AWC 小説 「終息宣言」 1  ジョッシュ


        
#3526/5495 長編
★タイトル (PRN     )  96/11/10  22:42  (142)
小説 「終息宣言」 1  ジョッシュ
★内容
  終息宣言 (1)       叙 朱 (ジョッシュ)

 秋も深まったある金曜日。暮れなずむ京都駅前から、鞄をさげた二人連れのサ
ラリーマンがタクシーに乗り込んだ。行く先を木屋町と告げ、しばらく仕事の話
しをしていたが、その内に、太った方が思い出したようにタクシー運転手の背中
に声を掛けた。
「運転手さん、京都の景気はどうかね。少しは上向いてきたかな。我々は今朝か
ら大阪の得意先を回ってきたんだけれど、いや、大阪の元気のなさには驚いてる
んだ。」
「お客さん、食品関係ですか?いやあ、京都も駄目ですよ。例の大腸菌での集団
食中毒の騒ぎが始まってからというもの、飲食店はさっぱり客足が途絶えてしま
って、今でも戻ってきませんねえ。」
「だけど、あの大腸菌に関しては関西では終息宣言が出て、もう大丈夫ってこと
になったんじゃあないの?」
 やせた方のサラリーマンが、口を尖らせた。
「いやいや、お客さん、あんなのでは全然駄目なんですよ。知ってますか?あの
終息宣言をここらではこう読み替えているんですよ。いいですか? あの大腸菌
がどこからどういう経路でやってきたのかは知らんけど、とにかく、居らんよう
になったみたいだから、そろそろ大丈夫とちがうんか宣言。これで安心、できま
すか?」
「なるほど、巧いことを言うなあ。確かに、手荒い励行とか、消毒殺菌マニュア
ルの作成とか、はたまた、食品サンプルの長期保存の義務づけとか役所でやかま
しく言われたけれど、肝心の菌の発生元の話しはなかったなあ。一体、あの大腸
菌はどこから来たんだろうなあ。」
 二人のサラリーマンは思わず外を見やった。京都は星が降りそうなきれいな夜
を迎えていた。

 その夜十時頃、埼玉県の川越署は、子供の声で110番の緊急通報を受けた。
いたずら電話かもしれないと思いながらパトカーで川越市営団地に駆けつけた若
い刑事巡査は、しかし、2DKのトイレでうずくまり、すでに息が絶えている男
を発見した。亡くなった男は40歳の働き盛り、通報してきたのは、8歳の一人
息子だった。呆然と玄関に立ちつくしていた子供に聞くと、母親は死別して無く、
父親との二人暮らしだったと小さな声で答えてくれた。死因に不審なところはな
く、遅れてやってきた検死官も、死因は急性心不全と診断した。男の下瞼には青
いクマがはっきり見てとれ、検死官は「過労死だな」と思わず呟いた。帰りのパ
トカーの中で若い刑事巡査は、8歳の子供のこれからを思って気が重くなった。
 同じ頃、アメリカのロサンゼルス空港に到着したN航空のジョンボジェット機
内で、日本人の男性乗客が息絶えているのが見つかった。FBIの事情聴取を受
けたN航空の客室乗務員は、この乗客が、成田空港を出発してからロサンゼルス
着陸寸前までなにやら一心不乱に書類を書いていたことや、食事はちゃんと摂っ
ていたことなどを供述した。検死官はこの乗客の死因がストレス性の心不全では
ないかと意見を述べた。ただ、異様な目の下の青いクマが気になった検死官は、
念のために死体の司法解剖をFBIに提案した。日本の家族の了解が得られ、死
体の日本への移送は司法解剖の後ということになった。しかし何かの手違いか、
死体はロサンゼルスで荼毘に付されてしまい、埼玉県の家族の元へは、お骨のお
さめられた骨壺が、N航空の専用車で届けられたのだった。

