#3507/5495 長編
★タイトル (AZA ) 96/10/20 20:48 (200)
虚美ぞ教えし 4 永山智也
★内容
(あの事件は……イタリアだっけかアメリカだっけか、忘れてるな。おんぼろ
アパートの屋上で他殺体が発見された事件。あれが記憶にあるせいだ。まさか
今回は、あんなことはないと思うが)
頭を振って、楽しくない思い出を追い払う。
尾行の際に目立たぬように、ジーンズとTシャツ姿に着替えた。
(缶詰状態だな、このままだと)
ロビーに降りて、そこで張っていてもいいのだが、それでは睦吉の部屋に向
かう人物の区別ができない。
テレビをつけ、音量を少し上げてから、菊池は玄関近くの折り畳み椅子に舞
い戻った。
ニュースでプロ野球の結果をやっていたので、今日が日曜だったと思い出す。
ナイターは一試合だけだ。野球観戦は嫌いではないが、しばらく日本を離れて
いたせいで、知らない選手が目立つ。
続くニュースも、興味を引くような内容ではない。
真面目に監視しろというお告げと受け取り、菊池はレンズに目を当てた。
−−動きがあったのは、午後七時になるかならないかの頃合いだった。外は
ようやく暗くなり始めた時間帯。人出はまだまだあるが、にぎわいはひとまず
去っている。
廊下の奥から男が現れた。
菊池は緊張しつつ、立ち上がり、可能な限りレンズから覗こうとする。
(間違いない。外出だ)
サマーコートを羽織った上に、ソフト帽を被っていたことから、そう判断し
た。
菊池は鍵を持つと、ターゲットの姿が廊下の角を曲がるのを見計らい、部屋
を出た。
ホテルに戻った菊池には、脱力感だけが残っていた。完全に肩すかしを食ら
わされた格好。尾行は無駄に終わったのだ。
(ただの散歩だったのか? 誰かと接触する訳でもなく、大宮家を見張るでも
なく、何か物を取りに行くでもない……。一時間弱、湖岸をぶらぶらしただけ
なんて)
面には出さないが、気付かれたのではないかという恐れを覚える。
(……いや、あれはどう見たって、気付いていない)
相手がエレベーターに乗り込んだのを見届けると、菊池は階段を駆け上がっ
た。常にターゲットの後ろを歩くのはまずいと考え直し、たまには先行してみ
ようという訳だ。
二階に着くと、菊池はいち早く自室に引きこもった。そしてレンズから廊下
を伺う。
(……遅い。まさか他の階に行ったなんてこと、ないだろうな)
焦りを感じ始めたところへ、一時間ほど追い回したばかりのコート姿の男が
現れた。
(やでやで)
疲労感から、心の中の言葉がふざけた口調になる。
(見張り甲斐のない相手……。本当に大宮家の秘密を探っているのか、怪しく
なってくるよ)
首の後ろをもみながら、それでもレンズから離れない菊池。段々、意地にな
っている。
また時間が過ぎて、人影がレンズの前を横切った。身を起こしかけた菊池で
あったが、ホテルのボーイが現れただけだった。手に白い布のかかったトレイ
を持っている。
(二〇二室は空室だから、睦吉がルームサービスを頼んだんだな。夕食が早か
った分、僕も何か)
時計を見ると、九時ちょうどを迎えようとしていた。
−−かしゃん。
遠くから聞こえるような音が耳に届いた。
菊池は、先ほど見たばかりのトレイのイメージから連想し、とっさに扉を開
けた。
果たせるかな、ボーイはトレイを落として、二〇一室の前に突っ立っていた。
扉は開いており、室内からの明かりが漏れている。えんじ色の絨毯を敷き詰め
た廊下に、色とりどりの果物が転がっていた。
「どうかしましたか」
何も知らない宿泊客を装い、声をかける菊池。が、返事がないので、ある程
度、ボーイに近付き、もう一度同じ言葉を発した。
「あ、あ」
振り返ったボーイの顔面は血の気が失せつつあった。
らちが明かない。そう判断した菊池は、二〇一室の前に回ると、中を覗いた。
