AWC 夢を叶えたそのあとは  9   名古山珠代


        
#3115/5495 長編
★タイトル (AZA     )  95/ 6/29   2: 6  (200)
夢を叶えたそのあとは  9   名古山珠代
★内容
 自分達の代で、ランクが上位とされる大学に生徒を一人でも多く送り込めれ
ば、それだけ箔が付くというからくりなのだろう。彩香のような生徒なら、一
芸入試で一つは確実で、あとは本試験で二つか三つ、稼がせようという腹積も
りなのかもしれない。
 そう考えると、いくらでも反論したくなる彩香だったが、今は時間がなかっ
た。大人しく聞いて、早く解放されたい。文芸部に顔を出さねばならないのだ
から。
「本分を忘れずにってことだ。作家やるだけでいいなら、高校に来る必要ない
だろう? それなのに高校生やってるんだから、しっかりしてくれなきゃなあ」
「分かっているつもりなんです……私。でも。でも、この頃はどっちつかずに
なってしまって」
 しおらしく、彩香。首はうなだれ気味。視線も床を見つめるのみ。
「小説はたくさんの人が関わっているけれど、試験は自分だけのことだから、
犠牲にするなら、最終的には試験に……。どうもすみませんでした。次からは、
また元通りになれるよう、頑張りますから」
「ん、いや、分かったらいいんだ。うん、仕事も大変だろうしな。……よし、
行ってよろしい」
 締めくくりの言葉が出たので、彩香は頭を深々と下げ、職員室を退去した。
(つ、疲れた……)
 言葉になりそうなところを飲み込んで、彩香は思った。
 小説を書くのは自由。だけど、学生の本分も忘れるな−−調子の強弱こそあ
れ、何度、言われたことだろう。中学三年生のときは、小説を書くと言い切る
のは恐くて、中断していた。高校に入って、重荷に感じながらも両立してきた。
 ところが、自分でも思ってもみないほど、人気が出てしまった。それにより、
徐々に勉強時間が削られていたのは本当。勉強だけじゃなく、友達との付き合
いも踏み台にしてきた。
(踏み台……。違う。こんな考え方、嫌だ)
 胸にもやもやを抱えたまま、文芸部部室に到着してしまった。見ると、部長
の姿はない。その他の二年ばかりだ。
「辻井さんは?」
 扉をぴたりと閉めながら、誰とはなしに尋ねる彩香。
 微妙な間が生まれた。
「部長だから、夏休みのスケジュール、提出に行った」
 やっと、荒っぽく返答があった。
「え? もう、話は終わったの?」
「違うわよ。スケジュールは建て前。文化系のクラブなら、どこの部だって、
好き勝手やってるわ」
 彩香は納得はしたが、相手の言葉遣いが引っかかった。彩香のそんな気持ち
に追い打ちをかけるかのように、次の言葉が。
「何にも知らないのね」
「それを言ったらかわいそうよ、重子。新崎さんは、小説ばかり書いてらした
んですもの。ねえ」
「あら、そうだった。それじゃあ、何にも知らなくて当然か。作り事の世界だ
けでこと足りる人だから」
 二人の女子が、わざとらしい笑い声を立てた。
「な……」
 彩香は何か言ってやろうとしたが、すぐには言葉が出てこない。震えがきそ
うな腕を止めるため、握り拳を作った。
 他の女子は、二人は知らん顔をしており、一人だけ心配そうに見守っている。
「何か言いまして?」
「どうやら、一度、文章にしないと喋れないようですわ」
 できそこないのお嬢様言葉を使い、先の二人は調子に乗っていた。
 彩香も我慢の限界に達した。
「あんた達! それでも小説、書く人間か!」
「な、何よ。大声出して……」
 さっきのお芝居から一転、二人の目つきはきつくなっている。
「私のいる前で言ったのはいいけれどね! 文芸部員なら、そんなこと言うは
ずないんじゃない? 何だかんだ言って」
「そうよ、羨ましいわよっ」
 彩香の先回りをして、一人が言った。
「自分の小説が本になって売られてるってだけで、凄く悔しいわよ! その上、
特別扱いされるし」
「ちょ、ちょっと待ってよ。私が特別扱いされた?」
「されてるじゃない。テスト、甘めに採点されてるのよ」
「……本気でそう思ってるの?」
 絶句しそうなところを持ちこたえて、彩香は言葉を絞り出した。
「だって……噂になってる」
 さすがに勢いを落として、相手はぼそぼそと答えた。
 それを聞いた途端、彩香は−−。
「……すぐに戻るから」
 それだけ言って、彩香は一人、部室を出た。
 どこをどう来たのか分からなかったが、気が付けば中庭寄りの校舎の壁にも
たれ掛かっていた。他に人はいない。
 歯がかみ合わず、勝手に震えた。その震えが全身に伝わって、最後には心ま
で不安定になる。
 立っているのがつらくなって、さながら雪解けのごとく、腰を落とす。しか
し、彩香の内にあるは、凍てつくような寒々しさのみ。
 両膝を抱え、腕に頭をうずめた。必死にこらえようとするのだが、震えが極
限に達してしまい、表面張力によってせき止められていたコップの水にも似て、
目から溢れ出す涙。
 声はなかった。土の色を変える彩香の涙は、草の葉を伝って地面に落ちる朝
露。なかなか止まらない。
 一つ、大きく肩で息をした。胸の辺りが痛い。心という『物』を鷲掴みにさ
れ、皮を剥がされたら、こんな痛みではないか。いつまで経っても、治りそう
にない。
 それからさらにいくらか過ぎて、やっと震えが収まってきた。目は赤くなっ
たままだが、涙はどうにか止まった。
 スカートの端を握っていた右手が、強く閉じられた。それが十数秒続いたあ
と、その手の人差し指は、地面に当てられた。
 まけるか−−彩香は地面に指で書き記すと、片足を伸ばした。残った片膝を
抱え直し、小首を傾げるように腕に頭を持たせかける。目は軽く閉じた。儀式
のポーズだ。
 誰にも聞こえない、心の中だけでメロディを奏でる。自分を元気づける、あ
の曲のメロディ。
 曲が終わったとき、彩香は立った。負けるもんか。自らに言い聞かせて。