 翌朝、まだ日が昇る前のほの暗い東名高速道路下り車線を、一台のトラックが
空荷で走っていた。運転手は、昨夜遅くに埼玉県のコンテナヤードに貨物を届け、
浜松のトラックターミナルに引き返すところだった。週末を挟む配送の場合は日
曜日を休み、月曜日までに帰社すれば良い決まりだったが、しかし運転手には早
く帰りたい理由があった。結婚を間近に控えた恋人が浜松で待っていた。彼女の
笑顔の写真が、お守りといっしょに運転手の胸ポケットに入っていた。
 さすがに、睡眠不足からか運転手の目が霞んできていた。昨夜からつけっぱな
しのラジオからは、朝のバラエテイー番組の女性アナウンサーが、楽しそうな声
で語りかけていた。
「おはようございまーす。今日もいい天気ですねぇー。みなさーん、今日はお出
かけに絶好ですよお。では、まず1曲いってみましょう。」
 それは、32歳の運転手の好きな女性歌手の歌だった。思わず片手でハンドル
を叩きながら、調子を合わせた。とたんにトラックは大きく蛇行した。運転手は、
慌ててハンドルを両手で抑えた。トラックは空荷だったのですぐに安定し、運転
手もほっとした。やはり疲れているのかな。運転手は思った。
「いかがでしたか。素敵な朝の気分にぴったりだったでしょ。ところで、最近ね、
過労死がまた増えてきているそうよ。みなさん、注意してよね。えーと、昨日の
金曜日一日だけで、埼玉県を中心に、なーんと、3人もの方が亡くなったという
話しです。ホントですよ。みーんな男性です。今ラジオをお聞きの男性のあなた、
過労死なんていやーよ。働き過ぎは体に良くなーい。えーと、それでねえ、新聞
によると、この亡くなった3人の方たちは、みーんな目の下に青いクマができて
たそうよ。うわー、寝不足かしら。ちゃんと寝ましょうねえ。では、もう一曲、
いきまーす。」
 次の曲は、運転手の知らない歌い手だった。ラジオから気を逸らし、何気なく
バックミラーをのぞいて、運転手はぎょっとなった。ミラーに写った運転手の充
血した目の下には青黒いクマだはっきりと認められた。次のサービスエリアで少
し休もう。運転手はアクセルにかけた足の力を少し緩めた。しかし、次の瞬間、
なんの前触れもなく、運転手の視界が白濁した。空荷のトラックは猛スピードで
中央分離帯を乗り越え、植木をなぎ倒し、横転した。

 CNNが月曜日のアジアニュースのトップで、日本の奇妙な一連の突然死につ
いて報じたのが、国際的な過労死報道合戦の口火となった。月曜の朝までに届け
られた過労死と思われる死者の数は、東名高速で横転したトラックの運転手を含
めて、その週末だけでなんと九名にものぼっていた。しかも奇妙なことに、突然
死の発生は関東圏に集中していた。死亡したのは男性ばかり、皆同じように目の
下に青いクマがくっきり見てとれた、と報道された。睡眠不足の重なったストレ
ス性の急性心不全という説明がなされた。
 「カロウシ」という日本語はそのまま、世界各地の報道メディアで繰り返し使
われ、たった一日で国際語になった。しかし、どの国の報道も日本の過労による
突然死にはあまり同情的ではなかった。馬車馬のごとく働くことで、長期不況か
ら抜けだそうとする日本人特有の悪あがきと揶揄する論評が多かった。
 日本政府は、内外のマスコミにせっつかれ、月曜日の午後遅くになって、やっ
と首相談話を発表した。集まった各国の報道陣を前にして、「季節の変わり目で、
体調を崩しやすい季節になりましたので、くれぐれも国民のみなさん無理をしな
いように」という趣旨のメッセージを内閣官房長官が抑揚のない声で読み上げた。
労働大臣がテレビに引っぱり出され「企業には節度のある労働時間の管理をお願
いしたい」と呼びかけ、遊説先でインタビューを受けた厚生大臣は、「健康診断
の国民全員受診」を訴えた。また、通産省の要請を受けた財界の首脳たちが記者
会見を行い、その日の夕刊紙上に「残業のない仕事環境づくり計画」なる構想を
ぶち上げた。
 しかし、肝心の日本人サラリーマンの多くは、そうした報道に何か解せないも
のを感じていた。サラリーマンのほとんどが、それほど必死で働いているという
自覚を抱いてはいなかった。いや働こうにも、長引く不況と配置転換で、徹夜で
やるほどの仕事量はどこにも見あたらなかった。

