#3494/5495 長編
★タイトル (GVJ ) 96/10/ 6 18:54 (200)
ヴォールの紅玉(38) 青木無常
★内容
「お断りだ」
鼻頭にしわをよせて嫌悪の表情をつくりながら口にした。
おお! と、怒りの咆哮が混沌世界をゆらがせた。
どん! と地を蹴りつけてデュバルの肉体がおどりかかってきた。
あわててダルガは、ころがってそれを避けた。
「闘え! 剣をとれ!」
再度、デュバルは吼えた。
「悪いな、デュバル」
尻もちをついたかっこうで、体勢をととのえなおそうともしないまま、ダルガは静
かに口にした。
「考えてみれば、おれはおまえのその言葉をうらぎりつづけてきた」
「そのとおりだ!」
と、炎の言葉がそれに応じる。
「だから、いまこそそれに応えるのだ! 剣をとれ“闇の炎”! とっておれと闘え
!」
あぐらをかいてダルガは腕を組み、デュバルの炎の双眸を正面からうけとめながら
――
「断る」
短く、そう答えた。
おおお、と、妖魔は吼えた。
両手を逆まく天につきあげ、音声に血と炎を噴き上げて、吼えた。
青白い燐光が、その全身から燃え上がった。
その燐光のあいだから――血が、しぶいた。
赤い血が。
霧吹きのように吹きだした血が、うねる足場を赤く染めはじめた。
そしてつぎの瞬間――
からころと音を立てながら、全身から生え出た骨白の刃がつぎつぎと、落剥しはじ
めたのである。
ダルガは、目をむいた。
またたく間に無数の刃は地に落ちて肋骨の砕けた破片と化し――
ダルガに腹から胸を裂かれたときのままに、血にまみれて憎悪をその眼光にたたえ
たデュバルがそこにたたずんでいた。
断末魔のように全身をおおっていた燐光が、潮がひくようにして消えていく。
狂気の眼光だけが、妖魔の名残をとどめていた。
いや――
最初からそこだけが、人間のままであったのかもしれない。
そしてふいに――がは、とデュバルは血塊を吐いた。
よろよろとよろめき、崩おれそうに上体をかたむけた。
「デュ――」
叫び、半身をあげかけたダルガに、ぎろりと眼光がすえ直された。
視線は仇敵にすえたまま、デュバルはたおれかけた姿勢のまま足もとにうず高くお
り重なった骨刀のひとつに手をのばした。
ひろいあげ――背筋をのばした。
剣を――かまえる。
「“闇の炎”」
静かな声音で、そう呼びかけた。
「剣をひろえ」
いって――彫像のように、その動作が一瞬にして凍結した。
炎の眼光だけが、ダルガに呼びかける。
“闇の炎”は腕組みを解き――立ちあがった。
打ち捨てられた剣に歩みより、ひろいあげる。
そしてかまえた。
デュバルの血まみれの口もとに、笑みがうかんだ。
32 出現
暗黒の奥まった一角に何者かが身じろぐ気配を感じて、ガレンヴァールはようやく
闇に慣れはじめた目をすばやくそちらに向けた。
「なにかいるな」
つぶやき、視線をこらす。
暗闇のなかに、何かがうずくまっているようであった。
ふむ、とうなり、邪法師はなおしばらくのあいだ視線をこらしていたが、やがてし
びれを切らしたか、背後にしたがう“息子たち”をふりかえる。
「様子を見てきておくれ、わがかわいい息子たちよ」
命令を受けて従順にちょこまかとはしりはじめた“ガレンヴァールの息子たち”の
総数はいまや、両手の指にあまるほどに激減しているようだった。
闇の向こうにかけつけた小さな影ががさごそとはいまわり――何者かにつきとばさ
れたように、つぎつぎにころころところがされて戻ってきた。
「おやおや。おまえたち、どうやらきらわれてしまったらしい」
つぶやく丸顔の邪法師に、闇の奥から答えがかえった。
