#3474/5495 長編
★タイトル (GVJ ) 96/10/ 6 17:40 (200)
ヴォールの紅玉(18) 青木無常
★内容
を離れると、砂利場に足場をかためた。
両足をひらき、冷徹な視線を近づきつつある三つの人影にすえる。
興奮したていで走りよってくる二人の剣士の顔には見覚えがなかった。バラルカの
護衛騎士団の成員であろう。競技会用に買われ、育てられたダルガには正規の騎士団
員の半数以上は知らぬ顔であった。
そして、その背後からゆうゆうとした足どりで近づきつつある男。
胸をそらし、大股でひとつひとつの歩みをことさらにゆっくりと運ばせながらも、
その男の凶猛な髭面には残忍な歓喜がありありとうかびあがっている。
面の左半分を巨大な傷跡に占拠された顔にうかんだ、異様にゆがんだ歓喜の表情で
あった。
むきだしにした隻眼にはダルガ以外のいかなるものも映ってはいまい。
口もとをゆがめた笑いは、地獄の咆哮とともにいまにも裂けて弾けそうにさえ見え
た。
デュバル。
競技会の帝王として君臨しつづけてきた、無敵と呼ばれた剣士である。
15 水辺の死闘
バラルカの私有軍の総帥、デュバル。
バスラスの競技場で剣をまじえた相手の中でも、もっともダルガを戦慄させた男の
ひとりであった。
競技会のみならず、ほんものの戦場をも幾度となくかけめぐってきた歴戦の勇士で
もある、という風評だった。
強い男を下すのがその生きがいである、とも。
口に出したことはないが、ダルガはデュバルとの試合をしぶっていた。
相手の地位や権勢をおそれた、という部分もむろん、ないではない。
だがそれよりも、駆使するおそるべき剣技にいくどとなく背筋をふるわされていた
のである。
勝てないかもしれない。
その想いが、ダルガの闘争心を萎えさせていたのだ。
敗北すれば、奴隷戦士としての価値は消失する。
それがたとえデュバルのような特別な相手だとしてもだ。
事実、ダルガが競技会に出場するより以前には、無敵といわれた幾人もの奴隷戦士
たちがデュバルに討たれて敗北し、灯が消えるようにしていつの間にか表舞台から消
えていったときいている。
連中がその後どこにいったのかは、だれも語りたがらなかった。
いずれよからぬ裏魔道の生体実験に供されたのだという者もいたし、決死の最前線
にくりかえし送り出されて腕がもげようと脚が折れようと死ぬまで過酷な戦場をかけ
めぐらされたのだという者もいた。
バスラスの街に、ことにバラルカの利益に反するような戦争がおよんだことはここ
十数年なかったはずだから、後者のうわさはうそであろうとダルガは思っていた。
だが、多少とも役に立つ剣士なら傭兵として売買貸借されることもあるのだと知っ
たときには背筋をふるわせた。
敗北しても、幾度でも挑戦できるのならかまわなかった。
だが、ダルガには負けることは死への道を一歩ふみだすこととまったくひとしい恐
怖であった。
できればデュバルとは闘いたくない。
このおそるべき使い手の闘いぶりを一目みたときから、ダルガの胸奥にはそんな怯
懦がひそんだのだった。
だが、おそらくいつかは、それを避けることができなくなる日がくるだろう、とわ
かってもいた。
悪夢は実現する。
デュバルが得意の強権を発動させて雇い主のバラルカにさえうむをいわさず、ダル
ガを対手の位置にひきずり出すことに成功したのである。
しかもダルガはバラルカから秘密裏に要請、というよりは命令を受けていた。
デュバルの戦士としての資質、軍をひきいる長としての資質をおびやかすような真
似はだんじてしてはならぬ、というおそるべき命令を。
可能な芸当ではなかった。
あるいは、過去にデュバルに敗れてきた奴隷戦士の中には、この条件を満たしきれ
ぬがゆえに地に伏した者もあるのかもしれない。
冗談ではなかった。
しかしダルガには、ことわる権利などもとよりない。
