AWC 無情の仮面(下)       赤木 錠


        
#3660/5495 長編
★タイトル (GVJ     )  96/12/30  12:47  (173)
無情の仮面(下)       赤木 錠
★内容
 群集のなかにうもれても頭ひとつ飛びでるであろう長身を、沈鬱な夜の色に染め
あげられた丈のながいマントにつつみこんでいる。そして、そのマントとは対照的
な色彩の、けたたましいという形容こそがいかにもふさわしい、奇怪な仮面。
 腰までかかる黒い長髪も、仮面の眼窩からのぞく底冷えのするような深い闇色の
瞳も、たしかに神話どおりの風体だ。となれば、マントの背からのびたものほし竿
のような棒は“女神の猟犬”が手にした人狩りの鎌であろうが――奇妙なことに刃
がない。
 だが――帝王の心の奥底にわずかに芽生えた興は一瞬にして、氷山が吹きおろす
凍てついた風にさらされたように、氷片と化してがらがらと崩落していった。
 興味を破壊したのは――いうまでもあるまい。恐怖である。
 仮面のむこうからながめやる闇の双眸が――まごうかたなき虚無であることを、
裏界の支配者は本能的にさとっていたのであった。
 その異様な双眸は――まさしく“女神の猟犬”の名にふさわしい暗黒をたたえて
いたのである。
「おそくなった」
 抑揚のない冷えびえとした口調で“猟犬”は口にした。
「待っていたわけではない」重い口調で、帝王はこたえた。「おまえがフォージュ
か?」
「そのとおりだ」
 と男がこたえる。
 帝王は男を注視し、首を左右にふってみせた。
「信じられぬ」
 つぶやくようにそういったのは、半分は喚起された恐怖をみずからおさえこむた
めだった。しかし残りの半分は――頑強な理性のたまものであったにちがいない。
つまり、どうしても神話上の人物が自分の眼前に出現するとは、まさに口にした言
葉どおり信じられなかったのである。そうでなかったならば、最初に恐怖を感じた
瞬間、身も背もなくわめきちらしていたことだろう。
 ぶざまに叫び声をあげるかわりに帝王は、刺すような視線を異様な男の背後にむ
ける。
 すなわち、なすすべもなくうろたえきった様子でたたずむばかりの、屈強の護衛
たちに。
 支配者の視線をうけて、護衛たちのみならず、宮殿づきの小姓や側近たちまでも
が背筋をふるわせながら思わずあとずさっていた。帝王の威光は、いまだに顕在だ
った。眼前にしたかれらにとっては、往年以上であったかもしれない。
「詐欺師をむざむざと招き入れた罪科は、あとで糾弾するとしよう」帝王は重たげ
な口調で宣告した。「まずは、この目ざわりな男を死体にして捨ててくるのだ」
 瞬間――帝王は、荒事専門の護衛たちの顔貌にとまどいと怯懦がはしりぬけるの
を見てとっていた。
 帝王にむけてのものではなさそうだった。ではだれに? 答えは、わかりきって
いた。
 その理由も、帝王にはわかるような気がしていた。理性は認めようとはしなかっ
たが、感覚が告げていたのだ。真実だ、と。
 その感覚がただしいことを確認するために、支配者は命令した。
「殺せ」
 それに対して、さらなる躊躇の一拍をおき――護衛のひとりが長剣をひらめかせ
た。つられるように残りの者たちも凶器を鞘走らせる。
 つづいて、血色の苦鳴がうめきあがった。
 あらがうそぶりさえ見せぬまま、四方から剣をつきたてられて――“女神の猟犬”
を名乗る男は、苦悶にその長身をねじらせていたのである。
 驚愕。ついで落胆が、帝王の胸を暗色に染める。
 直感はまちがっていた。虚無の目をもつ神話の人物と見えたのは、やはり大言壮
語を口にするだけの、ただの頭のたりない殺し屋にすぎなかったのだ。
