#3266/5495 長編
★タイトル (AZA ) 96/ 5/16 9:57 (200)
クロスユース、クロスユース 1 桜井美優
★内容 06/07/21 03:41 修正 第2版
さて
何から始めようか
僕と僕達が今のようになった、その原因を知ってもらうためには、どこから
始めるとよいだろう
指先が軽く触れただけでこわれかねない、華奢で繊細な造り。そんなガラス
細工にも似て、僕達の心はちょっとした衝撃を受けても、簡単に崩れ、形が変
わってしまう
決めた
やはり、出会いから
始めよう
今から思えば僕は出会いの時点で、すでに引かれていたのかもしれない。
草香さんと僕が初めて会った日よりも前から、拓哉兄さんは草香さんを家に
招いていたらしい。受験のための補習を受けていたせいで、僕は帰るのが遅く
なっていたから、顔を合わさなかっただけ。会えた日はたまたま、教師が急病
で休んで補習がなくなり、早く帰れた。
「君が真人君か」
唇を見つめる。なのに、こちらが溶かされてしまいそうな。危うさを感じて
いたのだと思う。そのときは、気づいていなかった。
年齢が一つ下というだけで「君」付けはやめてほしいとお願いすると、簡単
に聞いてくれた。
「真人」
呼び捨てにされることで、僕は相手と親しくなれたと信じる。
「生意気だろ?」
拓哉兄さん。彼は僕をいつも弟扱いする。事実、歳の差が一つの弟だ、僕は。
だからと言って、兄さんを呼び捨てにして悪くはあるまい。心の中では、ちゃ
んと兄さんと呼んでいるんだし。だからこのときも、声高に叫んでやった。う
るさいんだよ、拓哉は、って。
「うん、生意気。それ以上に、拓哉に似て、かわいい。ははは、ははは」
草香さんが笑う。
「何だよー、それ」
拓哉兄さんも笑った。苦笑い。
「俺がかわいい? 冗談」
「もち、冗談。それよか、宿題」
「ああ」
二人は拓哉兄さんの部屋に入っていった。
ドアが閉まる。かちゃりとした音は、鍵をかけた音? いや、違う。ドアは
閉じられただけ。
どのぐらい二人が親しいのか、分からない。何度も家に呼んでいるぐらいだ
から、きっと、普通の友達という関係よりは、深くて親密なのだろう。
初めて出会った日から、気になり始めた。草香さんが、じゃあない。拓哉兄
さんがどういう風に振る舞い、二人の仲がどう進展するのか。このときは、そ
れだけが気になっていた。
学校が終わって、一目散に帰宅すれば、草香さんが帰る前に間に合うと分か
った。
自分の部屋の壁に耳を押し当て、隣の兄さんの部屋で、二人がどんな会話を
交わしているのか、探ろうとした。でも、家の壁はきちんと防音されていて、
たまに笑い声が響いてくるだけだった。
拓哉兄さんと草香さんは、部屋を出て、帰る間際に会話を交わす。断片的に
耳にできたところでは、草香さんは兄さんと同じテニス部に入っていること、
テニスの腕は拓哉兄さんの方が上だということ、勉強では草香さんが兄さんを
助けていること、草香さんが友人から「そうか、そうか」とからかわれること
なんかが分かった。
何回目だったろう。草香さんのことばかり知ろうとしている自分に気づいた。
そのときは、兄さんのことはもう、嫌でも知っているからだと、簡単に考えて
片付けた。でも。
一歳の差が大きいと感じるのは、例えば今の僕と兄さん達のような、中学三
年と高校一年。通う学校が違うだけでなく、義務教育とそうでないものとの差
もある。高校生の方が自由に見えるのは、錯覚かもしれない。小学生のとき、
中学生が偉く見えたのと同様に。
僕にあの人はまぶしかった。錯覚。
兆しはすでに、僕の内に芽生えていたのだろう。
だけど、それを目に見える形にしたきっかけは、彼女の存在に気づいてから
だと確信する。
十一月、文化祭のために潰れた文化の日の代替休日だった。僕は友達三人と
映画を観に行った帰りだった。
友達と別れ、家を目指していて、見かけた。兄さんと、その右隣に女の子。
