AWC 邪狩教団 第3話 ミレニアム 7


        
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邪狩教団 第3話 ミレニアム 7
★内容

                  7

 ジヒョンは満足そうな顔で頷いた。反対に実川教授は絶望に打ちひしがれた表情で
うなだれている。たった今、ジヒョンに協力する意志を伝えたばかりだったのだ。
 「賢明な選択ね、教授」ジヒョンは上機嫌で言った。「じゃあ、約束通り、この子
を返してあげるわ」
 教授の助手、金納道代は仔犬のようにジヒョンにしがみついていた。ジヒョンは、
意外に優しい手つきで道代を引き寄せると、正面から瞳をのぞきこんだ。双眸がルビ
ーの輝きを帯び、道代の顔から全ての表情が消失する。ジヒョンが顔を離した瞬間、
道代の身体は教授の足元に崩れ落ちた。
 「道代君!」
 教授は慌てて道代の身体を抱き起こした。上半身は裸のままなので、白衣を脱いで
着せてやりながら、ジヒョンに視線を向ける。
 「いつ意識を取り戻すんだ」
 「そうね。今までの経験からいくと30分から1時間ってところかしらね。もちろ
ん個人差もあるけど」
 「絶対に正気に戻ることは確かなのだな?」教授は念を押した。
 「その点に関しては私を信じてもらうしかないわね」ジヒョンは微笑んだ。「その
子を寝かせたら私についてきて。会わせたい人たち----いえ、人かどうか知らないけ
ど、とにかく会わせたい相手があるのよ。向こうも、教授に会いたがっているしね」
 「<従者>か?」教授はソファにぐったりした道代の身体を横たえながら、緊張し
た声で訊いた。
 「それは、あなたが自分で判断するといいわ」ジヒョンは歩き出した。「さあ、来
てちょうだい」
 「……その必要はない……」
 地の底から響いているような重苦しい声と共に、会議室のドアが開いた。同時に、
会議室に魚の腐敗臭が満ちた。実川教授は顔を歪めたが、腐敗臭はすぐに消失した。
ジヒョンも少し驚いた様子で、ドアの下に立っている男に呼びかけた。
 「あら、ミスター・マーシュ」
 その言葉に真っ先に反応したのは、マーシュ本人よりも実川教授だった。太り気味
の外見からは想像もできないほど素早い動作でズボンのポケットに手を突っ込むと、
掌にすっぽり収まるぐらいの円形の石版を取り出す。石版には先端が歪曲した五芒星
形が浮き彫りになっており、中央には炎をまとった柱が見える。邪狩教団の団員が使
用する護符である。
 一瞬で、その正体を悟ったマーシュが恐慌の叫び声をもらす。後ろに続いていた3
人の男たちも後ずさった。<従者>にとって、<旧神の印>とも呼ばれる護符は直視
することもかなわないほど恐るべき力を持っているのだ。触れれば、邪力で結合され
た肉体はたちどころに崩壊していく。
 教授の手から石版が放たれようとした直前、その手首を横から伸びた手ががっしり
と掴み、軽くひねった。力の抜けた教授の指から護符がこぼれ落ち、リノリウムの床
で空しく乾いた音をたてて転がった。
 「なかなか隅に置けないじゃないの、教授」ジヒョンは教授の手首を掴んだまま、
少し感心したように微笑んだ。「でも、少し慌てすぎたわね。もう少しチャンスを待
てばうまく行ったかもしれないのに」
 「マーシュだと?」教授は呻いた。「あのマーシュ一族の末裔か……まだ生き残っ
ていたのか。厭うべき<深きもの>……」
 「おだまり」ジヒョンは静かに警告し、教授の手首をひねった。
 「ぐっ!」
 教授は歯を食いしばって苦痛に耐えた。
 ジヒョンは肩をすくめると、教授の手首を解放した。床から護符を拾い上げて、コ
ートの内ポケットにしまう。
 「これは私が預かっておくわね」ジヒョンはそう言ってから、後ろにいた部下を振
り返った。「一応、教授のボディーチェックをしなさい」
 部下が進み出て、うなだれた教授の衣服を丹念にチェックし始めた。ジヒョンは頷
いてマーシュに向き直った。
 マーシュは空気が凍りつきそうな残酷で邪悪な視線で、自分を危うく滅ぼしかけた
男を睨みつけていた。
 「……お前の知性が、これほど必要でなければ、今すぐ魂から血が流れるほどの苦
痛を味あわせた上で殺してやるところだ……」低く平板な声でマーシュは言った。「
……だが、今は生かしておいてやろう。今夜、大地は多くの血を啜るであろうが、お
前の血が混ざるのはまだだ……」
 「チェックOKです」部下がジヒョンに報告した。ジヒョンはマーシュを見た。
 「……では、サネガワよ。お前の力を貸してもらおうか……立て……」