 背中から腹と心臓を刺しつらぬかれ、さらには頚部の半分までを鋭利な刃に切り
裂かれて――異様な風体をした仮面の男は身もだえながら床に伏した。
 そのまま四肢をなげだし、びくびくと全身を痙攣させる。
 そんな様子を、護衛たちをはじめとするその場につどうただれもが呆然と目を見
ひらいたままながめおろしていた。
「くだらぬ」ため息とともに吐き捨てながら、裏界の支配者はいらだたしげに片手
をふった。「なんというくだらぬゴミだ。とっとと捨ててこい」
 が――
 きのうまでその忠節を信じて疑いもしなかったはずの護衛たちは――たおれ伏し
た男を呆然と見つめたまま、帝王の命令を耳にした様子さえ見せず、ぴくりとも動
かなかった。
 しばし護衛たちの異常な無反応をながめやった後、帝王は癇癪を刺激されて叫び
かける。
「きさまら、わしのいうことを――」
 きいているのか、と大喝しきるより先に――
 ようやく、裏界の支配者も気がついた。
 断末魔のうめきをあげながらぴくぴくと痙攣していた“女神の猟犬”が、苦鳴を
もらしたままゆっくりと立ちあがりはじめるのに。
 声にならぬおどろきが、帝王ののどをふるわせた。
 見ひらいた両の目の前で、異様な姿の男は苦痛に身をふるわせながらゆらりと直
立する。
 刃を受けたはずのマントや着衣にいささかの切れめさえ見えぬのも異様だが――
なによりも明確な奇現象が、帝王の眼前でおこりつつあった。
 半分以上も切り裂かれたはずの首筋の傷が、みるみるうちに癒着していくのであ
る。
 その着衣に模様を染めるようにして盛大にしたたりおちていた血流も、みるまに
その量を減じていった。
 そしてついに斬撃の名残は、奇怪な男の苦痛にかみしめた歯のあいだからもれで
る、うめき声だけになった。
 その苦鳴も、すみやかにとぎれた。
「ほんものか……」
 呆然と口にされた帝王の独白に、こたえるようにして“女神の猟犬”フォージュ
は、ゆっくりと、その背中にさした長大な棒に手をかけた。
 ひきぬき、まさに伝説どおり人狩りの鎌を手にするごとく、かまえる。
 その棒の先端に――幻覚だろうか、刃があらわれた。
 黒い、闇色の刃だった。
 虚無の鎌。
 たしかに“女神の猟犬”フォージュが手にするにふさわしい武器であろう。
 見えぬ底なしの刃が、ゆっくりと帝王の眼前にかかげられた。
 同時に――帝王の心の奥底から、忘れていたはずの力がわきあがってきた。
 おとずれた死に対する力だった。
 むざむざと斬られはすまい。いや、返り討ちにしてくれる。
 凶猛な闘争心がよみがえりを告げたのだった。
 獰猛なしぐさで立ちあがるや、裏界の支配者は護衛のひとりに歩みより、その手
から長剣をうばいとる。
 そして無造作にかまえた。
 もとより剣技にひいでているわけでもないが、溶岩のように煮えたぎりはじめた
怒りが得物の重さを充分にささえていた。
「犬めが。痛い目をみせてくれるわ」
 嘲弄するように口もとをゆがめて、そういった。
 対して“猟犬”は――
「この仮面の下にかくされているのは、底なしの憎悪だ」
 極彩色の面の端に、つと手をかけて地獄の呪詛のように底知れぬ声音でそういっ
た。
 いぶかしげに眉をひそめる帝王にむけて、男はつづける。
「いままでいくたりかの亡者たちが、憎悪をもっておれを駆り立ててきた。だが、
なまなかな憎悪では“女神の猟犬”を動かすことはできぬ。おれを真に駆り立てる
ことができるのは、世界に散らばるあらゆる悲惨をながめつづけてきた大いなる存
在をもつき動かすほどの、底知れぬ呪詛と憎悪だけなのだ」
 仮面にへだてられて、虚無をたたえていた闇色の瞳にその瞬間――炎がわきあが
る。
 陰鬱で暴虐な、爆発するような炎であった。
