#3367/5495 長編
★タイトル (AZA ) 96/ 8/16 0:42 (200)
幸せに至る病 VER.2 9 永山智也
★内容
中村君は前から真面目で勉強家だったけれど、今や私立の中学を目指し、勉
強の虫になってしまったよう。
そのことと夏休みのあの日の出来事と、無関係ではあるまい。綾辻さんと話
してる姿も見なくなった。
僕は事情を知っているが、何も言う気になれない。綾辻さんも何も言ってな
いようだし、中村君自身、当然、何も言われたくないだろう。
前に立って司会する中村君を見ながら、ぼんやり、そんなことを考えている
と、飛島さんの板書が終わった。
「個人競技は以上の種目があります。これから紙を回すので、希望するものに
名前を書いていってください」
運動会の話をしているのだ。
百米走、障害物競走、借り物競走、二人三脚、むかで競走、球運び競走等々。
僕はちょっと違和感を覚える。
前いた学校は、秋に行事が重なるのを避けるため、六月の最初ぐらいに運動
会をやっていた。僕が十月に運動会をやったのは、一年生のときだけだ。
それに何より、前の学校では『競争』はなくなっていた。僕が三年生まで、
勝敗を競う種目ばかりあったのが、その次の年からなくなったのが強く印象に
残っている。徒競走はもちろん、棒倒しや騎馬戦等もなくなって、代わりに興
味走と呼ばれる運任せのかけっこや、音楽に合わせてみんなが自由に踊る、表
現舞踏というようなものになっていった。
お父さんやお母さんに理由を聞いたら、負けた子の気持ちを考えて競争がな
くなったんだと説明された。だったら、勉強もそうしてほしいけど。
なくなっていた競争が、ここの学校では元に戻っている。うれしい反面、戸
惑いもあった。
「みんな、最低でもどれか一つに参加しないといけないから」
川西先生が言い足す。
「それから、二人三脚は男女ペアが決まりよ」
「えー?」
大きな反応。ざわめきが長く続く。
「誰も出られないよ、それじゃあ」
最前列で叫んだ藤倉君が、机に上体を投げ出している。恥ずかしくて、とい
う意味だろう。
「ね、槙君」
横の席の綾辻さんが袖を引っ張ってきた。嫌な予感がする。
「私と出てみない?」
やっぱりそうだ。
「やだよ」
「どうして?」
顔を覗き込んでくる彼女から、僕は目をそらした。
「恥ずかしいじゃないか。目立つし……」
仮に飛島さんとでも多分、嫌だ。
「誰も出ないから、仕方なく出るということにすればいいわ」
「そんなこと言ったって」
「だったら、槙君は何に出るつもり?」
「と、特に決めてなかったけど……障害物か球運び」
適当に言った。直後に理屈を思い付き、言い添える。
「協力してやる競技って、苦手なんだ。二人三脚とかむかで競走とか。団体競
技もそう」
「苦手なら、なおさらやらないとだめよ。出よっ」
「勝負なんだから、負けたらみんなに迷惑がかかる」
「槙君は今年転校してきたから知らないでしょうけど、個人競技だって点数に
直して、紅白の勝ち負けに関係してくるの。どれに出たって一緒」
理由付けはあえなく崩れた。
綾辻さんを嫌いな訳じゃないけど、こればかりは避けたい。恥ずかしさの他
にも、これ以上、綾辻さんと仲良くしたら、友達−−殊に中村君−−にどう思
われるか……。飛島さんを好みと言ったのに反して、僕は嘘をついた形になる。
出ないで済むよう、一つ、意地悪を思い付いた。
「僕が出たら、何でも言うこと聞くか?」
「え……何でも? 例えば、どういうこと?」
僕はまた顔をそらし、何気ない調子を装って言った。
「……胸に触らせるんなら出るよ」
「−−」
綾辻さんの表情は見ていなかったが、息を飲むのが感じ取れた。
僕だって、助平根性でこんな条件を出したんじゃない。
夏休みのあの夜−−中村君に口づけされても騒がなかった綾辻さんが、胸を
触れられそうになると、途端に激しく拒否した。だからこそ、この条件なら彼
女も嫌がるに違いないと踏んだんだ。
静かになった綾辻さんの方に向き直り、僕は表情を崩した。
「本気にしただろ? 冗談だよ。とにかく、出ないから」
「いいわ」
周りに聞かれないための配慮からか、彼女の声量は極端に落とされていた。
「触っていいから、出て」
「ば、馬鹿、馬鹿を言うなよ」
焦る。どうして、こんなつまらないことで一生懸命になるんだ、この子は?
