AWC 小説 「終息宣言」 2 ジョッシュ


        
#3527/5495 長編
★タイトル (PRN     )  96/11/10  22:50  (120)
小説 「終息宣言」 2 ジョッシュ
★内容
  終息宣言 (2)       叙 朱 (ジョッシュ)

 その日の夕方。京都で開かれる世界微生物会議に出席するという触れ込みで、
アメリカ連邦微生物研究所の高名な女性教授が成田空港に降り立った。関西を騒
がせた病原性大腸菌騒ぎも終息方向ではあったが、空港での記者会見ではやはり、
この大腸菌による集団食中毒に質問が集中した。
 彼女は、すでに似たような中毒事件を1982年のオレゴン州で経験していた。
アメリカ政府の主任対策委員として、患者の集中したファーストフード店を即座
に営業停止処分にした辣腕ぶりが一躍彼女を有名にしていた。無謀な営業妨害で
はないかというマスコミの批判は、「アメリカという国を救うためです」という
名せりふで押さえ込んだ強者(ツワモノ)だった。
「あの種の大腸菌は一般的には畜牛の腸管内で発生、増殖することが確認されて
います。したがって今回の蔓延においても、本来は牛肉の衛生管理や熱処理法が
まず第1番目に疑われるべきでした。」
 彼女は、自信たっぷりにこう言い放った。記者席はどよめいた。入院患者19
名を出したオレゴン州の事件も、結局彼女の主張通り、ハンバーグ用の挽き牛肉
の菌汚染であったことが最終的には立証されたのだった。
「今のところ、中毒の有効な予防策はありませんし、治療法も確立されていませ
ん。まあ、経口感染ですから、食事前の手洗いだけが有効な対応策でしょう。」
 短い記者会見だった。女性教授は慌ただしく席を立った。彼女にはもっと重要
なミーティングが待っていた。
 成田空港出口で彼女を待ち受けていた黒塗りのハイヤーには、アメリカ人の先
客がいた。乗り込んできた教授に、身分を明かさないまま先客の男はこう言った。
「今の記者会見はまずかったな。形どおりでよいと連絡していたはずだったが、
君は少し意味を取り違えていたようだな。」男は不機嫌だった。
「私は常識の範囲以上のことは喋っていないわ。」教授はこのダークスーツの男
が何を言いたいのか分からず、抗議した。
「君も知ってのとおり、食用牛肉はわが国の有力な輸出品目だ。日本人は、捨て
てしまうような内臓まで食べてしまうありがたいお客さまなのだ。君はホルモン
焼きを知らないだろう。腸管さえも食べてしまう料理だ。そんな日本のメディア
に向かって、牛とそしてその腸管があたかも菌の感染源のような説明をした。君
はアメリカ国民にとって大変不利益な発言をしたことになるんだぞ。」
「何を目くじら立ててるの。畜牛の腸管があの種の大腸菌の温床であることはア
メリカではすでに常識になっていることよ。そのために衛生局が厳重な加熱基準
と洗浄基準を設けて指導しているわけでしょ。」
「そうだ。しかしこの国では、噂というメディアの力は恐ろしい位に強いのだ。
牛肉が危ない、となると新聞、テレビみんな一斉に大合唱をやる。まあ、今ごろ
日本の厚生省が君の発言を躍起になって否定しているだろうから、大事には至ら
ないと思うけれどね。」
 女性教授は憮然となった。黙り込んだ二人を乗せて、黒塗りのハイヤーは東京
湾岸道路を経て、アメリカ大使館のある赤坂へと向かった。

 翌日、東京丸ノ内にある本社に出社してきた外資系コンビニチェーンの社長は、
アメリカ本社から送られてきた電子メールを読んで、奇妙な気分になった。それ
は、取り扱う食品の安全性についての大キャンペーンをすぐさま計画し、実行せ
よという指示だった。しかし、関西方面の大腸菌騒ぎはもう終息宣言が出されて
おり、これから季節も寒い冬へ向かうところで食中毒の恐れは低くなるはずであ
った。なぜ今ごろ食品安全キャンペーンを? 社長は、すぐさまキーボードに向
かい、返信を打った。
「現在の状況においては、指示を受けた安全キャンペーンよりもより有効な販売
促進の案がある。例えば、日本の冬に向けての新しいおせちおにぎりシリーズと
か、おもちを入れて二度おいしい豚まんとか、大ヒット間違いなしのアイデアを
検討中。安全キャンペーンの実施理由を知らせられたし。」
 電子メールを打ち終えて、社長は、営業本部長兼務の専務を呼んだ。非常に切
れ者の専務も奇妙な本社の指示には社長同様に首をひねった。そして、一言つぶ
やいた。
「何か、本国のほうで我々の知る由もない情報が入ったのかもしれませんなあ。」

