#3136/5495 長編
★タイトル (AZA ) 95/ 8/30 8:26 (200)
まだ死なれては困る 9 永山智也
★内容
相手が西山だと分かるなり、佳子は泣きそうな声になっていた。実際、寝付
きの悪い日が続いていたほど、彼女の不安は彼女の内で広がっていたのである。
電話口の向こうで、西山は面食らったような反応を見せた。
「お、おい。泣かないでくれよ。今度の電話は、いいニュースなんだ」
「いいニュース?」
期待できそうな台詞を耳にし、佳子は気を落ち着かせた。(これで、その『
いいニュース』とかが、くだらないことだったら……許さないから、西山さん)
そんな強迫じみたことを考えながら、次の言葉を待つ彼女。
「ああ、最高にいい知らせだよ。紀子が見つかったんだ」
誇るように言った西山。佳子の前では、滅多に婚約者のことを呼び捨てにし
ない彼も、今は興奮しているのだろう、『紀子』と言っている。
「本当に!」
両手で送受器を握りしめる佳子。声も自然と高まった。
「嘘なんか言うものか。片っ端から宿泊できるところ−−特にあまり流行って
いそうにないところを訪ね歩いていたら、割合に早く見つけられたんだ」
「それより」
と、佳子は西山を讃えるよりも先に、当然のことを要求する。
「お姉ちゃんの声を聞かせてくださいよ。電話を替わって」
「それが……」
不自然なほど唐突に、西山の声はトーンを下げた。
「どうしたんですか」
「今は、紀子は側にいないんだ」
「え? まさか西山さん、すぐに逃げられたとか……」
変な言葉の使い方だと思う。しかし、焦っている佳子に言葉を選んでいる暇
などなかった。
「いくら何でも、それはないよ。紀子はちゃんと部屋にいるし、僕達は仲直り
もした。ただね、まだ身内の人−−つまりは佳子ちゃんや浜田さんのことなん
だけど−−に疑われたことを根に持っているみたいでね……。その、何て言う
か、まだ話したくないって言うんだよ」
「そんな! 私はお姉ちゃんを応援しているわ」
「分かってる。多分、紀子もそうだろうと思う。紀子が許せないのは、主とし
て浜田さんの方らしいんだ。だから、佳子ちゃんは何も気に病むことなんかな
いさ」
「だったら!」
相手の慰めの言葉は無視し、佳子は怒るように言った。
「だったら、私の電話の相手ぐらい、してくれたっていいじゃないですか!
そうでしょう? 西山さん、お姉ちゃんに言ってください」
「言ってもいいけど、恐らく無駄になると思うよ」
言いにくそうな西山。
「何故です?」
「紀子は君のことはほとんど、いや、全く警戒していないだろうさ。でも、君
に色々と話して説明しちゃうと、それが浜田の叔父さんに伝わるのが嫌だって、
そういう意志らしい。だから、どんなに言われても、今は話したくない、と」
「……勝手だよ」
低い声音が、佳子から出た。
「分かった、もういい。いいです。でも、これだけはお姉ちゃんに伝えてくだ
さい。せめて私は信じて。私、お姉ちゃんの幸せを願ってる、味方なんだって」
しゃくり上げそうになりながら、どうにかこらえる佳子。かすかだが、送受
器を握る手が震えていた。
「分かった……悪かったね、佳子ちゃん。ちゃんと伝えるから、今日のところ
は僕達のこと、勘弁してほしい」
「……はい」
線は切れた。
4 思惑
殺人という行為を犯した者−−彼あるいは彼女は、普通、死体の発見が遅れ
ることを望む。できることなら、永久に死体が発見されないのがよい。死体さ
え表面に出てこない限り、殺人事件そのものが成立しないままだからである。
捜査側からいくら灰色と見られようとも、事件が成り立たない以上、犯人とさ
れることはない。
一方、自分の大切な人−−例えば恋人を殺された者は、一刻も早く、事件を
警察に通報し、捜査に協力するのが当たり前であろう。遺体が見つからなけれ
ば、殺人がなされた証拠を必死で探り、表の陽の当たる世界に取り戻してこよ
うとする。
ところが、世に例外ということはまま、ある。以上のようでない場合も、た
まに起こり得るのだ。殺人犯は積極的に死体が発見されることを望み、逆に被
害者の恋人は事件が公になるのを防ごうとする。そんな一見、不可解に感じら
