AWC ヴォールの紅玉(24)       青木無常


        
#3480/5495 長編
★タイトル (GVJ     )  96/10/ 6  18: 2  (200)
ヴォールの紅玉(24)       青木無常
★内容
たのか――さだかな理由はだれも知らない。
 無数の伝説が無数の恐怖をともなって名をとなえてはならぬ暗黒神ゼル・ジュナス
の変心の理由をならべ立ててはいるものの、どれが真実とはどんな賢者にもこたえる
ことあたわぬ大いなる難問の最たるものであっただろう。
 平穏と快楽、そして永遠が支配していた黄金世界バレースはジュナスの狂乱の時よ
り暗黒の時代を迎え、そして人間もまた生まれでることは苦難であることと同義であ
る――そうさだめられた。
 地獄は世界に顕現し、それでも狂乱の魔神が暴虐の果てに疲れはてて眠りについた
ことによって世界はかろうじて破滅からまぬかれ、ひとときの猶予を与えられている。
 ふたたび大いなる魔神、名をとなえてはならぬ暗黒神が目覚めるその時までは。
 かつて世界をしろしめた大いなる神々は狂乱神の暴虐の嵐にまきこまれてあるいは
引き裂かれ、あるいはおしつぶされ、そしてあるいは魔神のもとにつどうた悪神魔王
どもの目を逃れて世界の裏にその身を隠し――かくしてバレースは暗黒の時代を迎え
る。
 ヴォールは、狂乱の魔神に引き裂かれた神であった。
 バレースの大地そのものを支配しつかさどるヴォールは魔神の目から逃れるわけに
はいかず、大地の安寧とひきかえにみずからの身をさしだしたのだという。
 ただし、いかに暴虐の嵐にもまれたとはいえ永遠なる存在たる神々のひとりである
以上、引き裂かれてばらばらになって世界中にその肉体をちらばらせようとも、ヴォ
ールは死ぬことさえあたわず、うもれた肉片ひとつひとつに永遠の苦悶をきざみこみ
つついまも世界を見守っているのだという。
 その、ヴォールである。
 フェリクスにたどりつく前もあともアリユスは、イシュール一帯のさまざまな場所
を経めぐってきた。
 世界の犠牲となって散った地神を祀るヴォール神殿もまた、いくつも目撃してきた。
 そのうちのほとんどが、飛び散ったヴォールの肉片を神体に祀りあげている、と称
してもいた。
 が、神威と呼べるほどの霊力を謳い文句どおりに奥殿になりと秘めた神殿など、た
だのひとつもなかった。
 だがここには――だがここには、たしかに神の肉片がこの岩壁にはさまれた地中奥
深くにひそんでいるのかもしれない。
 そう思わせる、かすかだが深く静かな神秘がたゆとうているのを、アリユスは感じ
ていたのである。
 ――訪え。
 呼び声は、アリユスにそう告げていた。
 ゆらめくまぼろしの生命の火を遠く幻視しながらアリユスは、心中にうかぶ言葉に
同調し、小さくうなずいた。
 ついたひざをあげていったん立ちあがり、今度は亀裂を前にして腰をおとした。
 結跏趺坐し、印形をむすんで瞑目する。
 呪文はとなえない。
 ただ瞑目しておのれの内に深く深く沈静し――魂の奥底に意識をすえる。
 幻視の力があるものが見れば、座するアリユスの肉体からおぼろな幻像がすりぬけ
るようにして出現したのに気づいたことだろう。
 遊魂。
 魔道を学ぶ者にとってもっとも基本的な技術のひとつである。
 そして――ある意味ではもっとも危険な技術のひとつでもあった。
