#3696/5495 長編
★タイトル (AZA ) 96/12/31 16:39 (199)
コード館の殺人 9 永山
★内容
「遠慮しとくよ」
「何を言う。代わりに飲むのだ。もったいないじゃあないか」
実道は執拗だった。先述のような言葉を並べ立て、強制的に飲ませようとし
てくる。
最終的に、私は承知した。私が飲んだら君は大人しく眠ってくれるのかと聞
き返すと、もちろんという答だったからだ。
「いい飲みっぷり」
実道のそんな台詞までは、どうにか覚えている。だが、一杯だけでは許して
もらえず、何度も何度も注がれ、その後の記憶は定かでない。起きてはいるの
だが、何の話をしていたのかは曖昧だ。酒に強くない私だが、こんなに弱いと
は自分でも意識していなかった。
「そろそろ寝ないと。ほら、立って」
そんな声に促され、さらに左右から肩を貸してもらって、やっとソファから
立ち上がれる有り様。
「すみません……すまん」
呪文のように繰り返し言いながら、自分の身体が運ばれていくのを感じる。
左に曲がったところで目の前に現れた階段に、足を慎重にかける。
「しっかりして」
女の声−−神代の声。
膝ががくがくしている。
「どの部屋でした?」
「僕も覚えてないですなあ。おい、永峰。何号室だ?」
実道の大声に、私は回らない舌で何とか応じる。
「五号……右側の……三番目だ」
「分かった。鍵、出してくれ」
「ポケット……」
いくつかあるポケットの中をまさぐられる感触。それさえ心地よい。
夜遅いのに、廊下の照明は灯ったままである。いつの間にか、部屋の前に連
れて来られていた。確かに端から三番目。ドアが開けられ、中に入る。
「おい、鍵、中からかけられるか?」
「う……」
ベッドに横たえられた私は、回転の鈍くなった頭で考えた。鍵をかける理由
……。そう、殺人事件が起こっているのだ。襲われないためにも、かけなけれ
ばならない。
頭では分かったのだが、身体が動かない。瞼が重い。
「……実道? 外からかけてくれ」
「いいのか? よし。じゃ、鍵は僕が責任持って預かっておく。朝、取りに来
てくれ」
ドアの閉じられる音が聞こえた。それを最後に、私は眠りに落ちた。
脅迫的な音で、目を覚まさせられた。
最初、目覚まし時計の音と感じたが、ここは自宅でないと思い出し、戸惑う。
暗がりの中、耳に痛いベルは、電話の呼び出し音と分かった。
腕時計で時刻を確かめる前にベッドを出て、送受器を持ち上げてしまった。
ちらと見れば、午前三時頃のよう。
「はい……永峰」
ゆっくりと名乗ったが、向こうから応答はない。無言である。
「あんた、誰です−−」
息づかいが聞こえたような気がした。かと思うと、耳障りな雑音がして、電
話は切られた。
私は腹立たしさから送受器を叩き付けるように戻し、ベッドへ向かった。
と、今度はノックの音が不意に響いた。大きくはないが、確実に室内に伝わ
ってくる。一定のリズムを刻んでいた。
きびすを返し、急き立てられるまま、ドアに駆け寄った。ノブに手をかけた
が、すんでのところで開けるのは思いとどまった。覗き窓に片目を合わせ、じ
っと凝らす。
誰の姿もない。神代の部屋と亡くなった鈴木の部屋のドアが、左右に半分ず
つほど見えた。鈴木の部屋のドアは、開け放したままになっている。
廊下はそれなりに明るい。臙脂色の絨毯の上に、照明による黄色っぽい丸が
いくつかできてる。
先ほどの電話といい、これといい、眠りを妨げられた私は、冷静さを失って
いた。誰がこんなことをしたのか確かめたくて、ドアを開けてしまったのだ。
私は次の瞬間、叫びそうになった。
何者かがドアの真横、壁に張り付くように潜んでいた。そいつは私が叫ぼう
とするのを予想していたらしく、白い手−−手袋をしているに違いない−で口
を覆ってきた。そのまま部屋から引きずり出される。
パニックを起こした私の目が、ぼんやりと相手をとらえる。薄明かりの下、