 校舎に戻ろうとしたら、辻井が姿を見せた。
「いた!」
 叫んで、飛び付くように彩香の腕を取ってくる。
「ど、どうしたの?」
「どうしたのじゃない! 部屋に戻ってみたら、あなたがまだ来ていないみた
いだから、聞いてみたのよ。そしたら、急に出て行ったって。訳を聞いたら…
…。お願い、許してやってよ。私が言い聞かせといたから。趣味の悪い噂なん
か、誰も本気にしてなんかいないわ」
「もういいの。私……最初、そういう噂されてることに腹が立ったけど、それ
よりも、そんなんだったら、いくら頑張っても認めれもらえないんじゃないか
と思えてきちゃって、それで、何だか情けなくなって……」
「うんうん」
「でも、もう平気。自分におまじないをかけたから」
「ごめんね。ほんとに。私がしっかりしてなくて」
「そんなことないって。ある意味じゃ、私、こういうこと覚悟してたんだし。
負けてなんかいられない」
「よかった……」
 心底ほっとした表情の辻井。その彼女の視線が、つーっと下に降りた。
「あれ? スカート、砂だらけよ?」
 彩香のスカートには、砂ばかりか、草の葉っぱさえ付着している。
「あ、いけない」
「これ、あなたのおまじないの結果? 何だか気になる」
 そう言いながら、辻井は砂を払ってくれた。
 かけて来る多人数の足音。目を向ければ、文芸部のみんな。
「新崎先輩!」
 一番に声を出したのは、一年生の千堂。心配してくれたのだろう。
 例の二年二人も、やや視線をそらしがちであるものの、近付いてきた。そし
て声を揃えて、
「あの−−ごめんなさい」
 と、彩香に頭を下げる。
「さっきは、何て言うか……つい、調子に乗っちゃって。本気じゃないの」
「うん」
 二人の目を見て、彩香はうなずけた。
「ほんとは……自分達も、新崎さんみたいに書けるようになりたい。教えてく
れたら嬉しいんだけど……」
「どうしようかしら」
 意地の悪さを込めて、彩香は言った。ほんの一瞬、他のみんなの表情が緊張
する。その緊張を解く、彩香の言葉は魔法の言葉。
「教えたら、すぐに追い抜かれてしまうかも。だったら、困るもんねっ!」
「−−このぉ」
 やっと同じ目線に立てた。みんなに軽く叩かれながら、実感する彩香だった。

