#3205/5495 長編
★タイトル (AZA ) 96/ 2/25 13:38 (168)
ハンドルネームはカイン 3 永山
★内容
* *
若井刑事は、機械に弱いということはなかった。パソコン、ワープロ、ファ
ックス、多機能携帯電話といったところも一通りこなせる。
そんな彼も、パソコン通信は初めてだった。いくらか噂でよい面や悪い面を
耳にしているが、どうやればできるのかまでは知らなかった。
書店でパソコン通信の入門書を買ってきて、素人がやるには通信ソフトとモ
デムという機器が必要だと分かった。
今度のことは個人でやっている。だから、経費は落ちないだろう。少なくと
も何らかの結果を出さない限り。若井は自腹を切って、必要な道具を揃えた。
そこまで準備をして、あとは自宅から電話をかけてみるだけという段階にな
って、一年だけ後輩の刑事から、次のような話を聞かされた。
「パソコン通信、やるんですか? それだったら、わざわざ自分で準備しなく
ても、署内にあるパソコンを使って、アクセスできますよ」
若井ががっくりと力を落としたのは、記すまでもない。
それでも妙なところで律儀な若井刑事は、私的な考えを発端とした理由で、
署内からアクセスするのは避けることに決めた。税金の無駄遣いは絶対にして
ならない……というよりも、これまでの自分の努力を無にしたくなかったせい
かもしれない。
(うまくつながってくれよ)
「フレンドリー」の電話番号へダイヤルしながら、大げさに祈る若井。
だが、回線が混雑しているのか、何度もかけ直す羽目になった。
ようやくアクセスに成功したのは、ダイヤルし始めてから三十分以上経過し
た頃。すでに若井の方は、待ちくたびれて、うたた寝しかけていた。
マニュアルとパソコン画面を交互に見、ゆっくりと操作していく。五分以上
応答しないでいると、ホスト局の方が回線を切ってしまうと聞いていたから、
何だか緊張していたのだが、初めてみると割と余裕があったのでほっとする。
「ここか」
目的のボードにたどり着いて、声を上げる若井。
「一般掲示板の、募集ボードの、えーっと、一六五四番だな」
確かめるように口に出しながら、若井は入力していく。
やがて画面に、メッセージ番号一六五四番の内容が示される。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
>#1654/1702 募集ボード
●タイトル (*KN38942) 95/ 5/ 7 4:44 ( 5)
募集>交換殺人しませんか? カイン
●内容
メッセージを読んでくれてありがとう。私はカインと言います。
交換殺人について、今ここでは、何も説明いたしません。興味のある方は、
あなたが殺したいと考えている人間一人の名前や住所、年齢、職業等、詳しい
プロフィールを、電子メールの形で私に知らせてください。当方が応じられそ
うな条件の方に限り、返事を差し上げたいと思います。どうか、よろしく。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
「……」
漫画めいた内容に、若井は言葉をなくしていた。何度か口をぱくぱくと動か
し、粘っこい唾をごくりと飲み込んだ。
(こいつはぁ、まじだな)
一人うなずく若井。投書にあった通りの文章が現れたからだ。
(匿名の投書だったから、中身もいい加減なもんだと考えていたんだが、どう
やらこれはガセじゃない。日付も事件発生より以前だから、事件後、誰かが悪
戯で登録したもんでもないのは明らかだ)
膝の上に置いた問題の投書のコピーを眺めつつ、若井は唇をきつく結んだ。
そして煙草に火を着けると、これからどうすべきか、ゆっくりと考え始めた。
その朝、新聞に、青山は待ち望んでいた記事を見つけた。
「やった……」
記事は比較的小さな見出しで、以下のようにあった。
<パソコン通信で殺人募集
十七日の午前十一時頃、**区**のアパートS荘の一室で、入居人の阿部
竜太郎(三〇)氏が死亡しているのを、部屋を訪れた警察官ら数名によって発
見された。警察は今年六月に起こった会社員の新山和也さん(四四)が殺害さ
れた事件の重要参考人として、阿部氏を訪ねたところだった。
警察の発表によると、阿部氏はパソコン通信商用ネットの一つである「フレ
ンドリー」に加入しており、そこの電子掲示板(用語欄参照)に今年の五月七
日、不特定多数の人に交換殺人を持ちかけるメッセージを掲載していた。この
呼掛けに反応して、阿部氏に連絡を取ると、「自分が殺したい相手」を阿部氏
側に伝える一方、「阿部氏の殺したい相手」として新山和也さんの名前が伝え
られてくる仕組みになっていた。実際に阿部氏が交換殺人を行っていたかどう
か等について、警察はさらに捜査を進める方針。>
続いて、とある私立大学の教授やメディア評論家とやらのコメントが載って
いた。有識者の見解ということだろう。
それらは適当に読み流し、青山は事件に関する部分を再読した。
「カインは死んだんだ……ああ、そうさ」
新聞から顔を上げ、ほっと息をつく青山。
(会員に関する情報を守る義務とかで、ホスト局の方が警察に協力しないかも
と思ってたけど、やっぱり、あのメッセージが残っていたことが決め手になっ
たんだろうな。カインも案外、間抜けじゃないか。あの呼掛けメッセージを削