れる状況の一つが、展開されようとしてる。
それは、実に単純な動機からなのだが、これにより事件は複雑さを増すこと
になってしまう……。
浜田宏次郎は苦悩していた。彼の思惑とはまるで異なる方向へ、事態が転が
っているためである。
(何だってんだ、まったく! 五月末までに払い込まないと、やばいんだよ。
払えなかったら、会社……。いや、よそう。悪い場合を想像するのは、それが
現実のものとなりそうで、嫌な気分だ。
それにしたってなあ。ぎりぎり延ばしてもらっても、六月初旬、いや、中旬
が限度かな。これが正真正銘のラインだろう。それまでに金を工面しとかない
と。
しかし、生命保険というやつは、すぐに受け取れるものなのかね? 受け取
るまでに、手続きに何ヶ月もかかるようだと、本当に危なくなってくるぞ。
くそっ、どうなってんだ? 俺が紀子を殺したのは確か……)
浜田はカレンダーに目をやった。壁にある吊りカレンダーには、一箇所、赤
い丸が入っていた。
(そうだ、四月の七日だったんだ。あの殺し方は、まあ、よくできたもんだと
満足している。あれなら、ほぼ間違いなく、事故死として処理されるはずだっ
たんだ。警察が事故死として処理してくれりゃあ、俺に疑いの目が向けられる
こともなく、あっさりとけりが着く。
それなのに、どうしてこうなっちまうんだ、ええ? あの野郎、紀子の死体
をどこへやっちまったんだ。いや、そもそも、何の理由があって、あいつは紀
子の死を隠したがってるんだろう? 分からん。
それとも、あいつは死体を発見していないんだろうか? 俺が紀子を殺した
日、四月七日がたまたま、紀子が旅行に出発するはずの日と重なっていたとし
たら……。おかしい。三月の終わり頃から、西山の野郎は紀子の邸に住んでい
るって話だった。風呂だって入っているはずだ。風呂に入ろうとすりゃあ、嫌
でも死んでいる紀子を発見するに違いないんだが。
それとも、まさか……まさか、紀子は死んでいなかったのか?)
滑稽にも、自分の思い付きに、浜田は怯えを見せている。あまりに意想外の
思い付きだったからであろう。
彼は、コップに酒をなみなみと注ぎ、ぐいっと一口、喉へ流し込んだ。ぴり
ぴりと、痺れるような感覚がある。疲れているのかもしれないなと、浜田は思
った。
(落ち着け。くだらないことで怯えるな。紀子が蘇生した可能性は、まずない。
事故死に見せかける方法そのままでは本当に殺せる自信がなかったから、俺が
直接、手を下したんだ。あのとき、確かめたじゃないか。紀子の脈は、完全に
止まっていた。これだけは間違いない。
万々が一、紀子が生きていたにしても、どうして姿を隠す必要があるんだ。
あいつは、俺に殺されかかったことになるんだぞ。俺が殺人犯だと警察に認め
させるためには一番適当な、『生きた証拠』だ。そのまま警察に駆け込むって
のが、筋というもんじゃないか。しかし事実はそうはなっていない。というこ
とは、紀子は生きてやしない。死んでいるんだ)
ほっと息をつく浜田。彼は残りの酒を一気に呷った。
(ようし、いいぞ。こうして一つずつ、ありそうにない話は潰していくに限る。
さあ、紀子が死んでいるのは、九分九厘がた間違いなくなった。
さて、じゃあ、何であいつ−−西山誠一の野郎は、騒がないか、だが……。
まさか、邸の浴室を利用していないなんてことはなかろう。銭湯通いする年齢
でもあるまいし、浴室に入っておきながら、死体が目に入らないことも絶対に
ない。ここはどうしても、あいつが死体を見つけたものとして、話を進めるべ
きだろうな。
婚約者の死体を発見すれば、あいつはすぐに警察に届けるはずだ。それが普
通ってもんだぜ。それなのにあいつ、死体を目にしておきながら、普段と変わ
りない生活を送ってやがる。
となると、そうすることがあいつにとってメリットになっているはずだ。騒
がないってことは、紀子の死を隠しておきたい、つまりは紀子に生きておいて
ほしい、となるよな。事実、あいつは紀子が旅行をしていると主張しているん
だし……。
紀子が生きていたらどうなったかを、考えてみよう。紀子が殺されずにいた
のなら、西山の奴は……紀子と結婚することになっていたんだ!)