茶色がかったソバージュ。人目を引く造作。制服は兄さんが通う高校の物。
草香さんと全く違うタイプだ。
話をしているけれど、内容は聞き取れない。
普段、目にする兄さんと違って、浮かれている。素人芝居かと見紛いそうな
ほど、声高に笑う。目がせわしなく、きょろきょろ動いていた。
すぐにその場を離れた。見つかるとうるさく言われる。
戻ってから、考える。あの人が家に来たことはない。見たのも初めて。
恋人なのだろうか。
疑問がわいた。兄さんは僕の学校の文化祭に来たけど、あの人を連れて来て
はいなかった。拓哉兄さんの隣には、草香さんがいた。
兄さん、どういうことなの。
草香さんは知っているのだろうか。
直接、聞きたい。聞きたいのに、聞けないだろう、恐らく。仮に聞けても、
関係ないとあしらわれる。
関係を作ってしまおうか−−。このとき初めて、草香さんをそのような対象
と見なす意識が、心の片隅に小さな領域を確保した。小さすぎて、どこにある
のか、存在すら不明瞭ではあったけれども。
彼女のことから調べてみよう。思い立つと、すぐに動いた。受験なんて、ど
うでもよかった。
持ち出した拓哉兄さんのアルバムから、彼女の姿を見つけることは容易だっ
た。そして写真一枚一枚に、説明文が入っていた。当然、名前も記してある。
矢田部佳帆。それが彼女の名前。一枚目の説明に、矢田部佳帆とあるのを見
つけたときは、何も感じなかった。だが、ずうっと見ていく内に、感じてきた
気持ち悪さ、はまりの悪さ。
常に「矢田部佳帆」なのだ。「佳帆」にならない。僕は恋人を持ったことは
ない。それでも、彼女の名をフルネームで通すのは、不自然に思えてならなか
った。実際に呼び合うときは、「佳帆」と呼んでいるのだろうか。
もう一つ、気になる。草香さんの写っている分に比せば、矢田部佳帆の写真
の枚数は少なかった。奇妙に感じられて仕方ない。
とにかく、名前が分かった。今度は、兄さんの学校の名簿か、兄さんの手帳
を盗み見れば、彼女の住所や電話番号は簡単に知れる。いつでも手が届く位置
に、彼女を把握しておく。それだけでも、安心できた。
矢田部佳帆の存在以上に、拓哉兄さんのことが分からない。一度しか見かけ
ていないが、矢田部佳帆といる兄さんは、誰の目もはばかることなく、生き生
きとはしゃいでいた。少なくとも、そう見えた。
一方、草香さんといっしょのとき、兄さんは何かを気にしている。そう感じ
られてならない。自分の家の中だというのに、びくびくしている。きっと、外
ではもっと怯えて、草香さんに接している。
直に問い質してみたい。一番楽な手段を取ろうとする意識が、また頭をもた
げてきた。
突然すぎて涙も出なければ、悲しみを感じさえしない。そういうことが実際
にあるものだと実感した。
冬休み初日−−クリスマス当日。僕は知らされた。
前日から出かけていた兄さん。親には、相模京治という同級生の家に泊まり
がけで遊びに行くと説明していた。本当はどうだったのか、僕にも分からない。
相模さんに尋ねてみたが、芳しくない話しか聞けなかった。冬休みに入る三
日ほど前に「アリバイ作り」を頼まれただけで、当日は会っていない。どこで
何をするかについても、一切聞かされていないということだった。
見つけたのは、朝の散歩をしていた老人。街の中心を流れる川沿いに、ぶら
ぶらしていたところ、ふっと川面に目が行ったという。
コートにマフラー。出かけたときのままの格好だった。顔色は恐いぐらいに
青白かった。目も口もやわらかく閉じられ、眠っているように見える。
対面のとき、母が最初に泣き叫び、兄さんの身体をかき抱いた。僕と父は、
遅れてしまい、もう泣けない。
クリスマスイブに街で拓哉兄さんを目撃した人は、見つかっていなかった。
似たような格好の者はいくらでもいるだろうし、聖夜に出かける人達が他人を
気にかけるはずもない。
川べりに争った形跡はなく、また、争いを目撃したという証言も皆無だった。
