#2812/5495 長編
★タイトル (GVJ ) 94/10/12 4: 4 (200)
夜の虎(20) 青木無常
★内容
質問の意図を計りきれず、マリッドはあいまいに微笑しながら肩をすくめてみせ
ただけだった。
「やつは、まちがいなくおれと同じ強化人間だ」
かまわず、バラムは先をつづけた。「“フィスツ”が復活したという噂。あれは
掛け値なしの真実だったのか?」
「なぜそんなことをあたしに訊くの?」
詰問の口調ではなかった。
だが、もうマリッドの顔は笑ってはいない。
「おまえはそのことをよく知っているはずだ」
静かに眺め降ろす黒い瞳を真正面から見上げながら、バラムは静かに云った。
「答えろ、マリッド。“フィスツ”は復活したのか? そしてハリ・ファジル・ハ
ーンは――完成品なのか?」
自嘲するような口調で、完成品、と口にした。
「そんなこと知らないわよ」
マリッドは軽く一蹴した。「頭でも打ったの?」
「頭ならしょっちゅう打ってる」
冗談とはとれぬ口調で受け流し、バラムはなおも追求した。「妙なかけひきは苦
手なんだ。もうやめにしてくれ。おまえのほんとうの雇い主は“フィスツ”だ。そ
うだろう?」
マリッドは何のことだかわからない、とでも云いたげに無言で、あいまいな微笑
をうかべているだけだ。
かまわず、バラムはつづけた。
「任務も復唱してほしいか? 旧い強化人間と新しいそれとの性能比較。つまり―
―おれがこの件にひきずりこまれたのは偶然じゃなく、最初から仕組まれたことだ
ったってわけだ。すくなくとも――おまえたちはそう考えているはずだな? ここ
でいう“おまえたち”というのが何をさしているのかまでは、くりかえすまでもな
いだろう。どうなんだ?」
「ばかばかしい妄想だわ」
静かに、マリッドは否定した。少年めいた美貌に、表情は浮かんではいなかった。
「どうしてそんな風に思うようになったの?」
「わかってるんだ。どうしても糾弾してほしいんだな。よし、説明してやるよ」
云うとバラムは目を閉じて身じろぎし、小さく苦鳴をもらした。
「痛むの?」
問いに、かすかにうなずいてみせる。
繊手がバラムの額にそっとおかれた。
バラムは拒まず、ただ哀しげにそんなマリッドを眺め上げただけだった。
そしてつづけた。
「最初の疑問は、ジョシュアの倒壊寸前のスカイフックの中での会話だ。あのスカ
イフックは、まだ立っているのかな?」
マリッドは肩をすくめ、視線で先をうながした。
「あの時おまえは、ジョルダン・ウシャル殺害の依頼をおれが受けた、という情報
を得たのは一週間前だといった。その情報はまったく正確とは云いがたい。ある富
豪から接触を求められ、欲得がらみの暗黒街の帝王暗殺をもちかけられたのは事実
だ。報酬も悪くはなかった。だが、おれはその依頼を受けなかった」
「情報源がまちがっていたのね」
平然と、マリッドはそう云った。「よくあることだわ。依頼は行われていたわけ
だし、現実にあなたはウシャルを殺しに現れた。なぜ気がかわったのかはしらない
けど、結果的には整合してる」
「気なんざ変わっちゃいない」
小さくバラムは首をふる。「うさんくさい依頼だった。内容はもっともらしかっ
たが、依頼者と称する富豪が、本気で帝王の死を願っているとはとても思えなかっ
た。べつに証拠があったわけじゃない。ただの勘だ。だが、その勘がおれの命をい
ままで長らえてきたのは事実だ。だからおれは依頼を断ったし、気を変えて契約を
し直しに戻ってもいない」
「じゃあ、なぜウシャルを殺しに現れたの?」
質問は無視して、バラムはさらにつづけた。
「依頼を断った理由はもうひとつある。殺し屋稼業がつくづくイヤになっていたか
らだ。もともと進んではじめたことじゃない。この手の世界にゃ飽きあきしていた。
地下闘士をしていたころから、相手を殺すなんてことは、飽きるほどくりかえして
きたからな。静かに暮らそうと思ってたんだ。ジョシュアもストラトスも後にして、
どこか行ったことのない、そしてだれもバラムという名前の特殊な意味を知らない
どこか遠くでな。準備も進めていた。進めながら、毎晩あびるように酒を飲んでい
た。知っているか、マリッド。おれの肉体はな、強化知覚と治癒能力向上の代償に、
そこらの薬物なんざ効かねえようになっちまってるんだ。とうぜん酒になど、酔え
