AWC わくらば 三の二         城 成夫


        
#2896/5495 長編
★タイトル (RGJ     )  94/12/15  10:42  (193)
わくらば 三の二         城 成夫
★内容
「あまり誇れることじゃないでしょ。女が新宿でバーをやってるなんって……
会社の人にはOLのままのわたくしのイメージを、そのままそっとして置きた
いの」
 自分は何も分かっちゃいないんだな……と淳は思った。令子がバーをやって
いると聞いて、さっそく乗り込んでみようなどと風間を誘ってみたり、今はま
た会社の連中を引っぱってこようなどと言ってみたり……三十年ものあいだ、
自分は何を感じ、何を考えて生きてきたのだ! 遠慮した方がいいんじゃない
かと言っていた風間の言葉を、淳は苦い思いで噛みしめていた。振られたとい
う点では、自分だって風間と同じ立場ではないのか……淳は気まずい思いにか
られ、何となく令子の顔を見ていられなくなって、そのまま黙ってテーブルに
目をおとした。

「ママ、ご一緒してもいいかしら……」
 ハイティーンのような長い髪をした小柄なホステスが、二人の沈黙するのを
待っていたかのようにテーブルのところに来ると、令子の顔を覗きこむように
して言った。淳は何かほっとして救われた気持になった。
「そうね。それじゃお願いするわ……城戸さん、わたくしちょっと失礼して、
カウンターの方へ顔を出してきますから……」
 令子はそう言い残して席を立った。
 入れ替わりにちょっと短めのスカートをはいたホステスが、膝を曲げて軽く
あいさつすると、黙って淳の前の席にかけた。黄色い生地の回りを黒いビロー
ドで縁取りしたスーツを着て、ニューフェースのOLといった感じである。ス
カートの端から惜しげもなくあらわれている、ぴったりと揃えた膝のあたりが、
淳の目に眩しかった。
「何って名前なの?」
とさっそく淳が訊いた。彼女はそれに口では答えず、黙ってテーブルの上に指
でTOYOKOと大きく書いてみせた。
「トーヨコ?」
「いゃーねぇ! とよ子よ。言いたくないからローマ字で書いたのに……」
 彼女はちょっと口をとがらせて言った。
「古くさい名前でしょ。わたし名前を訊かれるのが一番いゃなの」
「そんなことないよ。いい名前じゃないの」
と淳はすかさず言った。高校のときクラスに同じ名前の美少女がいたので、と
よ子という名前によい印象を持っていたのは嘘ではなかった。
「それでとよ子さんは、いつこちらへ入ったの?」
「七月の末……まだ二ヶ月にならないの。わたしアルバイトなのよ」
「アルバイト! どうりで……さっきひと目見たとき、ニューフェースのOL
かと思ったよ。訊いてもいいかな……どちらへお勤め?」
「わたし、お勤めじゃないのよ」
と、彼女は首を横にふって答えた。
「お勤めじゃない……それじゃ何なの? 本業は……」
「本業はね……どうしようかな、言っちゃおかな……」
 とよ子ちょっと首を曲げて、考えるような仕草をした。言いたいような、そ
れでいて言うのがちょっと恥ずかしいような、この年ごろの女の子に特有の複
雑な心理が、彼女の脳裏で微妙に揺らいでいるようだった。
「何をもったいぶってるの」
 淳は彼女の返事をうながすように言った。
「誰にも言わないって約束してくれる? こういうとこの女の子って、けっこ
ううるさいんだ」
「誰にも言わないよ。約束するよ」
「それじゃ言っちゃうわね」
 彼女はぐっと唾を飲みこんで言った。
「わたし、本業は学生……いま大学の英文科へ行ってるの」
「女子学生か! これはラッキーだね。女子学生が就いてくれるなんって……
久しぶりに学生時代の気分にもどれそうだね」
「そう言っていただくと嬉しいわ」
「…………」
「わたしね。まだ慣れてないからだめなの。ときどきお話がなくなってしまっ
て、お客さまを退屈させてしまうの」
「慣れてないとこがいいんだよ。妙にすれてなくて……ういういしくて……」
 ホステスとはいえ、初対面の女の子にこんなにすらすらと言葉が出てくるの
は、淳には珍しいことだった。

