#3655/5495 長編
★タイトル (FJM ) 96/12/28 13:31 (192)
ヴェーゼ 第5章 侵攻前夜 13 リーベルG
★内容
13
よく晴れた夕方だった。シティ・ブリスベーンのシールドの内側に映し出されて
いる夕焼けが、実に見事だった。人工的に合成された風景でも、美しいことには変
わりはない。
滅多に混乱などしないスカルバーユだったが、このときばかりは完全に狼狽する
一歩手前まで引き込まれかけた。何と答えればいいのか、全く言葉が浮かんでこな
い。
ドナは穏やかな笑みさえ浮かべながら、リチャード・ランサムと名乗っているス
カルバーユを見つめている。傍目には、仲のいい男女が世間話をしているようにし
か見えなかっただろう。もっとも、ドナの双眸は優しさや甘さとは対極の意志を宿
らせていたのだが。
「座りませんか?」
ようやくスカルバーユは、声を出すことができた。もっとも、その台詞は事態を
打開する役には立たない。単なる時間稼ぎに過ぎなかった。
ドナはスカルバーユを見つめたまま頷くと、ゆっくりと近くのベンチに腰をおろ
した。一瞬、逃亡の衝動に駆られたスカルバーユだったが、諦めてドナから身体一
つ分離れた場所に座った。
次の言葉が、生まれたこの方口にした、どの言葉よりも重要であることは確かだ
った。
スカルバーユは必死で頭脳をフル回転させた。ある個人に関する調査を、全く対
象に察知されずに行うことは難しい。特に、かなり高度な情報にアクセスできるド
ナのような人物については、なおさらである。スカルバーユにしても、調査が全く
ドナに気付かれていないなどという幻想を抱いてはいなかった。ただ、自分に到達
する痕跡だけは、あらゆる点から見て完全に消したはずだった。調査している人間
が、スカルバーユ・プロザロウであることだけは気付かれていない自信があった。
今、この瞬間までは。
問題は、ドナがどこまで知っているのか、である。
誰かがドナの周辺を嗅ぎ回っていることに気づき、いろいろ推測して、最近にな
って妹に接触してきた人間、リチャード・ランサムを怪しいと思っただけかもしれ
ない。つまり、私人のドナ・マドウとして。それならば、何とでも言い抜けること
はできる。
公人として、つまり、統合政府移民局職員のドナ・マドウとして、怪しいと思っ
ているのだとしても何とかなる。この場合、リチャード・ランサムは、移民局の内
情を探ろうとしているわけである。機密漏洩罪や不正データアクセスなど、罪状は
1ダースでもつけられるだろうが、リチャード・ランサムの仮面を脱ぎ捨ててしま
えば、それですむ。
厄介なのは、ドナがそれ以外の立場からスカルバーユを糾弾している場合だ。
「それで?」
ドナが口を開いたので、スカルバーユは飛び上がりそうになった。ベンチを手で
つかんで抑えると、何とか声を出す。
「何のことですか?」
「質問しているのは私の方よ、リチャード」ドナは冷たく答えた。「あなたの本名
は?」
絶望に覆い尽くされそうになりながら、スカルバーユは最後の抵抗を試みた。
「何を言っているんですか?ぼくの名前はリチャード・ランサムですよ」
ドナが小さく舌打ちして、唇を動かした。それが無音の呪文であることに気付い
たときには遅かった。
スカルバーユの変身魔法が、強制的に解除させられた。とっさに防御呪文を唱え
たものの、それは正体を表す瞬間を先に伸ばしただけだった。リチャード・ランサ
ムは跡形もなく消え失せ、スカルバーユ・プロザロウ本来の姿が現れた。
もはや完全に降伏したスカルバーユは、呆然とつぶやいた。
「魔法使いだったとは知らなかった」
「公認はされていないけどね。さて、本名を聞かせてもらいましょうか」
「スカルバーユ・プロザロウ」
「スカルパーユね。職業は?」
「情報屋かな」
「誰に頼まれて、私を探っているのかしら?」
