#2948/5495 長編
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ダルガの心臓(6) 青木無常
★内容
しごしたあげく、いいかげん酔いのまわった時分で林田の口先によって、そのうす汚
い金属塊は百万相当の価値のある霊験あらたかな宝物にまつりあげられており、おれ
もそれを心の底では信じこみはじめていたのだ。
形の上では、しぶるおれにすぐにでも現金のほしい林田がその宝物を売りつけよう
と努力している、という風ではあった。が、じっさいは言葉たくみな陥穽に、おれが
よだれをたらしながら落ちこんでいったってのが、正確な事実だろう。
まさに罠だった。百万相当の品を十五万でいいからひきとってくれないか、どうし
ても今夜中に金がいるんだよ、と哀れっぽく泣きつかれた上、すでにくすんだ奇妙な
ガラクタの金属塊はおれにとって天上の輝きを放つ霊玉に見えていたのだから、あら
がい得る要素などどこにもなかったのかもしれない。
しかもまるで林田のヤツに加勢するかのごとく、ふだんは冷たいけんもほろろの
“愛華夢”のミサちゃんが、その夜はやけにおれにしなだれかかってくるときた。ち
くしょう、いま考えてみりゃ、ミサちゃんめ林田のヤツに何枚かつかまされていたの
にちがいない。
そんなこんなで、おれはまさにボランティア気分とスケベ根性を絶妙にブレンドし
た有頂天の状態で、林田に手もちの十五万をわたし、鷹揚なことに店の払いまで持っ
て上機嫌で表へ出たというわけだ。礼もそこそこに、そそくさと立ち去っていく林田
の態度を、その時点ではおかしいとも思わなかった脳天気ぶりだ。
もちろん、食事でもいっしょにどうとしつこく誘いまくって、やっと今日、OKを
とったミサちゃんにはまさに焼き肉さんざん食いまくられただけでドロンされ、見せ
かけの幸運ははかなくもとっとと費えさったのだ。
それでもまだまだ、これからだぞくくくくと群がる女体をどうさばくかに頭を悩ま
せていたのだから、おれのめでたさもかなりのものだ。
もちろん、期待とは裏腹にいい目になんぞひとつとして出会えず、翌週になって偶
然通りかかった林田の経営するピンサロの前で、
「あ、峠さん、そのペンダント、ぼくが買ってきたやつですね」
と、つい最近インドから帰ってきたばかりの二十歳そこそこのボーイから云われて
呆然。
くわしく聞いてみると、カルカッタだかどこだかのありふれたバザールで、それこ
そ現地の物価にてらしてさえ二束三文の値でてきとうに買いこんできたガラクタの一
品だという。日本円にしてみれば、百円にもみたないんじゃないですか、とそのボー
イはからからと笑ったのだ。
まぬけきわまりないことに、このおれは不幸の石くれを十五万円出してありがたく
購入したと、そういうことになるわけだ。
文字どおり怒り心頭に発したおれが林田の行方をさがしはじめたときには、すでに
手遅れだった。ヤツめ、まんまとおれからせしめた十五万を軍資金に、こともあろう
におれの店でひっかけたナンバー1の娘といっしょに伊東に出かけた後だったのだ。
あまりに頭にきまくってかえって冷静になり、後を追おうかどうしようかと悠長に
思案している矢先――くだんのピンサロのボーイが路地裏で暴漢に襲われて死んだ。
その死に方も、いまにして思えば人外のものの手になるもの、と納得できる。万力
で圧殺したかのごとく、頭蓋骨を砕きつぶされていたらしい。
とんでもない死に方もあるもんだ、犯人はまだこのへんをうろついているらしい、
それにしてもどうやればあんな殺し方ができるのか、と裏街界隈はミステリーな噂で
無責任に燃え立ったのだが、それから幾日と経たぬうちに今度は林田が海岸べりで水
死体で発見されたというニュースがまいこみ、がぜん議論は白熱した。陰謀説、怨恨
説が主流をなしたのは、まともな人間の棲息しない界隈でのこと、とうぜんの帰結で
はあったが、まさかその原因がインドから偶然のように流れてきたうす汚い金属製の
ペンダントにあるとは、それの持ち主であるこのおれにしてからが夢想だにせずにい
たものだ。
くそ、それにしても林田のやつ、死んでまでも人さわがせな。あの野郎、地獄でで
も出会ったらただじゃおかねえぞ、くそ。
という内心の思いが顔に出たのか、ほんの一瞬、妖怪人間どもの顔から笑みがひい
たような気がした。
闘うか。
なかばやけくそ気味にそう決心した。
一瞬だけ。
小汚い歯をぎゅうとむき出して、褐色の顔が壮絶な表情を浮かべたときには早くも、
情けないことに腰がぬけていた。
その燃え盛る憎悪の視線が、もしまっすぐおれに向けられていたとしたら、たぶん
小便のひとつももらしていたにちがいない。それほどすさまじい表情を、ターバンを