 三つの連載、映画の打ち合せ、長編の構想、文芸部用の原稿、そして大量の
宿題と、彩香にとって今度の夏休みは、なかなかにハードワークが予想された。
 やるべきことを書き出してみたが、きっちりとした予定は立たず、かえって
前方にそびえる山の険しさを思い知らされる結果に。
(やってやろうじゃない)
 景気付けのつもりで、にっと笑う彩香。
(負けるもんか、よ)
 こうして彩香の夏休みは始まった。
 八月に入った、そんなある日。数日前から、彩香は『病』にかかっていた。
作家なら誰もが恐れるであろうあの病、スランプである。
 きっかけは、連載のために、今までの分を読み返していたときに。
(……私、こんなの書いてたの?)
 他人が書いたような印象を、彩香は自作にいだいてしまった。小学生の頃な
らいざ知らず、今になって自作にこんな違和感を覚えるなんて……。
 面白くない。自分で読んでつまらない作品なんて、他の人が読んで楽しめる
はずない。
 他の二つの連載も読み返してみた。面白くない。波長が合わない感じだ。
 それでも書かなければならない。彩香はキーボードに手を置いた。
(……続けられない……)
 ある程度、話はまとまっているのにも関わらず、一字も書けない。これまで
のつまらなさ、これから書く分もつまらなくなるのではという恐さ。その二つ
がのしかかってくる。
 いっそ、これまでの連載、なかったことにしてもらえたら。そんな認められ
るはずもない願いが、頭の中をよぎってしまう。
 時計は止められても、時間は止まらない。無情に過ぎ去る貴重な時間。
(今日……郷野君が誘ってくれてた日だ)
 カレンダーをぼんやり眺めていて、彩香は思い出した。一学期最後の日、郷
野が、「この間の代わりに」と誘ってくれた。大好きなアーティストのコンサ
ートだったが、公演日は締め切り前日。とてもじゃないが、外せそうになかっ
たため、やむを得ず断ったのだ。
「できるだけ時間、空けとくから、新崎さんの都合のいい日ができれば、いつ
でも言ってよ」
 郷野は残念そうにしながら、そう言ってくれた。
 他にも女子から誘われたが、ほとんど断っていた。その際に、郷野のように
言ってもらったのは、初めてだった。
(……なるちゃん達と一緒に行くと約束している夏祭りが、今度の締め切りの
翌日。こっちは何とかなる。郷野君達も誘ってみたらいいか)
 そんなことを考えている間にも、さらさらと時間は経つ。
 書かなきゃ。彩香は髪を手で後ろにやると、ワープロの画面をじっと見つめ
た。それこそ、穴が開くほどに。
 だが、進められない……。
 休みに入ってから、生活が完全に不規則になっている。顕著なのはやはり寝
不足で、目がずっと腫れぼったい。まだ明るいのに、進まない原稿という事態
は、眠気を呼ぶ。ベッドが誘惑してくる。
(明日一日、頑張れば何とかなる、かな。夕方には渡さなきゃいけないんだし)
 今回は福富書房。丹波勲の顔を思い浮かべた。編集者の中では嫌いな方なだ
けに、憂鬱になる。
 風に吹かれに、彩香は外に出た。
 夕日がきれいだった。まだ暑さが残る空気を通して、赤く染まった家並みが
揺れて見える。
 彩香はよく行く公園へと赴き、そこのベンチに腰を下ろした。
(何か、外で夕焼けを見るのって久しぶり……)
 記憶を手繰ってみる。学校の帰りに見そうなものだが、たいていは早く帰っ
てしまう彩香だけに、夕日を見た覚えがない。見ていても、意識せずにいたの
かもしれない。
(あ、科学博物館のプラネタリウムで見たのが、一番最近か)
 春休みの最中、自由な日ができたので、星座の知識が作品に活かせないかと
いう希望も持って、少し地方よりの博物館へと足を運んだ。そのときに観たプ
ラネタリウムの始まりの際、ドーム状のスクリーンに映された夕焼けを見てい
たのだった。

−−続く




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