する。ごまかしているとも見えるが、敢えて指摘はすまい。
「磯釣りで充分である。大物である必要はないのだからな」
「分かりました。では、お願いしましょう」
こらえきれないくすくす笑いをしながら、法川は頭を下げた。
結果的に、刑事は嘘つきにならずに済んだ。釣りに出て三十分もしない内に、
実験動物(実験魚か)を釣り上げてきた。
この時点で、幸道氏の薬に細工がされていたかもしれないという話は、島に
いる全員に伝えられていた。薬に毒が入っているかどうかを調べる実験も、食
堂で全員が見守る中、静かに行われた。
実験は、板倉の指示もあって、正確を期す形で行われたと言ってよい。
透明なガラスのコップが三つ用意され、テーブルの上に置かれる。一つ目に
は水(無論、海水である)だけを満たし、刑事の釣ってきた魚を一匹、入れる。
この魚が何事もなく泳ぐことを、まず確認。
二つ目のコップには、水を入れたあと、異変の見つかった薬の中身が投じら
れた。三つ目にも水を入れ、今度は細工されていないと思われる薬の中身を投
入する。これら二つに、同時に魚を一匹ずつ入れ、様子を観察した。
一分強ほど経った頃、二つ目のコップに入れた魚が苦しみ始め、さらに一分
ほど経過した頃には、腹を上にして浮かび、そしてゆらゆらとコップの底に沈
んでいく。
三つ目のコップの中の魚は、若干、動きが鈍いようにも見えるが、同じ時間
が経過した時点でも、泳ぎ回っていた。違いは明白であった。
「これではっきりしましたな」
刑事が口を開いた。実験が始まって、魚が死んだときにわずかに悲鳴が上が
った他は静かだった場が、にわかにざわめく。
「誰かが幸道さんに、毒を盛ろうとした。恐らく、鈴木さんを殺すのに用いら
れたのと同じ、青酸系毒物でしょう。あらかじめ、私は幸道さんに聞いて、部
屋に出入りした人物、つまりは毒を仕掛けた可能性のある人物をリストアップ
している。息子さんの実道さん、メイドの江梨さん、友人の貴島さん、薬剤師
の板倉さん。この四人の方の誰かが、毒を仕込んだに違いない」
「他の人達は、父の部屋に出入りしていない訳ですね」
実道が刑事に、そろりそろり、探りを入れるように尋ねた。
「そうです。出入りしない限り、薬の細工も不可能でしょうからな」
「一つ、伺っていいかしら?」
神代が言った。
「何か意見でも?」
「つまらない疑問。幸道さんを疑いたい訳じゃ、決してありませんけれど……
幸道さんはどうして、薬の異変に気づかれたんでしょう? いきさつをお聞か
せ願いたいですわね」
神代のその言い方が気に入ったのか、幸道氏は口元や目元に笑みさえ浮かべ
ながら、朗々と語り始めた。
「薬を飲む時刻でもないのに、どうしてカプセルに注意を向けたかという意味
ですな? 話は実に簡単だよ。もうろくしたのか、ベッドから立ち上がった折
にふらついて、ナイトテーブルぶつかってしまっての。そのとき、袋ごと、薬
を落としてしまっての、ぶちまけてしまったのだよ」
咳払いを一つ。
「わしは特にきれい好きというほどじゃないが、床に転がった薬にごみが付着
したかもしれんと思うと、嫌なものだ。汚れていないかどうか、一粒ずつ、じ
っくり見て調べた。それで気がついた訳だな、幸運にも。さあ、これで納得し
てもらえたかの?」
「ええ、よく。失礼な質問をしたことを、お詫びしますわ」
腰を浮かして深くお辞儀する神代に、幸道氏は「もうよい、もうよい」と手
を振った。
幸道氏の説明に疑問を差し挟む余地はない。だが、彼が毒を仕込まれた芝居
をしたという可能性も、完全に否定できる理屈は、どこにもない。その事実を
教えられた。
「お父さん、どうしても飲まなければならない薬ではないんでしょう?」
実道が言った。
「それはそうだが。どうかな、板倉さん?」
「私は医師ではありませんから……。もちろん、飲まなくても、幸道さんの体
調に障ることはありません」
「だったら」
実道が続きを引き取る。
「もう飲むのはやめときましょう。カプセルにずれがないからって、毒が仕込
まれていないとは言い切れない。せめて島を離れるまでは、警戒した方がいい
ですよ」
「そうだな。たまには、おまえの言うことも聞こうか」
顔中にしわを寄せ、笑う幸道氏。
「ぼ、僕は本気で、お父さんの心配を」
「分かっとる、分かっとる。さあ、刑事さん、捜査を進めてくれ。私を狙った
奴を、早く特定してもらいたいですな」
「耳が痛いですねえ。単刀直入に聞きますが、幸道さん、命を狙われる心当た
りはありますか?」
「ほう、そう来ましたか。よいよい。自分のことになると、わしは遠慮を知ら
ん男でしてな。恨みがどうこうという話じゃなく、わしが死んで得をする者。
まあ、当然ながら、息子だな」
「お、お父さん」
眉を八の字にして、弱り声になる実道。
「情けない顔をするな。わしは、刑事さんの質問に答えておるだけだからな。
おまえに財産が行くのは、事実だ。それから……森田と富子さん、おまえさん
達は雇用条件や環境に不満があるか?」
「とんでもない! 不満があったら、やめさせてもらっていますよ」
森田が叫ぶように返事した。江梨が喋るのを制するような勢いがあった。
「隠さんでもいいぞ。あるいは、当てが外れたと思っとるんじゃないか? わ
しに尽くせば財産のおこぼれに預かれると期待して、こんな孤島で働くのを承
知したが、どうやら雲行きが怪しくなってきた、とな」
−−続く