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★タイトル (AZA ) 96/ 8/16 1: 7 (172)
幸せに至る病 VER.2 17 永山智也
★内容 22/09/29 22:29 修正 第3版
「え?」
息を飲む。
「私のことよ」
彼女は−−綾辻織栄は、真っ直ぐに言った。
「じゃ、じゃあ、君のご両親って」
「そう。育ての親」
「……」
「生まれてすぐ、色々調べられたんだって。無論、私は自覚してないけど。そ
の結果は期待に応える物だった。つまり、特定遺伝子のもう半分を持っていた
の。……私ほど初潮を待ち望まれた子って、いないんじゃないかな」
笑うように言って、彼女は唇を噛みしめた。
「初潮さえ起これば、卵子を取り出して、先ほどのご老人の精子と人工的に受
精させ、誰か他の女の人のお腹で育てればいい。研究してる人達はそう考えて
た訳。だから、早く初潮が来るように、女性ホルモンを摂取させられてた、私。
当時は知らなかったけれどね。女性ホルモンはたくさん取りすぎると身体に害
が出るから、適度に調整して取っていたらしいわ。彼らにとって、私の身体は
大事ですものね。大切にされた、本当に……。
ところが、まだ神様は許してくれなかった。初潮があった後、いざ始めてみ
ると、どうやっても受精しなかったんだって」
気が付けば、彼女は泣いていた。
「その次にみんなが採った方法は……私の身体に精子を送り込むこと。小学五
年生の四月に、その処理を受けた」
「君は−−君は、何もかも知って、その……処理を受けたの?」
僕が尋ねると、綾辻さんは顔を上げ、目を瞬かせた。
そして、こちらをじっと見てから、ゆっくりとうなずいた。
「それが私の使命だって言い聞かされてきたから、何の違和感もなかった。性
行為がある訳じゃないし」
あっけらかんとしている。が、本心からなのかどうか、怪しい気がする。
「それもまた、失敗に終わってね。『自然でない行為による受精は拒絶される
のでは』−−とうとう、みんなはこう考え始めた。どういうことか分かる?
私とおじいさんが実際に性行為するしかないって結論づけたのよ」
「……無茶苦茶だ」
絶句しそうなのを、僕はようやく声を絞り出した。
「私だって嫌だった。小学校に通って他の子とも関わってたら、異性に対する
恥ずかしいという意識も、人並みにできあがっていたわ。だけど……私には役
目を果たす義務があった。だから、覚悟はできていた」
「……したの……?」
口にその言葉を出してから、僕ははっと思った。慌てて口を押さえ、下を向
く。
「ご、ごめん!」
反応がない。
目線を上げると、彼女は弱々しく首を横に振った。
「皮肉よね。実行の直前にそのおじいさん、亡くなったの。寿命だったらしい
けど、実際は研究に協力してきた心労もあったんじゃないかって思ってる。
私は半分、ほっとしたんだけどね。研究機関は大慌て。希望の片割れが失わ
れてしまったんだから。ずっとあとになって知らされた噂だと、息を引き取る
直前のご老人に、電気ショックを与えて、無理矢理精子を取ろうとさえしたら
しいのよ。許せる? これって、種馬と同じやり方なのよ……」
「……」
おぞましい感覚が襲ってきた。吐き気がする。
「もしかして」
閃いた。九年前との記憶と、今の話とが結び付く。
「昔、君と一緒にお墓参りをした。あのとき、君は……遠い親戚のおじいさん
だと言っていたが、まさか」
「当たってるわ。保坂さんて言うのよ」
「墓参りは、償い、か」
「償いにもならない」
吐き捨てるように、綾辻さん。呼吸が乱れているように感じられた。
しばらくしてから、彼女の話は本題に引き戻された。
「それから、おじいさん−−保坂さんが持っていたのと同じ特定遺伝子のかけ
らを持つ人を捜すのに、力が入れられたわ。意外に早く見つかった。それが槙
君、あなた」
「……ようやく登場、か」
何故か、笑えた。道化がまた一人お出ましってところだ。
「二度も立て続けに血液を調べられたのは、そのせいか」
「恐らく。確証がほしかったんでしょうね。判定は丸。幸か不幸か、分からな
いけれど」
「さっきのおじいさんには、話が通じていたんだろう? どうして僕には、何
の説明もなかったんだろう。子供だったからか?」
「違うと思う。研究機関は、より自然な『恋愛』による『性行為』をできる限
り迅速に成し遂げようとしてた。だから、あなたには知らせなかったのよ。知
らせることが精神に抑圧を及ぼし、うまく行かない場合も想定できたんでしょ
うし」
言葉の端々に強調を置く綾辻さん。彼女がこの世に生を受けたのは、僕と同
じ年であり、僕よりずっと前……。
「そういう事情で、君は僕を」
「最初は。−−私、必死だった。自然な流れの恋愛を迅速にだなんて矛盾した