「……はぁ」
ため息が出た。
部屋の中央にある立派な大理石のテーブルに、睦吉勝将らしき男が仰向けに
倒れていた。首がのけぞっているため顔は見えないが、着ている服は先ほどと
同じ物だ。
「大変だ……。ちょっと、来てください」
ボーイを呼んだ。彼はぎくしゃくした足取りで、部屋に入ってきた。当然、
トレイはそのまま放置してある。
「これ……」
と、倒れている男の顔を覗き込む。睦吉に間違いないようだ。口を薄く開け、
白目を剥いている。何よりも生気が感じられない。
(やれやれ)
菊池は面倒に巻き込まれていくのを意識しながら、どう振る舞うべきかを計
算した。
(冷静すぎたらまずいか。まあ、脈を診るぐらいかまわないだろう)
睦吉の左側に回り込み、手首を取る。脈は確認できなかった。
「この人はだめらしい。脈がない」
「じゃあ、死んでいる?」
声を震わせるボーイ。しかし、その童顔は、血の気を取り戻していた。
「病気か事故か……。電話、フロントにつながりますよね」
「え、ええ」
ボーイは強張った筋肉をほぐすように、必要以上に大げさに口を動かした。
「念のために医者にも診せるべきだ。ホテルに医者はいますか?」
「いえ……いいえ。いません。簡単な治療薬が備えてあるだけです」
「じゃあ、僕が自分の部屋からフロントに電話して、救急車を呼んでもらいま
す。君はここにいてください」
菊池の言葉に、ボーイはかくかくと二度、強くうなずいた。
天井からの照明は蛍光色が消え、ほんのりと暖かみを感じさせる橙色の光に
なっていた。
(気に入らない)
ホテルのロビーで待たされている間、菊池は心中、ずっとぶつぶつ言ってい
た。実際に口を衝いて出ていたかもしれない。
すでに日付は変わっていた。午前一時が間近である。
(警察め、僕を疑わしげに見ていたのが、態度が豹変したと思ったら……大宮
家が裏から手を回したらしいや)
睦吉勝将は死亡していた。詳しくは聞かされていないが、後頭部を強打し、
脳内出血を引き起こした結果らしい。それが昨日の夜六時半から八時半の間頃
らしい。ルームサービスそのものは、睦吉がチェックインした時点で、時刻を
指定して注文があったという。
睦吉は何かの拍子で転倒し、大理石のテーブルの角で打ちつけたのだろうと
いうのが、警察の現時点での見解となっていた。
が、その前は……。
(二〇一室に出入りした者はなかったと自分で証言してしまったんだから、疑
いをかけられて仕方ない面もあったとは言え、犯人扱いに近かった気がする。
つまり、他殺の可能性も少なくない訳だ。大宮家がことを穏便に丸めたいのは
分かる。睦吉が大宮家の何かを探ろうとしていたことや、それに対抗して僕を
雇ったことが第一。ホテルの評判、ひいては観光地としてのイメージに関わっ
てもくる。殺人よりも事故の方がまだましだ)
菊池は、雇われの身だということを警察に話さなかった。また、大宮家も警
察に対し、彼や睦吉について事前に知っていたとは伝えていないようだ。
「お引き留めして申し訳なかったですな」
刑事が二人、姿を現した。夜中で比較的静かなせいか、年上の方の胴間声が
よく響く。愛想笑いじみた、作った表情をしている。
「部屋に戻っていいんですね」
ソファから菊池は立ち上がった。クッションが効き過ぎなのか、肘掛けに腕
をつき、踏ん張る必要があった。
「かまいません。ただ……念のために、今後のご予定を伺っておきたいんです
がね」
「分かりません」
菊池の即答に、年輩の刑事は隣の若い刑事と顔を見合わせた。
「隠さないでくださいよ。先ほど、お話を聞いた際に失礼があったかもしれま
せんが、それはお詫びします」
「さっきのことで腹を立てているんじゃありません。本当に予定が立っていな
いんです」
嘘ではない。大宮家に連絡を取らなければ、先が見えない。だが、ロビーで