              プラン
 『ミレニアム計画は7年前から開始した』
 イアピースの中でタイラントの声が話している。玲子とカインは耳を傾けながら、
校舎の壁に張り付くように移動を続けていた。目標は、数十メートル先のイベント・
ホールである。数十メートルといっても直線距離を進んだ場合であって、そこは街灯
でこうこうと照らされた道である。玲子もカインも、再び狙撃されるのは願い下げだ
った。
 『邪狩教団は以前から、<従者>との戦いに決定的な勝利的要素を挿入しようと考
えてきた。このプランが成功すれば、我々の戦いは一気に有利になるだろうと思われ
た』
 校舎が投げる影が切れる場所に来た。ほんの数メートル向こうに再び影ができてい
る。だが、その数メートルは、まるでスポットライトが照らしているかのように、眩
しい光があたっている。先導していた玲子はちらりとカインに視線を投げ、いきなり
助走もつけずに跳躍した。空中で身体を丸め、くるりときれいに一回転して爪先から
地面に降り立つ。影が玲子を包んだ。両手を上げてポーズを取りたいところである。
 『プランの発案者は実川教授だ』タイラントは続けた。『教授は、超古代、大いな
る戦いの果てに<旧支配者>を封じ込めた<旧神>に助けを求めることを提案したの
だ』
 「<旧神>……ですって?」思わず玲子は訊き返した。「どこに、どうやって?」
 カインが無造作に足を踏み出し、そのまま光の中に溶け込むように消えた。玲子が
まばたきするぐらいの時間をおいて、カインは一陣の風と共に玲子の隣に出現した。
残像すら残さない猛スピードである。
 『ラヴクラフト・サークルの恐怖小説家たちの作品によれば、<旧神>は<旧支配
者>を封じ込めた戦いの後、オリオン座ペテルギウスに帰っていったという。だが、
これはむろん比喩であって、<旧神>は隣接して存在すると考えられる無数の高次元
のどこかにいると推測されている。ミレニアム計画は、その次元を突き止め、救援を
求めるメッセージを送ることを最終目的としている』
 「なんか、すっごく荒唐無稽に聞こえるんですけど」玲子は辺りの気配を探りなが
ら囁いた。「現実的な話なんでしょうね」
 「ハミングバード」カインが口を開いた。「<巫女>の一族が、伊達や酔狂で、そ
んな計画を遂行すると思うのか」
 「はいはい」玲子は肩をすくめて、次の進路の安全を探った。「で?どうやって、
<旧神>の存在を探り当てる計画なんですか?」
 『実川教授は<巫女>一族の遺伝子マップのどこかに、それが隠されていると考え
ていたのだ。7年前から教授が研究していたのは、その遺伝子マップを解読するプロ
グラムだ』
 遺伝子----DNAは巨大な暗号である。アデニン、チミン、グアニン、シトシンの
4種類の塩基化合物質からなる塩基配列が、一つのDNA分子構造に30億も含まれ
ているのだ。ヒトゲノム計画----人間のDNA構造の全てを解析する計画----が進行
しているが、DNA構造の90パーセントまでは、何に使われているのか全く判明し
ていない。
 「……つまり、DNAの未知の領域に、<旧神>が残したメッセージが隠されてい
ると言うわけですか」玲子はまだ半信半疑だった。「どうやって、それを証明するん
です?」
 『今、説明してほしいのかね』
 「いえ、結構です」玲子は慌てて答えた。「どうせ、聞いてもわからないでしょう
から」
 『賢明だ』タイラントが応じた。その口調はいつもの通り無感情そのものだったに
もかかわらず、玲子はバカにされたような気がしてならなかった。
 「その壮大な計画と、この任務とどういう関係があるんですか?」玲子は歩きなが
ら訊いた。カインは黙ってついてくる。「例の<黒の石>は?」
 『それがこの任務の重要な点だ。敵は----テロリストなどではないぞ。<従者>が
だ----教授のプログラムを使って、<暗黒の碑>に隠された記憶を解読しようとして
いるらしいのだ』
 「記憶?」
 『<旧支配者>を封じ込めた<旧神>の記憶が<暗黒の碑>には秘められている』
タイラント長官の声が少し緊張した。『それを解読すれば、<旧支配者>の封印を解
くことも決して不可能ではないだろう』