巻いた妖怪男たちはしていたのだ。
幸いにしてヤツらの視線は、おれたちの背後頭上を凝視していた。
いったい何が、それほどこいつらの関心をかきたてているのか――好奇心よりも、
救世主を待望する心もちでおれも、炎の噴き出してきそうな視線の先を追った。
ぐび、と自分の喉が音を立てて唾液をのみこむのを、他人事のように認識した。
恐怖はすでにない。あまりに理解をこえたできごとの連続で、脳みそが麻痺しちま
ってんだろう。
清澄に冬の冷気を宿した底ぬけに青い快晴の空を背に――昨夜と同じ蒼白のおぼろ
な円は、まるで絵にでも描いたかのようにして空中に、ぴくとも動かずただよってい
インド人のひとりが、吐き出すようにして炎色の独白を口にした。
「なんのこった……」
疲れきった声音で、ほとんど自動的におれはそうつぶやいていた。
妖人どもはちらりとおれに視線を戻し、躊躇するように上空にうかぶ異物体と見く
らべていたが――おれたちにはいったん見切りをつけたのか、やがてふいに、ざ、と
地を蹴って円盤にむけて疾走を開始した。
迎えうつようにして浮遊する異物もまた、ゆらりと降下した。
降下を妨げるはずの樹海をまるで幻ででもあるかのようにすりぬけて、発光物は音
もなく、地上五メートルほどまで一気に降下した。
直径二十メートルはあるだろう。音もなく降りきたった物体は、円からゆっくりと
その形態をかえはじめた。
翼を広げる鳥のように。
対照的に猛スピードで迫る妖人の小柄な体躯がふたつならんで、力強く地を蹴りつ
猛禽が地上の獲物目がけて急降下するような姿勢だ。人間離れしたヨガのポーズの
ままそんな芸当を披露してみせるのだから、どう考えてもまったく尋常じゃない。
妖人どもが青白く光る巨大な鳥に飛びかかる。広げた両の手を突き立てるようにし
て発光する表面に叩きこみ――
ふいに、静止した。
画面にストップモーションをかけたみたいな唐突さだ。
異様なことに、刺すような冷たさの風にあおられて、背後の森林はさわさわと、ひ
っきりなしに揺れているのがよく見える。
火花でも散るとか爆発するとか、派手な演出はいっさいなし。
ただ化物男どもは、強襲をかけた姿勢のまま、まるで凝固剤をでもまぶされたよう
にして、まったく唐突に硬直してしまったのだ。
が、やがて――忘却の彼方におしこまれていた物理法則が、ふいによみがえりでも
したかのように――ぽとりと、妖人たちは硬直した姿勢のまま地上に落下した。
翼を広げた鳥状の異物体は、観察でもしているかのようにその場にとどまっていた。
が――これもふいに、ゆらりと震えるようにして、前進を開始した。
おれたちにむかって。
「お、おい」呆然とした気分のまま、おれは気のぬけたため息のような口調で云った。
「どど、どうする?」
「どうするったって、逃げるに決まってるじゃん。逃げようよう、はやく」
あたふたと立ちあがった小春が、先にも倍する勢いですたこらと走りはじめた時に、
おれの行動指針もまたなしくずし的に決定していた。
まったくしかたなしに、といった気分でよたよたと、まるで半死人みたいにたより
なげに立ちあがり、後は不安と恐怖に後押しされて一目散だ。
なんだかわからねえが、テレビでお目にかかった低劣俗悪なUFO番組の場面が脳
内を去来する。内臓をぬかれた牛だの頭でっかちの小人だのといった、扇情的に不気
味な映像は、絵空事だと決めつけていてさえ胸の奥からこみあげるものがあったのだ。
ましてそれはいま、実体をそなえた上、おれたちの背後に迫ってきてさえいやがる。
ちくしょう、まったく、どうなってやがる。
だが、逃亡は最初から絶望的だった。樹根やら岩やら凍結した地面やらで極端に悪
い足場に加えて、さっきからあちこち走りまわらされた疲労はピークに達していた。
そしてなにより、おれも小春も怠惰と不摂生にまみれた日常にたたられて極端に耐久
力が劣化しているとくる。
いずれにせよ、あわてふためいて蹴つまずいたりこけたりしながら走りまわるおれ
たちを嘲るようにして、青白く不気味に光る鳥様の発光物はぴたりと、まるで糸のつ
いた凧みたいにつかずはなれずで一定の距離をキープして、黙々と追尾してくるのだ。
「おい……! おい……!」
完璧にグロッキーの体でふらふらとよろめくように走りながら、なおもパニックに
とらわれてきーきー叫びつつやっぱりふらふらと前方をいく小春に、おれは朦朧と呼
こんな状態で走りつづけているのが、どうにもばかばかしくなってきたのだ。
が、おれの制止に小春が耳をかすより早く、さらなる悪運がおれたち一行をわしづ
かんでいた。
とつぜん眼前から、追跡の目標としていた小春のでかい尻が消失したのだ。
「ちょ……小春、どこへ」