あるいは、もうすこしこずるく立ちまわるだけの知恵と経験を重ねていれば、名目
上は奴隷戦士であってもそれなり以上の発言権を獲得することは、ダルガほどの強さ
を示してきた者であれば可能ではあっただろう。
あいにく、いかに天分に恵まれた戦士とはいっても、ダルガは十四の少年であるこ
ともまた事実であったのだ。
屠殺される家畜の気分で競技場に立って不世出の剣士と対峙する。
歓声は悪夢のようにダルガの脳裏をゆらがせ、焼きつくした。
闘場にひざをついてうずくまり、ぶざまに反吐を吐きちらしてしまいそうなまでの
悪寒に苦しんでいた。
ひどい体調だった。最悪の気分だ。
たとえバラルカの不興を買おうとも、いっさいの手加減などしない、とせめてそう
決めて闘技の場にのぞんだつもりだった。
とんでもない仮定だった。
全力をもって打ちかかっても勝てる相手ではない、と、対峙した相手の眼光を見た
瞬間にそう悟っていた。
かといって、死を覚悟することもできなかった。
現実感が根こそぎ奪われ、ダルガは人形と化してすり鉢の底に立ちつくした。
永遠とも思える悪夢の光景をいやというほど味わわされて後、ふいに競技の開始を
告げる、鞭の打たれる音が意識の外側からひびきわたる。
獰猛な顔貌に薄笑いをうかべた大剣士が、猛牛のようないきおいと迫力で一歩ふみ
こんできたとき、眼前に肉薄してきた白刃に意識が白濁したのをよく覚えている。
そのあとの動きは、すべて刻みつけられたものが反射的に出ているにすぎなかった。
それが僥倖でもあった。
おのれの動作や反応をまるで他人事のように見ているうちに、理想的な形態でダル
ガは闘いを展開していったのだ。
おのれの剣がデュバルの胸を割り、左顔面を縦に裂いたのをまるで他人事のように
見物していた。
狂的な大歓声がダルガの脳裏からますます現実感を奪い去った。
悪夢に魅入られたまま、闘技場をあとにした。
さいわいにしてデュバルの左眼から光を奪ったことに関して、バラルカからのおと
がめはなかった。
ダルガの、戦士としての地位はいよいよ不動のものと化し――そしてその事実が無
意識のうちに悪夢と化して、ダルガの夜を訪うことになる。
復讐を期してデュバルが鬼となって修練に打ちこんでいる、というおそるべきうわ
さもダルガを苦しめる要因のひとつであった。
増長もないではなかったが、刻みつけられた恐怖感はそれを軽く上まわっていた。
そしてそのころからまたダルガは、訪れる悪夢とはべつにもうひとつ、夜ごと奇妙
な夢を見るようになっていた。
何かを象徴するような夢だった。
くりかえし訪れる夢魔はダルガの心裏に奇妙な焦慮と圧迫感を惹起し、同房の戦士
に夢解きをすすめられる。
そして――バラルカの意向を無視して占爺パランのもとを訪れた。
占爺の助言により街郊外の不思議な湖に眠る神秘的な存在に託宣を受け――出奔を
決意することとなったのである。
だが、その理由の中には夢告の内容によるだけではなく、デュバルの狂的な復仇の
視線につきまとわれる悪夢からの逃走たる意味も、少なからず含まれていたのかもし
れない。
その悪夢が――ついに具現化して、眼前にたたずんでいるのだった。
歓喜に、裂けるような大きな笑いをうかべながら。
ダルガは、ぎり、と奥歯をかみしめた。
闘技会での無意味な殺しあいにおいて、おのれの死を覚悟できる心境になれたこと
はなかった。
その後、旅の途を重ねるにつれ、想いは徐々に変化していった。
占爺パランとともに幾度となく危地をのりきり、時にはおのれを教え導いてくれる
気のいい老人のためにおのれの命をさえ盾にしてもかまわない、とまで思えるように
もなっていた。
その心境の変化が、いまのダルガには足枷になっていた。
シェラが、ユスフェラの妖魔にさらわれたままなのだ。
ここで朽ちるわけにはいかなかった。
敗けられない。
その義務感が、重圧と化していた。
