#2766/5495 長編
★タイトル (AZA ) 94/ 9/30 8:15 (141)
光陰館の殺人 1 平野年男
★内容
その館は、不意に我々の前に現れた。
何時間、霧の中を歩いたことであろう。髪の先や衣服の表面に張り付く水滴
をもはや意識しなくなって、時間の感覚が失われつつあった。
四方を同じ様な形の山に囲まれた平地の中央。そこに謎めいているも美しい
洋館はあった。くすんだ壁の色。それとは好対称に、どこまでも青い屋根。壁
面には、豪奢な彩りのステンドグラスがはめ込まれている箇所も見えれば、掠
れたような曇ガラスをはめ込んでいる箇所も見える。何れにしても、窓の周り
には赤い煉瓦がある規則をもって埋められており、くすんだ壁とは一線を画し
ている。
館の周囲は、均一の間隔をもって、まっすぐな楠が植えられており、さらに
その周りには、ただれたような白さの石塀がしつらえてある。
楠の緑と煉瓦の赤と屋根の青が、霧の色に包まれるようにして、超然と立ち
尽くしている。圧倒されるような風景だ。切り取られるべき美しさが、そこに
はあった。
少し歩を進めると、石塀の辺りに何か光る物が見えた。曇っているので無論、
太陽光の反射ではない。門である。そこだけは威厳をいつまでも保つかのよう
に、一種禍々しさを伴って金色に輝いていた。
もう少し歩を進める。だが、何ものかに拒絶されているかのように、館には
仲々たどり着けなかった。あそこの周囲には、何かがある……。
その館−−光陰館は、不意に我々の前に姿を現したのだ。
*
「何ですか、こりゃあ?」
私は思わず、素っ頓狂な声を上げてしまった。手渡された台本の冒頭が、あ
まりにも造り物染みていたからだ。
「何って平野さん、イメージです。番組冒頭のイメージ」
通路を挟んで隣りに座っているアシスタントディレクターの根室が言った。
妙にのっぺりとした顔で、性格の方もつかみどころがない。妖怪「いったんも
めん」の印象だ。
「本当にこの通りの建物なんですか、その光陰館とやらは」
私の隣にいた流も、おかしそうに聞いた。根室は表情を変えずに答える。
「下見した感じでは、そんな感じでしたね。霧がうまく出てくれりゃいいんで
すけど、いざとなったらスモークしますよ」
「放送するときには、これをナレーションとして読むのですか?」
「本編の長さによりますね。まあ、そこらは臨機応変、適当にカットして。と
にかく、流さんや平野さんは、ゲストなんですからお気楽に。名探偵並びに推
理作家として、超常現象にお付き合い願えれば、それだけで結構なんですから」
根室はようやく笑みをこぼしながら、我々に言った。ここが愛想の見せどこ
ろ、か。
「私は同じゲストでも、黙ってはいられないでしょうねえ」
根室の右横、窓際に座っていた安光祐馬が言った。バスに乗り込む前での自
己紹介では、確か心理学の助教授だと名乗っていた。このところ、心霊学研究
家なる肩書きでテレビ出演の機会が増えているそうだ。物静かな外見で抜けた
額が印象的、色は白いがデスクワークばかりしている人にしては大柄な方か。
「それはもちろん、先生には鋭い意見を述べていただきたいですね。その方が
番組が盛り上がる」
根室はもみ手をせんばかりの表情となり、答えている。
「あたしは座っていればいいのよね、ね?」
すぐ後ろの席から、高い声が届いた。アイドル歌手の邑崎しおり。若手なが
ら人気上昇中、私もテレビで見たことがある。現物の彼女は、テレビで見るよ
りも目が大きいし、肌も少し荒れているように感じた。が、おだんご二つの髪
型に、すっと抜けた鼻筋と、かわいい要素は変わらない。
彼女の隣はマネージャーの脇田、無論のこと女性。邑崎を引き立てるために
選ばれたのではと思いたくなるほど地味で、化粧っ気も乏しい。厚手の眼鏡を
すれば田舎の女学生そのもの。ただし、服装の方はぴしりと決めている。
根室がおだてるようなからかうような、何だか分からぬ猫なで声で言う。
「そうそう。しおりちゃんはにこにこ座って、大げさに驚いてくれればいいか
らね」
「私はタレントだが、立場は安光さんと同じでありたいですね」
言葉を差し挟むは、私から見て斜め右後ろに座る牧瀬和義。お笑い出身の関
西系芸人だが、近頃は理論家としての側面がクローズアップされている。わず
かに白髪の混じった頭に、細い目が特徴的だ。合わせて痩身でいかにも知的な
容姿だから、視聴者にアピールする物があるのだろう。
「それはいい。共同戦線を張って、相手をぎゃふんと言わせますか」
安光助教授は誰も使わないような死語を口にして、牧瀬に笑顔を向けている。
牧瀬も笑顔で応える。が、口から出てきたのは、