除してさえいれば、「フレンドリー」だって警察に協力しなかったかもしれな
いのに)
そんな間抜けな男に、言いように手玉に取られていたのだと思うと、馬鹿馬
鹿しくて自分を笑えた。
(それにも増して、警察が動いたと察知−−察知したのだろう−−したら、カ
インの奴、あっさりと自殺するなんて……これも意外だったな。交換殺人の相
手をパソコン通信で募集するぐらいだから、相当に自信満々の奴かと思ってい
たのに、単なる思い込みだったのかね。
さて、久しぶりにアクセスしてみるかな。投書してから、何だか恐ろしくっ
て、遠ざかっていたけど、カインがもういないんなら、いいだろ。ひょっとし
たら、警察の方にカインとメールのやり取りをした人間として、自分の名前が
伝わっているかもしれないな。でも、それは通信しようがしまいが同じことさ。
聞きたいことがあるんなら、直接、警官がここに来るだろう)
いくらか逡巡してから、青山は「フレンドリー」にアクセスしようと決めた。
「お」
メニュー画面、いきなり「電子メールが来ています」の表示があった。すぐ
に頭をよぎったのは、事件の関係で、事務局から何か言ってきたのではないか
ということ。ともかく、その内容を確かめてみる。
届いていた電子メールは一通だけで、発信者は「フレンドリー」事務局では
なかった。その点では安心できた青山。だが、まだ安心し切ってはいない。
「アベル?」
メールの送り主は、青山にとって未知の人物であったからだ。覚えがないの
は、その名前ばかりでなく、ID番号についても同様である。加えて、文書名
も「アベルより」となっていた。
「まさか、警察関係者とかじゃないだろうな」
頭に浮かんだ思い付きを口に出してみた。が、この考え方はすぐに打ち消さ
れる。事件の参考人に対して、警察関係者が個人的に、しかもパソコン通信と
いう媒体において語りかけてくるなんて、聞いたことがない。まず、ありそう
もない話だ。
(じゃ、誰なんだ)
そんな思いを強くしつつ、青山はメールの中身を見ることにした。
「えっと……」
読み始めた青山は、すぐに絶句してしまった。メールの文面は、次のように
なっていた。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
#28127589 95/ 7/ 17 11:11:11
発信者:*BR24342 アベル
受信者:*PT70561 ブルーマウンテン
文書名:アベルより
青山君、どうして私の忠告を守らなかった? 忘れろと言ったはずだよね。
それなのに警察に密告だなんて、ひどいんじゃないかね。おかげで私は一人余
計に、人を殺さざるを得なくなったんだよ。
阿部君はいい奴だった。君は知らないだろうがね。途中で怖じ気づいた君な
んかと違い、阿部君はずっと真剣に応じてくれ、遂に新山和也を殺してくれた
のだ。そんな友をこの手にかけねばならないなんて……。
お馬鹿の青山君にも、もう分かったろう。私の正体はカインだ。
IDが違う? それはそうだ。私が一つしかIDを持っていないとでも思っ
ていたのかね。
一つ、いいことを教えてあげよう。この間まで使っていたカインのIDだが、
あれは阿部君のIDなのだよ。私と阿部君が知り合ったのは、今度の交換殺人
事件のことがきっかけではないのだ。もっと以前から彼を知っていてね、私は
彼の家に行ったこともある。そのとき、ちょっとばかり小細工をしたのだ。通
信ソフトに自分のIDやパスワードを登録するものだ。無論、パスワードは簡
単には見えないようになっているが、なに、通信ソフトごとコピーしてしまえ
ば、簡単に手に入るのだよ。私が阿部君のIDを使っているのに、彼はまるで
気が付かなかったらしい。この点でも、いい友達だったんだがねえ。警察が来
るのなら、彼に身代わりになってもらうしかないじゃないか。
さて、今回、君にメールを出した理由はただ一つ。
警告。
忠告ではない、警告だ。前回の忠告を守らなかった君に言っても、馬耳東風
ってとこだろうが、一応、警告してやろう。いいかい、よく読むんだぜ。
『次はおまえを、交換殺人で殺してやる』
せいぜい、注意したまえ。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
読んでいる内に、青山の歯の根は合わなくなっていた。がちがちと音を立て
ている。
「な、何だよぅ……」
どうにかそれだけ言ったが、あとが続かない。パソコン通信にコマンド入力
することも忘れ、じっと画面に見入ってしまう。
(死、死んでなかった、カイン……。殺しに来る……だって?)
まさかと思い、笑おうとする青山。だが、ひきつってしまい、うまく笑えな
い。
(じょ、冗談だ。冗談に決まっている。今度の事件を知った、誰かの質の悪い
いたずらさ。は、はは)
声にならない笑い声を出そうとしたそのとき、不意に音がした。部屋のドア
がノックされた音。
「……ど、どなた?」
びくっとしながらも、椅子から立ち上がる青山。
返事はない。
「名前、言ってくださいよ」
何も応答はない。
「返事しないんなら、開けませんよ」
奇妙な静寂が続く。
「誰なんだよ!」
それを打ち破るかのように、青山は叫んだ。すると……返事があった。
「私は−−カイン」
−−終