#3691/5495 長編
★タイトル (AZA ) 96/12/31 16:25 (199)
コード館の殺人 4 永山
★内容
「お、やってますな。神代さんの妙技を、高みの見物と行きますか」
ひょっこり、新たに姿を見せた実道が、神代に対して言った言葉がこれだ。
「妙技?」
聞き咎めた私は、実道を見た。
「そうだよ。彼女は元々、ビリヤードの方か入ったのさ。と言っても、普通の
じゃなく、曲打ち−−アーティスティックビリヤードって、知ってるかい?」
「いや……。普通じゃないビリヤードってあるのか」
「トリックショットとか言ってな、球を自在に操って……口で言うより、見せ
てもらえばいい」
「館さんっ」
鋭い声が飛んだ。無論、神代だ。実道と幸道氏を区別するため、下の名を呼
んでいたのが、思わず名字で呼んでしまったといったところか。
「今から競技ビリヤードをするのに、お二人の自信を失わせたくないわ」
にやりと、女性らしくない笑みを浮かべた。
「話だけでも、充分、自信喪失です」
板倉がげんなりした表情で言う。
「どうせ遊びですから。私の順番は最後で結構ですわ」
神代の口調には、余裕が溢れている。それほどの腕前ならば、私達を誘わず
に一人で始めて、突ききったらいいのに……等と愚痴をこぼしたくなった。
「永峰さん、共同戦線を張りましょうよ」
板倉が私の服の袖を引っ張った。
「どういう意味です?」
「勝ち目が薄いのは明らかなようですから、突き順が二番目になった人は、よ
ほど自信がある場合を除いて、三番手の彼女が突きにくくなるように心がける
こと。これでいきません?」
「悪くないですね。だけど、その作戦だと一番最初に突く人が一番有利になり
ますねえ」
「その辺りは運不運。さあ、じゃんけん」
結果、板倉が一番で私が二番となった。
「うまく当たるかな……」
つぶやきながら板倉が行ったブレイクショットは見事、成功。十の球がきれ
いに散らばった。
その後、私のいる組も法川達の組もゲームは進む。確かに神代の腕は大した
もので、次々に球を落としていく。でも、たまに、わざとなのだろうか、ミス
をやってくれるので、私達もゲームをそこそこ楽しめた。トリックショットと
やらは出なかったようだが、それでも私や板倉を驚かせるのに充分な腕前であ
る。言うまでもなく、最終的に勝利を飾ったのは神代だった。
「参りました」
「機会があったら、教えてほしいわ」
板倉が言うのへ、神代はにっこりと微笑みを返した。
そのときだった、異変が起きたのは。
「大丈夫、おじさん?」
隣の台の傍らで、風見ひそかが心配げな声を上げた。見れば、鈴木が片膝を
突いて、喉を押さえている。
「あ、ああ、平気」
と言うなり、彼は激しく呻くと、床にぶっ倒れてしまった。
「いかん!」
真っ先に駆け寄ったのは、貴島であった。自己紹介の折、ぼんやりとしか聞
いていなかったのだが、彼は確か、医者とか何とか……そう、法医学者だ。生
きた人間相手は専門外のはずだが、彼の動きはてきぱきとしていた。
「毒? 中毒のようだっ。水を頼む!」
一声叫んで、彼自身は苦しみもだえる鈴木の喉に指を突っ込み、吐かそうと
している。
水の方は、ぼんやりと立っていた実道が我に返ったように廊下を走り、また
戻って来たときにはメイドを連れていた。メイドが洗面器一杯の水を運んでき
たのだ。
しかし、その水が役に立つことはなかった。
鈴木はげぇげぇとさらにもだえ続け、次第に痙攣の兆候を見せ始めた。そし
て二十分ほど経った頃だったろうか、青白い顔をしたまま動かなくなった。
「……だめだ」
鈴木の眼球を覗き込んでいた貴島が、首を振った。
「彼は死んだ」
また余計な説明をしよう。いよいよ死体が出た訳である。このことは、二十
則の7「死体が必要」に対応する。言うまでもないが、このことだけで即、二
