#3086/5495 長編
★タイトル (AZA ) 95/ 5/28 8:58 (199)
Lの殺人 3 永山
★内容
休日の午後は陽気と相まって、少しばかり気怠さを含んだまま、にぎやかに
過ぎていた。ガラス越しに見える通りは、若いカップルや女子中高生の集団が
行き交っている。立ち並ぶ店の傾向が合わないせいか、男子中高生のグループ
はほとんど見受けられない。
百合子は視線を戻し、この喫茶店に入ってから、何度目かになる仕種をした。
左手首を返して、腕時計を見やる。午後二時四十五分。
「遅い。何やってんのよ」
口に出してみたが、そんなことでいらいらは収まらない。
寺西よりも遅れて来るのは絶対に避けたかった百合子は、余裕を見込んで、
約束の十五分前にここに来ていた。ちょうど一時間、待ったことになる。ジュ
ース一杯で粘れるのも、そろそろ限界か。
(こんなときにまで、遅れるなんて……。もしかすると、嫌がらせのつもりか
しら。冗談じゃないわ。こっちは真剣なのに。達也も母に預けてきて、会いた
くもないあれと会う決心をして来たのに)
不意に、からんと入口の鐘が鳴った。そちらを見てみるが、入ってきたのは
カップル一組だけであった。
(電話してみよう)
百合子は立ち上がった。入口近くにボックスの公衆電話があるので、そこに
向かう。幸い、誰も使っていない。
テレフォンカードとしわになったメモを、バッグから取り出す。
ボタンを押してから、何度か呼出し音が続く。いつまで待っても、呼出し音
のままだ。
(いない? じゃあ、出かけているのね。こっちに向かっているかどうかは別
として)
確かめようのない状況に、百合子はまた苛立ってきた。
(三時まで待つ。それでも来なかったら帰る)
そう決めて、百合子は元いた席に戻った。
五十嵐恵美が百合子に会いに来たのは、日曜日の昼前だった。高校卒業以来、
九年ぶりになる。
「どうしたの? 急に」
再会をひとしきり喜んでから、恵美を家に招き入れた百合子は、早速聞いた。
五十嵐恵美は微笑を絶やさない。
「決まってるわ。新聞で見たからよ」
びくりとする百合子。恵美の言う新聞に載った記事−−百合子にとって、あ
まり思い出したくない出来事ではある。
「旦那、亡くなったって聞いて」
この旦那とは、寺西利郎を指す。
あの待ち合わせの日、結局、寺西は喫茶店に姿を現さなかった。百合子が憤
まんやる方ない心持ちで帰宅したところ、テレビのニュースで寺西の死を知っ
たのだ。しかも他殺……。受けたショックの大きさは、寺西に対する恨み辛み
をわずかな合間、百合子の内からかき消すほどもあった。
左脇腹を刺され、その深い傷が致命となったらしい。傷口に突き立ったまま
になっていた包丁は、寺西の家にあった物とされている。近頃では当然のごと
く、指紋は包丁に遺留していなかった。金品が手つかずのままだったので、主
として怨恨の線で警察は動いているようだ。
百合子自身も一度は容疑の対象とされたが、犯行時刻に例の喫茶店にいたこ
とがそこの店員の証言で確認され、早期に圏外に置かれた。
「それに、少し気になったから……」
黙っている百合子に、恵美は続けて言葉を投げかける。
「気になったって、何が?」
ここでようやく、百合子もうつ向き加減にしていた顔を上げ、応じた。
「新聞にあったでしょう、あなたの名前。『高原』百合子になっていたけど、
どういうことなのかなって。その上、『被害者と親しかった』なんて、どうい
うことよ。夫婦じゃないの?」
百合子はしばらく沈黙を通した。恵美に悪気はないのだろうけど、すぐには
答える気になれない。
やがて恵美の方でも気付いたか、口に手をやって、
「あ……ごめんなさい。こんな、根ほり葉ほり……」
と口ごもる。