消えた、とつづける前に、小春の消失先は判明していた。
目の前に唐突に口を開いたでかい穴は、ついさっきのぞいてきたばかりの氷穴と同
じく、深く底しれない暗黒をあんぐりと広げている。むろん、樹海のどまんなかに位
置する未踏の洞穴の内部に、灯火のたぐいが設置されているはずもない。
うわあ、と口にするよりはやく、暗黒がおれの視界を占拠した。
なすすべはなかった。
ひどい衝撃は、幸いなことに背中からきた。もっともその時点でもそれ以降も、お
れにとって幸いという言葉は頭のかたすみにも浮かばない遠い異世界の概念にほかな
らなかったこともたしかだ。
その証拠に、たてつづけに襲いはじめた痛撃はまったく不規則なリズムでおれの全
身をまんべんなく痛めつけてくれたし、おかげでいつ底にたどりついたのかもまった
くわからない始末だった。
長い間ただうめき、そこらじゅう痛む身体に手をやり、ぐりぐり旋回する頭に何度
となく渇をいれた。ぜんぜん効き目はない。
あげく、ようようのことで落下はすんだのだと納得して四囲に目をやる。光源いっ
蒼白の浮遊発光物が見あたらないのはともかくとして、どこをどう見まわしても地
上の光がかけらさえ目に入らないのはとてつもなく悪い兆候だ。
視覚がまるで利かないぶん、刺すような冷気はいっそう冷たく感じられた。
そしてうめき声。
「小春? おい、生きてるかよ」
呼びかけに応えるようにして、うー、うー、と弱々しく響いていたうめき声がとぎ
れ、かわりに甘ったれた口調で、
「タッちゃあん、お尻が痛いの。さすって」
と熱い肉のかたまりがのしかかってきた。うむ、暗闇にいると量感もひとしおだ。
「よしよしケツか? ほかに痛いところは?」
と見当だけででかい尻をまさぐる。
「どこもかしこも。ねえん、早く治療して」
と人の手をとって一メートルの巨乳に導くあたり、どうやらとりあえず大したこと
にはなっていないらしい。もっとも重なる異常体験の末のできごとだ。アドレナリン
がかなりの部分、カバーしているだろう。なにもかもかたづいてベッドで目ざめると
きにゃ、お互いどうなってるんだか知れたもんじゃねえこともまた、たしかだ。
ベッドで目ざめる日がくれば、の話だってことはいうまでもないがな。
さしあたり無事と見てしなだれかかってくる小春を邪険におしかえしつつ、おれは
まるで見えない闇に向けて文字どおりやみくもに目を走らせた。
うーん、タッちゃんたらあん、もっと、と、どこまでも状況を無視した淫乱なセリ
フを口にして肉体をおしもむ小春を無視して、おおいと上方にむけて呼びかけてみた。
予想されたことだが、返事はない。
「やべえ」おれはつぶやいた。「こりゃ本格的にやべえかも、だぞ。ちょっと小春、
道でもねえか、そこらさがせ。ちくしょう、真っ暗じゃねえか、どうにかならねえの
かこの暗闇」
と理不尽な要求を吐き散らしつつ、手あたりしだいにそこらをまさぐっていると――
「はい、タッちゃん」
と、いかにも恩着せがましい口調とともに、まばゆい光が点灯された。
「おお」とおれは、感動の声をあげる。「ペンライトじゃねえか。おめえ、えらく用
意がいいな、おい」
「うふん、いつもバッグに入れてるのよ。どうだ、おそれいったか」
とくる。
二度にわたる必死の全力疾走と永遠にもひとしい闇中の落下を経た後でもまだバッ
グを手ばなさないとは、と一瞬はこの女のブランド品への執着にあきれかえったが、
考えてみればそのおかげで視界が確保できたわけだ。おれは思い直して心中こっそり
感謝することにした。心中こっそり、というのは、口に出していえば小春はますます
増長するに決まってるからだ。
借りるぜ、と返事を待たずに小春からペンライトを奪いとり、ぶうぶう云いだすの
を無視して注意深く四囲をさぐった。
思ったより広い。大きめのバスルームほどの空間だ。ただし天井は、シティホテル
の二階吹き抜けぐらいの高さのところにある。
おれたちが放り出された穴は、斜め上方に口をひらいたあそこだろう。全体になめ
らかだが、ところどころ爪のように鋭利な欠け跡らしきものが出っぱっている。よく
もまあ、無事に落ちてこられたものだ。
ただし僥倖はその一点のみ。はっきりいってあの穴によじのぼることが可能なのは、
装備ばっちしのロッククライマーくらいのものだ。すくなくとも運動不足とタバコの
喫いすぎですぐに息が切れちまう三十男にゃちとムリだ。
床面にそってゆっくりと光点を移動させた。
ほどもなく、小室のかたすみに穴を見つけた。
さらに奈落へと落ちこむ穴だ。ちょうど人一人ほどは楽に通りぬけられる大きさ。
ほかにめぼしいものも見あたらず、おれは奈落への口へといざりよった。
ペンライトの光を先にして、のぞきこむ。
――底なしだ。
「いいもの見える?」