#2830/5495 長編
★タイトル (RAD ) 94/11/ 1 0:12 (199)
後継者たち(4) 悠歩
★内容
いつの間にか、リリアは街角に立っていた。
そこはアメリカでは無い………道行く人の殆どが、黄色い肌をしている。
何処かアジアの国のようだったが、街並みもいつか見たチャイナ・タウンとも違
う。何か酷く貧しく感じる。
喧騒………、陽はとうの昔に落ちているのに、街は人で溢れていた。
豊かなナリをした外国人。目つきの悪い男たち。けばけばしい化粧の女たち。
匂い立つような人々の熱気は、人見知りの激しいリリアには、居心地のいい場所
では無かった。
「オニイサン、オニイサン、イイコイルヨ」
「ネエ、アソンデイッテヨ」
「チョット、タカイヨ」
魂だけで、そこに存在しているリリアに気づく者はいないが、やはりここは自分
のような子どもの居るべき場所ではない。
そう感じたリリアは、近くの路地へと逃げ込んだ。
大通りから、僅かに逃れただけなのに、路地はまるで別世界のように暗くて静か
だった。
「ふうっ」
人混みから逃れて安心したリリアは、一つ息をついた。
「おじいさんたら、ここでわたしに何を見せたいのかしら」
答える声は無い。
しかし心を澄まして見れば、みんなが近くにいる事が感じられた。
「自分で確かめろって、も事なのね………あら?」
リリアは初めて、その路地に先客がいる事に気がついた。リリアより少し離れた
所で、膝を抱えて蹲っている女の子。どうやら、泣いているようだ。
「ねえ………どうしたの? どこか痛いの?」
女の子は驚いたように顔を上げて、辺りを見回した。けれども、女の子にはリリ
アの姿は見えない。
「!」
明らかにリリアより歳下の女の子の顔には、あちらこちらが青黒く腫れ上がって
いた。
「そ、その怪我は………」
『どうしたの』と言う前に、再びリリアの周りは暗闇に包まれた。
次に視界が開けた時、リリアは狭い部屋の中に居た。
裕福な家庭に生まれ育ったリリアには、おおよそこれまでに見た事の無い様な部
屋だった。
裸電球が一つ吊るされただけの天井。染みだらけの冷たい感じの、床。うす汚れ
たベッドが一つ。
そのベッドの奥では、裸の男が背中をこちらに向けて眠っていた。そして手前に
は一人の女の子が、ベッドに腰掛けながら服を着ているところだった。
「あの子………」
それは先程、路地裏で泣いていた女の子だった。
顔に傷はない。時間を少し遡った光景を見ているのだ………誰に知らされる事無
く、リリアはその事を感じた。
ベッドで寝ている男は、あの女の子の父親なのだろうか? おじいさんは、女の
子の貧しい暮らしぶりを見せようとしているのだろうか?
「でも」
何かが違う。リリアは思った。
「あの子はな、身を売ってお金を稼いでいるのだよ」
「え?」
突然聞こえて来たおじいちゃんの声の語った事は、あまりにも衝撃的だった。
同じ年頃の子に比べれば、リリアの性の知識は遅れていた。でも、おじいちゃん
の言った言葉の意味は、漠然とながら理解が出来た。
「だってこの子、わたしよりも小さいのよ」
「しかし現実なのだよ」
「そんな………」
衝撃に打ち震えるリリアの魂は、いつしか女の子の意識へと同化して行った。
何度体験しても、それは苦痛でしかなかった。
しかしそれをするしか、少女の家族が食べていく手段は無かった。
いつもの様に、男のなすがままに身を任せ無限とも思える、苦痛な時間がようや
く過ぎた。
男は事を終えると、そのまま眠ってしまった。お金は既に貰っているので、起こ
すことも無い。
少女は服を着ながら、妹の事を思い出していた。
今朝、いつもの様に市場で拾った野菜屑を売り終わった後、妹は学校に行くこと
をいやがって泣き出した。
ぐずる妹をなだめすかして、訳を聞いて見た。
「腕時計が欲しいの」
昨日学校で、腕時計をして来た子がいたのだそうだ。
あまりにも自慢げな腕時計を見て、妹も欲しくなったらしい。
だが、日々喰うや喰わずの生活をしている少女の家には、そんな物を買う余裕な
ど有るはずも無い。
そんな事は妹も、よく分かっているはずだった。
分かっていたから、なお我慢しきれなかったのだろう。思えば妹もずっと家のた
めに働き詰めで、欲しい物など何一つ手にしたことは無い。
少女は自分の不幸さよりも、妹の事を想うととても辛くなった。
ふと顔を上げた少女の目に、腕時計が止まった。
「………」
それはベッドに入る前に、男が外してテーブルの上に置いた物だった。
「いけない」
そう思いながらも、少女の手は腕時計へ伸びて行ってしまった。
腕時計を掴んだ瞬間、妹の笑顔が脳裏に浮かんだ。
「何をしている!」
その声に驚いて振り返った瞬間、男の大きな手が少女の頬を打ち据えた。
声もなく、少女は床に倒れ込む。
床に転がった腕時計を拾い上げると、男は恐ろしい形相で少女を睨みつけた。
「あ………あの、ごめんなさい………わたし」
弁解しようとする少女の言葉を、男は聞こうともしない。片手でも持ち上がるほ
ど体重差のある少女の襟元を掴み上げると、力ずくで引きずり起こした。
「この盗人め!」
全く容赦する事無く、男は少女を幾度も、幾度も殴りつけた。そして、少女がぐっ
たりとすると、一度与えたお金まで取り上げ「二度とこんな事をしたら、本当に殺
