#3139/5495 長編
★タイトル (AZA ) 95/ 8/30 8:35 (200)
まだ死なれては困る 12 永山智也
★内容
「はは、変なところで期待されちゃってるんだな」
ここで言葉を切ると、西山は唐突に立ち上がった。
「どうしたんですか?」
「あ、ちょっと失礼して、電話をかけさせてもらうよ。約束があったんだ、劇
団のことで決めなきゃならない話が」
言いながら、彼は奥に消えた。
間があって、声だけは聞こえてきた。
「あ? ああ、レイジか。俺。そうそう、その話。手配しといてほしいんだ。
ん? 結婚するからって? なまけてるんじゃないよ。マジで忙しいんだ」
高い笑い声。そんな会話がしばらくあって、
「じゃ、頼んだぜ」
で、終わった。
「待たせたね」
と、佳子のいる部屋に戻ってくる西山だったが、そこへ電話のベル。
「誰だろう?」
と言いながら、西山は送受器にぱっと飛びついた。あまりにも素早い動きで、
佳子は見ていて吹き出しそうになる。
「はい、横澤です」
これも自然な調子で、西山は横澤と名乗っていた。そう言えば、結婚してか
らどちらの姓を名乗るつもりなのか、聞いていなかったなと、佳子は思った。
「はあ、西山は僕ですが。はい、『灯火』っていう劇団の主宰者は、僕ですが。
……ええっ?」
不意に叫ぶ西山。
なるべく聞かないようにしていた佳子も、身を乗り出した。つい、耳をそば
だててしまう。
「さあ、何かの手違いだと思いますが……。いえ、その担当の者はここにはい
なくて、別の場所にいますから。とにかく、もうしばらく待っていただけます
か。そいつにかけ合ってみますから。ああ、どうも。すみません、どうかよろ
しく」
ようやく電話は終わった。電話の向こうの見えない相手に向かって腰を曲げ
ている西山の姿を、簡単に思い浮かべることができる。そんな声の調子だった。
「どうかしたんですか?」
佳子の言葉に、かぶせるようにして西山が返事をよこす。
「悪い、佳子ちゃん。急用ができた。今から出かけなくちゃならない」
「少し聞こえてしまったんですけれど、劇団のことでですか?」
「ああ。ちょっとしたトラブル。まあ、大丈夫だろう」
外出の準備を始める西山。
佳子は立ち上がって、じっとしていた。相手の言葉を待つ。
「佳子ちゃんはどうする?」
「えっと」
「紀子を待つのなら、いてもらってもいいよ。指輪を直す他に、いくつか寄る
ところがあると言っていたから、少し遅くなるかもしれないけど」
「あ、そうなんですか。だったら」
佳子はソファに置いていた自分の荷物を手に取った。
「出直してきます」
「そう? 悪いね」
ばたばたと慌ただしい西山。
「いえ、事前に連絡してなかった私も悪いんですから。またいつか寄せてもら
いますから、そのときは」
「ああ、そうしよう。じゃ、僕はもう出かけるから、玄関の鍵、閉めておいて
もらえるかな」
「はい、分かりました」
佳子が答えると同時に、西山は飛び出していった。
(何があったのかしら?)