「……ううん」
百合子は首を振った。恵美が以前と変わっていないと確認できた気がして、
すぐに許せる気分になる。
「いいの。はっきりさせておかないと……。私ね、あの男と別れたの」
「離婚していたの?」
「ええ」
びっくりした目つきの恵美を微笑ましく思いながら、百合子は答える。
「それでね、高原卓夫という人と結婚したの。恵美のことだから、表札、見た
んでしょう?」
「それはまあ……。だけど、新しい旦那は? 日曜なのに仕事?」
「それも違うわ。実は、卓夫さんも亡くなってるのよ」
この答に、今度は言葉をなくしている様子の恵美。
旧友のそんな様子を目の当たりにしながら、百合子は高原卓夫が亡くなった
件について、かいつまんで説明を終えた。
「−−で、まだ籍は抜いていない訳。色々、複雑で」
達也の父親が誰なのかともめていることまでは、さすがに表に出さずにすま
せる。
「……大変だったんだ、じゃあ」
「だった、じゃなくて、今も大変よ」
つらさを分かってもらいたい気持ちが、少しだけ働いたのかもしれない。百
合子はそう付け加えた。
「相変わらず、男では苦労しているのねえ」
雰囲気を明るくするためか、五十嵐恵美は気軽な口調で言った。
「どういうこと?」
「だって、百合子ったら、中学のとき、ああだったじゃない」
「ああ、アレ。あのときのこと……」
つぶやく百合子。そして、一つ、うなずいた。
* *
転校生として黒板に自分の名前を書く。
その立場に立つときが来るなんて、百合子は思ってもいなかった。そしてそ
の行為は、嫌な儀式の一言に尽きた。
クラス担任の後ろについて、教室に足を踏み入れたとき。空気は、好奇心に
満ち溢れていた。視線が一斉に動く。
先生の説明に続いて、軽くお辞儀。向きを変えて、黒板に。背中に視線を感
じながら、チョークを手に取り、名前を書く。軋み音が出なかったのは、せめ
てもの救い。いや、ひょっとしたら、派手に音を立てて、笑いを取った方がよ
かったかもしれないけど。
書き終わってしまった。みんなに顔を見せなければならない。すうっと呼吸
を整え、向き直る。相変わらず、好奇の視線が百合子の身体を射る。
「倉田百合子です。父の仕事の都合で、**女子学園から転校してきました。
よろしくお願いします」
決めていた台詞を一気に喋る。わずかな沈黙のあと、フォローしてくれたの
は、やはり先生。仲良くしてあげるように、みたいなことを言って、百合子に
席を示した。
座ると、右隣の女子が小さな声で、
「あなたがかわいいから、みんな見てるのよ。リラックスしなって」
と話しかけてきた。
目を見開いて、相手の顔をまじまじと覗く百合子。
「私、五十嵐って言うの。よろしくね」
相手はそう続けて、自分の教科書を二つの机の境目に置いた。
「あ、ありがとう」
「馬鹿ね、当たり前よ」
くすっと笑ってから、五十嵐はもう前を向いていた。
百合子も慌てて、前を向く。それから少しして、緊張がほぐれていることに
気付いた。
最初の授業が終わると、百合子は改めて五十嵐に礼を言った。
「だから、当たり前だって」
そんな五十嵐に、教科書のことじゃないわと伝えようとするより先に、周り
に人が集まってきてしまった。ほとんど女子ばかり。
「ねえ、倉田さん。前の学校とここ、どっちがいい?」
「女子ばっかりなのって、どんなの?」
「クラブ、どこかに入るつもり? 決めてないんだったら−−」
そんな質問がいっぺんに、百合子を襲う。どういう順序で答えていいのか戸
惑っていると、五十嵐恵美が助けてくれた。
「あんた達、人に話を聞くんだったら、先に自分が名乗るのが普通!」
集団はそれもそうだという顔をして、順に名乗り始める。が、とてもいっと
きに覚えられそうにない。