 その憎悪の炎で、帝王の心にうかんだ怒りは一瞬にして噴き飛ばされていた。
 裏界の支配者はよろよろとあとずさりかけ、歯をきしらせる。再度うかんだ恐怖
と、かきたてる怒りとが不安定な琴線上でせめぎあいを開始したのだ。
 それを圧搾するようにして“女神の猟犬”は一歩をふみだし――
「見せてやろう」宣告した。「女神ウル・シャフラをふるわせるほどの憎悪を残し
て死んでいった者の顔を」
 そして仮面はめくられた。
 その下にあらわれた顔は――その場につどうた、裏界の支配者以外の者にとって
は、ただの暗黒にしか見えなかった。
 だが、帝王だけは――その暗黒の底からうかびあがるようにしてわき出た顔を、
たしかにその目にした。
 見ひらかれた両の眼から、砕けるほどにくいしばった歯のあいだから、沸騰する
怒りそのもののように鮮血がほとばしっていた。かわり果てた形相は噴出する怒り
に、まさに鬼面そのものと化していたが――帝王はその顔をたしかに知っていた。
 忘れるはずがない。
 息子の顔だった。
 支配者の地位を継ぐことをきらい、父の非情なる性をきらって出奔した、帝王に
とっての最愛の息子の顔が、そこにあった。
 噴き出すような憎悪を、その毛穴のひとつひとつから放射しながら、燃える双眸
をひたとすえて。
 怒りは瞬時にして萎えはてていた。
「おまえ……」
 わななく口もとからもれ出た帝王の言葉は、恐怖ではなく悲哀にみちあふれてい
た。
 つまらぬ市井の女を妻にして、とるにたらぬ人生をおくろうとしている息子の境
遇を許すことはできなかった。継がせるべき地位とおなじく、その地位をさらに磐
石のものとなすであろう、支配者の後継にふさわしい位階の女をすでに用意してい
たのだ。
 だから、殺したのだ。息子の妻を。自分のさしがねであることを、隠そうとさえ
せずに。
 自殺するほどその女を愛していたとは考えもできなかった。
 まして――死してなお女神を動かす憎悪を残すほどとは。
 生涯、だれも愛することができなかったがゆえだったのかもしれない。
 息子以外には。
“猟犬”は憤怒の形相を顔面にうかべたまま、かまえた巨大な得物をゆっくりと頭
上にかざした。
 ふりあげられた鎌の先の、虚無の刃が帝王の視界を紅に染める。
 それは彼にとっては、悲哀の色だったかもしれない。
 血しぶきが残像となって空にとび散り、切り裂かれた魂の傷口から底なしの憎悪
が暗黒の泥流と化してなだれこむ。
 裏界の帝王の心にふと浮かびあがった後悔の念も、おしよせる悪夢に逆まき流さ
れ――瞬時にしてすべてが虚無へと呑みこまれた。
 残されたのは、形骸に過ぎなかった。

 闇色の刃もつ鎌をふりおろした姿勢からゆっくりと立ちあがったとき、すでに
“女神の猟犬”の鬼の相貌は仮面の下に隠されていた。
 亀裂のようなふたつの眼窩からのぞくその両の目も、いつのまにかふたたび、あ
の底なしの虚無へと戻っている。
 暗黒のマントにつつまれた長身の背後で、暮色はすでに闇の下へとおしこめられ
ようとしていた。下界のかすかな喧噪が、遠ざかるまぼろしのようにはるかにさわ
めく。
 すでにただの棒へともどった“猟犬の鎌”をゆっくりと背に負いなおし、フォー
ジュと名乗る異様な男は静かな足どりをふみだした。
 その異容が沈鬱な足どりで歩み去っていくのを、呆然と一部始終を目撃していた
護衛たちはもとより、宮廷につどうだれもがとめることさえできなかった。
 祭りのおわりに陽気にさわぐ街の奥、灯火と喧噪のとどかぬ深い闇へとその不吉
な姿は声もなく消えていった。

            無情の仮面――了




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