るはずもねえ。だけど酔ったような気分になりたかったのさ。ぐだぐだに酔っぱら
って、だれかに世話をしてもらいたかったんだ」
「疲れてたんだね」
いたわるようにマリッドが云うのへ、バラムは視線を外すようにして目を伏せた。
そして、マリッドの言葉など聞こえなかったとでもいうように、わざとらしいほ
ど平板な口調で先をつづけた。
「演技で酔っぱらうおれを、律儀に毎晩のように介抱してくれる女がいたんだ。近
くの裏街で、体を売って暮らしてる女だった。もうかなりのいい歳だし、昔はきれ
いな顔をしていたらしいが、たぶん美容にかける金さえままならなかったんだろう、
見る影もなく年老いていたよ。それでも気持ちだけは、きれいな女だったな。いっ
しょにいると、変にリラックスできた。おれは酒をかっくらって、せめて気分だけ
でもへろへろになったように、女に対しても、自分に向かっても演じつづけながら、
らちもない話をしたよ」
「その人が、ハルシア?」
マリッドの問いに、バラムは怒った子どものような顔をしながら、首を左右にふ
ってみせた。
「ハルシアはもっと昔の女だ。そんな気楽なつきあいでもなかったしな。話さなか
ったか? おれとハルシアのあいだには、子どももいたんだ。女の子でな。名前は
マリアってんだ」
マリッドは、ラベナドの空中庭園で“入魔”から醒める時にバラムが、その名で
自分を呼んだことを思い出した。
だが、それを口には出さず、ただ静かに微笑んでこう云った。
「いい名前だわ。あたしの名前に似てる」
「名前だけじゃねえよ」
遠く、懐かしむような口調でバラムは云った。「黒い髪で黒い瞳をしていた。年
ごろになったマリアは、今のおまえとどこか似てたよ。死んじまったがな。十八だ
った。もっともっと、生きられたはずだったんだ」
マリッドは、無言でバラムを眺め降ろすだけだった。
断ち切るように目を閉じると、バラムはふたたびジョシュアの裏街での話に立ち
戻った。
「ばか話の中にゃ、女が磊落する過程の履歴書も含まれてた。ジョルダン・ウシャ
ルの、古い情婦だったのさ。一時は、殺したいほど憎んでもいたそうだ。今じゃ、
どうでもいいことになっちまったらしいがね」
「なぜ、その人と別れてきたの?」
静かに、マリッドは訊いた。
バラムは薄く笑った。
「おれの場合、キーワードはいつでも死だったな。自殺だか事故だかはわからない。
とにかく女は、ふだん離れることのない裏街のヤサを出て、柄にもないからと寄り
つこうともしなかったポルトジョシュアの高いところへ出かけたんだ。ひとりでな。
何をしにいったのかもしらない。報せがきたのは、死んで三日後だ。ビルの五階か
ら、落ちて死んだんだとよ。たったの、五階だぜ」
信じられないだろ、とでも云いたげに、バラムはちらりとマリッドを見あげる。
繊細な指が、額の端から頬をぬけて顎先まで、いとおしむようにして通りぬける。
「愛してたの?」
静かな問いに、バラムは、ハ、とかすかに笑った。
すぐに真顔に変わり、もう一度笑おうとして、うまくいかずに黙りこんだ。
「わからねえ」
しばらくしてから、沈んだ口調でそう云った。「ストラトスを出るときにゃ、い
っしょにつれていこうと思ってたよ。漠然とね。惚れたつもりなんざなかった。出
ていく時は女づれで。そういうふうに、何の意味もなく思いこんでいたんだ。身近
にいたのがあの女だった。それだけさ」
マリッドの膝の上に頭をのせたまま、ぐいと拳を握りしめた。
「死んじまったがな」
つぶやくように云い、目を閉じた。
そのまま、いつまでも黙りこんでいるバラムの頬に、マリッドは無言で手を当て
たまま、眺めおろしていた。
「その人の、仇を討つつもりだったの?」
やがて、ささやくようにして訊いた。
バラムは、開いた目を、どこか遠いところを眺めやるようにして細めていたが、
ふいに口を開く。
「どうかな。だって……あいつが死んだのだって、ウシャルが直接悪いわけじゃな
い。そんなことを考えて、やつを殺しに来たわけじゃないんだ。ただ、すべてを畳
んでここを出ていく前に……そうだな……何か、ケリをつけなきゃ、そういうふう
に思っていた。そのちょっと前に奴の暗殺依頼を受けたことも、おれの気持ちに何
か影響を与えてはいたのかもしれない。だからその夜、おれは野郎の城のパーティ
にもぐりこむことにしたんだ。結果的にゃ、おまえらの思いどおりにことが運んだ
