#3444/5495 長編
★タイトル (AZA ) 96/ 9/17 20:55 (170)
そばにいるだけで 2−6 寺嶋公香
★内容
それからは吹っ切れたか、演技の方はともかく、少なくとも台詞はほとんど
とちらなくなった。
「そろそろ、体育館の舞台での練習時間だけど」
前田が壁の時計を見上げて言った。
本番は体育館の舞台で行われる。舞台を使った練習は限られているので、有
効活用して、少しでも馴染んでおかなければならない。
「あ、衣装のことがあったんだ」
きちんと衣装を着け、本番さながらにやろうというときになって、そのこと
を思い出した。
女子は教室で、男子は体育館の控えで着替える。
「相羽君の着物、そのまま着られるかなあ」
「大丈夫。きっと着られる」
衣装係の遠野が、落ち着いた声で言った。
「と言っても、私もこれに触るのは初めてなんだけどね」
「そっか。これまでは男子の衣装係の子が持ってたんだっけ」
上着はぴったり合った。次は袴に足を通す。足の長さだけが心配。
「どう?」
着込んでから、両手を広げ、遠野に見てもらう。
「おかしくない?」
「−−ええ。念のため、歩いてみたら?」
その場で動いてみた。別に動きにくいこともない。
「だけど……」
町田が不安げな色を見せた。彼女はすでに着替え終わっている。
「髪が似合ってないような。ごめんなさい。でも、何だか相羽君のイメージが
強くて」
「髪」
自分の髪をなで上げる純子。
「忘れてたわ」
「男の探偵だもんね。こんな長くてきれいな髪じゃ、変に見える」
前田も難しそうな顔をしている。
「今から女探偵に変えるのも無理よねえ」
「うん。台詞が直らないと思う」
「まさか、おだんご頭にするわけにいかないし」
「それじゃあ、完璧に変態よ」
「帽子をかぶったらどうかしら?」
「それ、いいかもしれない」
「けど……顔が見えにくくなっちゃう。劇なんだから、やっぱ、誰だか分かる
ようにしないと」
「かつらを借りるとか」
「今からじゃ間に合わないわよ」
かんかんがくがく、意見が出される。だが、妙案はない。
「いいわ。私、切る」
純子が言い切ると、その場にいた女子全員が、静かになった。その一秒後に
は、大騒ぎと化す。
「本気?」
「うん……。そうするのが一番早いし」
「だ、だめよ」
遠野が心配そうに言ってくる。
「こんな、きれいなのに」
「そうよ。ここまで長くするのに、時間かかったでしょ?」
「それは……まあね」
「だったら、やめときなよ。もったいない!」
「けど、この役、引き受けたんだもの。合った格好をしないと」
「今日、いきなり言われたのよっ。そこまで考えなくていいってば」
「涼原さん、私が余計なこと言ったわ。謝るから、そんなことしないで」
町田が抱きつかんばかりに、謝ってきた。
「う、うん。じゃあ、とりあえず、今は……。時間ないから、早く行こうよ」
純子はそう言って、真っ先に教室を出た。
(どうしようかな……)
お風呂から上がり、長い時間をかけて髪を乾かし終えた純子は、鏡の前で考
え込んでいた。
学校での最後の練習は、予想以上にうまくいった。用心して、本番ではもし
ものときのため、台詞を教える係を配することになったが、まずは大丈夫だろ
う。
(女子はみんな、切るなって言うけれど。男子は半々ぐらい? 切った方がい
いって言う子が多かったかも。確かに、演技には邪魔になってた。ときたま、
周りの人や物に、髪の先が当たったみたいだし……。何より、探偵の印象が)
明日の朝一番で切ろうかな。そんな思いが頭をもたげつつあった。
「純子、電話」
母親が知らせてきた。
「はーい」
部屋を出て、階段を下りる。
「誰から?」
「声がかすれてて、よく聞き取れなかったわ」
「何よ、それ」
そんなのよくつないでくれたわと呆れながら、送受器を手に取る。
「もしもし? 替わりました」
「あ、涼原さん? 僕、僕」
眉をしかめる純子。さっき母親が言ったように、がらがらにかすれた声が流
れてきた。加えて声量も小さいため、聞き取りにくい。
「あの、失礼ですが、どなた様でしょう……?」
「どなた様って。相羽です」
がらがら声がかしこまって答えた。
「相羽君? わぁ、全然、分からなかった」
「そんなにひどい?」
「うん。あの……寝てなくて大丈夫なの?」
