#3137/5495 長編
★タイトル (AZA ) 95/ 8/30 8:29 (200)
まだ死なれては困る 10 永山智也
★内容
(あの邸で紀子と一緒に暮らすようになってから、すぐだった。あの日、劇団
の仕事を終えて帰ってきたら……)
忌々しそうにうなる西山。
(いつもは明るいはずの家の中が、あのときは暗かった。その時点で嫌な予感
はあったんだが……)
西山は回想に入っていった。現状の苦しさを忘れようとするかのように。
* *
あの日、邸は暗かった。玄関には鍵がかかっていなかったから、紀子が出か
けたのでもなさそうだ。
きっと、うたた寝でもしてしまったのだろうと、それでも楽観的に考え、西
山は中に入った。だが、いくら呼んでも、紀子からの返事はない。
おかしい。初めてそう思った西山は、家の中をざっと観察した。どこにも荒
らされた様子は見当たらない。泥棒や強盗の類でもなさそうだ。
次に、彼は玄関へと引き返す。紀子の靴が揃っているかどうかを見るためだ。
もしもなければ、家を飛び出したことになる。もっとも、飛び出されるような
理由に、西山は全く心当たりがなかったが。
そして、靴はあった。紀子は出かけているのでもない。
「紀子!」
もう一度、大声でその名を呼んでみる。反応は、耳が痛くなるほどの、しん
とした静けさしかなかった。
「まさか……」
彼は言葉を飲み込んだ。まさか、急病か何かで邸のどこかに倒れているので
はないだろうか。そう続けようとしていたのだ。が、口に出すより行動優先だ。
二人には広い邸内を、西山は一人で、必死に駆け回った。薄暗くなっている
こともあり、いちいち部屋の明かりを灯していかねばならない。それがまた面
倒であり、特にグロー球の点灯の遅さには焦れったくなる。彼をより一層、い
らいらさせる要因の一つとなっていた。
いくつ目の部屋であったろうか。彼は、ついに婚約者の姿を発見した。横澤
紀子は、浴室で倒れていた。冷たく光っているタイルの上、紀子はうつ伏せに
倒れ、身体をやや曲げていた。
浴室内に、ぽっと浮かび上がった紀子に、西山は慌てて近寄った。
「紀子!」
気をしっかりさせようと、彼は紀子の肩に手をかけた。が、触れてみて、そ
の体温の低さに、西山はびくりと手を引っ込めてしまった。
「の、紀子……」
信じられない。そんな感情が、一挙に身体の内に広がる。この体温は、生き
ている者のそれではない……。
だが、すぐにあきらめた訳では、もちろんなかった。西山は、うつ伏せ状態
にあった紀子の身体を少し持ち上げ、その左胸に耳を当てた。
(お願いだ、鼓動よ、聞こえてくれ)
祈るような気持ちであった。が、それは無惨にも、即座に却下されてしまっ
た。紀子の左胸の下からは、何の活動も示されてはいない……。
叫び出しそうになる西山。だが、そこでぐっとこらえた。
無意味だとは分かっていたが、さらに念のためとばかり、脈を測ってみる。
結果は同じだった。
(……死んだ、のか)
目の周りが熱くなるのを、彼は感じていた。視界もぼやけてきている。ああ、
涙が出るんだな。自分は紀子のこと、本気で考えていたんだ。放心状態のまま、
西山は自己分析をしていた。
それも短期間で終了した。我に返った西山には、するべきことができていた。
腑抜けている場合でない。
「……このままにはしておけない」
次の行動に移るための起爆剤のつもりか、彼は決意を声に出した。
(四月……か)
腕時計のカレンダー機能で、その日の日付を確かめる西山。彼はごくりとつ
ばを飲み込んだ。−−やるしかない。
「どこかに運ばないと」
再び声に出しながら、西山は倒れている婚約者の手首を取る。
冷たい。
先ほど、心音がないことも脈がないことも、確認済みである。だから、紀子
がすでに息絶えている事実を、頭では理解している。それでも、この冷たさに
は、改めて鳥肌が立ってしまう。
彼は場所を変えた。足の方へと回る。しばらく見つめてから、思い切って彼
女の両足首の辺りを握ってみる。
西山の手に伝わってくる冷たさは、手首のそれと同じだった。だが、足には
ストッキングがあるせいか、精神的にかなり楽であるように感じられる。これ
なら何とか……と、西山は意を強くした。。