「それは言えません」
「なるほど。職業倫理ってやつね?」
「そう言ってもいいでしょう。クライアントの名前は明かせません」
「あててみましょうか。シンジケートのエーデルマン。ちがう?」
スカルバーユは答えなかった。
「まあいいわ。別にたいした問題じゃないから」
ドナはようやく鋼鉄製の槍のような視線をスカルバーユから外した。スカルバー
ユは安堵のため息を抑えることができなかった。
「うまく隠したつもりだったんですけどね。少なくとも、今まで、ここまでおれを
追跡できた組織や個人はいなかった」
「私も最初は疑ってさえいなかったわ。セーラに紹介されたとき、一通りの身分調
査はしたんだから」
「いつ、おかしいと思ったんです?」
「さっきよ」
「さっき?」
「ドレスデンの話をしたとき。普段なら、たいして疑問に思わなかったんでしょう
けど、昨日の今日ですものね。念のために、特別調査をしたのよ。1分前に答えが
来たわ。リチャード・ランサムは存在していない」
藪をつついて蛇を出す、ということわざを絵に描いて額にいれたみたいだ、とス
カルバーユは苦々しく考えた。
「驚きましたね、全く」
リチャード・ランサムの身分を作り出すには、100万クレジット以上を費やし
た。それをドナは、30分もかからずに看破したというのだから。
「おれをどうするつもりです?」
ドナは不思議そうに訊き返した。
「どうするって?」
「いろいろあるでしょう。殺すとか」
「妹の恋人を?まさか」ドナはくすくす笑った。「それとも、何?私が殺すつもり
だって言ったら、素直に死んでくれたわけ?」
「いや、命乞いをしようとは思ってましたけどね」
「セーラがいなかったら、そうする羽目になってたわよ」ドナは冷酷に告げた。「
あの子に感謝するのね」
「じゃあ、おれを殺さない?」やや意外に思いながらスカルバーユは訊いた。「こ
のまま逃げるかもしれないんですよ」
「やってみたら?このまま消えたら、世界中のどこに逃げても必ず探し出して、苦
痛に満ちた死を体験させてあげるから。あんたは、これまで通りリチャード・ラン
サムになってセーラに会いに来るの。いいわね?」
「それだけ?」
「それだけよ。私のことを探りたいのなら、どうぞご自由に。でも、ひとつだけ警
告しておくわ」
スカルバーユは信じられない思いで、ドナを見つめた。
「あんたがどこまで調べているのか知らないけど、あまり深追いすると死ぬことに
なるわよ。これは根拠のない脅しなんかじゃないわ」
スカルバーユは頷いた。頷くことしかできなかった。
「セーラが不審に思うといけないから、これで帰らないと」ドナは立ち上がった。
「いい?セーラの前では、これまで通りにしてなさい。それ以外に、あんたの行動
を制限するつもりはないわ」
そういうとドナは、さっさと歩き出した。いつのまにか、紙袋に入ったワインを
抱えている。
スカルバーユはあわてて呼び止めた。
「待ってください」
ドナは足を止めて振り返った。
「何?」
「ドレスデンの件に、あなたも関わっていたんですか?」
「まあね」
「あなたの役割は?」
「マンチェック中佐を調べなさい」ドナは背中を向ける。「あんたが腕のいい情報
屋なら、そこから辿れば真実が見えてくるわ」
「何があったの?」
スカルバーユは、よほどショックを受けた顔をしていたらしい。帰るそうそう、
チコが訊いてきた。
「ちくしょう。おれは、今日ぐらい屈辱的な思いをしたことはないぞ」
「何があったのよ?」
正体が露見したことを話して聞かせると、チコは慰めてくれるどころか、手を打
ってけらけら笑った。
「そりゃ確かに屈辱的よねえ。情報屋が、探っていた対象に、いいようにあしらわ
れてちゃね」
「黙れ、ばかもの。マンチェック中佐の調べはついたのか?」
「まあね。でも、そんなに急ぐことはないわ」
「どういうことだ?」