はっと顔を上げ、ぽんと手を叩く浜田。当たり前のことなのだが、なかなか
気付けないでいたのだ。
(そうかぁ、結婚したいんだな、あいつめ。紀子を生きていると周囲の者に思
わせておいて、結婚。その後、紀子の死体が出てきたとし、その死が他殺以外
で片付けばいい訳だ。紀子の財産を遺産として手に入れることができる。劇団
の運営であっぷあっぷしているあいつらしいぜ)
そこまで考えてから、はたと思考がストップしてしまう浜田。彼の脳裏に、
新たな疑問が湧いた。
(待てよ……。紀子から聞いたのか、佳子から聞いたのか忘れちまったが……
西山と紀子はすでに婚姻届への記入をすましていると聞いたぞ、確か。あとは
提出するだけだって。分からんなあ。
六月に挙式したいから、それまで出さないつもりなのか? それにしたって
変だ。それまで紀子が生きていると見せかけるのは、大変な配慮を要する。そ
んな面倒な道なんか選ばずとも、ずっと簡単な方法がある。西山が単独で、勝
手に届けを出してしまえばいいのだ。書類上、何の不備もない。すぐに受理さ
れるだろう。
そりゃあ、佳子なんかからは変に思われるかもしれないが、籍を入れたとい
う事実ができてしまえば、奴の天下になる。それなのに、どうしてあいつはそ
うしようとしないんだ。わざわざ、紀子の死体をどこかにやり、紀子が生きて
いるかのように細工をしているよう見受けられる。何故だ? ちぃ、頭がおか
しくなってきそうだ)
心中で吐き捨て、彼は頭を振った。混乱はそれでも振り払えない。かえって、
頭痛の度合いが増したような感じだ。
(酒が足りん。これ以上考えても、道理の通った筋書きは描けそうにないぜ。
全く、西山の奴の考えていることは理解できん。……もしや、紀子と約束して
いた『結婚は六月に』という誓いを守りたいとか? そんな、死人に義理立て
ている場合じゃないだろう。ああっ! さっぱり分からん
こんな警察の真似ごとするよりも、俺にとって最も大事なのは、紀子が死ん
だことを世間に知らしめることだ。そうしないと、保険屋が動きやしない。
それには、西山が隠したはずの、紀子の死体を引っ張り出さなきゃならん。
あるいは、あいつに全ての罪をおっかぶせちまうか。それが理想だが、今はと
もかく、紀子が死んだことをはっきりさせなければ。そうすりゃ、保険屋は動
き出し、俺の懐には金が入ってくるんだ。
だがなあ。どうやるかが問題だ。あの邸を探してやろうにも、たいていは人
がいやがる。無理矢理に探したとしても、絶対に見つかるという保証はない。
もうすでに、西山が死体を外に運び出しているかもしれない。そうだったら、
お手上げだ。
お手上げになる前に、何とかしなきゃな。あいつ、少なくとも紀子の死を自
覚しているはずだから、そこを心理的に突っついて、紀子の死をぽろっと漏ら
すように仕向けられんもんかな)
策略という翼を広げる浜田。殺人を経験した彼にとって、それはもはや、楽
しい作業に近かったろう。
しかし、楽しければいいアイディアが出るというものではない。しばらくの
後、浜田は大きく伸びをする。成果はあくびだけに終わった。
(何とかできんかな、くそっ。佳子を抱き込んで、西山を揺さぶろうとしたん
だが、こいつはどうやら中途半端に終わったようだしなあ。そういや、佳子の
奴、この頃、マンションを留守がちにしているな。こんなときに、一体、どこ
に行きやがったんだ。親不孝ならぬ姉不孝者が)
手前の身勝手さは放り出して、浜田は悪態をついていた。
佳子は待つことに決めた。姉から連絡があるまで、今度の一連の件を忘れる
ことにしよう。
(どうにか、ごまかせたか)
送受器を電話に戻すと、西山は安堵の息をついた。
一服とばかり、最近はあまり吸わないようにしていた煙草を手に取り、ライ
ターで火を着ける。
一口吸い込んで、そのまずさに辟易してしまった。こんな物を自分はありが
たがって飲んでいたのか……。
西山は灰皿で煙草をもみ消すと、急須の冷えたお茶を、直接口に流し込んだ。
(浜田さんが、まだ疑っているようだが、あちらはどうしたものかな……。ま
あ、佳子ちゃんを味方にしておいた方がいいには決まっているからな。今日の
ところは上々としておこうか)
そして畳にごろりと転がる西山。今、部屋には彼一人しかいないので、何の
気兼ねもいらない。
(それにしても、あのときは仰天してしまったな)
天井を見つめながら、思い出す様子の西山。それは、できれば思い出したく
ない悪夢なのだろう、次の瞬間には彼の顔は険しく変化していた。
−−続く