佳子は念のため、戸締まりを確認しながら、そんな風に思う。
(よく分からないけど、大変らしいわ、素人の劇団っていうのも。お姉ちゃん、
飽きずにやっていけるのかしら)
戸締まりを終えた佳子は、軽く手をはたいてから、外に出た。
「何はともあれ、幸せになってよね、お姉ちゃん」
そうつぶやいてから、玄関を離れると、小雨の中、スキップするように佳子
はかけ出した。
5 転換
その女を見ると、私は目をそらしたくなった。
次の作品のアイディアを練るのも兼ねて、ぶらりと夕暮れどきの散歩を楽し
むつもりだったのだが、今となっては、楽しむどころではない。本心では、く
るりと向きを換え、すぐにでも逃げ出してしまいたかったのだが、他人の目も
あって、そんなことはできるものでない。
なるべく何気ない風を装いつつ、私は女のいる方を見据えた。
「あら、角坂さん」
吉本利恵の方から声をかけてきた。その右手は娘のるいを引いている。
「どうも」
私は改めてこんな時間に散歩をする気になったのを後悔しながら、型通りの
挨拶を口にした。
「小学校の帰りですか」
「そうなんです。最近、この辺も物騒になったでしょう。だから、子供を迎え
に行ってるんですよ」
「ええ、そのことは知っています。毎日、大変ですよね。失礼かもしれません
けど、女手一つで育てることもあるし」
言いながら笑顔を作る。と、視線を感じた。小学生のるいが、こちらをじっ
と見つめている。母親の芝居がかったような明るさとは対照的に、この子供に
はあまり表情の変化がない。
「大変なんてこと、ありませんわよ。娘の安全を思えば、これぐらいは……。
ねえ、るいちゃんもお母さんが迎えに来るの、嬉しいでしょ?」
「うん!」
ようやく、女の子は声を発した。とびきり大きな、元気のよい声だったが、
それでも表情には変化が見られない。それからまた、その子は私に視線を向け
てきた。
わずかに沈黙があった。周囲で井戸端会議に懸命な奥様方の声が耳に入る。
私達が話している内容までは気が回っていないと願いたいものだ。
「いい返事だったね。ご褒美にこれをあげよう」
私は胸ポケットに入れていたチョコレートを取り出した。夕方の今でも気温
はかなりあるが、「溶けにくい」がうたい文句の銘柄だから大丈夫だろう。
「ありがとう」
私の手から引ったくるようにしてチョコレートを奪うと、子供はかすかに笑
ってそう言った。
「まあまあまあ、どうもすみません」
利恵がまたも大げさな物言いをする。娘には、知らない人から物をもらって
はだめと、しつけているんだろう。
「いえ、大したことじゃ」
「でも、こんなこと、これまでに何回もしてもらったでしょう」
「本当にいいんです。じゃあ、私はそろそろ戻らないといけないので」
うっとうしくなった私は、話を切り上げた。相手に「その気」がないのであ
れば、我が精神衛生上、よくない会話を長く続けることもあるまい。
「そうですか。またいつか、お返しさせてもらいますわ」
頭を下げながら、利恵が言った。お返し、という言葉に微妙なアクセントが
あったと私は感じた。
テレビではニュースをやっている。何番目かの項目で、児童連続殺害事件の
続報があった。
『先日、四人目の犠牲者を出しました、いわゆる児童連続殺害事件について、
警視庁は記者会見を行い、新たな情報として次のことを発表しました。
まず、第四の被害者・岩里美保子ちゃんの衣服に付着していた毛髪から、毛
髪の持ち主の血液型をB型であると割り出しました。警察は、この毛髪が犯人
の物であるかどうかは明確にしておりませんが、その可能性もあると見て、今
回の情報公開に踏み切った模様です。
次に、四番目の事件の遺体発見現場周辺で目撃された、チェックのハンチン
グ帽を被った、サングラスの男性の似顔絵を公開しています。これがその似顔
絵です』
そう言ったまま、固まったようなアナウンサー。手違いがあったのか、なか
なか画面が替わらず、少し焦りの表情。
三秒ほど経過して、ようやく画面が切り替わった。白地に黒一色で描かれた、
年齢のはっきりしない茫洋とした男の上半身がいっぱいに映し出される。
この絵がどの程度正確なのか分からないが、帽子にサングラスをしていたと
あっては、誰にでも当てはまりそうだなと思った。例えば、私にでも……。
似顔絵が映し出されたまま、アナウンサーの声が流れる。
『男の身長は一七〇〜一七五センチ、比較的やせ気味。サングラスは薄い茶色