「冗談って言ったろ」
「本気に受け取ったから。せ−−」
手を挙げそうな彼女を、慌てて押さえた。
「待って。待ってよ。ごめん、悪い。謝るから」
「出ようよ。私の胸を触れたら、いいでしょう?」
「……分かったよ。さっきの条件は嘘。嘘を言ったお詫びに、出てやるよ」
「ほんとに? うれしいっ」
手を合わせて喜んでいる。分からないな……。
ちょうど、用紙が回ってきた。
快晴だが、いくらか肌寒い。運動会当日はそんな陽気だった。
特に練習した訳でもないのに、二人三脚では二位に入った。一位を取ったの
が、双子の姉と弟という男女だったのだから、僕らは大健闘と言えるだろう。
昼の休憩の直前が二人三脚だったので、競走が終わって退場したあとは、そ
のまま昼食のために散らばることになっていた。
でも、綾辻さんのつぶやきを耳にして、気になってしまった。
「えっ、一人?」
「うん……」
うつむき加減に、小さな声の綾辻さん。組の区別のために着ける緑のはちま
きが、いつもと違う感じを醸し出していた。
「両親、どちらも忙しくて。お弁当作ってもらえるだけ、幸せと思わなくちゃ」
「ふうん。……でもさ、誰か友達と食べるんだろ?」
綾辻さんは首を横に振った。
「みんな家族がいるのに、邪魔したら悪いもの」
「何で……何で、そんな風に考えるんだよ。気にするなよ」
「そうかしら?」
「そうだよ。誰でもいいから、頼んでみたら? 邪魔になんかされないって」
「じゃあ」
綾辻さんは顔を上げると、こちらを見つめてきた。
「槙君にお願いしちゃおうかな」
「……え?」
彼女の急な笑顔に、きょとんとしてしまう僕。
「槙君のご家族が、私を邪魔にしなければだけど」
「……当たり前だよ」
引っ込みつかないじゃないか、全く。
僕が女の子を連れて現れると、お父さんもお母さんも驚きを隠さなかった。
だが、それは最初の数分で、僕が綾辻さんを、転校してきてからずっと助け
てもらってる友達なんだと紹介したら、すぐに歓迎してくれた。
「綾辻織栄です。お邪魔します」
「邪魔なんてとんでもない。翔一と友達になってくれたそうで」
「ご両親はお仕事? お休みだと言うのに、大変ねえ」
「いえ、そんな」
綾辻さんの応対ぶりが妙にこなれていると、僕の目には映った。
僕のお父さんお母さんも心得ていて、綾辻さんの両親の仕事とかについて、
詳しく聞こうとはしなかった。よかった。
昼の休憩が終わって、僕らは時間差で別々に、応援席へ戻った。また冷やか
されると面倒だから。
昼からは、紅白対抗ではない演技目が二つ続く。僕ら六年生はしばらく暇だ。
僕があと出るのは、個人競技の障害物競走と団体競技の騎馬戦−−こっちは
六年男子全員参加−−の二つ。朝には演技目と二人三脚競走があった訳で、考
えてみると、随分とたくさん出ている。他の子も似たり寄ったりで、中には立
て続けに出なきゃならない人もいるみたいだ。
「おーい、槙、槙」
寺本君が呼んでいる。何度も呼び捨てにしなくたって、聞こえてるっての。
「借り物競走、始まるぞ」
「何が僕に関係あるのさ」
演技目二つが終わって、また対抗種目が始まるところだった。
「決まってるじゃん」
背中にのしかかられた。この声は……藤倉君。
「綾辻さんが出てる。見たいだろ?」
「ばっ−−。そんなこと」
