#3005/5495 長編
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ヴェーゼ 第4章 ネイガーベン 3 リーベルG
★内容
3
評議会委員の一人、ミリュドフは齢34を数えたばかりの女性委員である。ミリ
ュドフは通称であって、本名はミリュドファーギュデファーギュという記憶するに
も、発音するにも不便な名であった。これは古い言語で、「光輝ある美しさと深い
知性」というありがたい意味の言葉だったが、命名された方にしてみれば親の命名
権の濫用を示す好例だとしか思えなかった。幼少の頃から、ミリュドフが自分の本
名を口にしたのは数えるほどしかない。
ミリュドフはネイガーベンにおける有力商人の一人であったが、他の商人のよう
に穀物や香料などで財をなしたのではなかった。彼女の商品は「快楽」という、普
段は慎み深く隠されてはいるものの、万人が共通して備えている情の一つである。
ミリュドフの館が、ただの娼館と一線を画しているのは、客が女の子を選ぶので
はなく、女の子が客を選ぶという点に尽きる。もちろん、客が女の子と実際に対面
できるのは、いくつかの段階を経てからになるのだが、その間にミリュドフの厳し
い審査の視線にさらされることは言うまでもない。ミリュドフは地位や財産などで
うわべを飾っただけの客は、丁重に、しかし断固としてはねのけることを辞さなか
った。そのため、ミリュドフの館で実際に相手と対面できた客は、それだけでネイ
ガーベンにおいて時の人となることができた。ましてや、ミリュドフと女の子の双
方に気に入られ、出入り自由の証であるサファイアの指輪を贈られた者は、評議会
委員よりも高いステータスを得ることになるのだった。事実、評議会委員の何人か
の指には、常に誇らしげな青い光が輝いている。
ミリュドフ自身も10代前半から娼婦を生業としてきた。もちろん、今は現役を
退いているものの、美しい容姿は衰えていなかった。簡単な生活魔法以外は学ぼう
とはせず、どちらかといえば魔法を好まない、という噂もある。
その日、ミリュドフは朝から繁忙だった。まず、朝食を終えると同時に、街で一、
二を争う織物商人の息子が贈り物を持って訪れてきた。20を越えたばかりの青年
で、夜の鳥の一人との想いを遂げるための訪問は、これで4度目である。ミリュド
フと目当ての相手の両方へと持参した贈り物は高価な品物ばかりだったが、肝心の
本人はといえば、親の金で放蕩三昧を繰り返してきたおかげで、身がぐずぐずにな
った魚のように締まりのない身体をしている。ミリュドフは、外見で客を判断する
ことはないが、自らを鍛えることを怠っている者への寛容は誰のためにもならない
と信じている。とはいえ、どんな愚か者であっても、何度かのチャンスは与えられ
てしかるべきであろう。ミリュドフは贈り物を受け取った後、それとなく若者の生
活について忠告し、次に訪れるときには何らかの成果が見られることを期待してい
ることを告げて、若者を追い出した。これで若者が何の努力もしなければ、もはや
セレランティム・コーンの門は開かれることはない。
続いて、何人かの出入りの商人と面会し、店で使う香水、飲み物、夜の鳥たちの
装身具やドレス、それに避妊具などの注文を取り決めた。どの商品も最高級品ばか
りであり、ミリュドフはそれらを全て自分の目で吟味していた。彼女の頭の中には
セレランティム・コーンにいる全ての夜の鳥たちの詳細な情報が詰まっていて、例
えばイヤリングひとつにしても、一人ひとりに合うものを購入するのだ。
次にミリュドフを訪問したのは、ネイガーベン評議会委員の一人、ザルパニエだ