してやるからな」と捨て台詞を吐いて、部屋を出て行った。
朦朧とした意識で少女は、自分をとても惨めに思った。身動きする事も出来ない
痛みよりも、腕時計を盗もうとしてしまった自分が悲しかった。
「ごめんね」
少女は心の中で妹に謝った。
あの腕時計は、男の国では一時間仕事をしただけで買うことの出来る物だと、少
女は知らなかった。
「あ………あれ?」
デビットは突然ロバートたちが見えなくなってしまった事に気がついた。
「今度はぼくの番………なの」
開けたデビットの視界に映った光景は、一面の荒れ地だった。
ごつごつとした岩があちこちに露出しており、さらさらに乾いた土は殆どが砂だっ
た。
その荒れ地を、僅かばかりの荷物を持って、或いは何も持たずに進む黒人たちが
いた。
キャラバン………どこかで聞いたそんな単語をデビットは思い出す。だが様子が
違う。
腕に手に、頭に腹に、人々は皆どこかに傷を負っていた。
「これって、難民………ってやつ?」
そう言えばニュースで、どこかの国に内戦が起きたと聞いた気がする。何万人も
の人が難民になって、さまよっていると。
「はあっ」
デビットのすぐ横で、少年が躓いた。
「あっ、君、だいじょうぶ?」
思わず手をさしのべてみたが、デビットは少年に触れる事は出来なかった。
「そっか、いまのぼくは魂だけ、なんだっけ」
自力で立ち上がった少年は、驚くほど痩せていた。
小さな身体に不釣り合いな程、大きな目がやけに目立つ。手足は枯れ枝の様に細
く、胸はあばらは外に突き出してしまうのでは無いかと思えるほどだった。
それに対して、膨れ過ぎている腹。明らかな栄養失調だ。
「君、これ」
少年の姿に耐えられなく生ったデビットは、ポケットの中のチョコレートを探し
た。
しかし、入れていたはずのチョコレートが見つからない。確かに持っていたはず
なのに。
いや、確かに持ってはいるのだ。ただ実体でないデビットには、実体のチョコレー
トをその場に出す事が出来ないのだ。
「!」
誰かが叫び声を上げた。
すると、それまでのろのろとした足どりで歩いていた人々が、脱兎の如く駆け出
した。
それに呼応する様に響きわたる銃声。
彼らに敵対する部族の追手が来たのだ。
「………」
目の前に起きた惨劇に、デビットは声にならない叫びを上げる。
デビットの身体を、いくつかの銃弾が通り過ぎていく。もちろん魂だけがそこに
いるデビットには、肉体的な影響は何も無い。
しかし、目の前にいる人々はそうでは無い。
胸を貫かれ、声も無く倒れる女性。その腕に抱かれていた赤ちゃんは、突然地面
に投げ出されて泣き出す。その赤ちゃんにさえ銃弾が降り注ぐ。
「やめろ! やめろよ! みんな武器も持って無いんだぞ! 子どもや女の人もい
るんだぞ」
泣き叫ぶデビット。だが、その声は誰の耳にも聞こえない。
「あの子は」
先程の少年の事が気に掛かる。見るとあの少年は、逃げまどう人々の中にあって、
遅れをとっていた。
「早く走って! 早く!」
懸命にデビットは声を掛ける。
だが弱りきった少年の身体では、それは適わぬ事だった。
そして−−−
一発の銃弾が少年の肩を掠めて行った。
「立って、立って走るんだ」
倒れ込んだ少年を何とか励まそうとするデビット。自分の声が少年には聞こえて
いない事も、分かっている。それでも応援しないではいられない。
だが少年は立ち上がらない。
傷はそれ程では無かったのだが、体力が限界に来ていたのだ。そして何より、生
きる気力が少年には無かった。
死を受け入れようとする、少年の心がデビットの中に流れ込んで来る。
小さな家、貧しい生活。
だが父母、兄弟たちに囲まれて幸せだった少年の家庭。
ある日突然に少年の家を襲って来た兵士たち。
銃弾に倒れる父母、兄、幼い妹。
もう誰もいない。生きていても一人ぼっち。自分が死んで悲しむ人もいない。
これ以上苦しむのなら、いっそここで死んでしまった方が、どれほど楽だろうか…
……。
「駄目だ、駄目だよう………死んじゃ駄目だよう………」
泣き叫ぶデビット。
その声が聞こえたのだろうか。少年が、僅かに微笑んだように見えた。
シンシアは静かな田舎町のような場所にいた。
懐かしい感じのする、質素な、それでいて暖かみのある造りの家々。冬を迎えて
殆どが葉を落としているが、綺麗に並んだ並木。
まるで平和そのものの牧歌的風景。
「ふーん。たまにはこんな所を歩いてみるのも、いいわね」
シンシアはしばらくの間、美しい田舎町の風景を楽しみながら散歩を続けた。
吹き抜ける一陣の風」」」落ち葉を踊らせて行く。
さして強い風では無い。冷たくはあるが、刺すような痛みを伴うものでも無かっ
た。
だが、シンシアはその風に普通では無い何かを感じた。
「いや………なに? この感じ」
不吉。そう、シンシアは風を不吉と感じた。そして………風が吹き抜けた後、踊
る事を止めて、静かに地に降りていく落ち葉たち。
そのどれもが不自然な形をしていた。
自然の偶然によるものではない形。奇形。
「なんなの、この葉っぱは」
そう言えば、この町は静か過ぎる。
先程から、まるで人の気配が感じられない。
「誰か居ないのかしら」
ゆっくりと風景を楽しんでいたシンシアの足どりは、人の姿を求めて早まった。