「下賎の者めが。失せるがいい」
はりのある、女の声音だった。
「下賎の者……」
苦笑しつつガレンヴァールはくりかえす。
「わたしはこれでも、ザナールの向こうでは貴族でとおっている家の出なんだがね。
このような山奥の田舎豪族に下賎の者呼ばわりされるとは、なんともなさけない」
いって太鼓腹を抱えて笑う。
だがさしものガレンヴァールもつけられた傷がひびくのか笑い声にも力はなく、消
え入るようにしてとぎれて落ちた。
ふう、とよわよわしい息をつき、ぎろりと闇奥にむけて視線をあげる。
「おまえさん、あのサドラめの愛娘のエレアかい?」
問いかけた。
答えたのは、耐えかねてもらすような笑い声だった。
「海のむこうから来た蛮族めが、えらそうな口をきくのはこっけいきわまりないわ」
くすくすと笑いながら傲然と口にした。
うんざりしたようにガレンヴァールはため息をつく。
「下賎の者呼ばわり合戦はもういいだろう。おまえさん、贄にささげられたのではな
かったのかい?」
「贄?」
と、あいかわらずおかしげに笑いをとどめながら、闇奥の存在は邪法師の言葉をお
もしろそうにくりかえした。
「このわたくしが贄? おもしろいわ、下賎の者。父様は冗談を口にされたのよ。贄?
いいえ、わたくしが贄になど、なぜささげられなければならないの? ちがうわ、
愚かな下賎の者。わたくしは贄にされたのではない。――えらばれたのよ」
太った道士は闇にまぎれてけげんそうに眉をよせた。
「それがどうちがうのか、わたしにはよくわからないな……。が、まあ、おまえさま
はとにかく無事だったらしいねえ。それはわたしにも朗報だ。なにしろ、あの強力な
“風のアリユス”と、この状態で一戦まじえるのは、いかなわたしでもちょっと願い
下げなんでねえ。おまえさまの身柄さえおさえておけば、取引に使えるから。さあ、
こちらにおいで、お嬢ちゃん。この“闇のガレンヴァール”がおまえさまをやさしく
介抱してさしあげよう。さあ、おいで」
いいながらゆっくりとふみだす邪法師に、くすくす笑いはとぎれずふりそそぐ。
「まるで変態だわ、そのいいぐさ。ああ、まるで、というのはちがっているのかしら。
もしかして、変態そのものといったほうがいいみたいね。でも、おまえはとんでもな
い勘違いをしているのよ、下賎の者。おまえのような愚劣で卑小な下賎の者は、わた
くしのような高貴な存在には、ふれようと考えることすら冒涜なの。もっとも、そん
なこともわからないからこそ愚かな存在でいられるのでしょうね。いい? おぼえて
おきなさい。わたくしにふれていいのは、このわたくしを愛することのできる資格の
あるおかたは――父様をのぞいてはいないのよ」
父様、と耳にして邪法師は、欲にまみれて妖魔にのまれた田舎豪族、とせせら笑お
うとした。
笑うよりさきに――凍りついた。
娘の呼びかけに呼応するようにして――闇の底の深いどこかで、何か異様な存在が
ごそりと、身じろぎする気配を感じたからだった。
起こった現象を解釈しようとするが――思考さえもが氷結したまま、まるではたら
こうとはしなかった。
言葉さえ出ず、あぐ、あぐ、とえずきのような音で喉をふるわせるのがせいいっぱ
いだった。
闇の奥から嘲笑がひびいた。
――ふたつ。
邪悪な気配も――またふたつ。
そのふたつの邪気は――ガレンヴァールには、重なりあっているようにしか思えな
かった。
疑問符がうずまいた。
解答は出なかった。
否。
出すことを、恐怖が拒んでいるのだった。
「おまえたち……」
無意識が言葉となってほとばしった。
