#3699/5495 長編
★タイトル (AZA ) 96/12/31 16:47 (200)
コード館の殺人 12 永山
★内容
「あんまり食べたい気分じゃ……」
そう言ったのは板倉。彼女のような反応こそ、一般的だと思う。何しろ、鈴
木は飲み物に毒を入れられて死んだのだ。昨日の今日で、食べ物をぱくぱくと
口にする気にはなれない。
「薬を扱う人が何を言っているんです」
笑いを含ませて言ったのは、実道だ。昨日と違い、上下ともジャージ姿。
「たくさん食べて、体力を着けておかないとね、犯人に襲われたとき、抵抗も
できませんよ」
「それは嫌ですけれど……」
「私は食べますよ。食べてすぐ、船の無線機の修理に取りかかるつもりです。
できればエンジンを直したいところだが、さすがにプラグを作るのは無理なん
でね。せめて無線機だけでもやってみようと」
「助けを呼べるんですか?」
板倉は、期待に目を輝かせている。
「期待しないでくださいよ。ほんと、叩き壊されているんだから」
「いやいや、ぜひとも修理に成功せんといかん」
幸道氏は命令口調で己の息子に言った。
「皆さんを招いた、わしの申し訳が立たんではないか」
「頑張らせていただきますよ」
わずかに首をすくめた実道。親父さんにはかなわないということのようだ。
「皆さん、お揃いでしょうか? お食事の準備、整いました」
メイドの江梨富子の張りのある声が、広間に響く。彼女もまた、普段より睡
眠時間は少ないはずなのに、仕事はきちんとこなしているようだ。
その場にいた者は特に返事もせず、ぞろぞろと食堂へ向かって歩き始めた。
食事中、私はほとんど喋らず、気を紛らわせるためにあることを考えていた。
今度の事件が、十戒や二十則、七則を満たしているかどうかのチェックである。
自分が容疑者にされかかっているので、すっかり失念していた。やらなければ
ならない理由は別にないのだが、落ち込んだ気分を回復させるには、ちょうど
いいかもしれない。
錦野が殺害されたことで、七則の6「惨劇は複数起こる」が満たされた訳で
ある。また、七則の4「事件は血塗られた惨劇で、密室物が望ましい」はどう
だろう? 私の部屋は密室状態にあった。そこへいきなり死体が出現したのだ。
密室物と呼んで差し支えないだろう。「血塗られた」かどうかについては異論
もあろうが、殺人は惨劇に違いない。私自身、襲われた際に、少量ではあるが
血を流している。
以上により、七則の内、六つが満たされたことになる。あとは、犯人が意外
であればいい。
十戒や二十則はどうだったか……。そう考え始めた私は、確かめておくべき
点を見い出した。
「あの、すみません。この屋敷に秘密の通路や隠し扉はありませんよね?」
私が質問した相手は、幸道氏である。本来なら、屋敷の建築に関わった錦野
に尋ねたいところだが、今や不可能。ここは主の幸道氏しかいない。
「ん? どういう意図か分からんが、そのような物はないはずだ。設計図通り
であればな」
怪訝な顔をしながらも、幸道氏はそう証言をした。
これにより、十戒の3「秘密の部屋や秘密の通路は多くても一つにとどめる
べき」も満たされたとしよう。仮に秘密の通路の類があったとしても、錦野亡
き今、誰がその存在を知って、利用できると言うのだ。いや、誰もいない。
こんなところのようである。しばしの、心のレクリエーションにはなった。
食後、刑事が主導権を発揮した。全員をその場に足止めし、さらにコックの
森田とメイドの江梨を呼び寄せる。
「どなたも動機について、語ってくれませんでしたな。このままでは捜査が進
まず、非常にまずい。皆さんだって、早い解決を望んでるでしょう? 忌憚の
ないやり取りを……と行きたいところが、どうせ無理だと判断し、私が思い付
いた動機をぶつけていきます。それについて、皆さんは答えてください。これ
はお願いではなく、強制です。答えない人は、やましい点があると見なします」
「横暴じゃないですか。いくら特殊な状況だからって」
森田が抗議するが、刑事は軽くいなす。
「状況は関係ない。むしろ逆だな。はっきり言いましょう。もし、島でなく、
