#3450/5495 長編
★タイトル (RAD ) 96/ 9/23 23:43 (168)
「春愁」(3) 悠歩
★内容
カラン
夏が待ち遠しい、そんな内容のBGMが終わったタイミングを見計らったように、
グラスの中の氷が音を立てる。少し間をおいて、二枚目のCDが自動的に再生され
始める。
切ない恋の歌。
僕はベッドに腰掛ける。肩に彼女の頭の重さを感じながら。
十分か、二十分か。
二人の間から、会話が消えて。
会話が途絶えてから、僕の鼓動は高まる一方。それを彼女に悟られてはいないか
と、不安。
たぶん、悟られている。
だって彼女の心臓の音が、僕の肩を通して伝わって来ているから。
二つの鼓動が一つに。
不思議な効果。
重なった鼓動が、互いに互いを高揚させる。
そしてどちらからともなく、唇を重ねる。
キスって、こんなにも幸せなものだったのか、と思う。
「由香里ちゃん………」
それだけ言って、後はただ彼女の瞳を見つめる。それだけで僕の想いは伝わるは
ず。そう思って。
彼女も僕を見つめてる。頬を紅潮させながら。
小さく、こくんと彼女が頷く。
彼女のブラウスの胸元へと手を伸ばす。
震えている。僕の手も、彼女も。
まるで二人とも、初めての体験のように。
いや、本当に二人とも初めてなんだ。
彼女はもちろん、僕もまた。本当に好きな人との初めての体験。
意識の中から、不都合な物は全て消え失せる………
「僕でいいの?」
散々考えたあげくの平凡な言葉。
彼女は微かに頷いたようにも見えたけど、何も答えない。でもボタンを外す僕の
手を、拒んではいない。
「後悔しない?」
僕の手は、彼女の胸を包む白い布に。ここで彼女に拒まれても、自分を抑えられ
る自信はない。けれど彼女は拒まない。
やや小振りだが、形の良い白い胸が僕の前に現れた。
幸福感。
こんな幸せな気分になれたのは、生まれて初めてだ。いま突然に、世界の終わり
が来たとしても、僕は幸せのまま死んでいけるような気がする。
「一つ訊いていい?」
と、僕の横に寝ていた彼女。
「真之くんも、初めてだよね………」
彼女は紛れもなく初めてだった。
「もちろん、初めてだよ」
躊躇いなく、僕はそう答える。
嘘を言っている罪悪感はない。嘘を言っているつもりもない。
そう、僕にとってもこれは初めての体験。初めての、愛のある体験。
「変に思わないでね………」
恥ずかしそうに彼女は言う。
「真之くん………なんか………あの、誰かと比べたわけじゃないけど、上手な気が
したから………」
彼女は事の最中よりも、顔を真っ赤にしている。
「男は、初めての時だって、愛する人の為に一生懸命努力するものさ」
身支度を整えている女の子を見るのは、なんとなく楽しい。それと同時に名残惜
しさを感じる。
本当は泊まって行きたいと、彼女は願った。僕だってそうして欲しかった。いく
ら理解があるとは言っても、彼女の母親だっていきなり娘が外泊しも穏やかでいて
くれるかどうかは疑問。そしてそれが、父親の耳に、入りでもしたら。
それに僕は、彼女の父親以上に美里の事が恐い。僕は僕と彼女のために、一刻も
早く美里とは普通の兄妹の関係に戻らなくては。
「じゃあ、私、帰るね」
身支度を終えた彼女が、部屋を出ていこうとする。
「待って、送って行くよ。あ、廊下の明かり、スイッチ分かる?」
まだ宵の口とは言っても、夜、女の子を一人で帰す訳にはいかない。僕も彼女の
後を追う。
「ひっ」
部屋を出かけた彼女の口から、小さな悲鳴。何事かと、彼女の視線の先を追う。
薄暗い階段に佇む影。
「み、美里」
そこに居たのは美里。いつの間に帰ってきたのか、美里は音も立てずに階段を上っ
てくる。
「あら、お客様だったの。こんばんは」
自分の指で髪を絡めながら、美里が言う。
口調は穏やかだったが、不機嫌であることが、僕には分かる。
「こ、こんばんは。美里………ちゃん」
「まあ、私の名前、知ってるんですか。嬉しいなあ。私はあなたが誰だか、知らな
いのに」
美里の言葉には、険がある。
「あっ、ごめなさい。私、お兄さん………真之くんのクラスメイトで、雨宮由香里。
よろしくね」
「クラス、メイト」
そう繰り返す美里の口元に、薄笑いが浮かぶ。