十則の18「殺人が自殺や事故死であってはならない」を満たすものではない。
貴島の言を信じれば、鈴木健吾の死因は青酸系の毒物によるものらしい。念
のために渡しも簡単に見てみたが、確かにアーモンド臭がしたし、これまでに
何度か遭遇した青酸死とよく似た症状を呈していた。
「青酸系の毒物と言いますと、青酸カリですか?」
板倉が聞いた。薬剤師と言えども、検死までは無理だろう。
「あるいは青酸ソーダですな。ここでは判定のしようがないが」
頭をなでながら答える貴島。顔は赤いが、酔いは覚めたようだ。
毒物が青酸系の物であれば、これは十戒の4「未発見の毒、科学上複雑な説
明を要する仕掛けを作中に持ち込んではならない」を満たす。また、拡大解釈
になるかもしれないが、二十則の14「殺人方法は合理的で科学的であること」
をも部分的に満足させていよう。
と、そこへ戸井刑事が現れた。
「人が死んだとは、まさかと思っていたが……冗談じゃなかったようだ」
「戸井さん、法川は?」
法川が姿を見せないので、私は聞いてみた。法川は、風見を気遣って部屋に
連れて行った。そのついでに、戸井刑事に事件発生を伝える手筈だった。確か
に刑事を呼んでくれたものの、法川本人が戻って来ない。
「女の子につきっきりだ。あの子、かなりのショックを受けているらしいから
な。さすがの名探偵も放っておけないらしい」
「そうでしたか」
ひとまず安心できた。だが、法川が事件現場を観察することなしにいるなん
て、普通では考えられないだけに、不安も残る。
「今まで隠してましたが、私は警察の者です」
警察手帳を示しながら、戸井が言った。法川が引きこもっている今、この場
は彼に任せるのが得策であろう。
「刑事……さんだったんですか」
戸井のことをただの公務員だと聞かされていた人達は、一様に驚き、あるい
は身を引き加減にする。
「当然ながら非番の身で、ここに寄せてもらったのです。だが、事件発生とな
ると、のんびりしてもおれん。正式に警察が来るまで、現場保存をさせてもら
います。いいですな?」
「そ、それはもちろん。ねえ、お父さん」
実道が幸道氏に同意を求める。
「そうしてくだされ。ただ……非常に申し上げにくいんだが、警察に連絡する
のは難しい。少なくとも、今すぐには無理だ」
「何ですと? どういう訳ですか、そりゃあ?」
次第に言葉が荒っぽくなる戸井刑事。地が出始めたようだ。
「しかと伝えていなかった点は、お詫びしましょう。この島には電話や無線の
類は、一切ないのです」
「本当ですか? えーっと、船舶無線は?」
「届く範囲に船が通りかかったとして、本土に伝えてもらうのは意外と手間だ
と思いますよ」
実道は難しい顔をしている。
「それよりも、直接、船で知らせに行く方が確実でしょう」
「なるほど。操縦できるのは実道さん一人でしたかな? それなら、ぜひ、あ
なたにお願いするとしましょう。ただし、簡単に話を聞かせてもらいたい」
「え?」
「なに、酔い冷ましの時間潰しだと思ってください。何せ、全く状況を知らん
のですからな、私は」
「どうも、話が飲み込みない」
「刑事さんは、あなたが犯人である可能性を疑って、逃亡されるのを恐れてお
られるのよ」
実道に対し、神代がずばりと言った。気心知れた仲のようだが、それにして
も随分、きっぱりとした物言いだ。
「あ……。そうなんですか、戸井さん?」
惚けたように言う実道に、学者らしさは微塵も見られない。かわいそうに、
非日常的な展開に泡を食っている。
刑事がうなずくと、肩で大きく息をする実道。
「……やむを得ませんね、この状況じゃ」
そしてうなだれ気味だった頭を、不意にもたげた。普段の己を取り戻した様
子があった。
「まあ、うだうだ弁明しなくても、僕が鈴木に毒を飲ませるなんて不可能だっ
てことは、ここにおられる誰の目にも明らかですよ」
「と言いますと」