そんな中、すぐに覚えられた名前があった。
「あー、俺、勝又。勝又康成っての。よろしく」
それもそのはず、集まってきた中、ただ一人の男子だったから。
勝又は比較的細い目が印象的な、きかん棒な感じの容貌をしていた。けれど、
口から出る声は優しさを含んでいる。中二ともなると、女子よりも男子が大き
くなる頃だが、勝又もかなりの背である。
「勇気ある勝又君。倉田さんに何を聞きたいの?」
五十嵐が若干、からかうように言った。
「いやあ、大したことじゃないけど、倉田さんの前いた学校って、女子のレベ
ルが高いのかどうか、確かめたくって」
歯を覗かせて笑う勝又。
百合子は、彼の言葉の意味を察して、紅潮するのを自覚した。
「どういう意味? うちはレベルが低いって?」
「わ。ほら、チャイムだ。席に着けよ!」
五十嵐と勝又のそんなやり取りの間に、本当にチャイムが鳴った。
転校からしばらく経ったが、女子の顔と名前は覚えたものの、五十嵐相手ほ
どにお喋りしない。親しい友達と言ったら、五十嵐恵美だった。男勝りなとこ
ろのある彼女は、クラスの女子の中でリーダー格と言えた。前の学期はクラス
委員を務めていたと聞いて、うなずけた。
男子の方は、百合子の外見に引かれるのか、言葉を交わすことはそれなりに
ある。でも、百合子自身、あまり積極的に男子と話したくはなかった。何故な
ら、彼女が女子中から転校してきたせいもあるだろうし、こんなことがあった
せいかもしれない……。
下校時、下駄箱の前。
「まただわ」
百合子は思ったことを口に出した。隣の五十嵐に伝えるためだ。
「どうかしたの」
「靴紐がほどけているの」
学校指定の靴の紐は、確かにほどけていた。それを五十嵐に見せてから、百
合子は履き、紐を結ぼうとしゃがむ。
「まただって、どういうこと?」
「うん、これまでも、何回かあったの」
「……朝、履いてきたときはほどけていなかったんでしょ?」
「うん。だから、おかしいなって」
「ひょっとしたら」
五十嵐の口調が変わった。見れば、周囲をきょろきょろ見回している。
そのせいかどうか、三人ほどの男子が、こそこそと逃げ出すようにかけ出す
のが分かった。
「百合子、立って」
「?」
意味が分からないままに、百合子は立ち上がった。
そこへ、五十嵐が厳しい目つきで言ってくる。
「あなたねえ、男子にやられていたのよ」
「やられていたって……」
「靴の紐よ。誰だか知らないけど、あなたが見ていない内に、ほどいていたん
だわ」
「な、何のために?」
「あなた、紐を結び直すために、しゃがんだでしょ」
「もちろんよ。そうしなきゃ結べないわ」
「男子はね、それを狙ってるのっ。胸元を覗くためよ」
「え?」
ほとんど無意識の内に、制服の上から胸元に手を当てる百合子。
「紐を結ぶためにしゃがんだところを、向こうの下駄箱の影から、見てたのよ。
間違いないわ。百合子はかわいいし、胸も大きいから」
「ま、まさか、そんな……」
言葉では否定したものの、言われてみて、他にも思い当たることがある。何
故だか知らないが、休み時間になると、よく落とした物−−消しゴムとかシャ
ープペンシルとか−−を拾ってと頼まれることが多いのだ。それも男子からば
かり。拾うとき、当然、百合子は前屈みになる。それから顔を上げると、相手
の男子と目が合う。すると、相手はすぐに視線をそらす。もしかすると、この
ことも同じ目的があっての、男子の仕掛けだったのかもしれない……。
「ね? いくらちやほやされたって、油断しちゃだめ」
「ちやほやだなんて、そんな」
「いいから、気を付けなよ。男なんて、たいてい、やらしいことばかり考えて
るんだから」
念押しされた百合子は、これまで以上に男子を警戒するようになってしまっ
た。
−−続く