#2811/5495 長編
★タイトル (GVJ ) 94/10/12 4: 0 (200)
夜の虎(19) 青木無常
★内容
が聖域にあると認めるにやぶさかでない、いや、むしろ積極的に喧伝すべき立場に
さえあるのですが、どうもあの教団の方々といえば、信仰などとはまるで無縁のも
ののいわれようだと、わたしには感じられまして。どうにも奇妙で」
なるほど、そうでしょうね、などと神妙な顔をしてうなずきつつ、バラムはもは
やあふれ出る好奇心を隠そうともせずに問いかけた。
「それでその、アムリタの候補地とやらですが、数は多いのですか?」
ふむ、と老僧は記憶庫をまさぐるようにしばし遠い目を宙にさまよわせた。
「と、いうか、あの方々は最初からなにやら、いくつかの候補地をあげておられて、
わたしの話をもとにさらに比定地をしぼりこんでいく、という形をとっておられる
ようでした。イムジェフィフタスをはじめ、各人類居住地の球儀を用意しておられ
ましてな。そこで彼らがしぼりこまれた比定地というのも、わりあいによく覚えて
はいますな。学僧のころ習い覚え、また今にいたっては小僧たちへ伝授する、とい
う形で幾度となくくりかえし指し示してきた、有名無名の寺院、神域がほとんどで
したから」
「それはやはり、彼らにとっては当然の帰結だったわけですかね。つまり、比定地
が各地の聖域に当てはまった、というのは」
「おそらくは。しかし、わたしが得た感触では、聖域だから比定地となったのでは
なく、その地であらばこそ後に寺院、神域として人の崇める場となった、とでもい
いたげな様子ではありましたが……。ずいぶんと、ご興味がおありのようですな。
あなたも」
どう答えていいかわからず、とまどい気味に僧を見かえすと、バグマドはそんな
バラムを見てハハハ、と快活な笑い声をあげつつ立ちあがり、
「ではついておいでなされ。球儀とまではいわぬが、各地の地図くらいはこの浮き
世離れの聖域とやらにも常備してございます。茶など一服しつつ、手なぐさみに神
威を俗世間にひきずり降ろすのもまた一興」
手まねきながら先に立って歩きだしつつ、ふりかえったバグマドの顔が剽軽な笑
みをたたえていた。
「このふまじめさで院主の座をひきずり降ろされぬのだから、まことシヴァ神のお
導きというか、神威などいいかげんなもの、とでもいうべきか」
さもおかしげに哄笑しつつ、バラムをしたがえてふたたび神像の間を後にして、
奇妙に寂とした通廊を先導する。
「しかしそのふまじめさ、とやら」
相手のペースに乗せられつつも、バラムにしてはやけに殊勝な気分で、院主にむ
けて口を開いた。「不思議に枯れた、というか、ふところの深いものを感じさせま
す。しかつめらしく説教などを下されるよりは、よほど身のひきしまる思いが、あ
るような気がします」
はっはっはっと腹を震わせるように笑いながら僧は、先の神像の室とはうってか
わった、黒檀のテーブルと椅子の備わった、暖色系の布やら壁掛けやら絨毯やらで
統一された、簡素で寺院にふさわしい重厚さをそなえていながらも、なおくつろげ
る雰囲気のある小室へとバラムを導いた。
現れた小僧に茶と茶菓に加えて、イムジェ周辺の人類居住地の地図を持ってくる
ように、これもさぞ楽しげな口調で云いつける。
そして、正面に腰をおろしたバラムに向き直ると、ふいに真顔になった。
「察するところ、あなたは本来ならばこのような場所に縁のある方とは思われませ
ぬ。あの、舞踏教団の方々とはまた、まるでちがった意味において。いかがですか
な」
突然のこの切り込みに、どう対処していいのか瞬時迷った。
あげく、真正面から応えた。
「おっしゃるとおりです。所用のついでに立ちよった、というのもまったくの偽り
でした」
云って、深々と頭をさげた。
いやいや、謝罪にはまったく及びませぬ、と僧は気さくに手をふりながらバラム
の頭をあげさせ、
「ただ、浅からぬ宿業を背負いなされた方、と見えましてな。まるでよけいなお節
介だとはわかってはおりますが、ひとつ、拙くはあるがこのわたしにでもできる助
言でもどうか、と、かように思いまして」
「それは、ぜひ」
驚いたように目を見ひらき、そして内心ではひどく当惑しつつもバラムは、ごく
自然にそう口にしていた。
では、と、僧は改まったように咳ばらいをひとつすると、慈父のようににこやか
な相を崩すことなく、語りはじめた。
「しこりが、ございますな」
