#3369/5495 長編
★タイトル (AZA ) 96/ 8/16 0:46 (190)
幸せに至る病 VER.2 11 永山智也
★内容
先を行く綾辻さんの腕を取り、引き寄せる。
態勢が崩れ、二人とも歩道の上に転んでしまった。
「いてて……。大丈夫だった?」
「槙君、怪我はない?」
逆に心配されるとは思わなかった。
綾辻さんは必死の表情をして、僕の肩を揺さぶる。
「僕は何とも……。綾辻さんこそ」
そこまで言って、周囲の視線に意識が向いた。僕達二人、まだ横になったま
まだった。しかも手を握ってる。
急いで離れ、立ち上がる。
「綾辻さんこそ、怪我してない?」
服に着いた土埃を払ってあげながら、ざっと全身を見る。大丈夫みたいだ。
「あ、ありがと……」
「気を付けないと。どっちも、話に熱中しすぎてた」
「そうね」
何故だか知らないが、綾辻さんはふっと抜けるような笑みをこぼした。これ
まで、あまり見た覚えのない表情だ。
それまでの会話は何となく打ち切られ、ほとんど喋らないまま、金魚を埋め
たという場所に着いた。
「ここ」
彼女が指で示したところは、そこだけ土の色が違っていた。湿ったような焦
げ茶色が、丸い跡形を残している。
「お墓を作るって言ってたけど……十字架でも立てるとか」
「そうね……クリスマスイブだから、それもいい」
言うと、綾辻さんは背負っていた鞄を下ろし、奥の方から金属製の小さな十
字架を取り出した。五糎四方程度に収まりそうな十字架に、銀の鎖が付いてい
る。
「それ、いつも持ってるの?」
「うん。お守りの一つ」
初めて耳にする話だった。
「じゃあ、綾辻さんはキリスト教なんだ」
「違う。特定の神様なんて信じてない」
早い否定に、僕は戸惑いを覚えた。
その間にも、彼女は自身の言葉が本当であると証明するかのように、十字架
から鎖を引きちぎろうとする。
「あ。僕がやるよ」
「そ、そう。じゃあ、お願い。手が痛くて」
綾辻さんの白い手には、鎖の痕が薄く着いていた。
その手から十字架を受け取ると、僕は鎖に手をかけ、力を入れる前にもう一
度念押しした。
「本当にいいのか、これ、やっちゃって」
「いいの。私はね、特定の神様は信じてなくても、神様は信じてるの」
理解しにくい言い方だった。
僕は鎖を引きちぎった。分離した十字架と鎖を、持ち主に返す。
「あとは」
金魚を埋めた場所に十字架をそっと立ててから、綾辻さんは周囲を見回した。
「お花……ないよね。何でもいいから、草」
一人つぶやくと、河原の方へ駆け下りていく。
僕がその場で見守っていると、綾辻さんは寒さにかまわず、手袋を外し、草
を……掘り起こし始めた。
「あは。汚れちゃった」
土で手を黒くして戻って来た綾辻さんは、とてもうれしそうにしている。持
っているのは、どう見てもただの草。春ならまだ花を咲かせるかもしれないが、
冬の今では雑草と変わらない。
「植えてあげて」
「植えるって、金魚のお墓の横に……」
「そうよ」
言われた通りにする。
意外と強く、草の根っこは土に埋まった。
「お供えの草花だったら、引っこ抜いてくればいいのに」
「そんなことしたら、植物が死んじゃう。お墓のために植物まで殺すことない
わ。そう思わない?」
「言われてみれば……そんな気もする」
僕の返事に、綾辻さんは首を横に傾け、ね?という風に笑みを返してきた。
そうして、僕らは金魚二匹のためにお祈りをした。
翌日。
聖誕祭の朝九時五十五分、僕は運動公園の前で待っていた。
「早いのね」
入口のところにある大きな時計が十時を示そうかというとき、綾辻さんが到
着した。自転車から降り立つ彼女は、冬だというのに膝小僧を覗かせていた。
「寒いんじゃないか」
「そんなことない。一年中、スカート履くようにしてるから、慣れてるの」
「そう言えば、ズボン履いてるの、体育のときぐらいだね……」
些細なことだったけど、感心した。
「槙君こそ、どれぐらい待った? 寒くない?」
「五分ちょっと」
「建物の中にいてくれてよかったのに」
その建物の方へ向かいながら、話を続ける。
「五分ぐらい、へっちゃらだよ。僕が早かっただけだ」
「風邪を引いたら、困る」
建物の中に入ると同時に、綾辻さんが手のひらを出してきた。僕のおでこに
当てている。冷たい手だった。
「熱、出てないよね」
「あ、ああ。……き、君こそ、冷えてるじゃない。大丈夫か?」
「私はいつもこうよ。あ、入場料、払わなきゃ」
入口横の受け付けで、僕らはそれぞれ二百円払った。
綾辻さんは慣れた様子で、先先に歩いていく。
「男子の更衣室はそっち。プールにどう出るかは分かる?」