 十時をすぎて、どやどやと四、五人の客が入ってきた。四つあるボックスは
満席になり、令子はあちこちの席を忙しくとびまわっていた。
「ママとは古いお知り合い?」
と、とよ子が急に思い出したように訊いた。
「逢ったのは、そう……二年半ぶりぐらいかな」
「何か、すごいロマンスがあったみたいね」
 彼女は“すごい”という形容詞に、声高なアクセントをつけて言った。
「いや、別に何もなかったよ。残念ながら……」
「でも、さっきの再会はすごくドラマティックだったわ」
「…………」
「女の勘っていうのかしら……わたしね、さっきひと目でピンときたの」
「いゃだな! そんなふうに見られてたの」
 ドアの前に立ったまま、令子とあんなドラマティックな会話をしていたので、
店内の人に見られていたのは当然だが、淳はあまりぞっとしなかった。

 先刻からずっと流れている音楽は、クラシックとポピュラーが適当にミック
スされていたが、とよ子は音楽なら何でもいけるらしく、ときどきリズムに合
わせてからだを動かしていた。英語の歌が聞こえてくると、彼女はいっしょに
歌詞を口ずさんだりした。
 淳は、さっき彼女が英文科へ行っていると言ったのを思い出して、何とはな
しに訊いてみた。
「ところで、とよ子さんはどこの大学?」
「困ったな!」
 彼女はもったいぶったように腕を組むと、ちょっと首を曲げて言った。
「誰にも言わないって約束してくれる?」
「おやおや、またかい……安心してくれよ。誰にも言いはしないから……」
「それじゃ指切りして……」
 淳はとよ子の差し出した小さな右手の小指に、自分の小指を引っかけて大き
く振った。酔っているとはいえ、子供のような仕草が淳には照れくさかった。
「それじゃ言うわね」
 指切りの手をはなすと、彼女はあらためて淳の顔を見つめて言った。
「城戸さん、成恵学園ってご存じ?」
「えっ! とよ子さん成恵学園へ行ってるの!」
 淳はびっくりして、彼女の顔をまざまざと見つめた。
「こりゃ驚いたな。実はぼくも成恵の高校のOBなんだよ。それにママだって、
とよ子さんには先輩じゃないの」
「ほんと! 驚いたわあっ。城戸さんが成恵の先輩だなんって……ママったら、
さっきはそんなことひとことも言ってくれないものだから、ぜんぜん知らなか
った」
と、今度はとよ子の方がすっ頓狂な声をあげた。自分から、誰にも言わないで
……と言っておきながら、隣りのボックスにも聞こえるような高いトーンだっ
た。

 それにししても、学園もずいぶん変わったものだと淳は思った。
 成恵学園といえば都内でも中産階級の子女の集まる学校として、昔からかな
り知られた存在である。その教育方針は一貫して自由主義によって貫かれ、生
徒は一個の人格として、幼稚園児から大学生にいたるまで、常にその個性を尊
重され続けてきた。しかしそれだけに生徒に対する躾も厳しく、学校はたえず
家庭と連絡をとりあって、その補導に努めていたものだ。淳の高校時代だった
ら、女生徒がバーでアルバイトなどしていたら、まず退学は間違いないところ
だ。令子がバーを始めたというだけでも、驚きだったというのに……淳はめま
ぐるしく変わる時代の変化に、自分だけが取り残されたような、何となく寂し
い気分にとらわれるのだった。
「こんなところでアルバイトなんかして、貰ったお金どうしちゃうの?」
 淳はちょっと先輩らしく、戒めるような口調で言った。
「家からの送金だけじゃ足りないのよ。お友だちとマンション借りてるでしょ。
それに今度のお正月には、そのお友だちとハワイへ行く計画してるの」
 なるほど……と淳は思った。古い学生相手の下宿屋に泊まって、レジャーと
いっては囲碁とパチンコ・マージャンくらいしかなかった自分たちの時代とは、
学生生活の内容がぜんぜん違うのだ。淳の時代には、学生が社会人と同じよう
に派手に振舞うことに、一種の罪悪にも似たうしろめたさを覚えたものだが…
…そこへいくと今の学生たちは、男性と女性との垣根さえも取り払って、若い
時代を思う存分に楽しんでいる……目の前のとよ子を見ながら、淳にはこの方
が何となく人間らしい生き方のように思え、むしろ羨ましい気さえしてくるの
だった。

