#3428/5495 長編
★タイトル (AZA ) 96/ 9/17 20:22 (200)
ファースト・ステップ 2 名古山珠代
★内容
「まさか、反故にする気じゃないわよね」
「……よく知ってるわね、反故なんて言葉」
「へへっ、この前、漢字の小テストで出たんだよー。って、ごまかさないでよ」
「ごまかしてる訳じゃなくて、ただ、ちょっと、今日は気が乗らない……」
「こっちは時間が足りないんだから。文化祭が始まってからじゃ、遅いの。あ
たし達に明日はない」
「……津村君、いるんでしょ?」
「もち、副部長だから。−−ははぁん」
にやにやする桃代。
「そういうことか。気にしているの?」
「え、ま、まあ……。約束、破った訳だし」
「そんなの、気にする柄じゃないって、あれは」
不安を面に出した優美をよそに、勝手な保証をする桃代。
「向こうにだって、事情があったんだし。いいじゃない」
「……分かった。行く」
覚悟を決め、きっぱりと言い切った優美。いつまでも拒んでだらだらするよ
り、さっさと手伝う方が話が早いだろう。
「そうこなくちゃ」
嬉々とした桃代の声が、騒がしい廊下に、一際高く響いた。
傍らからでも明らかなぐらい、井藤悦子は苦悩していた。何度もかきむしっ
た髪が、ぼさぼさになっている。
机には、原稿用紙が、その四百の四角い升目で彼女を見つめ返しながら、依
然として居座り続けている。
集中力が切れかけて、安物の椅子にそっくり返って、大きく伸びをした悦子。
そのとき、ノックの音が。重なって、ドアの向こうから声がした。
「おねえちゃん、悦子おねえちゃん」
姿勢を正した悦子が反応する前に、ドアは開けられた。ブレザーの制服を着
た子が現れる。
「優美、少しは遠慮しろ。今はこういう格好だから、いいようなもんの」
悦子は立ち上がると、突き立てた左手の親指で、自分の身なり−−サマーセ
ーターにジーパン−−を示しながら、突然の来訪者を叱る。
来訪者の縁川優美は、歯を覗かせて笑いながら、後ろ手にドアを閉めた。少
しも応えていないようだ。
「真夏、窓開けまくって、凄い格好で寝てる人が言っても、説得力ないなあ」
その言葉で、あきらめた悦子は椅子に戻った。
「で、用事でもあんの?」
「ま、メインとしては、例によって、おばさんから伝言が」
「何? 言いたいことがあれば、直接ここに来るか、せめて電話すりゃいいの
に、あんたに頼むなんて、うちの親もずぼらだわ。それで?」
面倒とばかり、机に向かったまま、背中で相手を促す悦子。
「あんたが好きなことするのは自由だけど、少しは家の方を手伝えって」
「また? 忙しいの、私は。常に書いていないと、間に合わない」
「……言う割には、ちっとも進んでないみたい」
肩越しに机の上の状況を見取ったのだろう、優美の言葉に遠慮は感じられな
い。
悦子は椅子を回転させ、優美の方に向き直った。そして右手でボールペンを
ひらひらさせながら、力説する。
「全ての創作の活動量は時間に比例するとは限らない。アイディアが固まれば
筆は進むし、ヒントさえ浮かばないときは停滞するものなの。優美には理解で
きないだろうけど」
「はいはい。でもさ、せめてワープロにすれば。私だって使っているのに」
鞄を部屋の隅に置くと、優美は自分でクッションを持ち出し、腰を落ち着け
た。勝手知ったる雰囲気にあふれている。
「原稿用紙の升目を一個一個、きちんと埋めていってこそ、小説家。年老いて
筆が遅くなったんならともかく、半人前が楽しようなんて考えちゃいけない」
不満な悦子の物言いに、優美は笑みで応じた。
「相変わらずだなあ、悦子おねえちゃん」
「ああー、こんな暇、ないんだ。アイディア!」
「……前に送った作品、だめになったって聞いたけど……そのアイディアには
自信あったんでしょう?」