 埼京新聞の前日の取材は空振りに終わった。目星をつけていた川越市営住宅は、
閑静な畑に囲まれた団地で夜中には安眠を妨害するような工事などは取材の範囲
では出てこなかった。近くを走る道路も夜には交通量が落ちてしまい、ときおり
小型トラックが走るくらいだった。取材中に団地の上空を時々、米軍立川飛行場
の訓練機が飛んでいった。それは確かにひどい騒音だったが、しかし、特にこの
一週間での飛来機の数に変化はなく、最近の過労死の原因とは考えにくかった。
ただ、他にネタが出てこないため、この米軍機騒音が今朝の埼京新聞朝刊の過労
死キャンペーン社説のメインとなった。
 その日の午後に開かれた第二回目の過労死キャンペーン編集会議は、紛糾した。
謎は深いが全くその実体は掴めなかった。次の取材の焦点が絞り込めなかった。
とりあえず、厚生省のコメントを取るチームが東京に出かけていった。残ったメ
ンバーで思案投げ首のところへ、この日も、過労死を出した企業を回っていた記
者から興奮した電話が入ってきた。
「亡くなった方々の共通点らしきものがひとつ見えてきました。みんな、社内の
健康診断で胃潰瘍が見つかって、精密検査を受けているんです。おそらくストレ
ス性の胃潰瘍だと思うんですが、病院で投薬を受けています。」
「ふむ、確かに面白い共通点だな、例のブティックの女性オーナーも胃潰瘍を患
っていたか、調べてみる必要はあるな。ところで、ストレス性胃潰瘍にかかって
いた人は、亡くなった方以外にもたくさんいるだろう。」
「そうなんですよ、沢山いるんですよ。ぴんぴん元気な人達が沢山いますし、話
も聞いてきました。ところがですね、キャップ、いいですか良く聞いてください、
胃潰瘍を患っていて、あの川越の団地に住んでいて、なおかつ元気な人には、昨
日今日の取材ではまだひとりも会っていません。」
「うん? どういうことだ。」
「はい、つまり、調べた範囲では、あの市営団地に住んでる人の内で胃潰瘍を患
っていた人は、全て過労死で亡くなったという事なんです。」
「なにぃ、そんな馬鹿な...。しかし、面白そうなヒントだな。分かった、もう一
度あの団地を取材しよう。それからその病院だな、まあ、病院は何も教えてくれ
ないだろうが、あたりを取っておこう。」
 ブイティックの女性オーナーも家族の説明では、やはり胃潰瘍を患っていたと
いう事が判明し、埼京新聞の過労死キャンペーン編集会議メンバーはにわかに色
めき立った。過労死と胃潰瘍には、確かな関係がありそうだった。

 初老のアメリカ大使は、白髪の頭を抱え込んだ。明らかな動揺が見てとれた。
 先程成田空港から直行してくれた微生物の専門家から事件に関しての簡潔な要
領を得た報告を受けたばかりだった。大使は、その女性教授を連れてきたCIA
の担当官の男に意見を求めた。
「日本の首相はどのオプションを選択すると思うかい。」
 CIAの男は、首を少しかしげてから、口を開いた。冷淡な表情には不釣合い
な、優しい声音だった。
「大統領閣下は、優しすぎると思います。心遣いでふたつの選択肢を出してこら
れたのでしょうが、日本はどちらも選べるとは思えません。仮に選んだとしても、
関係者の了解の取り付けに時間が掛かり、迅速な実行は無理でしょう。我々でど
ちらかに決めて、日本には実行だけを促すほうが現実的な対応と思われます。教
授の報告のとおりであるとすれば、スピードからいって、もうあまり時間はあり
ません。待てば待つほど、日本は取り返しのつかないことになり、我々アメリカ
合衆国にとっても他人事ではなくなります。」
 初老の大使は、ほっと、ため息をついた。十年も一つの国で大使館業務につい
ていれば、その国に愛着を覚えてくる。そして、来年で本国帰任の内示がでてい
た。よりにもよってこんな時に、こんな難しい話をしなければいけないとは。大
使は、自分の運命を呪い、そして、いつも屈託のない笑顔で、応対してくれる6
5歳のエネルギッシュな日本国首相の顔を思い浮かべた。
 大使は奥の執務室に戻り、ドアに鍵を掛けた後、日本国首相への直通電話を手
にした。幸い、首相は東京にいたらしく、十五分くらい待っただけで、首相本人
からのコールバックがあった。大使は、出来るだけ易しい英単語を使って状況を
説明した。首相のはつらつとした張りのある声は、説明される状況の理解が進む
に連れ、低く沈んでいった。取るべきオプションについては、直接会って打ち合
わせたいと、大使は申し入れた。今夜の十時に、赤坂のホテルで、ということに
なった。電話を切った後も、大使の耳には、首相のうめき声が残っていた。    
「...すると、過労死といわれているこれらの人たちは皆、細菌性の中毒死だと
いうのですか。しかも、この細菌には食物を経由しての経口伝染性があり、被害者
がこれからどれだけ増えるか分からないと...」 (以下つづく)




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