った。丸々と太った50がらみの男で、見事に禿げ上がった丸い頭から滝のように
汗を流している。陽気で温厚な顔つきだが、ネイガーベンの穀物の流通を一手に握
る大商人である。ほとんど無名の商家から、一代で巨万の富を築き上げた。商才だ
けでなく人望も厚い。指にはセレランティム・コーンの上客である証のサファイア
が光る。ミリュドフの親しい友人の一人であるが、サファイアを得たのは彼自身の
努力である。
「やあ、ミリュドフ。いつも美しいな」冷たいサリューを飲みながら、ザルパニ
エは現れたミリュドフに挨拶した。「それにしても、この暑さはたまらんな。どう
だね、店の方は?」
「おかげさまで繁盛してますわ、ザルパニエ」ミリュドフは優雅な仕草で向かい
合ったクッションの上に腰を下ろした。涼しげな衣装がふわりと揺れる。「遊びに
いらしたわけではないんでしょうね?」
ザルパニエは愉快そうに笑った。
「さすがのわしも昼間からは身体が持たんさ。ちょっと知らせておきたいことが
あってな」
「伺いましょう」ミリュドフは自分のサリューをすすった。
「昨日の夜、マシャから通達がきた。黒いウマでな」
ザルパニエの言葉に、ミリュドフは目を光らせた。魔法使い協会からは定期、あ
るいは不定期に通達が送られてくる。その重要度は、通達を運んでくるウマの色で
表される。黒いウマは、最重要かつ緊急であることを示している。もちろん、ただ
のウマではなく、神経病的なほどに魔法で防護されたウマである。
「この前、黒いウマでの通達が送られてきたのは、いつだったかしらね」
「ああ、かれこれ5年にもなるんじゃないかな。お前さんが若くして委員になっ
て間もない頃だからな」
「それで内容は何と?」ミリュドフは微笑みもせずに促した。
「詳しくは、今夜の定例委員会で発表されるはずだが、だいたいはこういうこと
だ。マシャは今、全力を挙げて一人の女の行方を探している。黒い髪の若い女だ。
具体的なことは分からないが、相当な魔法の力を持っておるらしい。例のガーディ
アックの住民が全滅した事件の張本人だと書いてあった」
「若い女?純血種の人間なの?」
「そうらしいな。何かの血が混じっているなら、そう明記しただろうからな」
「ふうん」ミリュドフは曖昧に頷いて飲み物をすすった。「それで?」
「マシャは、その女の探索に関して、ネイガーベン評議会の協力を公式に求めて
きておるのだよ。マシャの三つの塔の名においてな」ザルパニエはニヤリと笑った。
「高慢ちきな魔法使いたちが我々に助けを求めておるんだ」
「確かに傲慢で傍若無人で特権意識に凝り固まった人々だけど、決して無能じゃ
ないし無力でもないわよ」ミリュドフは静かに警告した。「この街は、協会に対抗
できる唯一の勢力ではあるけど、甘く見るべきではないわ」
「わかっておるとも。だが、ミリュドフ。別に我々は協会に反抗しているわけで
はないぞ。少なくとも公然とはな。全面戦争になれば、どちらも苦戦を強いられる
のだから。表向きには仲がいいフリを続けなければならんのだ」
「だからって、わたくしが彼らを好かなきゃならない理由は何もないわ」口調は
静かであるものの、ミリュドフが口にする言葉はやや過激だった。「嫌いなものを
嫌いと言わないだけ、わたくしも大人になったのかしらね」
「まあいい」ザルパニエは諦めたように首を振った。「それはともかく、わしが
ここに来たのはお前さんに注意を促しておきたかったからなんだ」
「それはそれは。ご親切に。何ですの?」
「これはわしの他、数人しか知らないことだ」ザルパニエは少し声を潜めた。「
その黒髪の魔女と行動を共にしている者たちがいるらしい。一人の男は、例のガー