 厚生省政務次官が見かけない人物の訪問を受けたのは、その週の火曜日も昼近
くになっていた。身分証明をみせながら、内閣調査室とその男は名乗った。すら
りと伸びた指に一枚の英文レポートをつまんで差し出した。
「どうも、厭な感じです。政務次官、この報告書を読んでみてください。アメリ
カの連邦微生物研究所から先ほど電送で届いたものです。あなたのところでこの
方面に詳しいものを、すぐにアメリカへ行かせて、情報を入手させてください。
ひょっとしたら日本は、未曾有の危機に直面しているのかもしれない。」
 一体この男は何の話をしているのか? 怪訝な顔のまま、政務次官はそのレポ
ートに目を通した。内閣調査室の男は、入り口近くの壁にもたれ、レポートを読
む政務次官の顔色がみるみる青白く変わってゆくのを、無表情に見つめていた。

 過労死の問題が華々しくマスコミに取り上げられたことで、各地の労働災害保
険事務所は、急に問い合わせが増えて忙しくなった。埼玉県の労災保険事務所も
例外ではなかった。宇都宮市に本社を置く埼京新聞の記者が、カメラマンを連れ
て取材に訪れたときには、申請書類の請求は、その水曜日の朝まで、電話問い合
わせ分だけで既に20社を越えているらしかった。過去に照らし合わせても、明
らかにその数は異常といえた。新聞記者は、その20社余りの会社名リストのコ
ピーを入手した後、忙しそうに電話応対に出るパートタイムの女性事務員の姿を
同行カメラマンに撮らせ、そして、興奮気味の事務所長の形どおりの談話を取材
した。
 帰り道、喫茶店の赤電話から編集局へ報告を入れながら、新聞記者は労災保険
を問い合わせてきた二十余りの会社名と電話番号を資料部に照会した。不思議な
ことに、二十社余りのほとんどが、川越市内にあった。これは何かある。新聞記
者の直感が引っかかるものを感じていた。今日の内にこれらの会社を回れるだけ
回ってみよう。新聞記者はコーヒーを飲みかけていた同行カメラマンに声を掛け
て喫茶店を飛び出した。
 水曜日までに、過労死と思われる突然死の人数は、埼玉県内で報告されただけ
で二十二名にふくらんでいた。そして、その日の午後、四十一歳のブティックの
オーナーが、川越市にある自分の店で突然死しているのが店員により発見された。
女性としては初めての突然死の報告だった。この女性オーナーもやはり、アイシ
ャドウの下にはさらに青黒いクマが確認され、過労死と思われた。
 埼京新聞では、過労死のキャンペーンを打つことをその日の編集会議で決定し
た。労災保険事務所から川越市内の企業を一回りしてきた記者の報告で、焦点と
なる疑問点が整理された。何故、埼玉県しかも川越市に集中して過労死が発生し
ているのかが、最大の疑問だった。そして死亡者のほとんどが男性だという点に
も注目した。また、死亡者の内の半数近くが、川越市営団地に住んでいたことも
判明した。この地区に例えば安眠を妨げて睡眠不足にさせるような何かがあるの
か。過労死キャンペーンの第一回目の編集会議は、記者を動員してこの団地を集
中的に取材に走らせることを確認して終了した。(以下 つづく)





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