バラムは無言のまま、視線で先をうながした。
僧もうなずき、つづけた。
「古いものと、そして新しいものと」
今度はしばし、とまどったように眉根をよせたが、やはりあえて否定はしなかっ
た。
僧の笑顔に、わずかな変化が訪れる。
「死する者は帰らず、求めあう者にも互いに手が届かなくなりそうです。が、人に
は共通に与えられた苦と楽があります。あなたの生涯は、喪失と失意とに塗りこめ
られてはおりますものの、それらはすべて、あなたにとって――よろしいですか、
あなたにとって、意味のある、無二の宝物に他なりません。そのことを、つねにお
忘れなきように。できるかぎり心を楽に、行きなさるがよい」
云って、僧はもう一度、静かに笑ってみせた。
その笑いをかすかに彩るものを、哀しみ、ととって、バラムもまた無意識のうち
に、同じように笑っていた。
おのれの外面に生じた、この反応がひどく異様に思えて、驚愕とともにやや居心
地の悪いものを覚えてもいた。が、けっして不快ではなかった。
小僧が盆を手に無造作な足どりで小室に立ち入ったのを機に、
「いや、似合わぬ説教をたれてしまいましたわ。どうぞお気を悪くなさらぬよう」
照れ笑いのようなものをうかべつつ僧が快活に云うのへ、バラムもまた笑いなが
らとんでもない、と応えた。わけのわからぬながら、茶と茶菓をてきぱきとした物
腰でならべていく小僧の口もとにも、バグマドに対する好意的な微笑が浮いている
ところを見ると、この院主はふだんからまったくこの調子なのだろう。
「ではひとつ、宝さがしとまいりましょうか」
軽口のように云いながら、僧は小僧から受け取った地図をさっそく広げはじめた。
ふたたび街の喧噪のもとへと歩み出した時、世界はすっかり闇わだにつつみこま
れていた。長い夜の到来の下、人びとはいよいよ狂騒をまして街路をねり歩き、叫
び、語らい、笑いあう。
その狂騒をかきわけるようにして進みながらバラムは、中心街をぬけて街はずれ
へと遅々とした進行を開始した。
この狂乱の数日の間は、どの宿も予約とキャンセル待ちでパンク状態におちいっ
ており、まず部屋どころか廊下に寝場所を確保することさえむつかしいらしい。立
ちならぶ木造家屋を圧するように、運河をへだててそびえる高層ビル街のホテルな
どもやはり簡単には宿泊場所を確保するわけにもいかないようで、それよりはこの
地を離れて郊外をめざした方がいくらかは落ちつける、というのがバグマドの勧め
るところだった。
もとより、イムジェ周辺の人類居住圏である二つの衛星のどこの都市へいっても
祭りの狂乱は飽くことなく展開している折、宿泊場所などなかなか見つからぬのは
事情は同じだが、まだしも宙港と直結した大都市よりはしのぎやすかろう、という
配慮もある。
が、なによりも狂乱の渦のただ中に位置する中心街よりも街はずれの方が、通常
形態に近い形で営業している店舗も多い、という助言がバラムをそこに向かわせて
いた。
どちらかといえば寝心地のいい宿泊所などより、移動のための手段を欲していた。
バスなどの公共機関は宿などと事情は同じで乗り込むのさえ一苦労、という状態ら
しいので、フライアの貸し出しを行うような店をさがすことにしたのだ。これも通
信で確認したところではまともに機能しているのは数件のオーダーだったが、どう
にか長距離用のものを抑えることができた。
この衛星では、標準時で十五日間ものあいだ、夜がつづく。祭りの喧噪を超えて
長い眠りにつき、人びとがふたたび目ざめた時、街はまだ夜のさなかにいるはずだ
った。そんな常態で、通常の営業形態を維持している店舗などたしかに奇特な存在
かもしれない。
外壁にまで人があふれたバスにようようのことでとりついて郊外を目指し、目的
の店にたどりついたとき、バグマドのシヴァ寺院を後にしてから四時間近くの時間
が経過していた。肉体は気づかぬうちにゆっくりと、疲労していたかもしれない。
アクセスしたレンタルショップに着くと、どこか卑しげなニヤニヤ笑いを浮かべ
た若者が迎えに出た。バラムのIDを確認してからにやけ面の若者は嘲るような口
調でフライアのとりあつかい上の留意点その他を投げやりな口調でのべたてると、
窓ひとつない小部屋にバラムを案内した。フライアを運んでくるまで、ここで待て、
という。
用意された椅子にすわりこんだ。数分と経たぬうちに、殺風景きわまりない小部
屋の中で暇をもてあまして大きくあくびをした。