場を見渡す戸井刑事。誰もが身を固くしているのが、ありありと窺えた。す
でに遺体には毛布が被されているものの、異様な雰囲気は拭い去られていない。
実道は貴島の方を見やる仕種とともに、口を開いた。
「貴島さん。毒は死の直前に摂取されたんですよね?」
「ああ、そう見受けられるね。少なくとも、カプセル薬や糖衣錠の物だったと
は考えられない」
「では、鈴木が持っていたグラスに毒が入っていたと考えるのが、自然でしょ
うね?」
床に置かれたままのグラスを指差す実道。
このグラスは、気分の悪さを訴えた鈴木が跪いた際、床に置いたものだ。明
かりが充分でないので分かりにくいが、氷がほとんど溶け、かなり薄まってい
るようだ。
「ま、そうですな。彼は他に何も経口しておらなんだようだし」
「どうも。お聞きになった通りです、戸井さん。僕はあのグラスに触れていな
いし、鈴木に接近することもなかった。つまり毒を入れるチャンスはなかった
という訳です」
「ほう。事実ですか、皆さん?」
刑事は再び、全員を見回した。代表する形で答えたのは、意外にも幸道氏だ
った。
「事実ですぞ。鈴木君はゲームに参加しておった。彼自身がプレー中は、グラ
スを台の縁に置き、他の者がプレーしておるときは手に持ったままだった」
「グラスを台に置いたとき、ご子息は近付かなかったと?」
「その通り。それどころか、誰も近付きはせなんだ」
「はあ? そんな馬鹿な」
「いや、間違いないぞ。考えてもみなさい。これから球を突こうとする人間の
側に行っては、邪魔をするようなもの。目立ってしまって仕方がない」
「ううむ」
戸井刑事は焦りをにじませたうなり声を上げ、床のグラスに顔を寄せると、
くんと鼻を鳴らした。
「うん、間違いなく、毒が入っているようだ。この部屋に来て、鈴木さんは苦
しみ出す直前まで、グラスに全く口を着けなかったんですかな?」
これは他の誰もが否定した。鈴木は酒を飲んでいた。
「おかしな話だ。毒入りの酒を口にして平気でいられる訳がない。誰かがこの
部屋でこのグラスに毒を入れたのは確実です。それなのに鈴木さん以外の誰も
グラスに近付きも触れもしていないなんて、あり得ないですぞ」
「言われてみれば……」
何名かがざわつく。だが、私はこれまでの経験から、刑事に助言した。
「戸井刑事、結論を早急に下すことないんじゃないですか。この場で毒を入れ
なくても、徐々に溶け出すあの方法があるでしょう?」
「あ? あの方法……。もしかすると、あのグラスには氷が入っていたのか」
「そうですよ。今は溶けて消えてしまってますが」
「だったら、氷の中心に毒を仕込んでおく方法もありって訳だ。酒を用意した
のは誰です?」
その場にいる全員に尋ねる刑事。実道の無罪証明だけで終わるはずが、いつ
の間にか、犯人探しになってしまったようだ。
幸道氏が応じた。
「メイドの富子だ。富子から各自、酒の入ったグラスを受け取った」
メイドの姿は現在、この遊興室にない。
「富子さんが鈴木さんを殺す動機は……」
「待ってくれないかな、刑事さん」
戸井の言葉を遮ったのは、貴島。彼の手には、空になったグラスが握られて
いた。
「私の記憶では、盆に載っていたグラスを、我々が勝手に取ったような気がす
る。違ったかの?」
と、貴島の視線は幸道氏を捉えた。
「おお、そうか。そうだった」
「それでだ、氷は最初、グラスに入っておらず、めいめいがアイスボックスか
ら取って入れたんだよ。入れて、マドラーでかき混ぜたのも自分の手」
「それじゃあ、つまり……」
刑事は首を捻った。
「氷に毒が仕込まれていたとしても、誰のグラスに入るか分からなかったとい
うことになる」
「自分以外の誰でもよかったのかもしれません」
若い声がした。法川が戻って来たのだ。私は急いで駆け寄ると、真っ先に尋
ねた。
「法川、ひそかちゃんは……」
−−続く