僕は壁の矢印を確認してから、うなずいた。
「じゃあ、あとでね」
僕らは左右に分かれ、水着に着替えにかかった。
と言っても、僕は下に着込んできたので、服を脱いだら終わり。短時間で済
んだ。
「温水プールとは言え、冬休みに来るとは思わなかったな」
そんなことをつぶやきながら、僕は更衣室を出た。利用者は他にもいるよう
だが、僕が着替えたときには部屋に誰もいなかった。
重い硝子の扉を押し開ける。湿気を感じた。
学校のよりも立派な水泳場が、天窓からの陽射しを受けてきらきらしていた。
中にいる人は六名ほど。もちろん、綾辻さんはまだ来ていない。
軽く準備運動をし、それから雨浴器で水を浴びる。
「ここにいた」
水を浴びてるときに、綾辻さんの声がした。と同時に、僕の使う雨浴器の横
に、女の人が立つ。目に水が入って、よく見えないが、上下に分かれた水着を
着けてるから、綾辻さんじゃないだろう。
「ねえ、槙君。シャワーで聞こえないの?」
あれ? 隣の人、やっぱり綾辻さんだ。
僕は水を止め、顔を手のひらで拭った。
綾辻さんが横に立っていた。
「そ、その格好」
「これ?」
自分の身体を見下ろす仕種の綾辻さん。どきっとする。
「ここではいつも、この水着よ」
「そ、そうなんだ。てっきり、学校と同じ水着かと思ってたから、見間違えち
ゃった」
照れ隠しに笑う。
綾辻さんも水を浴び始めた。
身体を伝う滴。水着の黄色が、濃さを増す。
「……きれいだね」
勝手に言葉が出た。
僕は慌てて、自分の口を手で押さえた。
「何か言った?」
綾辻さんには聞こえなかったらしい。
「何でもない! 向こうで待ってるからっ」
待つこと一分ほどで、綾辻さんも来た。
僕が入ろうとすると、引き留めてくる。
「準備運動しないと。いくら温水と言ったって、冬なのよ」
「もうしたよ」
「柔軟運動が足りないでしょ」
「柔軟……。しかし」
僕は学校の水泳の授業を思い出す。あれでも結構、恥ずかしかったのに、こ
んな場所、こんな格好で。
「さあ、座って座って」
躊躇していると、無理に座らされた。人は少ないから、まあいいか。
交代で柔軟を充分にやってから、水に浸かる。心臓に遠いところから順々に
濡らしていく。
それから、僕らは十二時半まで泳いだ。
「そろそろ出よう」
先に上がった僕は縁に立って、手を出した。
綾辻さんの手を取り、引っ張り上げる。
「あ」
またも、胸元に目が行ってしまう。上から見下ろすと、特にその大きさが強
調されるような……。顔をそらす。
「どうかしたの」
綾辻さんは不思議そうにしているけど、説明しにくいので黙っていた。
身体が勝手に反応してる。僕は水泳帽をわざと落として、綾辻さんに先に行
ってもらった。
身体が元に戻るのを待っていると、不意に。
「やめてください」
綾辻さんだ。
見ると、三人の男−−中学生か高校生ぐらいか−−が綾辻さんの前に立ちふ
さがっている。
「真冬のプールに来て、思わぬ拾い物ってとこだな」
「ねえ、君。バスト、いくつあんの」
僕は急いで立ち上がり、そちらへと向かった。
「ふん。二つよ。見れば分かるでしょう」
「ははっ、面白いねえ」
「からからうの、やめろっ」
僕は精一杯、凄んだ声を出したつもりだった。でも、小学生だから、甲高い
だけになってしまう。
「何だよ、おまえ。この子の弟か」
一人が、綾辻さんの手首をつかまえた。
僕は放させようと飛び出したが、もう一人にがっしりとつかまえられてしま
った。
「がきは引っ込んでなって。な?」
「がきじゃないぞ。その子と同じ歳だ」
「へえ? 君、いくつ? 高校生じゃないとしたら、中学……二年生ぐらい?」
綾辻さんに聞く。
手を取られたままの彼女は、噛みしめていた唇を震わせて答える。
「ろ、六年よ!」
三人の男の口から、口笛の音が出た。
「小学生か! 驚いたぜ」
「ほんとか? 全然、見えないねえ。そんだけのスタイルの奴、俺達の学校に
だって滅多にいない」
「何を食べたら、こんなにでかくなるんだろうねえ?」
一人が手を伸ばし、指先で綾辻さんの右胸を弾いた。
「嫌っ!」
全身をよじるようにして、避けようとする綾辻さん。でも、彼女の腕を握る
力が強いらしく、逃げられない。
「おうおう。敏感だな」
「触らないで! −−私の身体は槙君のためにあるんだから!」
「マキ? そいつって、このがき−−」
そいつに最後まで台詞を言わせはしなかった。
火事場の何とかだろうか。綾辻さんの言葉を聞いて、僕は切れた。必死の力
で僕は男の腕をふりほどくと、綾辻さんに手を出していた奴の顎先に頭突きを
食らわしてやった。
あとは……。
−−未了