「とりあえず、このまま引きずって行くしかないか」
ため息が出た。
しかし、意志ははっきりと固まったため、ここでようやく、彼は言葉を口に
出さなくなった。
(しかし、どこに隠す? 遺体が少しでも傷まないような、それでいて人が滅
多に近寄らない場所……)
様々な場所を思い浮かべる西山。
(邸の外に運び出せるだろうか? 真夜中になるのを待って、車に移して……
できないことはないみたいだが……もしも、誰かに見られては、元も子もない。
だいたい、車で運んでいるとき、万が一、警察の検問に引っかかりでもしたら、
一巻の終わりじゃないか。これはやめた方がいいかもしれない)
彼は他の手法を模索する。今や、彼の脳裏はスクリーンと化し、画像が映し
出されては消えていっている。
(邸の敷地内に埋めるか。いや、だめだ。発見されたときに言い逃れできない
ことが第一。それにやはり、埋めているところを誰かに見られる危険性がある)
浮かんでは消える案。
(このままにしておく訳にはいかなない。いずれ誰かが訪ねてくるのは間違い
ないんだからな。将来、遺体が発見されることは避けがたいが……何かないか)
すっくと立ち上がると、彼は懐中電灯を持ち出してきた。邸の中の『探検』
を始めるつもりなのだ。
西山は同居を始めてからも、この大きな邸−−自分の物ではなく、横澤紀子
の物である邸−−の全てを、隅々まで見て回ったことがなかった。
希望はある、と思い込むことにして、彼は一歩を踏み出した。まずは屋根裏
と地下一階を調べることにしよう。
物置となっている階段裏。その横手に、小さな扉がある。それを開けると、
そこにまた階段が設置してあった。狭いが、大人一人、どうにか通れる。これ
を昇って屋根裏へと出られるはずだ。
電灯の類は備えられていない。懐中電灯の明かりだけを頼りに、西山はきし
む階段を進んで行った。
そして、蓋のような四角い扉に突き当たる。手で押してみると、それは存外、
簡単に開くことができた。通じた穴から上半身を出すと、屋根裏の様子が窺い
知れる。
屋根裏は、さほど広くはなかった。
確かに、屋根裏『部屋』と呼べそうな、それなりの空間はある。例えば物語
にあるように、虐げられたメイドが寝起きをさせられるには、ぴったりかもし
れない。
しかし、手入れがなされていないこともあって、屋根裏部屋の床には、ほこ
りがうっすらと積もっていた。見た目には乾いた感じがするのだが、実際には
むっと空気がこもっている。
(だめだ)
心中、西山は吐き捨てた。
(ここに遺体を安置する訳にはいかない。すぐに傷んでしまう。傷みが激しく
なると、板の隙間から下に漏れ落ちることもあるかもしれない……。そもそも、
ここまで遺体を運び上げるのが重労働だ)
そんな判断を下すと、ここにはもう用がないとばかり、西山は下がり始める。
次は地下にいくつかあるという部屋を探したいところだが……。
西山が、明らかに遺体を運び込むのに不便な屋根裏部屋から調べに当たった
のには、理由があった。彼は、地下への入口がどこにあるのか、紀子から知ら
されていなかったのである。
(どうしたものか……佳子ちゃんなら知っているかもしれないが、いくら何で
も、いきなり電話で聞いても、教えてくれないだろうし……。紀子の前の旦那
が知っているそうだが、そいつに聞くのも無理がある。やはり、自分の力で見
つけ出さないといけないのか)
肩を落とす西山。
(これならいっそのこと、思い切って車で運び出した方がよくないか? 夜中
になるのを待って、紀子の身体を車庫まで運ぶ。そしてすぐに出発。どこに運
ぶかは、安易には決められないが、見つかるかどうかしれない地下の部屋を当
てにするよりも、よっぽど確実かも。地下に移したとしても、いつかは外へ運
び出さなきゃならないんだしな)
そこまで考えてから、ふっと、否定の思考が働く。
(いや、まずい。外に遺体を運び出すということは、自分の監視下に置いてお
けなくなるということだ。それは避けたい。
万が一にも外で遺体が発見され、身元や死亡推定時刻が割り出されたとする。
当然、警察は俺に話を聞きに来るだろう。そうしたら、俺が紀子の死んだ日の
夜遅く、車で出かけたという証言をする奴が、隣近所から出る恐れがある。