加えて、兄さんの服装はほとんど乱れていなかったという事実がある。
だめ押しとなったのが、兄さんがアルコールを摂っていたと分かったこと。
恐らく、ビール程度のさして強くはない物と想像されたそうだが、酔っていた
のではないかという推測は、決定打につながる。
事故死、と判断が下された。
僕に納得できるものではない。せめて、兄さんが二十四日の夜を、どこで過
ごすつもりだったのかを突き止めない限り、気が収まりそうにない。その人が
兄さんをどうかしたかは、また別の問題だ。
拓哉兄さんの死を口実に、冬休みの補講を欠席し、真実を探り出すと誓った。
兄さんと僕自身のために。
こちらから出向かなくても、兄さんを送る儀式のため、兄さんの友達は次か
ら次にやって来た。
が、僕がマークしようと決めていた顔ぶれ三人は変わらない。相模京治、矢
田部佳帆、そして草香さん。
相模さんという人は、無口で恐そうな感じがする。体格がよくて、左目を隠
しそうなほどに前髪を垂らしているのが印象に残る。正面に立っていると、そ
の前髪の奥から、じっとにらまれる気がしてくる。
家に泊めてもらうように見せかける嘘を頼まれたとき、何の抵抗もありませ
んでしたか。
「いつものことだったから」
素っ気ない。
兄の様子におかしなところはなかったでしょうか。
「さあ……。いつもと同じ。強いて言えば、クリスマスで張り切っていたんだ
ろうな。少し興奮気味に見えなくもなかった」
当日、兄から、本当はどこでどうするのか、聞いていませんか。
「聞いてないね」
これまでもアリバイ作りを兄から頼まれていたそうですが、そういったとき
でも、兄は本当のことを話しませんでしたか。
「聞いていない。誰にも打ち明けていないだろう」
……兄の本命について、何か。噂でも。
「それも分からないな。矢田部佳帆と付き合っているのは知っていたが、本命
かどうかなんて、自分には分かるはずがない」
兄が酒類を飲むことは知っていた?
「多少は誰だって飲むだろ。酔うほどは飲まないはずだが」
酔って川に転落することは、考えられますか。
「酔いが原因じゃないだろう。考えごとをしてたんじゃないか」
兄が悩みを持っていたということでしょうか。いったいどんな……。
「知らないよ。弟の君が知らないのに、俺が知っていたらおかしいだろう?」
−−相模さんから聞き出せた情報は少なかった。ただ一つ、学校では、拓哉
兄さんは矢田部佳帆と公認の仲だったらしいとは、察せられた。でも、少なく
とも相模さんからは本命だと思われていなかった……。
次につかまえたのは、その矢田部佳帆。
「似てないわね」
薄く笑いながら、彼女の方から話しかけてきた。初めて見かけたときの派手
な印象は、今も変わらない。
「顔は似ているけど、他のパーツが違うわ。中森君はさらさらした黒髪だった
のに、真人君はくせっ毛。少しだけ栗色っぽいし」
君付けされることを、拒絶しないと決めた。別に、この人と親しくなろうな
んて考えていない。
付き合っていましたよね。
「知っているのね? 隠すつもり、ないわよ。それより、どうして知っている
の? 中森君−−お兄さんから聞かされたとか?」
いえ、たまたま見かけたんです。
「そうなの……」
考える仕種を見せる矢田部佳帆。気になったけれど、とりあえず、用意して
いた質問をこなそうと思う。
クリスマスイブ、兄といっしょにいたんじゃないですか。
「……なるほどね」
矢田部佳帆は困ったみたいに笑っていた。質問に答えようとしない。
「ごまかしているんじゃないのよ。−−確かに君は、私と中森君が並んで歩い
ているところを、どこかでたまたま見かけただけに違いないわ。本当のこと、
教えてあげようか」
本当のこと?
「そ、ほんとのこと。でも、ちょっとショック、大きいかもね。中学生には耐
えられないかも」
むっとした。からかい口調もそうだけど、それ以上に、僕の知らない拓哉兄
さんの一面を、この女は知っている……そう思うとむかむかする。
−−続く