系統とのことです。警察は、この男性が事件に関係しているのではないかと見
て、調査を続けています。心当たりのある方は、ぜひ、捜査にご協力ください』
再び、アナウンサーの顔が大写しにされた。彼はニュース原稿に目を落とし、
軽く深呼吸した。
『最後に、第三の被害者・飯島良彦君の、未発見のままだった右足の靴が、*
*区の公園の池から見つかりました。この公園は飯島良彦君が通う小学校への
通学路沿いとなっており、下校途中、良彦君がこの公園で一人でいるところを
犯人に襲われ、遺体発見現場であるP川の河川敷まで車か何かによって運ばれ
た可能性も強いと見て、警察では目撃者捜しに全力を注いでいます。
以上、児童連続殺害事件に関連したニュースをお伝えしました。なお、この
事件については、明日午後八時からの特集番組<児童連続殺害犯に迫る!>で、
詳しくお伝えする予定です』
アナウンサーの言葉につられ、壁の掛け時計を見た。
七時三十五分。ボクシングの世界タイトルマッチが始まる時刻だ。試合開始
はまだ先だろうが、残りのニュースも面白くなさそうだったので、さっさとチ
ャンネルを替えることにした。
ボクシングは両選手の控え室の様子をリポーターがそれぞれ伝えるという、
お決まりの作りで始まっていた。
試合開始まで退屈だったので、私はつい、先ほどの児童連続殺害事件の報に
思考を走らせた。
この事件、似たような犯罪がここ十年ほどの間に増加の傾向を示しているせ
いもあってか、世間一般にも関心が高い。それに加え、第四の事件が隣町で起
こったので、私に限らず、この町の人のほとんどはより強い関心を持って受け
止めていると思われる。その証拠に、近くの小学校では、第四の事件発覚以前
までは児童の集団下校程度にとどめていたのが、第四の事件以後はできる限り
保護者に子供を迎えに来てもらうようにと、指導を強化するほどだ。
ここで私は夕刻のことを思い出してしまった。吉本親子と会ったあの出来事
だ。今日は比較的、気分のよい一日だったのに、あのことだけで気分のよさが
半減してしまったような思いがする。あの女のおかげで、私の精神状態は不安
定になっているのだ。
『さあ、試合開始! まずは第一ラウンドです』
実況の威勢のよい声が、耳に飛び込んできた。いつの間にか、二十分ぐらい
経ってしまったらしい。
私は、嫌な思いを払拭すべく、頭を横方向に何度も振ってから、ボクシング
中継に意識を集中させた。
夜遅く−−原稿が一段落し、もうそろそろ寝ようかという時間になって、電
話が鳴った。旧いダイヤル式の黒電話で、けたたましい音を立てる。
「誰だ、こんな時間に」
私は電話の呼び出し音に、常に嫌な予感を抱くのだが、このときは特にそん
な気持ちが強かった。無論、時間の遅さがその理由である。
「はい……どちら様でしょう」
自分から名乗りたくない気性なので、私は電話口ではいつも、そう切り出す
ことにしている。
「そちらは、作家の角坂剛毅さんのお宅でしょうか?」
電話の向こうの相手は、私のことをフルネームで呼んだ。そんな呼び方をす
るのは、ファンの中にもいるのかもしれない。だが、その特徴ある声から、私
は相手が誰だかすぐに分かった。
「そうですけど、そちらは?」
私はあえて問い返した。嫌な事態はなるべく先送りにしたいものである。そ
れが心理的に作用したらしい。
「分かっているくせに」
女の声が、こちらの心を見透かしたように流れてきた。一人住まいの静かな
家全体に、それは響き渡るかのような、地獄からの催促。そんな風に思えてく
る。全く、小悪魔のようだ……。
「……」
私は恐怖をこらえつつ、沈黙を続けた。少しでも虚勢を張っていたかった。
それがどれだけ自分にとって有利になるか、効果は疑わしいが。
どのくらいの時間が経ったのか定かでないが、さほど長い時間ではなかった
ろう。根負けしたかのように、ようやく相手が声を出した。
「私、吉本よ」
不機嫌そうな口調。私は少しぞっとした。慌てて、
「ああ、吉本さん」
と、猫なで声になって応じる。固い口調だなと、自分の耳でもおかしく聞こ
えた。どうしてこんな相手に、びくびく、ぺこぺこしなけりゃならないんだ!
自分自身に腹が立ってしまう。けれども、ぺこぺこしなければならない理由は
厳然としてあるのだ、私と女との間に。
「『ああ』、じゃないでしょっ! 私の声、あなたが忘れるはずがないのよ。
そうに決まってるんだから」
−−続く