#3004/5495 長編
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ヴェーゼ 第4章 ネイガーベン 2 リーベルG
★内容
2
ネイガーベンはクーベス大陸の中央部分に広がるロキスティ大森林の北に位置す
る大都市である。大陸の主な街道は全てネイガーベンに集中しており、おそらくク
ーベス大陸中最大の人口を抱えている。
街道の集中する大都市は必然的に商業都市として発展していくものであるが、何
者がこの街を築いたにせよ、オリジナリティという点に注意を払わなかったのは確
かであるらしい。ネイガーベンは昼夜を問わず、ありとあらゆる商取引がひっきり
なしに続く大商業都市となっていた。
ネイガーベンは、アンストゥル・セヴァルティの大抵の街や村がそうであるよう
に支配者を持たない街であった。ネイガーベンにおいて権力を握った者は、事実上
クーベス大陸上で、魔法使い協会につぐ力を手に入れることになる。いや、場合に
よっては、マシャの支配構造すら覆す潜在力を秘めているかもしれない。魔法使い
たちが、自らの増長を戒めるために呟く言葉、「人は魔法がなくとも生きていける
が、パンなしで生きていくことはできない」が暗に示しているとおり、ネイガーベ
ンの流通、情報機構を有効に使えば、マシャの3つの塔の魔法使い集団と互角以上
の戦いを展開することが可能である。従って、何者かがネイガーベンから第二の勢
力を誕生させようと考えても、マシャはそれを芽のうちに排除してしまうであろう。
これまでと同じように。
もっとも、支配者の存在が不要であっても、ある程度のモラルや不文律は必要で
ある。それなくしては、悪しき心の輩に暗躍の余地を与えてしまう。従って、有力
な商人たちが中心となって街の流通、情報を管理する評議会を結成しており、ネイ
ガーベンの秩序の拠り所となっていた。
ネイガーベンは、かつて来襲する盗賊から身を守るための高い外壁に囲まれてい
る。外壁には4つの大門が開き、大陸中から集約された4本の街道が4方向から大
門を通って街の中心部に走り、それらはそのままネイガーベンの大通りとなってい
る。
4つの街道の終点、すなわちネイガーベンの中心部には、巨大な自由市場がある。
ここには文字どおり、ありとあらゆる種類の商店が並んでいる。店の規模は高い塔
を備えた絢爛な建物から、屋台に毛が生えたような路地店まで多岐にわたり、クー
ベス大陸の産物はもとより、海の彼方からもたらされる高価な輸入品まで、ここで
手に入らないものはない。もちろん自由市場は評議会が運営する自警団によって治
安維持がなされており、誰もが安心して商取引や情報交換を行える場所となってい
た。誰も組織的な犯罪や暴力など望んではいない。
ネイガーベンへの出入りは全く規制されていない。どんな種族でも、ネイガーベ
ンでの商取引を自由に行い、好きな時に出ていくことができる。ただし、そうした
種類の商人が店を開ける場所については、混乱を避けるために評議会の指定する場
所に決められている。さらに、ネイガーベンの永住権を得るには、6人以上のネイ
ガーベン市民の推薦状と、街への貢献の実績が必要であった。
「暑いわね」リエはフードの奥から、くぐもった声で連れの盗賊に訴えた。「も
う街に入ったんだから、外してもいいんじゃないの?」
「もう少し、我慢しな」トートは答えた。とりあえず顔を隠す必要のないトート
は真夏の昼間にふさわしい軽装だった。「どこで誰が見てるか分からないんだから
な」
リエとトートは、ネイガーベンの大通りを一本外れた、狭い路地を歩いていた。
ネイガーベンに入るために、トートがリエのために用意した衣装は、全身をすっぽ
り包むフード付きのコートのような服だった。服地は厚く、風通しが悪い。リエに
対する余計な好奇心を喚起しないためには、首から上が隠れていればいいのだが、
フードだけかぶるというのは、かえって人目を引くかもしれなかった。
トートの先導で、無事にネイガーベンに到着したリエ達は、街に入る前に3つに
別れることにした。リエとトート、パウレンとイーズ、そしてカダロルである。ト
ートが、今後の方針を定めるまでの間、人目につかずに身を潜めるような場所を問
われてある家を答えた。そこで、リエ達は別々の大門から、その家に向かっている
ところであった。
「どういう人なの、あんたの知り合いって」リエは汗を拭いながら訊いた。
「実を言うと、評議会委員の一人なんだ」トートは得意そうに答えた。「昔、そ