要求を達成するには、ああする他に思い付かなかった」
「おかしいと思ったよ。急にもてるなんてね」
自嘲する。
「六年生になって、君が変わったと他の子達は言っていたけど、そのせいだっ
たんだ」
「そう。内面的にも外面的にも。早く『女』の身体になるようにって、女性ホ
ルモンの量を増やされたみたいだし。女らしくなったせいなのかな。おかげで、
関係ない子からまで告白されて、困ったけれど」
「中村君のことか。いや、他の男子も、君に心変わりしそうな奴はたくさんい
たっけ……。君も大変だったね。そんな状況で、僕の好みに合わせようとして」
勝手に皮肉な口調になってしまう。どうしようもない、自己嫌悪。
綾辻さんは唇を固く結んでいた。
「そして僕は、見事に引っかかった訳だ」
初めて結ばれた日を想起してみる。思い当たることがいくらでもあった。
あのときには奇妙に感じた、彼女の相反する振る舞いも、今なら納得できる。
「……一度で成功していたわ、受精」
綾辻さんは事務的に再開した。
「学校を辞めて、完全な保護下、いいえ、監視下に置かれた。私と槙君の子供
は胎児の段階で遺伝子を調べられて、合格した。この段階で初めて、あの子は
生まれる資格を与えられたのよ。そして生まれてすぐ、研究材料にされたわ」
「その子の名前は?」
ふっと思った。
でも、綾辻さんは僕を無視した。
「研究は最終目標を達成した。赤ん坊が健全に育つのを強力に助ける薬が完成
し、大量生産の手法も確立された。……一人の赤ちゃんの犠牲の上に」
「−−おい」
顔の筋肉が強張る。
綾辻さんは立ち上がり、僕に背を向けた。
「僕の子供は、どうなったんだ!」
「……」
「君の子供でもあるんだろ? どうなったんだ?」
「世界中の人達の−−」
やっと口を開いた彼女の声は、ぞっとするほどに冷たい。
「−−世界中の人達の足下に眠ってる」
「……何だよ、それは」
かすれた声が、僕の口から流れ出た。
相手は背中で答える。
「立派なことをしたわ、あの子。人類の未来を救った。カルネアデスの板」
「何?」
「カルネアデスの板。緊急避難をたとえた言葉。聞いたことあると思うけど…
…船が難破し、二人が一枚の板きれにしがみついて、助かろうとする。ところ
が二人分の重みを、その板は支え切れない。つまり、このままでは二人とも溺
死する。この状況下、一人がもう一人を突き飛ばし、自分だけ助かろうとして
も、それは罪にならない」
確かに聞いた覚えのある話だ。しかし……。
「それですませるつもりかい」
僕も立ち上がって、彼女の肩に手を伸ばした。
「えぇ? どうなんだよっ」
無理にこちらを向かせる。
次の瞬間、僕は震えた。
死人の目、顔は、今の彼女のような感じに違いない。魂が抜けている。
僕は手を離した。
それが機会となったかのように、彼女は目を見開いた。そして唇の真ん中を
噛みしめ、声を出した。
「そう思わないと」
かたかたかた。歯と歯の当たる音が、彼女からする。
「意味がなくなる。それに、私だって……生きていけない」
僕は改めて意識した。彼女もまた、道具にされていたのだと。僕も道具、僕
らの子供も道具にされた。
「言い訳にもならないけど……子供がどうなるか知ってたら、決して生まなか
った。計画に同意さえしない。私、大人じゃなかった」
僕は虚を突かれた。そうなのだ。当時の彼女はまだ十二、三の少女に過ぎな
い。僕自身、性行為の持つ意味をまるで知らなかった。
「これでおしまい」
心なしか、この短い間に、彼女はやつれたように見える。
「許してなんて言わない。あなたの言う通りにする。罰を受ける」
「君には何も、ない」
喉が痛かった。
「綾辻さんの言う研究機関に対しても、責めてはいいけど、完全否定はできな
い気がするよ。悔しいが」
「……」
「そうだ。一つだけ、教えてほしい。僕に接近してきた理由を確かめたとき、
君は『最初は』と答えた。どういう意味なんだ」
「……そのままの意味」
答えると、すぐに身体をそむける綾辻さん。髪が横顔さえも隠してしまう。
「はっきり言ってほしい」
「本当に好き−−」
そこまで言って、彼女は口を両手で覆った。目が動揺を現していた。
やがて再び、彼女は口を開いた。
「言えない。少なくとも、今は」
そのまま去ってしまう予感が起こる。
「……会いたい。何度でも」
率直な気持ちだった。
「運命が許せば、会えるわ」
「まだ運命に自分を委ねるの?」
「私のできる生き方は、未だに操り人形と違わない」
彼女は吹っ切るように言うと、今度こそ足早に歩き始めた。
「綾辻!」
迷わず、叫んでいた。
彼女が立ち止まる。最後の機会。
「糸を−−君の手足に絡んでる糸を切るのは、僕の役目だ。信じてる!」
僕の言葉に彼女は。
綾辻織栄は。
−−終わり、そして未了