 十一時になると、とよ子が申し訳なさそうに言った。
「わたしね、ママにお願いして十一時までの契約にしてるの。そろそろ帰らな
きゃ……城戸さん、また来てくださる?」
「そうなの。残念だな……勿論また来るよ。今夜はとても楽しかった」
「そう言っていただくと嬉しいわ。じゃ、またきっとね」
 彼女はカウンターの後ろにいったん姿を消すと、すぐにハンドバッグを持っ
て出てきた。そしてドアの方へ曲がるとき、「さよなら……」と言うように淳
に手を振って帰っていった。

 とよ子が帰ると、入れ替わりに令子が淳の前に掛けた。
「ごめんなさい。すっかり失礼してしまって……」
 そう言いながら彼女はたばこをくわえると、テーブルの上に置かれたライタ
ーで火をつけた。
「変わったとお思いになるでしょ。わたくしがこんなものを吸うなんて……で
も味は分からないのよ」
 味は分からなくても、職業がら吸わない訳にはいかない……たとえそれが、
どんなに自分のイメージを傷つけることであったにしても……そう言いたいの
であろうか、淳は初めて令子がバーを始めたことの現実に、直面したような気
がするのだった。深紅のマニキュアが、たばこの白さをいっそうきわ立たせて
いた。
 先刻どやどやと入ってきた客の吸っていたたばこのせいか、室内の空気はか
なり汚れているようだった。令子は一口吸ってたばこを灰皿の上に置くと、
「今のとよ子さんって子、おもしろいでしょ」
「うん……彼女、成恵の後輩じゃないの。そのせいか俄然意気投合して話がは
ずんじゃった。今も帰るとき、また来るって約束させられちゃったよ」
「ごめんなさい。何もお話しないで……実は彼女、知り合いから預かってるの。
大学へ行っていることも、わたくしの後輩だっていうことも、ここではいっさ
い秘密にしてるのよ」
「さっき彼女もそんなこと言ってたけど……面倒なんだな、女の世界って……
伊予田さんもいろいろと苦労があるんだな」
 淳はしんみりした口調で言った。

 辺りが静かになったので見まわすと、いつの間にかボックスの客は淳を含め
て二人だけになっていた。彼の席から直接は見えないが、カウンターの方にも
あまり客はいないようだった。
「こちら何時までなの?」
 もしかして閉店の時間ではないかと気になって、淳ははやてまわしに訊いて
みた。
「十一時半ですけど……気になさることないわ。閉店までは大丈夫ですから」
「でも、もうすぐじゃない?」
と、淳は自分の時計を見ながら言った。そして顔を上げると、
「伊予田さん……」
 彼は令子の顔を見つめながら、ちょっとあらたまった口調で訊いた。
「今夜、ちょっと外でお逢いできない?」
「わたくしはいつも遅いから構わないけれど……城戸さん、そんなに遅くなっ
て大丈夫?」
「明日は会社やすみだから、ぼくは何時でも平気ですよ」
「そうでしたわね。それじゃここを左へ出た角にエルムって喫茶店があるの。
そこで待っててくださる……わたくしお店を閉めて、四十五分ごろに行きます
から……」
 令子はこう言うと、ちょうど帰ろうとしている客にあいさつするため席を離
れた。

 閉店の五分前に会計を済ませてわくらばを出ると、淳はまっすぐに教えられ
た喫茶店へ行った。山小屋風の小さな喫茶店だった。ほかに客は、恋人同志ら
しい若いアベックが、隅の方で何かひそひそと話しているだけだった。五、六
分してアベックが出ていくと、客は淳ひとりになってしまった。店のオーナー
らしい中年の女性が、レジの向こうで週刊誌を読んでいた。
」









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