そしてその時、ようやく気づいた。
かすかな異臭は、催眠ガスの類だろう。凶悪な野獣を生け捕りにするには有効な
手段にはちがいない。
だが、バラムはただの野獣ではなく、強化人間だった。
程度にもよるが、薬物その他の類の毒物など、少々のものなら軽く体内で中和し
てしまう能力を内包していた。
「くだらねえ」
吐き捨てるようにひとりごち、ふわあとわざとらしくあくびをしてみせてから、
ことんと首をたれた。むろん、演技だ。
五分ほど待って、昏倒した演技を維持しつづけることに退屈と困難を覚えはじめ
たころ、ようやくガスマスクに顔を覆ったにやけ面と、もう一人が小部屋に入りこ
んできた。
「云ったとおりだろ。ちょろいもんだぜ」
にやけ面が軽薄な口調で吐き捨てた。
もう一人の方は、ガスマスクに隠れて見えないが外科手術で口腔内に牙を埋め込
んだいかれ頭だ。バラムはまったくの初対面だが、ウシャル拉致の際、老ウェイレ
ンとともにシャトル内にいた二人組であった。
「何が強化人間だよ、なあ。いぎたなく眠りこけやがって」
笑いながらにやけ面がバラムの頬をつついてみせる。
この野郎、ただですむと思うなよ、と心中で毒づきつつバラムはされるがままに
牙男にかつぎあげられ、駐艇場に運ばれると風防を開いたフライアの内部に乱暴に
放り出された。
「フライアを貸してやるだけじゃなくて、運転手に助手までつくんだから、まった
くいたれりつくせりだよなあ」
ガスマスクをはぎ取って艇内に無造作に放りこみながら、にやけ面が憎々しげに
云う。対して牙男の方は無言で適当にうなずきながら、運転席におさまった。どう
やらにやけ面の方は、口先専門らしい。
このまま寝こけたまま教団のアジトまで案内させてもよかったが、いつまでもぐ
ったりと身体の力がぬけたふりを維持しているのもつらくなっていた。
牙男がキーをひねり、エンジンが音を立てはじめたのを機にバラムはおもむろに
起きあがり、背後からにやけ面の髪をわしづかみにして云った。
「悪いな、小僧。案内はまかせたぜ」
「こ、この野郎!」
狼狽した体でぶざまににやけ面がわめいた。
牙男がどう反応するかと向けた鼻先に――重い一撃が、叩きこまれた。
血臭が鼻腔奥部から口腔内まで弾け、鼻頭をおさえてうずくまりながら油断がす
ぎたか、と反省した。
手っとり早くかたづけようと、口中で唱えた。
「シギム――」
呪文のすべてを唱え終わる前に――肉体の芯から、苦痛が炸裂した。
裂けるような痛覚が、稲妻のように疾走する感覚だった。
思わずうめき声をあげていた。
悪寒が胸奥からせりあげ、頭蓋内部に重い鉛の塊をぶちこまれたような鈍痛がわ
きあがった。
「この野郎」
怒りの口調でさえ軽薄なにやけ面の罵声までもが、突き刺すような激痛をともな
って聴覚を刺激した。
うずくまる顎先に手をさし入れられ、無理やり上向かされた。
叩きこまれた拳の威力はさほどでもなかったが、だからといって体内で内燃機関
のように規則的に爆発する激痛が軽減されるというわけでは決してなかった。
派手にうめきながらぶざまにのたうつバラムを見て、にやけ面は満足げに笑いな
がら唾を吐いた。
おのれの胸もとに吐きかけられた汚物にもまるで気づかぬまま、バラムは恐怖よ
りはあきらめを、より強く感じていた。
酷使をくりかえしてきた肉体が、ついに自身に向けて、叛旗をひるがえしはじめ
たのだ。
17.“フィスツ”の長い腕
陰鬱な目覚めの唯一の役得は、頭部にやわらかく敷かれたマリッドの膝まくらだ
けだった。
が、それも、朦朧とした思考が働きはじめたころには陰鬱を助長する中心的誘因
のひとつへと変化していた。
「無事だったか?」
問いかけに、睡魔につかれたか舟をこいでいたマリッドがはっと目を見ひらき、
ついでぼんやりと微笑しながら目をしばたたいた。
「どちらかというと、あたしのセリフじゃない?」
「おれなら、とても無事とはいえん状態だな」
軽口にまぎらせたが、頭蓋中心部を軸に全身をなめまわすように駆けめぐる鈍痛
と不快感は、まぎれもなく自分がいまだにオーヴァーヒート状態に陥っていること
を証していた。
身を起こそうという気力さえわかず、そのままマリッドの膝に頭をあずけたまま、
バラムは小さくため息をついた。
「ずいぶんと疲れてるのね」
いたわりに満ちた口調の言葉には答えず、バラムは逆に問いかけた。
「ハリ・ファジル・ハーンはどうしている?」