 ひとつには、魂のはなれた肉体が完全に無防備になる危険。
 そしてもうひとつは、はなれた魂が肉体への帰り道を見失ってしまう危険。
 とくに、この世ならぬ存在に招かれて神境、あるいは魔境に遊ぶことには、帰路を
断たれて帰れぬ危険がつねにともなうことは常識であった。
 それを承知の上でアリユスは、あえて行った。
 浮遊し、霊的な微光を放つ世界をしばし見やる。
 それからすぐに、亀裂めがけて遊体を侵入させた。
 暗黒が四囲を通過した。
 おぼろに燃える幻火の光ははるかに遠く、いつまでも近づかない。
 瞬間は永遠に敷衍され、世界はいけどもいけどもたどりつけぬ無限の道程と化した。
 神秘は、真理という結末を用意した。
 あるいは誘蛾灯のようなものかもしれない。
 魔道教程によれば真理に到達する道は、近づけば近づくほど微細になり、極微をこ
えて無にいたるまで小さくなる。
 無限に近づきながら、ついに到達することはできぬ場所である、とされている。
 まさにそのとおりなのかもしれない、と近づかぬ幻光がつねに変わらず虚空にうか
んでいるのを見てアリユスはおぼろにそう考えた。
 ――ヴォール。
 と、呼びかけてみた。
 言葉は反響となって暗黒にみちあふれた。
 奔流と化して浮遊するアリユスの魂を撹拌し、意識を奪い去る。
 気がつくと、眼前にそれは立っていた。
 一本脚の褐色の肉体。
 足の付け根は暗黒と融合してひろがり、扇のように無数に生え出た手が世界のあら
ゆる方位を指さしている。
 幻火の光源たる巨大な単眼は、静かな、深い光を発しながらアリユスを見ていた。
 ヴォール。地の底に苦悶する神。
 アリユスは呆然と目を見ひらき、大いなる存在を凝視する。
 畏怖も恐怖もうかばなかった。
 偉大さに欠けているからではなかった。
 あまりにも広大すぎて、人間のようなちっぽけな存在にはまるでかかわりのない存
在だとしか思えなかったからだった。
「ヴォール……」
 呆然と、アリユスはつぶやいていた。
 おのれがつぶやいていることに気づいてさえいなかった。
 それでも、神は応えた。
 光る巨大な単眼で。
 そして――アリユスのさらなる質問を抑えるようにして、無数に生え出た手からそ
のひとつだけを、さしだした。
 その手のひらの上には、紅に淡く光る珠のようなものがのせられていた。
 拳ほどの大きさの、ゴム塊のような感触の珠であった。。
 アリユスはとまどい、神の顔を見ながら夢遊病者のように手をのばす。
 のばした遊体の手のひらの上に、その薄紅の物体がぽとりと落とされた。
 それを握って胸前によせ、アリユスはあらためて神を見やった。
 行け――とでも告げるように、神の無数の手がひらひらとふられた。
 同時に、暴風に吹かれたかのようにアリユスの遊体が一気に吹き飛ばされた。
 神の威光はなつ単眼は一瞬のうちにもとのおぼろな幻火と化し――
 気がつくとアリユスは、肉体に帰還をはたしていた。
 結跏趺坐の姿勢のまま呆然と世界をながめやり、ふと気づいたように背後をふりか
える。
 青の月は、まだ山の端に沈みきってはいなかった。
 数分と経ってはいまい。
 夢を見たような気分で、アリユスは手のひらを眼前にかかげた。
 軽く握っていた拳を、ひらいてみる。
 紅の奇妙な珠がそこにあった。
“ヴォールの紅玉”である。