背中の藤倉君をはねのけ、僕は首を振った。
「無理すんなって」
「そうそう。何するのも一緒のことが多いしねえ」
またからかわれている。何度目のことだ、全く。
「あれは、向こうが勝手に、まとわりついてくるんだよ」
「そんなこと言っていいのかなあ。俺、近頃、綾辻さんもいいなって」
「あ、俺も俺も。前はスタイルよくてかわいらしいけど、なーんか近寄り難い
印象あったのに、今じゃ、話しやすいし、すっげー、きれいになってる」
内心、どきりとした。僕自身、飛島さんから綾辻さんへ、徐々に傾きつつあ
るのを自覚している。
「喜多嶋さんがいいって言ってたくせに」
僕は藤倉君へそう切り返すことで、どうにか気持ちをごまかした。
騒いでる内に、綾辻さん達の組が走る番が回ってきた。六人一組で、当然だ
けど全員女子。横一線に並ぶ。
ぱんっという破裂音を合図に、いっせいに走り始めた。
「あー、出遅れ」
出だし、綾辻さんは四番目。
「やはり胸の大きさが邪魔してますなあ」
にやける藤倉君を殴ってやりたかったが、今はそれどころじゃない。状況を
見守る。順位は変わらないまま、借り物を指定する封筒の置き位置に到達した。
先行して着いた三人はみんな、指示内容に困っている様子だ。
綾辻さんが追いついた。封筒を拾い上げ、中から紙を取り出した。
と思う間もなく、彼女は一直線に−−。
「槙君、来て!」
応援席の正面で、手を伸ばされ、僕は戸惑った。
「ほら、これ! 『一番仲良しのボーイフレンド』!」
紙には間違いなく、そう記してあった。
途端に、口笛やら歓声やらが僕らの組でわき起こる。
「いいぞーっ!」
「もてるなあ。この、うらやましっ」
「うるさいぞ!」
恥ずかしくて、意味もなく怒鳴ってしまう。
<みんな困ってますねえ。借り物、何なんでしょう? ……今入った情報によ
りますと、借り物は全員、『一番仲良しのボーイフレンド』だそうです>
場内放送が入ると、一段と盛り上がった。
「お願い、早く!」
よほど拒もうかと考えたけど、前に立つ綾辻さんの瞳を見たら、それはでき
ない。僕は立ち上がった。
「さあ、行こう」
手を取り合って、あとは走るのみ。
この時点で先頭に立っていた僕らは、そのまま一着で入った。
「借り物の内容を確認させてください」
進行係の一人らしい女子が言ってきた。綾辻さんが紙を見せながら、僕の腕
を引っ張る。
「『一番仲良しのボーイフレンド』ね。あ、あなた達、確か二人三脚も一緒の」
女子って、そういうことまで覚えてるんだ。全然知らない仲のはずなのにさ。
「そうです。だから合格でしょう?」
笑顔で答える綾辻さん。
「文句なし」
1と書かれた旗の後ろに並ばされた。
「ひょっとして、僕もこのまま並ぶとか?」
「そうみたいね」
ふふふっと笑う綾辻さん。うれしそうだ。
こっちは、一刻も早く戻りたいのに。もっとも、一人で戻ろうが二人で戻ろ
うが、冷やかされるのは目に見えているけど。
「圧倒的勝利だったわ」
二着が今、ようやく入ったところだった。これで当然だと思う。突然、仲良
しの男子を連れて来いと言われたら、普通なら戸惑うもんだよ。
「何で僕を」
聞いてみた。彼女は間を置かず、簡潔に答えた。
「だって、本当のことでしょう」
くすぐったい気持ちになった。
−−未了