「いやあ、本当は寝てる方がいいに決まってるんだけど。ははは」
どこかから息が漏れているような笑い方だ。
「昨日、帰ってから動き回ってたら、熱っぽくなってさ。それでもまあいいか
と思って、朝、起きてみたらこの声。参ったな」
「そんなに喋らないで。……私のせい……よね」
小さくなる声。内緒話でもしているかのように、二人とも小声になってしま
った。
「何で?」
「だ、だって」
「送ったのは関係ない。考えたら、その前から喉、おかしかったんだ」
「でも、寒いのに、わざわざ遠回りして……」
「だからあ、それは僕が自分で判断したこと。喉の調子も考えずに、無茶をし
たのは自分の責任。涼原さんが気にしなくたって、いいよ」
「……」
涙が流れそうになって、言葉が出ない。
「どうかした、涼原さん?」
「……ごめんなさい。ありがとう」
「何で礼なんか。ま、いいや。そういうつもりで電話したんじゃなくて、こっ
ちこそ謝らなくちゃ」
喉がいがらっぽくなったのか、せきを一つする相羽。
「あの、本当に大丈夫なの?」
「平気、これぐらい。それよか、劇、迷惑かけたみたいだ。特に涼原さんに」
「聞いたの?」
「色々、電話でね。悪いと思ってる。だけど、もう君に任せるしかないから…
…うまく行きそう?」
「何とか」
「気楽にやってよ。それでさあ……髪、切るって聞いたけど、本気か?」
「……誰がそれを……」
はっとして聞き直す純子。手に汗がにじんできて、送受器を持ち替えた。
「女子の何人かが、僕のところに電話して来た。『あの子、男役になりきるた
めに、髪を切るって言い出してる。相羽君からも言って、止めてやって』だっ
て。いい友達だね」
「何を言ってるの。私がいいって言ってるんだから−−切る」
「そんなことで責任取ろうとするなよなあ」
ぜえぜえと息をしながら、相羽は言った。
「元々、責任なんて感じなくていいんだ。さっきも言ったように、僕が悪い。
だいたい、考えた?」
「何をよ」
「いきなり髪を短くして行ったら、他の人が動揺するかもしれないってこと。
そうなったら、演技どころじゃなくなる」
「それは……。男子は切ってもいいんじゃないかって言ってたわ」
「そんなもの、冗談に決まってるだろ!」
大声を出した相羽。すぐにせき込んでしまった。
「ご、ごめん。やっぱ、調子よくない」
「……」
「男子連中、切ったら面白いなという程度で言ってるんだ。まさか君が本当に
切るなんて、考えてやしないって。こんなこと言うの、恥ずかしいけどな−−
髪は女の命ってことぐらい、男子にだって分かるんだぜ」
「……ほんとに、そう思う?」
純子は、鼻をくすんと鳴らす。
「思うよ。たかが劇とは考えたくないけど、あんまり思い詰めるのもよくない
んと違う?」
「ええ、そうかもね」
肩の荷が下りた。そんな気がしてきた。
「髪のことだけど、どうしても気になるんだったら、後ろでひとまとめにした
らいいんじゃない? 幅の広い布を使ってさ。ポニーテールっぽい髪型の男な
ら、そこそこいるよ。結ぶ位置は、なるたけ首の近くがいいだろうけど」
「そうよね。うん、そうするっ」
「髪、切らないよね?」
「うん」
「よかった。それが電話の目的だったんだ。はは。長くなっちゃった。ごめん、
こんな時間に」
「ううん、いい。こちらこそ……うれしかった」
「そう? 勇気出して、電話した甲斐があった」
「勇気って?」
「女子の家に電話するの、勇気がいるんだぜ。じゃあ、いい加減、切らないと。
明日、楽しく頑張りなよ。もしも行けたら応援する」
「ありがとう。あの、相羽君。お大事にしてね」
「どうもどうも。お大事にするために、早く電話を切らないとね。明日は名推
理を披露してくださいよ、古羽相一朗殿」
「え? −−はい、分かりました!」
電話が終わってからも、しばし、電話機の前に立ち尽くす純子。
「純子? 終わったんなら、そんなとこにいないで。身体、冷えるわよ」
「はあい」
勝手に顔がほころんでしまう。
「長かったわね。結局、誰からだった?」
「クラスの子。明日のことで励まされちゃった」
「ふうん。それだけにしては、随分、うれしそうだけど」
母親からの指摘に、純子はどきっとした。でも、隠す必要はない。
「うん。うれしいの!」
−−つづく