待つ間に電話しようにも、他の刑事が見張っていたから、遠慮しておいたのだ。
「このホテルにはいつまで?」
若い方が聞いてきた。定職を持たない菊池を、最初から胡散臭くみなしてい
る節があった。
「一週間、とどまるつもりでしたが……事故があったので、部屋を変えてもら
うか、ペンションに移るかもしれません。気持ち悪いですからね」
「しばらくL高原を離れないのは、間違いないと?」
再び、年配者が聞き手に。
「ええ。来たばかりなのに、帰るなんてもったいない」
菊池の浮かべた笑みを、刑事達はどう受け取ったのか、肩をすくめる素振り
と共に彼を解放した。
朝一番で、中村がホテルに現れた。
「八時だ」
呼び出された菊池は、不機嫌さを露わにした。
「僕が睡眠不足を嫌うの、知っているだろう。昨夜、トラブルが発生したのも
知っているはずだ」
「悪く思うな。大宮からの命令でね。報告に来てほしいらしい」
「待ってくれ」
眠たいので、菊池はソファに座った。刑事から最終的な解放を受けるまで座
っていたのと同じ席だった。
「報告も何も、大宮家が手を回したんだろ」
「いいから、早く来い。あんまり話し込みたくない。万が一、刑事が残ってい
たら面倒だからな。大宮家の威光で、追い払ったとは思うが」
「分かった。じゃあ、これは大宮家からの『お誘い』だな。無関係の観光客を
騒ぎに巻き込んでしまったお詫びに、この土地の名士として大宮のお屋敷に招
待する−−こんな筋書きでいいかな?」
「そう捉えてくれていい。君と大宮家の関係は、たった今から始まった訳だ」
それから朝食を挟み、およそ一時間後、中村の運転で再び大宮家を訪れた菊
池は、当主と一対一で会うと、説明を求めた。ところが。
「どういう状況だったのか、聞かせなさい。話はそれからです」
「……いいでしょう」
命令口調で逆に問われ、不承不承、応じる。菊池は昨日一日の流れを思い出
しながら、事実を曲げることなく伝えた。
話し終わると、真理子は射すくめるような視線を向けてきた。彼女は座って
おり、菊池は立ったままという状況だから、教師が生徒を叱りつけているよう
に見えなくもない。
「それで全てでしょうね?」
「何も隠していません。睦吉が何も行動を起こさなかったのは、事実です。さ
ぼっていた訳じゃありませんよ」
半ば投げやりに答える菊池。やはり人に使われるのに自分は向いていないと、
痛感しながら。
「そうですか」
一転して穏やかな口調と表情とになり、真理子は椅子に身を深く沈めた。
「じゃあ、あの男の死は、本当に事故だったのね」
「……どういう意味ですか」
「睦吉が死んだという知らせは、すぐに届いたわ。騒ぎになるのを避けたくて、
大まかな状況を掴むと、警察に手を引くように言ったのよ。そうしてよかった
のかどうか、不安が残っていたのだけれども、警察が出した結論と同様に、事
故死と分かってほっとした訳よ」
「そういう話も興味ありますが」
菊池は襟元を直しながら言った。
「今、聞きたいのは、僕の話を聞いて、あなたは何故、この件が事故死だと思
われのかということです」
「あら?」
驚きがわざとらしい真理子。表情も、作ったように目を丸くしている。
「探偵のあなたが気付いていなかったのかしら?」
「いえ、おおよそ想像できてはいますが、あなたの口から直接、聞きたいんで
すよ」
「簡単なことだわ。見張っている間、睦吉の部屋を訪れる者はいなかったんで
しょう? 犯人となるべき人間が存在していないことになる。状況が示してい
たのは、他殺か事故死かのどちらかだったそうね。他殺の可能性が否定されれ
ば、残るは事故死。これでよろしいかしらね」
最後は、からかうような口調になっていた。
「仮の話ですが、僕が睦吉を殺した可能性は、考えてみませんでしたか?」
菊池はなるべくさりげない調子で、ひょいと尋ねた。
−−続く