ってことだな」
云って、もう一度マリッドの顔を見あげてみる。
慈母のような微笑をかすかに口もとにたたえながら、少年めいた美貌は無表情の
ままだった。
その無表情の仮面の底に、あきらめたような哀しみの色を見た、と思ったのは、
ただの錯覚だったのか。
バラムもまた、自分でもわけのわからない衝動にかられて、寂しげに笑っていた。
「ここへ来る前に、ラベナドのステーションで依頼人と偶然顔をあわせちまったん
だ、マリッド。奇跡のような確率かもしれねえな。地震に火山に大津波、おまけに
粉塵による氷河期の到来。べつに奴でなくっても、ジョシュアを見捨ててほかの星
へ脱出しようって手あいはラベナドの宙港にも山ほどおしよせてたからな。おれに
したって、いまさら断った依頼人のことなんざどうでもよかったんだ。一刻でも速
く、舞踏教団の足跡を追って立とうと、気ばかり焦ってる状態だったからな」
「なぜ?」
マリッドが静かに訊いた。「ウシャルを追うために?」
「ばか、わかってるだろう」
言葉とは裏腹に、心地よげに笑いながらバラムは云った。「おまえを救いだすた
めだ」
云って、真顔でマリッドを見あげる。
くすり、と小さく笑いをもらしてマリッドは、バラムの額を指で軽く小突いてみ
せた。
「あたしに惚れたってムダよ」
冗談めかして云うのへ、バラムもまた軽く応じた。
「ちがうぜ。さっきも云ったろう。おまえは、おれの娘を思い出させたんだ。最初
に会ったあの時にな。だれが惚れるもんか」
そう、残念ね、とマリッドもまた嬉しげに笑いながら応える。
「けどよ」
と、笑いを口もとにとどめたまま、バラムはつづけた。「ラベナドで偶然やつと
面あわせた時、勘が閃いたんだ。――閃かない方がよかったのによ。なあ。そうだ
ろ、マリッド」
言葉とともに、ついと手をのばして額におかれたマリッドの手をとった。
小さく眉をひそめる前に、反射的にか、マリッドはバラムの指を握りかえした。
バラムは静かに笑い、そして云った。
「ごったがえした宙港ンなか、一族郎党ひきつれて仰々しく歩いてやがるヤツをひ
っつかまえて、おれは男性用化粧室にひきずりこんだ。そして、ちょっとばかりプ
レッシャーかましながら訊いたんだ。だれに頼まれて、ウシャル殺害をおれのとこ
ろに持ってきたんだってな」
「それで?」
ためらいもなく訊きかえしながら、マリッドはバラムの視界をおおい隠すように
して、空いた手をこめかみに乗せた。
あらがわず、バラムはただ手にとったマリッドのやわらかい指にすこし、力をこ
めただけだった。
「あいつはウシャルとちがって、周りの状況が最初っから整っていたクチだな。ち
ょいと脅しをかけただけで、すぐに萎たれて全部吐きだしちまったよ。取引先のつ
てで、断りきれない相手からウシャル暗殺を“夜の虎”に依頼するよう強制された
ってな。もちろん“フィスツ”の名前が出てくるわけはねえが、その取引先のつて
とやらをたどっていけば、いずれ“フィスツ”にたどりつくはずだ。――そうなん
だろう?」
「いいえ」
とマリッドは云った。手のひらに隠れて、どういう表情をしているのかは見えな
かった。「たぶん――ううん、まちがいなく、途中で手がかりはなくなってたと思
うわ」
ふん、と鼻を鳴らしてバラムは笑った。
「云えよ、マリッド。おまえは“フィスツ”の、エージェントだ」
長い沈黙の後に、そうよ、とささやくような声音で、答えが返った。
音をころしてバラムは短くため息をつき、それから、声を立てて笑ってみせた。
「ほんとうにバカだな、おまえは。とぼけちまえば、確証はなかったんだ」
「ごめん」
と、マリッドは応えた。「そこまで気がまわらなくって。それに、話してしまっ
た方が許してもらえるような気がしたから」
「なんでえ」
と不満げな口調を装ってバラムは云う。「チェンランには死んでも嘘を押し通す
っつったくせに、よ。ずいぶんと扱いがちがうな」
「チェンランとあんたとじゃ、考え方も反応もぜんぜんちがうわよ」
笑いながらマリッドは云い、そして静かに、つけ加えるようにしてくりかえした。
「ぜんぜん、ちがうわ」
意味を計りかねてバラムは肩をすくめ、目を閉じた。
「奴は――ハリ・ファジル・ハーンは、克服したのか? おれの――欠陥を」
やがて、訊いた。
マリッドは、バラムの指を握る手にわずかに、力を加えた。