の人のために、ちょっとした仕事をしたことがあるのさ。で、その時の貸しを、今
取り立てることにするってわけ」
「評議会委員ね」気の乗らない口調で、リエは応じた。「つまり、この街のお偉
いさんの一人なわけね。大丈夫なの?」
「何が?」
「つまり、あたしたちが魔法使い協会から追われているってことが分かったら…
…」リエは後半を省略したが、トートは軽く笑って連れの心配を吹き飛ばした。
「大丈夫さ。その人は、マシャに好意的なわけじゃないから。そういえば、この
街の評議会委員は、みんなそうだけどな」
「なんでなの?」
「魔法は売れないからさ」トートは道端の屋台で売っているあぶり肉の匂いに鼻
をひくつかせながら答えた。「簡単な恋の呪文や、おもちゃは別だけど」
リエが口を開きかけたとき、いきなり別の声が呼びかけた。女性の声である。
「あーら、トートじゃないの」
トートは少し驚き、ついで声のした方を見るとニヤリと笑って手を上げた。
「なんだ、クランじゃないか。まだここにいたのかよ」
リエはトートの知り合いらしい人物に視線を投げ、あやうく声を上げるところだ
った。そこに立っていた女性は、明らかに人間とネコの混血の種族だった。
背はリエの胸までしかないが、鮮やかな原色に染め抜かれた布で覆われた身体は、
息が詰まりそうな色気を周囲に発散していた。胸は乳首が露出するぎりぎりのライ
ンまでむき出しになっていて、リエはうっすらと全身を覆う白と紅茶色の毛並みを
見て取ることができた。同じくむき出しの脚にも同じ色の毛が覆っていた。
彼女の耳は人間と同じ位置についていたが、ネコ族そのままにピンと尖った先端
を持っている。まつげのない目はネコそのもので、照りつける真夏の陽射しに瞳孔
が細くなっていた。人間の唇の横に3本づつ細いヒゲが伸びている。
「こんなところで何してるのよ」クランは訊き、ちらりとリエを見た。「盗賊が
昼間っから出歩いたって稼ぎにならないでしょうに。それとも夜の仕事の下見?」
「お前に会いに来たんだ、って言っても信じないだろうな」
「あんたはそんな人じゃないもの」クランは笑った。「誰かのことを、いつまで
も心に留めておくような殊勝な人じゃないわよ」
「ひどい言われようだな」トートは怒った様子も見せなかった。
「ところで、こちらは?」クランはリエを視線で指した。
「ああ、おれの友達のリエだ。リエ、こいつはおれの古い友達のクランだよ」ト
ートは紹介してから、リエに向かって小声で付け加えた。「大丈夫、信頼できるよ」
「よろしく、クラン」
「こちらこそ」クランは澄んだ黄色の瞳でリエをじっと見つめた。「どうして、
そんな暑苦しい服を着ているのかしら?」
「リエは自由魔法使いなんだ。修行中だけどな」と、トートが口を挟んだ。「こ
れも修行のひとつなんだそうだ」
これはネイガーベンに入る前に、あらかじめパウレンに教わった言い訳である。
「ふーん」納得したのかしないのか、クランは無遠慮にじろじろとリエの全身を
眺め回した。「なるほどね。修行も大変ね」
「あ、あなたは何をやっているの、クラン」リエは慌てて訊いた。
「夜の鳥よ」短くクランは答えて、ようやくリエに向かって微笑んだ。
「夜の鳥?」おうむ返しにリエは訊いた。「何それ?」
クランは呆れたような表情でトートを見た。
「どこのお嬢さんなの、こちらは?いくら自由魔法使いだからって、夜の街に遊
びに出たことぐらいあるでしょうに?」
「いや、それが、いままで人里から離れた場所で暮らしていたからな」トートは
あくまで落ち着いていた。「実は街に入るのはこれが初めてなんだ」
「ふーん」クランはまたそう言うと、まだ納得しがたいようにリエを見ていたが
やがて肩をすくめた。「まあ、いいわ。人にはそれぞれの事情があるからね」
「夜の鳥って何なの?」リエが小声でトートに訊いた。
「後で教えてやるよ」盗賊は短く答えると、クランに訊いた。「ところで、ミリ
ュドフは元気かな?」
「ええ、もちろん」クランは目を細めてトートを見つめた。「何だ、母さんに会
いに来たの?」
「まあな。どこにいるんだ、今頃は?まだ、魅惑の館か?」
「魅惑の館はもうないのよ、トート。改装して、セレランティム・コーンに変わ
ったの。場所はそのままだけどね」
「セレランティム・コーン?」トートは舌をもつれさせながら繰り返した。「何
だ、そりゃ?」
「北方の古い言葉で、夜の魔女の家、という意味らしいわよ」
「ミリュドフの命名か?」トートはうんざりしたように唸った。「もっと憶えや
すい名前にすればいいのに」