本土で事件が起こったとしたら、もっと厳しい取り調べや参考人聴取が行われ
るんだ。個別に引っ張られ、狭い部屋の中で絞られる。それに比べりゃ、皆さ
んはどれだけ恵まれているか。警察を甘く見るな、ということです」
言葉遣いは比較的丁寧だったが、口調は怒気を含んでいる。全員が沈黙した
中、戸井刑事が始めた。
「まず、ギャンブルの件だ。ギャンブルでのトラブルで、鈴木さんは殺害され
たのではないか。検討の値打ちはある。さあ、お仲間の皆さん、ご意見を!」
吠えるように言って、彼は幸道氏や神代達をにらんだ。
最初に口を開いたのは、実道だった。沈黙が続かなかったことで、ほっとし
たような空気が流れる。
「参ったなあ、刑事さん。さっさと言っておくのが得策のようですね」
「何かがあったんですな?」
「ええ、まあ。僕は下手の横好きの典型で、弱いくせについ、手を出してしま
う。今回、この島内ではギャンブル断ちしようと決心していますがね。これま
でにこてんぱんにやられて、お父さん−−父にも迷惑をかけた」
気が引けるのか、実道は幸道氏を見やる。父親の方は、少し首を動かしただ
けで、何も言わなかった。
「鈴木相手にも負けが込んでまして、ちょっとした借りがある。金銭ならどう
にかこうにかなるんですが、それ以外の約束までしてしまって、往生していま
す。いや、往生してたと言うべきですか」
「どんな約束か、聞きたいものだ」
「金銭と全く関係ないかと言えば、そうとも言い切れないんですが……この屋
敷全体に金メッキをするなんてね。ほろ酔いだったとは言え、馬鹿な約束をし
ちゃったんですよ。いやあ、お恥ずかしい」
「……そいつは、何年前の約束ですか」
戸井刑事の表情は、呆れ気分を隠しているように見えた。
「はて、二年だったか、三年だったか」
「覚えていないんですな? 鈴木さんは最近になっても、あなたに催促をして
きましたか? その、金メッキしろと」
「まあ、たまには。酒の席でのことですが。あいつもメッキの仕事してるから
こそ、こんな要求をしてきたんでしょうが」
「……実道さん。あなたはそんなことで人を殺しますか?」
「いや、殺さない。ただ、トラブルと言えばトラブルだからね。それに、彼に
借金があるのは事実なんですよ」
「何だ、またか」
幸道氏がすかさず反応した。眉を寄せ、呆れた顔をしている。刑事は間を取
って、実道に尋ねた。
「借金の額、いくらぐらいですかな」
「十万足らずです。みみっちくやっていたのが貯まりましてね」
「……関心しないが、あなたが幸道さんに泣きつけば何とかなる額のようです
な。とりあえず、殺人の動機にはならないようだ」
最後まで呆れながら、刑事は他の者に視線を送る。
「神代さんはどうです? あなたはお強いそうですな。こう言っては失礼かも
しれないが、鈴木さんから相当、巻き上げていたのでは」
「巻き上げたなんて、刑事さん。仮におっしゃる通りだとしても、私が鈴木さ
んを殺しては意味がないんじゃありません? お金が入らなくなるのだから」
「金の代わりに命で払わせた。どうです?」
戸井刑事は半ばやけのようだ。
「もっと計算高く、冷静でなければ、一流のディーラーにはなれませんわ。私
がディーラーとして一流であることを、これから証明して差し上げましょうか」
「……結構。だが、生命保険というものがある。受取人をあなたにして」
「さあ、どうかしらね。ここで否定したって、白黒着けられないのだから、こ
の議論は無意味よ」
「そりゃそうですな。仕方がない」
あっさり引いて、彼は幸道氏と貴島に身体を向けた。
「お二方はどうです? 昨日、初めて鈴木さんと会って、初めて手を合わせた
訳ですが、どうでした? 戦い方がフェアでなく、気に食わなかったなんてこ
とはありませんでしたかな」
「ううむ。彼はフェアにやっておった。のう?」
幸道氏の求めに、貴島もうなずき、同感の意を示した。
「ただなあ、わしらが負け、彼はどっこいどっこいのイーブンだった。それが
気に食わんと言えば、気に食わん」
「……どうも」
老人二人の話しぶりに冗談口調を感じ取ったか、刑事は落胆したように何度