 「いつのまにこんな設備を……」実川教授は絶句した。
 そこは大学のマシンルームだった。教授の記憶では、マシンルームにあったのは、
古いIBMのメインフレームと、学内LANのサーバマシンぐらいだった。ところが
今、教授の目の前にはクレイY−MPが3基設置され、低い作動音を響かせていた。
世界最高級のスーパーコンピュータである。冷却効果を高めるため、マシンルーム備
え付けのエアコンは摂氏4度に設定されており、さらに緊急に設置したらしい空冷式
除熱冷却装置が3基のクレイの周囲に置かれている。おかげでマシンルームの中は冬
の朝のように寒かった。
 3基のスーパーコンピュータは、互いに並列接続されており、それらの端末として
SUNのワークステーションが置かれている。その隣には、最新型の大型レーザープ
リンタがあり、ファイルサーバらしい筐体があり、他にも無停電電源装置やバックア
ップ用のテープ装置、10BASE−Tのハブ、ツイストペアケーブルの束などがあ
った。
 マーシュが頷くと、後ろにいた男の一人が進み出た。濃い色のサングラスをかけて
いて顔はわからないが、雰囲気がマーシュと似ている。マーシュの一族か、その邪悪
なる血が混じった人間なのだろう。
 「ここのマシンは、別の部屋にある高解像度光学スキャン装置に接続されている」
男は前置きなしでしゃべり始めた。「そのスキャナーがスキャンしているのは、お前
たちが<黒の石>と呼ぶ召喚媒体の断片だ。お前のプログラムを使って、そこに隠さ
れている偉大なる我らの主君の残した暗号を解読するのだ」
 「だが、私のプログラムはDNAの塩基配列を解読するためのものだ」教授は抵抗
した。「<黒の石>に隠された暗号向けではない」
 「我々は両者の言語は共通の母体を持つと信じるに足る根拠を持っている。そこか
ら、お前のプログラム向けにデータをコンバートするには、変換プログラムを介在さ
せるだけですむ」男は無表情に応じた。「お前がやらなければならないのは、まずコ
ンバートルーチンを作ることだ。こっちのスペックは、データベース内にある。60
万レコード足らずだ。60分もあればできるだろう」
 この男はコンピュータに精通しているらしい。おそらく、大抵のプログラム言語を
読め、ロジックを検証できるぐらいには。つまり、適当なプログラムでごまかすわけ
にはいかないということである。実川教授は、しかし、それでも何とか時間を稼ぐ方
法がないかと思案した。
 「教授」今まで黙っていたジヒョンが声をかけた。「時間を稼ごうと思ってるなら
無駄なことよ。私も、私のクライアントも長い時間をかけて教授について調査したん
だから。400人の学生の命が大事なら、さっさと仕事にかかることね」
 「助手が必要だ」諦めて教授は言った。「道代君を起こして連れてきてくれ」
 マーシュがジヒョンを見た。ジヒョンは通信機で誰かを呼び出し、数語話した。
 「手配したわ」ジヒョンは言った。「他には?」
 「必要になったら言う。このシステムの取り扱いに慣れるために、30分ほどもら
おう。それから、プログラミングに入る」
 「その必要はない」さっきの男が進み出た。「操作はこちらがやる。お前は、口で
指示するだけでいい」
 「まず、<黒の石>のデータのレコードフォーマットを見せてもらおう」教授は椅
子に腰を下ろした。男はコンソールの前に座ると、慣れた手つきでキーボードを叩き
始めた。


 「同時に?」玲子は小声で囁き返した。「教授の救出と、敵の殲滅を同時にやれっ
て言うんですか?」
 『敵を殲滅させる必要はない』タイラントが答えた。『2日前に3基のクレイ・ス
ーパーコンピュータが運び込まれていることが確認された。暗号の解読に使われるこ
とは間違いない。それらを破壊するだけでいい』
 「教授はおそらく、そのコンピュータの近くにいるのでしょう?ということは、力
まかせに破壊するわけにはいかない、ということじゃないですか」
 『そのとおり。君たちはまず、教授を救出して、その後コンピュータを破壊しなけ
ればならない』
 「言うは易しですよ」玲子はため息をついた。「マシンルームは厳重に警備されて
いるに決まってるじゃありませんか。いくら奇襲しても、あっさりやられてくれる敵
とは思えませんよ。長引けば、敵が教授を殺す可能性だってあります」
 『私もハミングバードと同意見ですな、長官』ジャスミンが割り込んだ。『この際
教授の救出は諦めて、敵の計画を阻止するだけにとどめるよう進言します』
 『却下する』タイラントはにべもなく拒否した。『教授は必ず生かしたまま確保し
なければならない。今、ひとつ手を打ったところだ。後、60分足らずで機動隊が突
入を敢行する。敵の戦力が分散するだろう。チャンスはある』
 「機動隊なんか、たちまちトラップに引っかかって、全滅しますよ?」玲子が警告
した。
 『構わない』非情な答えが戻ってきた。『混乱に乗ずることができるだろう』
 「……」玲子は絶句した。
 『手段を選んでいる場合ではないのだ』タイラントは続けた。『このミッションが
失敗すれば、人類全体の危機の始まりとなるかも知れない。必要であれば、人質の学
生を犠牲にしてでも、達成されなければならない』





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