「母さんに言うのね」クランはおかしそうにヒゲを捻った。「きっと、大きなお
世話って言うでしょうけど」
「だろうな。わかった、その魔女の家とやらに行ってみるよ。ありがとな。しっ
かり稼げよ」
「夜はあたしもそこにいるから。お金があったら、寄ってちょうだい」
クランはそういうと色気をたっぷり振りまいて片目をつぶった。ウィンクするの
は、アンストゥル・セヴァルティでも同じであるらしい。
「また会いましょう、リエ」クランは笑みを見せて別れを告げた。「それじゃ」
「またな」
クランはすたすたと歩いていった。トートはクランの豊かに揺れるお尻に視線を
固定させたまま見送っていたが、やがて思い出したようにリエを振り返った。
「待たせてすまないな。行こうか」
歩き出しながら、リエはトートに小声で訊いた。
「夜の鳥って何なの?」
「本当に知らないのか?」トートは驚いたように訊き返した。「やれやれ」
「教えてよ。唄でも歌うの?」
「ああ、つまり、何だ。彼女が売っているのは、自分の身体なのさ」
リエはさっと顔を赤くした。
「娼婦なの?」
「そうとも言う」トートは頷いた。「だが、クラン達は普通の娼婦とは少し違う
んだな」
「どう違うの?」
「客はまず目当ての女の子----男の子もいるがね----に贈り物や恋文を贈らなき
ゃならない」トートは説明した。「女の子が気に入れば、何日の何時に店に来い、
と返事を出す。客は店にやって来て、ようやく相手に会えるわけだ。だが、ベッド
を共にするにはまだ早い。魅惑の館、じゃない、セレランティム・コーンは、高級
な酒場にもなっていて、客は何杯か相手に酒をおごってやらなきゃならん。もちろ
ん、店に来るときには、店と女の子の両方に高価な贈り物が必要だ。そこまでして
も、その日はせいぜいキスしてもらえればいい方だ。大抵は、次の約束を取り付け
て帰らされる。
その後、何回か店に通って、女の子と親交を深めた上で、女の子が了承すれば、
ようやく寝室に行ける。大抵は、10回以上通わなきゃならないだろうな」
「何か、すごいわね」リエは少し興味を抱いた。「そこまでして、何がおもしろ
いの?何かが違うわけ?」
「要するに客は、その過程を楽しむわけさ。苦労すればするほど得たものが素晴
らしく思えるだろ。もちろん、セレランティム・コーンに揃っているのは、他では
お目にかかれないほど綺麗な女の子ばかりなのは言うまでもないし、寝室での技能
ときたら魔法的なまでに芸術的だ。女の子の方も、そこまで行けば、商売の域を越
えて客に尽くすし、どんな特殊な要求にでも喜んで応じるからな。中には本気で客
に恋する子もいるぐらいだ。だから、セレランティム・コーンの女の子たちは、特
に夜の鳥と呼ばれているんだよ」
「な、なるほどね。一種の社会的ステータスなわけね」リエは感嘆していいのか、
呆れていいのか分からず呟いた。「ところで、ミリュドフというのは誰?クランの
お母さんらしいけど?」
「セレランティム・コーンの経営者さ。夜の鳥方式を考案した本人だよ。クラン
が母さんと呼んだけど、夜の鳥は誰もがミリュドフを母さんと呼ぶんだ。夜の鳥は、
ミリュドフが一人々々自分で探し出して、鍛え上げたんだから。もちろん、ミリュ
ドフはネイガーベンでも、一、二を争う金持ちで、信頼される評議会議員の一人で
もあるんだ。彼女の協力が得られれば、その瞬間からおれ達の身分は保証されたも
同然さ」
「そこに行くのね」リエは頷いた。「でも、協力を得られる見込みはあるの?」
「さあね」トートは器用に肩をすくめた。「それはパウレンの仕事だ。おれは、
仲介するだけだからな」
「ふーん。ところで、トート」リエはおもしろそうに訊いた。「あんた、どうし
てそのミリュドフさんと知り合いなの?あんたも、贈り物と金を費やしたくち?」
「まっさか」トートはチャシャ猫のような笑いを浮かべた。「おれにそんな金が
あるわけないだろう。以前に、ミリュドフの店を自分のものにしようと考えたバカ
がいて、何人かの女の子を騙して引き抜こうとしたんだ。証文に印を書かせてな。
デブの商人だったがね。で、おれがそいつの屋敷に忍び込んで、証文を盗んで、つ
いでに財産の半分を盗んでやったんだ。それ以来、おれはあの店で自由に飲めるこ
とになったってわけ」
「なるほどね。パウレンの言う『つて』っていうのは、そのことね?」
「まあな。それだけじゃないけどな」
「というと?」
「詳しいことは知らないが、パウレンとミリュドフはまんざら知らない間柄じゃ
ないらしいんだ」