か頭を振った。
「次は、錦野さんの場合を考えてみたいんだが……幸道さん、彼の仕事ぶりは
満足のいくものでしたか?」
「もちろんだとも。だからこそ、今まで付き合いが続いておったんだ」
簡単に肯定された。弱り顔になる戸井刑事。
「ただなあ、死んでしまった者を悪く言いたくないが、女にだらしがなかった
ように見ておった」
「女? 錦野さんは独身ですか?」
「そのはずだぞ。独身貴族を気取っておった」
独身貴族で女たらしの趣味が釣りというのは、優雅ではあるが、どこかミス
マッチだと感じる。
「この際、男女関係について伺いましょう。錦野さんがここに来て声をかけた
女性は、どなたとどなた?」
「ちょっと待ってください」
板倉が抗議の声を上げた。顔に赤みが差し、立腹しているのがよく分かる。
「何でしょうか」
「永峰さんの証言から、犯人は男性である可能性が高まったんじゃないのです
か。それなのに今更」
すかさず応じたのは法川だった。
「永峰自身が嘘をついている可能性があります。それを指摘したのは板倉さん、
あなたですよ」
「そ、そうでしたね……」
「板倉さんは、錦野さんに迫られた経験がおありですか」
再び戸井刑事。
「声をかけられたことはあります。ですが、お断りしました」
「相手がしつこかったので、殺した−−なんてことはないですかね」
「ありません!」
「そうですか。じゃあ、他のお二人は」
ペースを取り戻した様子の刑事は、矛先を変えた。
「私は昨日、初めて錦野さんと会ったんです」
「それだけでは証明にはなりませんよ、神代さん」
「声をかけられたわ、もちろんね。船の中で。でも、好みじゃありませんでし
たから」
「板倉さんとご同様という訳ですか。何とも言えませんな。江梨さん、あんた
はどうです? 錦野さんは何度もここに来ていたんだから、機会はいくらでも
あったでしょう」
「私も同じです。声をかけられはしましたが、断って」
固い表情の江梨。どういう意味があるのか、しきりに森田を見やっている。
その答は、直後に明らかとなった。
「あんまりしつこかったから、俺がどやしつけてやった。そうしたらあいつ、
何も言ってこなくなったよ」
どこか得意そうに語る森田。彼と江梨は、やはり親しい間柄らしい。二十近
い年齢差なんて、関係ないのだろう。
それはともかく、コックの返事に、刑事は嬉しそうにうなずいた。
「ほう。では、あなたには明白な動機があるようですな。少なくとも、錦野さ
んを殺してもおかしくないような」
「馬鹿を言うな。それっきり、あいつは手出ししなくなったんだよ。今頃にな
って命を取ったって、何にもなりゃしない」
「それはどうですかな。あなた方二人の証言だけでは、ストレートに信じるの
も問題ありそうだ」
「そう思うんなら、勝手に思っていればいい。事件が解決できなくて、泣きを
見るのはあんただ」
「全ての可能性を考えるのが、捜査のあり方でしてねえ」
いつもは法川がよく口にする台詞を、刑事は彼流にアレンジして用いた。
「はん。警察ってのは、口の悪い連中の集まりなんだな」
「おや? 連中、ですと? 私の他に、どなたか警察関係者をご存知らしい。
どのような経緯で、お知り合いになったか、ぜひ教えていただきたいものだ」
「く……くだらん。昔の話だ」
勢いを失う森田。それでも、刑事が「さあ」と詰め寄ると、渋々口を開いた。
「俺は喧嘩っ早いんでね。面倒起こして、厄介になったことがあるんだよ」
「一度だけ?」
「二度だ」
「そうでしたか。ふむ、聞いてみないと分からんもんだ。まあ、今のお歳で暴
れるのは、よした方が賢明ですな」
「余計なお世話だ」
険悪なやり取りがようやく終わり、刑事が一息ついたところへ、甲高い声が
上がった。
「ねえ、刑事の戸井さん。私には聞かないの?」
少女の発言に、くすくすと笑いが起こる。
唖然とする戸井刑事。彼は風見ひそかから法川に視線を移すと、「どうにか
してくれ」と囁き、小さく拝んだ。
だが、一度和んだ空気は容易に戻らず、刑事による動機の追及は、この時点
で切り上げられてしまった。
−−続く