異様な姿が浮かび上がった。赤いタオルのような布を頭に巻いた上に、顔全体
を覆う仮面を被っており、その表面はメタリックな反射をしている。片手に何
か持っているようだが、判然としない。白シャツの上から大きめの黒いチョッ
キ、だぶだぶのズボンは青系統だ。縦縞のラインが入っており、ラメがときど
き光る。
がくんと死界が動いた。私は足を払われたのだ。だが、怪人物は私を床に押
し倒すことなく、再び起こすと、急激に押してきた。
されるがまま、バランスを崩した私は、後ろ向きに部屋に押し込められた。
そこでまた足払いをくらい、今度は本当に横倒しにされてしまう。次に口を覆
っていた左手がどけられたが、それはほんの一瞬で、次には再度、息苦しくな
った。タオルのような物を口の中に押し込まれている。こいつが片手に持って
いたのは、この布切れだった。
やられる、と思う間もなく、怪人物は右手に作った拳を振り上げ、私の目の
辺りに打ち下ろしてきた。写真の撮影でフラッシュを焚かれたときを思わせる
目くらましと同時に、痛みが襲ってくる。
逃れようともがくが、相手の腕力は相当なもので、どうにもならない。己の
非力さを呪う。
殺される−−そんな思いがよぎったとき、突然、身体が軽くなった。
何を思ったのか、我が身の上に馬乗りになっていた怪人物は、弾かれるよう
に立ち上がると、一目散に部屋の外に出て行く。
せき込みながらも身体を起こして跪き、口からタオルを引っ張り出す。暗く
て確かめられないが、わずかに口の中を切ったようだ。
恐怖と安堵が入り混じって、助けを呼ばないでいた。そこへ、誰かが来た。
「どうしたんですか?」
女性の声。神代だ。彼女によって、部屋の明かりが点灯された。
「神代さん……。外、廊下に、変な奴がいませんでしたか」
からからに渇いた喉から、やっとの思いで言葉を絞り出す。
と、そこへ今度は板倉が現れた。彼女もまた、「何があったんですか?」と、
心配そうな表情をしている。私は神代にしたのと同じ問いかけを、彼女にも投
げかけた。
「変な奴なんていません」
彼女らは首を振るばかりだ。逆に聞いてきた。
「一体、何が? 何かの物音がして、目が覚めて、騒がしいから様子を見よう
と思って」
「仮面を着けた奴が、私を襲って……逃げたんです。よく分からないが、助か
った。そいつの姿、見ませんでしたか」
「見てません。それより、怪我の治療を」
神代の指先が、私の左目の周りに触れる。少し痛みがあった。顔がそこかし
こひりひりするから、小さな傷もかなりあるのだろう。
「大丈夫、あとでいいです。皆さんを起こしてくれませんか。無事かどうか、
確認しないと……。それに」
言いかけて、やめた。今なら、犯人はまだあの扮装を解いていないかもしれ
ない。そこを押さえれば、一挙に解決だ。そう考えた。
「それに、何です?」
「いや、とにかく、全員を起こして、知らせましょう」
私は女性二人に手を貸されて、よろりと立ち上がった。
部屋を出るとき、両隣のドアが開いているのに気づいた。右隣を見ながら、
「あれ……。そちらの部屋は神代さんの?」
と尋ねる。
「そうですわ。永峰さん、あなたは鈴木さんの部屋にいたんです」
「……ああ、そうか」
自分が今出て来た部屋と、その斜め向かいにある部屋とを見比べる。どちら
もドアが開いていた。
「私は自分の部屋を出て、怪人物に襲われて、今度は鈴木さんの部屋に押し込
まれたんですね」
鈴木の部屋は主を失い、空っぽだったのだ。てっきり、自分の部屋に押し込
まれたと思っていた私は、奇妙な感覚にとらわれた。
三人で手分けして起こしにかかってもよかったのだが、一人になるのは危険
だと警戒し、私達三人は並んで皆を起こして回った。私が襲われたという点だ
けを伝え、階下の広間に行ってもらうように言う。実道には、幸道氏やコック、