眼光を見ればわかる。
いま眼前に立ちはだかるデュバルは、二年前の闘技場で対峙したあのおそるべき剣
士よりもさらに、数段階も強力で気力に満ちた戦士と化している。
ダルガに対する復仇をはたすために、すべてを打ち捨てる覚悟さえできているのだ。
「くそ」
とダルガは、歯がみした。
呼応するように、デュバルがにたりと笑った。
「ようやくとらえたぞ、ダルガ……!」
憎悪が地獄の炎となってただよってきそうな声音で、デュバルはくりかえした。
「立ちあえ。おまえを斬る……!」
静かに、宣告した。
縦に裂けた左半眼の傷跡は無惨にひきつれ、デュバルの醜貌をいっそう凶悪にゆが
めていた。
そして残された右眼の眼光は、かつての光以上に憎悪に色彩られて赤く、めらめら
と燃え盛っている。
ぞろりと、舌を出した。
ゆっくりと唇の左端から右端へと、舌なめずりをはわせていった。
無意識の行動かもしれなかった。
デュバルの隻眼はダルガの面上にすえられたまま、ひくりとも動かない。
「立ちあえ」
くりかえした。
苦渋をかみしめながら、ダルガは口をひらいた。
「わかった」
満面にうかんだデュバルの歓喜の笑みが、次のダルガの言葉を聞いてにわかにくも
る。
「だが、もう少し待ってくれ。やり残したことがあるんだ」
血を吐くような想いで、ダルガはその言葉を口にした。
奴隷として売られてから数えきれぬほど、言葉でも、態度でも、暴力をふるわれて
きた。
文字どおり死にそうな目にさえ、幾度となくあわされてきた。
それでもいつも、歯をくいしばって相手をにらみあげ、耐えつづけてきた。
おのれの命が危ういときにさえ、懇願などしたことはなかった。
それを口にした。
屈辱と、異様な敗北感とがダルガの胸裏に膨張する。
支えは、シェラを救い出さねばならぬという義務感、ただそれだけであった。
が、デュバルは首を左右にふった。
「逃げる気か、ダルガ。ふざけるな。それではおれの気はおさまらんぞ」
眉間にしわをよせ、憤怒の形相でダルガをにらみつけた。
「だめだ。立ちあえ。いまここで」
「決着はつける」
もどかしげにダルガはくりかえす。
「だが、いまはまだおれは死ぬわけにはいかないんだ」
頼む、と、握りしめた拳を打ちあわせながら叫ぶようにしていった。
デュバルは呆然と目をむき――
次に、うたがわしげに眉をひそめて下からにらみあげるようにしてダルガを見た。
唇をへの字にゆがめる。
「おどろいたな」
心底おどろいたように、そういった。
「おまえがそれほどの腑抜けとは思わなかった」
反論しようとして、ダルガは唇をかみしめた。
腰抜けといわれようと、無駄死にせぬことが肝要なのだ、とおのれにいいきかせた。
そんなダルガの様子を見やりながら、デュバルはため息をついた。
切なげな顔をして、両手を左右にひろげてみせる。
「がっかりだ。失望したぞ」
つぶやき、ふっと肩から力をぬいた。
屈辱を味わいつつもダルガもまた、緊張を解いた。
一瞬。
虎獣の咆哮のごとき気合いが、ダルガに向けて肉薄した。
ぎょっとしてあとずさる顔面を追うように、不吉な光を放つ白刃が弾丸のように眼
前に突き出されてきた。
「お――」
うめきつつ、ダルガはあわててマラクの大剣を打ちおろし、デュバルの強襲をかろ
うじて受けとめた。
「きくか、そのようなたわ言!」
叫びざま、間髪入れず二撃が襲いかかってくる。
「待て、デュバル!」
後退しつつ叫んだが、むだだった。
「反撃しろダルガ! 打ちあえ! そして死ね!」
狂ったような叫びとともに、重い斬撃がたてつづけにダルガを襲撃した。
防戦一方のままふたたび水流の中に足をふみいれていた。
しぶきをあげながら剣士たちは激しく移動した。
ざし、と腰を落として両足をひらき、ダルガは後退を停止した。
「やる気になったか!」
歓喜とともにデュバルが叫んだ。
おう、とダルガは応えた。
「今度は殺す」
短くいった。