邪悪な哄笑が重なりながら応えた。
きざまれては消える亀裂は、螺旋の渦を描くようにして湖の周囲をゆっくりと経め
ぐっていく。
それを追ってはしりながらシェラは、虚空につけられる傷が不規則に上下左右しな
がらも徐々に下降しつつあるのに気づいていた。
近づいている、と直感する。
打開策を思いつかずやみくもに痕跡を追ってはしりつづけるだけだったが、いちか
ばちか試してみる気になった。
つぎに亀裂がきざまれると見当をつけた方向に向きなおり、印を結んだ。
アリユスから伝授された魔法のひとつを、思考内部で反芻する。
自信はなかったが、ためらっている余裕もまたなかった。
目をとじ、気配だけを読みながら呪文をとなえる。
ぴし、と、ひび割れる音を耳にしたような気がした。
幻聴だったかもしれない。
かまわず、シェラは最終句をとなえて瞠目した。
「イームレスの名にかけて“水の刃”よ、亀裂を撃て!」
叫び、組みかえた印の下から気合いを打ちだした。
たん、と青い閃光が空にはしる。
おりしもひび割れはじめた虚空の傷口めがけて、鋭利な刃と化したシェラの水が打
ちかかり――
通りぬけて、背後の壁に四散した。
あ、と失望の吐息をつき――すぐにゆるみかけた表情をひきしめる。
「タイミングが遅すぎたわ」
ひとりごち、ふたたび印を結んで瞑目した。
それに、威力もよわすぎた、と心中でつぶやき、ふたたび意念を集中しつつ呪文を
口にする。
韻律が青い薄闇の底に流れ、気配を追ってシェラは無意識のまま姿勢をかえていっ
た。
「ハッ!」
打ちこんだ。
今度は、刃はなにもない空間をなでて飛びすぎ、放物線を描いて地に落ちた。
亀裂があらわれたのは、それからであった。
「はやすぎたのね」
苦渋をおしころしてつぶやき、もう一度印を結ぶ。
打った。
瞠目すると同時に、心中で快哉を叫んでいた。
“水の刃”は出現しはじめた亀裂のまさに中心めがけて飛んだ。いきおいももうしぶ
んない。
成功を確信すると同時に――しかし刃は、はっきりと虚空にきざまれているはずの
亀裂を背後におきざりにしてすりぬけてしまった。
壁に当たり――今度はそこに穴をうがった。
が、命中しても透過してしまうのでは、どれだけ威力があろうとまるで意味がない。
「どうして?」
失望に顔をゆがませつつつぶやく。
そのあいだにも、亀裂は痕跡をのこしながらゆっくりと移動していった。
――同調しなさい。
ふいに、脳裏に言葉がひらめいた。
ハッとして、アリユスをふりかえる。
よろこび身もだえるレブラスを前にして、間断なく“風の槍”を打ちこみつづける
背中が、遠くそこにあるだけだった。
が、その背中に向けてシェラは再度うなずき、そしてもう一度、移動していく亀裂
に向きなおった。
同調する。
と同時に、音が聞こえた。
みりぱちと、硬質のものを砕きながら何かがひそやかに移動していくような音だっ
た。
その彼方に、激烈ないきおいで移動し、火花をちらす力にみちた存在がふたつ、感
じられた。
――ダルガ……!
心中呼びかけ――
きっと顔をあげて、印を結んだ。
呪文をとなえ、同調した異界めがけて、意念の内部で照準をさだめる。
ぴたりと、かけていた破片がおさまる感覚がふいにおとずれた。
「ハッ!」
気合いとともに、シェラは“水の刃”を打ちだした。
青い鋭利な刃が、宙を裂いて飛翔する。
祈る思いでその軌跡を追うシェラの耳もとに――ぱきりと、ガラスが砕けるような
音がたしかにひびいた。
同時に、ひらいた亀裂が砕けて飛んだ。
その彼方に、異様な色彩の渦まく混沌が、巨大な存在が苦しみもだえるようにして