計画が確立していない内は、少しでも危険は回避すべきだ。そう、芝居と同
じだ。万全でない脚本で動き始めると、舞台全体が失敗するようなものだ)
西山は、地下に固執することにした。
常識をもって推測すると、地上と地下とをつなぐ出入口は、一階にあるはず
だ。西山は、一階をくまなく見て回り始めた。
(屋根裏へは、階段の内部にあった階段で行けたんだから、地下への階段も、
地上の階段の側にあるかも)
浅知恵だなとは感じながらも、いささかの期待を込めて、西山は階段の周囲
を調べてみた。
(……ない)
気が付くと、小一時間が経っていた。それほど集中して探したにも関わらず、
地下への階段は見つからなかった。
西山は額に浮かんだ汗を拭い、他の可能性を探る。
(地下……と言えば、イメージは……暗い、狭い、息苦しい……秘密、隠れる
……ひんやりしている)
ぴんと来るものがあった。
(ひんやり? そう言えば、地下の空間を貯蔵庫として使う例があったよな。
氷室もそうだったか? うん、とにかく考えてみよう。小金持ちなら地下室を
作るのにも、何らかの実用性を持たせておかしくない。その一つとして、何か
の貯蔵という用途は考えられないか)
このとき、西山は、紀子の遺体を貯蔵する、というイメージを頭で作り上げ
てしまった。が、それは一瞬にして振り払われた。
(……貯蔵といえば、食べ物だ。キッチンから地下の貯蔵庫に下りていけるよ
うな造りになっていれば、便利だろう。よし、次はキッチン並びに食堂だ)
結論を出すと、西山は急ぎ足でキッチンへと向かった。
きれいに整頓されたキッチンは、もう使用されることがないかもしれない。
少なくとも、紀子が使うことはあり得なくなった。そう考えて、腹の底に重た
い物を感じた西山だったが、今はそれどころではなかった。壁や床に張り付く
ようにして、継目のようなものがないか、目を凝らしていく。
十分ほどで、案外簡単に、それは見つかった。冷蔵庫の手前一メートルほど
の位置に、正方形のマットが置いてある。それを取り上げてみると、下には目
当ての四角い切り込みがあった。
その蓋にある窪みに手をかけると、これもさしたる力も必要とせず、簡単に
開いた。施錠されていなかったのも幸いだ。
新たにできた穴の中には、セメントでできた灰色の階段が、やや急角度で闇
へと消えていた。
「こんなところ……あったのか」
感心しながら、つい、声に出してしまう西山。懐中電灯のスイッチを入れ、
注意深く、第一歩を踏み入れた。
こちらの空間は屋根裏とは正反対で、ひんやりとした空気に満ちていた。西
山の思惑通りだ。
階段を降りきったところで、西山は壁にスイッチを見つけた。何のスイッチ
かは分からなかったが、危険な物ではないことは容易に想像できた。用心のた
め、眼前に広がる部屋の天井を照らしてみる。
(電球がある)
スイッチを跳ね上げると、その白色電球が、やや時間をかけて点灯した。広
くない地下室全体を照らすには、それだけの明かりで充分と言える。
懐中電灯の方は消してから、西山は部屋を見渡した。白く、大きな直方体が、
部屋の隅に突っ立っていた。その後ろ、下方から電気のコードらしき線が延び
ている。
(これはちょうどいい。天の配剤ってやつになるかもしれない)
こんな緊急事態の真っただ中にあるにも関わらず、西山は、笑みを浮かべる
ほど、この発見に喜んでいた。
その直方体の箱は、大型の冷蔵庫−−正確には冷凍庫だった。並の大きさで
ない。高さ二メートルあまり、幅も通常の倍はありそうだ。特別製か。
西山は逸る気持ちでその前に立つと、扉を開いた。黄色い光が中からこぼれ、
冷たい空気が白く、溢れ出てくる。西山の杞憂をよそに、ちゃんと電気は通じ
ており、また、故障もしていないようだった。中に入っている物はなかった。
次に、西山は、自分の半身を冷蔵庫の中に収めるポーズを取る。
(板を取り払えば、人一人ぐらい、楽に収まりそうだ)
満足してうなずく。もしもスペースに不都合があれば、紀子の身体を解体せ
ねばならないかと、心配していたのだ。
西山は、内部の板を全て取り外すと、扉を閉じた。そして遺体を運び入れる
ための通路を確保するため、今しがたたどった道を戻り始めた。
−−続く