    20 契約

 避けた皮膚のあいだから、臓器がはみ出していた。
 血以外の異様な色の汁がしたたっている。
 意識がもうろうとしているせいか、痛みはそれほどでもなかったが、もうながく生
きられるとはとうてい思えなかった。
 デュバルの脳裏に、にぶい後悔の念がひろがる。
 にぶいが、狂おしい後悔だ。
 敗北であった。
 紙一重の敗北だ。
 まともな条件の対峙でもなかった。
 闘技場で立ちあえば、まちがいなく勝てる自信があった。
 にもかかわらず、左腕とひきかえに胴を縦に裂かれて死にかけている。
 斬られたとき、傷を癒すことを考えて敵に背をむけてしまった。
 意味がなかった。
 さしちがえてでも、とどまるべきだった。
 このままでは力つきてほどもなく意識を失い、そのままうつろに死んでいくしかな
いだろう。
 苦悩の終着点がこれでは、死んでも死にきれなかった。
 鈍痛に責めたてられながら、腹の底で煮える炎がはげしく逆まくのを感じていた。
 歯をくいしばり、うめきつづける。
 痛みにうめいているのではない。
 後悔と憎悪、そしてはげしい呪詛をうめきにのせて飛ばしているのだった。
 剣技であれば負けない。
 絶対の自信があるだけに、投げつけられた運命にまるで納得がいかなかった。
 灼熱の怒りを思念にのせて放ちつづけた。
 悪魔とでも取引するつもりだった。
 のぞみどおりのものが眼前にたたずんでいるのに気づいたのは、どれだけの時間が
経ってからだったのだろうか。
 異様な光沢を放つ、黒い巨体が瀕死のデュバルをながめ降ろしていた。
 黒瞳のない青白い光を放つふたつの眼が、まるで無機物のようにつめたく見おろし
ている。
 ながい、馬科の獣のような顔をしていた。
 螺旋状にきつく渦をまく異様な形のツノを、その頭部の両わきにそなえている。
 金属のような光沢を放つ巨体には不吉な力がみなぎっていた。
 そのうちわのような巨大な手につかまれれば、人間の頭蓋骨など風船のようにはじ
け飛んでしまうだろう。
 異様な存在を前にしてデュバルは、死の淵から恐怖と同時に賛嘆を感じてもいた。
 桁がちがう、とおぼろに考えていた。
 そのとき、声ならぬ声が自分の頭蓋の内側でふいに呼びかけてきたのに気づいた。
 ――生きたいか。
 無骨な野太いひびきのある声だった。
 それでいて、奇妙に無機的で冷徹でもあった。
 生きたい、と、デュバルは意識の底で狂おしく反応した。
 生きて、今度こそダルガを両断する!
 憎悪の叫びに、呼応するようにして笑い声がまぼろしのように頭蓋内部に反響した。
 ――おまえの肉をつなぎあわせてやろう。
 哄笑しながら“声”はいった。
 ――やがてそれは生きながら腐りおち、おまえの腹の内部で痛覚と不快そのものと
なっておまえを苦しめることとなろう。それでもよいなら、かりそめの、第二の命を
おまえに与えてやる。
 ――生きたいか。
 ふたたび、問うた。
 こたえなど最初からわかっているぞ、とでもいいたげな口調であった。
 無骨なひびきの底に嘲弄が秘められているような気もした。
 生きたい。
 それでもデュバルは、ためらわずこたえていた。
 笑いはかえらず、彫像のような奇怪な造形の化物が深くうなずいてその巨大な手の
ひらを切り裂かれたデュバルの腹部にのばした。
 青い燐光を放つ粘液質の液体が、化物の手のひらから刻まれたデュバルの傷口へと、
とろとろと流しこまれていく。
 ユスフェラの山に秘められた奇怪な魔力が、憎悪を媒介にしてデュバルの肉体を根
底から変容させはじめた。

 銀の月が、舞い散る無数のしぶきをきらきらと色彩っていた。
 剣士たちは息を切らせながら崩れ落ちる水流を背にしてすわりこんだ。
 ダルガに斬られた傷はたいしたことはなかったが、少女を尋問しはじめた矢先に攻
撃してきたダルガの形相は、尋常ではなかった。
 鬼神か、と背筋をふるわされていた。
 川原でデュバルと対峙したときの腑抜けぶりとは、雲泥の差があった。
 まさに、凶悪なる高名そのままの人物像だった。
 バラルカの私設軍隊に入る前にもいくつかの傭兵団を点々としてきたが、あれほど
の迫力を見せつけられたのは初めてだった。
 二人とも剣の腕にはデュバルやタイイッドには劣らぬ程度の自負をもっていた。
 が、気迫という一点において遠くおよばない、ということを知らされた。
 十五、六の少年が鬼神となったことに驚愕し、無我夢中でここまでかけ通してきた
のである。
 そして腰を落としてふりかえり、息をととのえる。
 そうして、ながい時間をかけておちついてくると、自分たちのみっともなさに思い
当たった。
 顔を見あわせ、苦笑しあった。
 怯懦から逃げたのではない、という理由を互いにあげつらいはじめ、客観的にはた
わ言としか思えぬようなあれこれにいちいち深くうなずきあってみずからを納得させ
た。
 デュバルひとりいればどうにでもなる、われわれがあの場にいる必要はなかったの
だ、というのがそのひとりよがりな論理の骨子であった。
 いまごろはあの小僧もデュバルどのの剣にかかってなますに切り刻まれているだろ
う、とも口にしあった。
 それでも、このまま逃げてしまうわけにもいかないことはさすがに二人とも自覚し
ていた。
 気のすすまぬていで腰をあげ――気配に気づいて一人がふりかえった。
 剣をもっているほうの一人であった。
 眼前に、異様な小人がたたずんでいるのを見て、ひっと喉をならした。
 ほとんど反射的に、剣で切りつけていた。
 子どもほどの大きさの、赤黒いこぶを無造作に盛り上げたかのような造作の異様な
人影は――切り裂かれて、まるで快感でも感じているかのように異様なしぐさで身も
だえはじめた。




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