ディアックの生き残りらしいが素性は分からない。もう一人は背の高い赤毛の自由
魔法使いだ」
驚愕と衝撃らしい感情が、初めてミリュドフの顔に浮かんだ。唇がぎゅっと噛み
しめられ、黒に近い青の瞳がきらりと光った。
「パウレン……?」
初老の穀物商人は小さく頷いた。
「今、お前さんが口にした名前の自由魔法使いが、ネイガーベンにやってくるこ
とは十分に考えられる。追われていることは当然知っているに違いないから、まず
身を潜める場所を探し求めるはずだ……」ザルパニエは言葉を切って、後は言わな
くても分かるだろう、とばかりに手を広げた。
「わたくしに、パウレンを捕らえる手伝いをしろとおっしゃるの?」声がわずか
だが震えている。
「わしは何も言っておらんし、示唆してすらおらん」ザルパニエは目をそらして
美しく落ち着いた紋様が織り込まれた壁のタペストリーを眺めた。「どうするかは
お前さん次第だ」
ミリュドフは返事をしなかった。膝におかれた手が強く握りしめられていた。
「さて、わしの用件はこれだけだ」ザルパニエは巨体には似つかわしくない軽快
な動作で立ち上がった。「夜の委員会でまた会おう」
「わざわざありがとう、ザルパニエ」ミリュドフも立ち上がった。「これで、夜
まで退屈することだけはなくなりそう」
「それは何よりだ」ザルパニエは短く笑った。「では、またな」
ミリュドフはザルパニエのためにドアを開けてやった。穀物商人はそこを通ろう
として、つと足を止めた。
「なあ、ミリュドフ。一つ秘訣を教えようか」
「何ですの、急に?」ミリュドフは首を傾げた。
「常に自分の心に忠実であれ、ということだ」ザルパニエはミリュドフを見ない
まま言った。「何かを得るために何かを捨てなければならないとき、決して自分の
心を裏切ってはいかん。何を優先するかは自分自身で決めるのであって、他の何か
で決まるものではない」
ミリュドフは口を開きかけたが、思い直して頷くだけにしておいた。ザルパニエ
は短く別れの言葉を告げるとそのまま出ていった。
一人になったミリュドフは、窓の鎧戸を降ろして部屋を暗くすると、椅子に座り
込んだ。何年も忘れていた記憶が不意に甦る。いや、忘れていたのではなく、思い
出すことを避けてきた記憶だ。ミリュドフは目を閉じると奔流のように押し寄せる
記憶に身を委ねた……
……夕暮れのネイガーベンは、溶かした黄金をまとっているようだ。街路の敷石
に含まれる微量の黄銅が夕陽を受けると、一斉に柔らかく淡い光を発するのだ。夕
刻の数分に限られた現象であるが、ネイガーベンの大抵の住人がそうであるように
ミリュドフが一日で一番楽しみにしている時間だった。
夜の仕事に出かける途中のミリュドフは、石段の上で足を止めて、太陽のしずく
がこぼれたように輝くネイガーベンを見下ろしていた。夢中で見つめていたミリュ
ドフは背後から近づく足音に気付かなかった。
「おい、ミリュー」
低く陰気な声が不快な臭気とともに浴びせかけられ、ミリュドフは腹を立てなが
ら振り向いた。そこに立っていた男の顔を見た途端、嫌悪の表情が浮かんだ。
ミリュドフより背が低く、ずんぐりした男だった。上目遣いにミリュドフを見つ
めながら、舌でぺろぺろとぶ厚い唇を舐めまわしている。息を吐くたびに、生まれ
てこの方、一度も歯を磨いたことがないような臭いが襲う。
「ジャムグ」冷たい声でミリュドフは言った。「何の用?」
「返事を聞かせてもらいてえと思ってな」ジャムグは、袖のない薄いドレスを着
たミリュドフの身体に視線を走らせた。「金なら5万ノーンまで出してもいいぜ。
一介の娼婦にしてみりゃ、一財産だろうが、え?」