「ふん。私の作品のよさが分からないのよね、みんな」
でも、その表情に空しさが見え隠れする。
「落ち込んでないよね」
「落ち込まないよ、そう簡単には。そんな暇、ないもの」
「ふーん」
「−−あれ?」
優美が横に立つと、悦子が変な声を発した。
「汚れてる。左肩というか脇というか、とにかくその辺り」
「えっ、本当?」
慌てた様子で、自分の背中を見ようとする優美。しかし、うまくいかないら
しい。やがて、こう言った。
「鏡!」
「ほれ、そこ」
書棚の一角を指さした悦子だが、優美に自分で取りに行く余裕はないらしい。
やれやれと声に出して悦子は立ち上がり、丸型の手鏡を取った。
「見えたかい?」
「うん……。ああ、よかった。絵の具じゃなくて」
「絵の具?」
綿埃状の物を払ってやりながら、悦子が聞いた。
「優美、芸術は、音楽を専攻してんじゃなかったっけ?」
「そう。それがさあ、今日、美術部に寄ったの。汚れてるって聞いて、心配し
ちゃった」
「ははあ。優美は図書部だったよね。どうしてまた、美術部に?」
「ちょっと、賭けに負けて……文化祭の手伝いをする羽目になったの」
面白くなさそうに、優美。
「文化祭、懐かしい響きだわ、こりゃ」
優美と同じ高校を悦子が卒業したのは、五年前になる。
「今時はどんなことするんだろ?」
「美術部? 手伝わったのは図表作り。名前は忘れたけど、画家の人柄と作品
の解説みたいなやつ。あと、部員自作の絵とか彫刻とかの展示は当然として、
普通のイラストもやるみたい。その場で似顔絵を描くとも言ってたっけ。それ
から……様々に彩色したタイルを組み合わせ、何やら芸術作品を作るんだって」
「結構、手広くやるんだ。ついでに、クラス発表は何をするの?」
「え、忘れた? クラスの出し物があるのは、三年だけよ。悦子おねえちゃん
のときも、そうだったんじゃない?」
「あ、そうか……。そうだった」
自ら、ペンで頭をこつんとする悦子。
「記憶力、早くも衰え始めてるんじゃない?」
「あのね。……ま、いいか。それにしても、平和だねえ。いかにもノーマルな
高校って感じ。変わっていない」
昔を懐かしみ、一旦、目を閉じ、うんうんとうなずく悦子。
「図書部は何をするんだろ。こっちもやらなきゃいけないんじゃないの?」
「そうなのよね。今から憂鬱。あ、図書部の方は例年の同じみたい。おねえち
ゃん、図書部だったんだから、分かるでしょ」
「部誌を出して、作家研究、それから図書利用状況のまとめか」
「そんなところ。部長がのんびりしてるから、どうなるか分からないけど」
「なるほど。−−用はこれだけ?」
できるだけ執筆に集中したい悦子は、淡々と聞いた。
「今度は私の用。借りていた本、返しに来たの」
「あんた、学校に持って行ってるの、漫画を? 他の本ならともかく」
三冊の本を返してもらいながら、悦子は言った。そのトーンは高い。
「おねえちゃんだって、やってたでしょ。何に驚いてるの?」
「あんたの度胸に。うちの親に見つかったらどうすんの? ややこしいじゃな
いか」
呆れ顔になる悦子。
優美の方は、あっさりとしたものだ。変わらぬ口調で続ける。
「大丈夫だって。井藤先生、あれで結構、優しいから。仮に見つかっても、実
の娘が貸した物と分かれば、見逃してくれるわ、多分」
「そっちが許されても、二人分の説教が、こっちに回ってくるのよ!」
「親が教師って、何かと大変ねえ」
悦子はぽかんとしていた。気楽な調子の優美に、再び呆れたのだ。
「……もう、これからは気を付けてよ! 何か変だよ、今日のあんた」
「どこが?」
「妙に明るい。いつもの明るさとは、乗りが違う」
「そうかな」
と、優美は小首を傾げる。
悦子は付き合いきれなくなった上、原稿のことも頭に浮かんだため、いそい
そと机に向かった。