メイド達を起こしてくれるように頼んだ。
「返事がありませんね」
最後の部屋の前で、板倉が首を傾げた。錦野の部屋だ。
「どうした?」
戸井刑事もやって来た。ちなみに法川は風見ひそかを連れて、すでに下にい
るはず。
「錦野さんが起きてこないんですよ。さっきから何度も呼んでいるのに」
「変だな。どれ」
任せろとばかり、扉の前に仁王立ちする刑事。そしてがんがんとノックを始
めた。
「おい、錦野さあん! 一大事だ、起きてくれ!」
刑事の胴間声は、廊下中に届いている。だが、それでも部屋の中は静かなま
まだ。
「鍵はかかっているな。トイレにでも行ってるのか?」
ノブをがちゃがちゃさせながら、刑事は首を巡らせた。
私と戸井刑事とですぐにトイレに行ってみたが、そこにも錦野の姿はなかっ
た。また、玄関や一階の窓も開いておらず、外に出たのでもなさそうである。
「とりあえず、説明すべきかもしれない」
叩き起こすだけ起こしといて、放置されては不安であろう。それに、錦野が
いないのは、彼が犯人であるためかもしれないではないか。
「よし。そうしよう」
刑事の同意を得て、私達は広間に向かった。
午前三時四十五分。先に毒殺された鈴木と、行方不明の錦野を除く全員が、
一階の広間に集まった。思い思いの場所に座り、あるいはぽつねんと立ってい
る。煌々とした明かりが、これまでの出来事を夢のように思わせる。だが、断
じて夢ではない。
私は自分の身に何が起きたのかを、なるべく冷静に思い返し、説明した。
「無事でよかった」
最初に、戸井刑事が言った。
「無事じゃありませんよ」
声にとげを含ませ、反発する法川。彼の座る横では、風見ひそかが目を半分
閉じかけてソファにもたれかかっている。彼女の頭を、法川の手がずっとなで
ていた。
「永峰は怪我を負っている。無事とは無傷のことです」
「ああ……。いや、すまない。永峰さん、私がいながら」
「過ぎたことはもういいです。それよりも一連の事件の一刻も早い解決のため、
皆さんの部屋を徹底的に調べてほしい」
目をさすりながら、強く主張する。
「怪人物と鈴木さん殺害犯は、同一人物だと見なしていいと思うんです。先ほ
ど言ったように、怪人物は妙な格好をしていました。正体を分からなくするた
めでしょうが、それは逆に変装のための衣装が必要であるということにもなり
ます。だから、服が部屋から出て来たら、その部屋の人が……」
「第一容疑者となりますな」
犯人という単語を言い淀んだ私のあとを引き取って、刑事が言った。
「その前に、犯人の遺留品があるじゃないか。その出所をはっきりさせよう」
法川がソファから立ち上がる。風見は再び寝入っていた。
「遺留品?」
「タオルだよ。君の口に押し込まれた」
指摘を受けて、思い出した私はタオルを取り出し、広間中央のテーブル上に
広げた。明かりの下で見ると、黄色い、かなり厚手の物だと改めて知れた。
「誰の物か分かれば、大きな手がかりになるな」
刑事が言って、その場でぐるりと見回した。女性が呼応する。
「それ、お屋敷の物ですよ」
メイドだった。
「何? どこに置いてあったんだ?」
「浴室の脱衣所です。刑事さんもご存知ではないですか」
寝足りないせいか、ふてくされた口調のメイド。外見からも明らかに、瞼が
腫れぼったくなっている。
「そう言えば、風呂をもらったとき、見かけたような……」
刑事は頭をかいた。
「誰にでも持ち出せるんですか」
法川の質問。
「はい。浴室に鍵はかかっていません」
「なるほど。じゃあ、これは犯人に直結する物ではないと」
残念そうに首を振る法川。
「なあ、永峰さん」
落ち着き払った物腰は、幸道氏だ。私が「はい?」と顔を向けると、彼は片
手で何やらゆったりしたリズムを取りながら、悠然と続けた。
「襲われて動転しとったのはよく分かるが、何か覚えておらんか。犯人の体格
とか髪型とか、あるいは声を聞いたとかだな」
−−続く