それはミリュドフが一回で稼ぐ金の50倍の金額だった。だが、ミリュドフは怒
りの表情とともに、きっぱり拒絶した。
「いくら積まれようと、あんたなんかお断りよ!」
ジャムグの顔に浮かんでいた薄笑いが消えた。代わりに冷酷な光が瞳に宿る。
「そいつは残念だ。できれば、お前は自分の意志で服を脱がせたかったんだがな。
おい!」
最後の言葉は、今まで石段の陰に隠れていた男に対して投げかけられた。薄汚れ
たマントで身を包んだ男は、ジャムグの呼びかけに応じて進み出た。
娼婦として様々な職業の客を相手にしてきたミリュドフは、本能的に危険を察知
して走り出そうとした。だが、数歩走ったところで、ミリュドフの身体は唐突に凝
固してしまった。
「!」
マントの男は目を光らせながら、呪文を唱えている。ミリュドフにもいくつかの
魔法の心得はあり、マントの男が唱えている呪文が、まっとうな種類のそれでない
ことは分かった。
「な、なに?」唇は自由に動かすことができた。「何の真似よ!」
「お前の身体に淫魔を送り込んだのさ」ジャムグは嬉しそうに説明した。「心は
そのままでな。ほれ、自分の身体を見てみろ」
ミリュドフは下を見て愕然となった。手が勝手に動き、ドレスのボタンを手早く
外しているのだ。首から下は全く動かすことができなかったが、にもかかわらず手
を動かしている感覚だけはある。
「や、やめて」必死で抵抗しようと試みながらミリュドフは言った。「人が来る
わよ」
「心配するな。この階段の上と下は固めてある」ジャムグはべろりと唇を舐めた。
はらり、とドレスが肩から滑り落ちた。張りのある豊かな乳房がさらけ出された。
ミリュドフの一方の手が愛撫を始める。一方の手は、なおもドレスを脱ぐ動作を続
けている。仕事に備えて、下着をつけていないミリュドフの肌が次第に露になって
いくのを、ジャムグは血走った目で上から下まで眺めまわした。
自分が一糸まとわぬ姿になるのを、ミリュドフはただ見ているしかなかった。足
がひょいと跳ねて、脱いだドレスを蹴り飛ばした。それを手に取りながら、ジャム
グは命じた。
「足を開け。ゆっくりとな」
両脚が少しずつ左右に広がっていった。茶色の恥毛が微風にそよぎ、ミリュドフ
が自分が濡れているのを知った。憑依した淫魔のせいに違いない。両手は、乳首を
たんねんに愛撫していて、すでに固くなっている。
「ああ、お願い、やめて」ミリュドフは呻いた。「もう、いやよお」
意志に反して、ミリュドフの両脚は大きく開かれた。ジャムグは相変わらず唇を
舐め回しながら、ミリュドフに近づいてきた。
「やめて、こないで」ミリュドフは悲鳴を上げたかったが、声を出すことはでき
ても声量は魔法によって抑えられているらしく、囁き声しか洩れてこなかった。
「うへへ。いい格好だぜ、ミリュー」ジャムグは下品な笑いとともに、ミリュド
フの下腹部に手を伸ばした。「こんなに濡れてやがる。このイブラー(淫売)め」
ミリュドフの瞳に激烈な怒りが燃え上がった。視線が殺傷力を持っていたら、ジ
ャムグの身体は八つ裂きになっていたに違いない。だが、ミリュドフに許されてい
るのは、ただジャムグを睨みつけることだけだった。
「さあて、どうして欲しい、ん?」ジャムグはミリュドフに寄り添うように立ち
ながら言った。「立ったままやってやろうか?」
それに答えたのは、落ち着いたよく通る声だった。
「何をしている?第3級の悪霊を使っているのは誰だ?」
ミリュドフは声の響いてきた方向を見た。ジャムグとマントの男も振り返った。
背の高い女が立っていた。長い髪は炎のような色。そして、瞳には炎のような怒
りが浮かんでいる。