「今日も本、貸してね」
「図書室はどうしたのさ」
「読みたい本、誰かが借りちゃってるから。ね」
「ああ。分かったから、適当に見繕って。ここで読むなら、静かにするように」
「了解」
小さく答え、壁を埋める書棚を見回す優美。書棚はどれも、種々雑多な本が
置けるだけ置いてある、そんな感じである。
「あ」
これも小さく声を上げ、優美は真新しい薄手の本に手を伸ばした。『アウス
レーゼ』という雑誌で、表紙隅の数字から判断すると十一月号。
手に取る動作を見せた優美。だが、悦子の背中を一瞥すると、雑誌を手に取
らずに、手を引っ込めた。
「帰るね、悦子おねえちゃん」
「え? もう?」
予想外に早い申し出に、悦子の声は裏返ってさえいた。
「いい本、見つけたの?」
「うん」
短く答えた優美は鞄を手に、静かに、かつ素早い身のこなしで、外に出て行
った。
「……やっぱ、変だ」
閉じられたドアの方を向いて、そうつぶやく悦子が、あとに残された。
二.理由
しきりにうなずいているのは優美。模造紙に文字を書き続けた疲れを取るた
め、手を休め、何度か振りながら、感心している。
「改めて見たけど、上手」
「そう?」
答えるのは桃代。右手には絵筆。その先から、次々と新しい色形が生まれて
いる。画板に向かっているとき、桃代はいつもの甘えた口調ではない。
「うん、よくできている」
言ったのは、優美ではない。二人しかいなかった美術部部室に、第三の声が。
「あ、先輩」
声のした方へ振り返った優美は、少し身体を緊張させた。必要以上に緊張し
て、手にしていたマジックを取り落としてしまった。そうしたくなくても、自
然になってしまう。
詰め襟の学生服を片腕に抱え持ち、ぼーっと立っている男子生徒が一人。学
年は三年。男にしては、やけに細い髪の持ち主だ。薄い造りの眼鏡をしている
が、どこかおかしい。その風貌と合っていないのだ。
「あのう、園田さん。図書部の部長さんが、何か? 美術部ですよ、ここ」
とぼけるように答える桃代。筆の動きを止まっている。
「そろそろ、図書部も動き出さなければならないのだが」
見た目の雰囲気と同様、どこかぬぼーっとした声で、彼−−園田が言った。
「はあ、分かっていますけど……ご覧の通り、手伝わされてますから」
「言わなくても、それは分かる。だから、敢えて言ったじゃないか。そろそろ、
うちも動き出す必要があると」
「部長として、責任があるんですよね? でも、私も約束を果たす責任が」
懐柔策に乗り出す優美。
「僕が部長だと覚えていてくれて、どうもありがとう。こちらに戻って来てく
れれば、もっと感謝するんだが」
自分の言い方が気に入ったのか、園田は薄く笑った。いや、本人としてはた
だ笑っただけで、薄くも何もないのかもしれない。
眼鏡のずれを直し、超然とした態度のまま、園田は抑揚に乏しい声で続けた。
「それで、どうする?」
優美は、すぐには口が開けなかった。恐い人じゃないと分かっているのだが、
こういうときは苦手だ。独特のペースに巻き込んで、こちらを反論させなくし
てしまう。もっとも、この状況では、ほぼ一方的に優美に責があるのだが。
「悪いんですが、今は、優美を貸してください」
桃代が代わりに答えた。乗っているところを邪魔されたせいだろうか。桃代
の声は、上級生に対するものとしては、いくらか怒気を含んでいた。
しかし、園田は、さして気を悪くしたようでもなし、かと言って、驚いた風
もなく、しばらくの間のあと、ゆっくりと口を開いた。
「……まあ、板挟みってことはよくある。こちらの手伝いを引き受けたからに
は、ちゃんとやらなきゃな」
「そ、そうですよね」
優美は、助かったとばかりに、部長の言葉に飛びついた。
「だが、図書部の方も忘れず、働かないとだめだよねえ」
「は、はい」
−−続く