「マンチェック中佐は、1時間前に死んだわ。官舎の個室で頭を撃ち抜いてね」
スカルバーユは唖然とチコを見つめた。
「自殺か?」
「状況から見るとね。使ったのは自分の銃だし、個室は中からロックされていて、
誰かが入室した記録は残っていないから」
「遺書の類は?」
「なかったわ」
「お前の調査の方はどうなんだ?侵入はばれていないだろうな?」
「99.9999999%大丈夫」今日は少し大人の女性の雰囲気をイメージして
いるチコは、座り直すと話し始めた。「まず、マンチェックのパーソナルデータが
軍に奪い去られる前に、侵入して一連のパスワードオブジェクトを手に入れたわ。
コピーを残してきたから、多分侵入はばれていないと思う。
例によってツインメルマン否定効果と、双子の柳呪法で暗号化されてたけど、い
つものツールでバラして抽出できたわ。早速、それを使って、マンチェックの個人
ファイルをごっそりコピーして、さっさと退散してきたわよ」
「それで?わかったことというのは?」
「ドレスデンを襲った奇妙な疫病は、アスワン・クランクハイト、その病原体のウ
ィルスはASKウィルスと呼ばれているわ」
「アスワン?そういえば……」
「そう。最近、アスワンのコミュニケーションが今回の4つのシティと同じように
三日間にわたって途絶したことがあったわよね。この疫病が原因だったらしいわ」
「じゃあ、今、アスワンにいる市民は……作り物か」
「そう。MIが作り出してるのよ。さすがに、シティひとつが疫病で死に絶えたな
んて発表したら、ただのパニックじゃすまないでしょうから」
一つのシティの全ての市民の人格を、代用するとしたら、数千のMIが必要とな
るだろう。単に市民の人格をシミュレートするだけでなく、自治、産業、経済、娯
楽などを途絶えさせるわけにはいかないのだから。
「そうか。おそらく、長い時間をかけて、少しずつ市民を転居させていくように見
せかけるつもりだな。目立たないように何年もかけて。ほとんどは、その途中で不
慮の事故に遭うことになるんだ」
「そういうこと。ドレスデンについても、同様の措置がとられるわね」
「それで、マンチェックは?」
「ASKウィルスの出所は不明。構造に、若干魔法的な部分があるから、突然変異
や自然発生は考えにくい。誰かが作り出して、故意にアスワンに放ったのよ。マン
チェックはその研究の指揮を取っていたの。統合軍の生物/科学分析セクションで
ね」
「資格を持っていたのか?」
「非公式にバイオウェポン開発に携わっていたことがあるのよ。ところが、どうい
うわけか、マンチェックの研究中に、ASKウィルスは毒性を強め、さらにとんで
もない能力を獲得するに至ったの」
「なんだ?」
「電子ネットワークを介した感染。つまり、シグ経由で感染する能力よ」
「そんなばかな」スカルバーユは一笑に付した。「どうして、ウィルスがシグを通
じて感染できるんだ?」
「さあね。魔法的要素を持っているんだから、そういうことができても不思議じゃ
ないわ。推測だけど、自分の遺伝情報をシグの向こう側で再構成するツールのよう
な能力を持っているんじゃないかしら」
「そのことは、後で考えよう」スカルバーユは首を傾げながらも、当面の課題に話
を戻した。「それで?」
「ドレスデンにASKウィルスを蔓延させたのは、間違いなくマンチェックね」
「そんなことじゃないかと思ってたんだ」
「おもしろいことに、ASKウィルスが、その能力を獲得したと見られる直後、マ
ンチェックの隠し口座に、1000万クレジットが振り込まれているの」
「誰から?」
「14のシティバンクから、72の経路に分散して目立たないようになっているけ
ど、根はひとつよ。シティ・ネオトキオのキッショウ・インターナショナル・バン
ク」
「シンジケートが所有しているバンクの一つだ」
「そこで結論。ASKウィルスの出所は、間違いなくシンジケートね」