「ただのクラスメイトが、訪ねて来るような時間じゃない………と思うけど」
美里はまるで値踏みをするかのように、彼女の頭からつま先まで視線を降ろす。
「そ、それより、お前コンサートはどうしたんだよ。まだ終わる時間じゃ、ないは
ずだろ?」
このまま美里に、好き勝手に言わせておくのはまずい。
「ん、なんとなく気分が悪くて、途中で帰って来ちゃった。でも、タイミング、悪
かったみたい。ごめんなさいね。真っ最中じゃなかったのが、せめてもの救いかし
ら」
「ごめんなさい、私、もう帰らないと」
美里の言葉に、顔を赤くした彼女は、階段を駆けるようにして降りていく。
「待って!」
「おかしいと思ったんだ。お兄ちゃんが、私にプレゼントなんて」
彼女を追う僕の耳に、美里の言葉が届く。
「ほんとにゴメン、由香里ちゃん。美里のやつ気分が悪い、て言ってたから、その
せいだと思うんだけど………。なんか由香里ちゃんに絡んでるみたいで」
夜道を歩きながら、僕は懸命に謝る。こんな事で彼女と気まずくなっては堪らな
い。
「ううん、いいの。それは………でも」
「でもなに?」
「美里ちゃん、私のこと嫌ってるみたいだった」
「そんな、考えすぎだよ」
彼女は俯いて、少しの間考え込んでがら言う。
「気のせいかも知れないけど、嫉妬しているみたいに………私を見る目が、恋敵を
見るみたいだった」
月曜日、彼女と話をする事が出来ない。
彼女のほうが、僕を避けているみたい。
なんとか僕の方から話し掛けようとしても、さり気なくかわされる。
結局、学校が終わるまで何も話せない。授業が終わると、彼女は一目散に帰って
しまった。
恐い、僕は恐い。
どうして彼女は僕を避ける?
まさか、僕と美里との関係が知られてしまったのでは………
いや、そんなはずは………ない、と思いたい。でも。
彼女は頭の回転のいい子だ。美里との僅かな会話で、感じ取ってしまったのかも。
そんな事を考えると、どうにも落ち着かない。
もし、もしも本当にそうだとしたら………事は僕と彼女の付き合いが終わるだけ
では済まされない。
その事が彼女の口から、他人に知られたら。
彼女にしたって、確証はないはず。けれど、疑いだけで充分。
兄妹での肉体関係………うわさ話としては、こんな面白いものはない。きっと、
あっと言う間に広がっていく。
そうなれば僕は終わりだ。
「!」
ふと思う。
僕は本当に彼女を愛していたのかと。
僕の心配は既に、彼女との関係が壊れる事ではなく、自分の立場が悪くなる事へ
と向いている。
いや、僕は彼女を愛していた。愛している。
それは間違いない。
疲れている………疲れているんだ、僕は。
少し、少し歪んだ、普通ではない関係を修正して、普通になろうとする事への反
動。
大丈夫、僕の考え過ぎ。彼女は少し照れているだけだ。すぐ、普通に話せるよう
になる。
それに美里だって、いままでの関係が決して正しくないことは分かっているはず。
ただちょっと意地になっているだけ。僕がその関係を正そうと言い出したのと、彼
女とつき合いだしたのが同時だったから。
夜中、美里が僕の部屋に来たけれど今度こそ、それを拒む。それでもなお、ベッ
ドに潜り込み僕の下腹部に忍ばせて来た美里の手を強く払いのけて。
「駄目だよ………僕らは兄妹なんだ」
「そう、お兄ちゃん、あの女がそんなに気に入ったんだ」
恨めしげに部屋を出ていく美里の捨て台詞。
僕の背筋は凍り付きそう………
火曜日もまた、彼女と話す事が出来ない。
気のせいじゃない。彼女は僕を避けている。
確かにいままでだって、学校では周囲に二人がつき合っているのを悟られないよ
うに、必要以上の言葉わ交わす事はしなかった。
でも、昨日からの彼女の態度は露骨。
休み時間、一人で居ることを確認して僕は彼女に近づく。
「ねぇ、雨宮さん。どうして僕を無視するの? 何か雨宮さんを怒らせるような事
をした?」
驚いたような彼女の顔。
辺りをさっと目を配らせてから、僕に言う。
「ごめんなさい………放課後、いつものお店で、ね」
囁く。まるで子どもを諭すように。
あまり気分のいいものではないけれど、我慢する。校内でもめる訳にもいかない。
ここは大人しくひいて、放課後を待つことにしよう。