「いや、それよりも、ここは一つ、勝負と行きましょう。どちらがより見破れ
るか」
という言葉だ。
「困りますよ、お二人とも。まだメルトホス氏が偽物だと決まったんじゃあな
いんですから」
根室はたしなめるように、それでいて面白そうに注意した。
「まあ、それはいいでしょうが。当のメルトホスは、向こうのバスに乗ってお
るんですから」
牧瀬は顎で前方を示す。前には、我々が乗っているのと同じ型のマイクロバ
スが行く。あちらには、話題に上っているメルトホスとその妻スージーホスを
始め、通訳や撮影スタッフ等が乗っている。
「根室さんはメルト氏の能力を直に見たことがおありなんですか?」
素直な口調で流が質問する。
「いえ、私は。うちのスタッフでも、直接見た経験があるのは、月谷さんだけ
ですよ」
「と言うと、ディレクターの?」
「そうです。プロデューサーも兼ねてましてね。今度の番組も、あの人の企画
なんです。月谷さんが言うには凄かったらしいですよ。わざわざアメリカまで
飛んだ甲斐があったと興奮して」
「どんなに凄い凄いと言われても、僕は自分の目で見るまでは、信じませんよ。
なあ、力沢」
牧瀬が隣にいる若い男に声をかけた。力沢は牧瀬の付き人で、同じ関西の出
らしい。まだテレビでお目にかかったことのない新人芸人だ。
「はあ、言う通りやと思います」
ごつい外見とは反対に、控え目に答えた力沢。ぼさぼさ頭で、昔の漫画に出
てくる空手家か柔道家といった感じだが、バスに乗り込む際の師匠に対する態
度は繊細そのものだった。
「むろさん、見えました。もうすぐ到着です」
唐突に、運転していた男が言った。くぐもったような声だが、元々声量があ
るのでよく聞こえる。彼は本庄という名で、確か音声並びにオーディオ担当だ
と聞いている。人員を減らすため、運転手としてもかり出された訳だ。長髪に
サングラスと若作りだが、皮膚はくたびれている。
「オーケー、オーケー」
むろさんこと根室が、また妙な元気を出して応じる。
「あれです。あれが光陰館です」
根室が指差した方向を見ると、例の台本があながち嘘でないことが分かった。
光陰館は今、我々の前にその全貌を現したのである。
「長旅、お疲れさんです」
気易い調子で、月谷ディレクターが始めた。薄い眼鏡をかけた、見るからに
やり手といった容貌。本当にやり手かどうかはまだ分からないが、外国映画に
出てくる日本のサラリーマンがこんな感じでなかったかと思う。
残り十七人は、広間のソファにてんでばらばらに腰掛けるか、あるいは壁に
もたれ掛かっている。
「これから三日の予定で、仮題『霊能力スペシャル 光陰館に超常現象を見た』
の撮影に入る訳です。何はともあれ、お互い、仲良くやって乗り切りましょう」
月谷の声に撮影スタッフだけが同調し、「オー」と気勢を上げた。
「ま、こんなところにぐたっとしていてもしょうがないので、先に部屋割りを
すませましょう。撮影の段取りはその後ということで」
月谷は根室に指で合図した。根室はワープロで印刷された部屋割りを各自に
配り始める。行き渡ったところで、再び月谷。
「いいですか? 寝泊まりする部屋はスタッフが一階、それ以外の方は二階と
いうのが基本です。階段は皆さんから見て右手にあります。上がって正面、奥
まっっているのが201。上がって右は廊下があります。それに沿って202、
203となっていますから、すぐに分かると思います。鍵は自動ロックではな
いので、高級ホテルに泊まり慣れた方はご用心を」
少しだけ笑いが起こる。
「部屋は充分に広く、相部屋のとこでも大丈夫だと思います。じゃ、鍵を渡し
ますんで、201から順に取りに来てください」
給食を受け取る小学生のように我々は列んだ。図面を見ると、光陰館はL字
型をしている。201が底の辺だ。その201には牧瀬和義と付き人の力沢が
入り、202は通訳の明津由佳子嬢。203がメルトとスージーのホス夫妻、
204は安光祐馬助教授。205が邑崎しおりと女性マネージャーの脇田、2
06が私こと平野年男と流である。
なお一階の方は広間等、共用の部屋が多いので個室の数は四つ。101にデ
ィレクターの月谷と番組で司会を担当するアナウンサーの瀬倉哲治。102に
AD根室と照明係の遠藤、103はカメラの安井とビデオエンジニアの湯川。
最後の104は、運転手をしていたオーディオの本庄とメイク担当の久島とい
う組み合わせだった。久島も、もう一台のバスでドライバーをやったそうだ。
「それじゃあ、荷物を置いてきてもらってと。そうですな、十分後にここに戻
って来てください」
音頭をとるのが好きそうな月谷は、浮き浮きした口調だった。
−−続く