#2685/5495 長編
★タイトル (ARJ ) 94/ 7/10 13:49 (153)
司法神官ドラクーン(3) みのうら
★内容
目を閉じ、両手を前に差し出す。
額のしるしを中心に、頭の中のなにかが澄み渡って行く。
自分自身が額を支点に、透明になって行くようだ。風景に融ける、とでも言うのだろ
うか。気分がすばらしく良くなって、何でもできるような気になる。
僕の機能の中に、情報支援部分は多いわけではない。が、この程度の場所設定で生命
反応の一つも見つけられないほど無能ではない。
意識が拡散する。広がるだけで、散漫にはならない。あくまで鮮明だ。
霧のように広がって、岩肌を洗う。通常の視界とは異なる世界を、意識は探って行く
。
この間、僕の身体は無防備だ。本来なら、誰かに身体を守ってもらいながら行うべき
行動だが、仕方がない。僕と同じものは、ここにいないのだから。
耳を澄ますのに良く似た方法だ。意識を、全てに向かって向ける。
意識の隅に、ざわめきがある。点滅する光と影だ。残してきた彼らだろう。調子良く
やっているようだ。一回り大きな光はあの、トゥールの隊長だろうか。
意識の流れを変えてみる。方向は、もちろん山に向かって、だ。
焦ってはいけない。本業じゃない作業の最中は、精神崩壊の危険がつきまとう。少し
のミスが命取りだ。
少しづつ、だが確実に、正確に・・・
「!」
意識の一部が、反応した。
一気に、その一点に集中する。
発見した。
ぼうと明るい光を放つ、生命反応。暖かい。これは、かなり強い生命だ。「ティシュ
タル」の名にふさわしい輝きが、そこにはある。
僕の身体から、北西、ちょうど山の頂上に向かう形で生命反応はあった。通常の人間
とは思えないほどの強い光。
これほど強い生命反応は、久しく感じた事がない。
胸の奥の「ある予感」が、膨らむのを押さえきれない。
僕は意識をかき集め、急いで身体に駆け戻った。光は、古い登山道に向かって移動を
始めている。急がなければ追いつけない。
姿を「見た」わけではないから、目標がどんな人物なのか、見分けることはできない
。
追跡が長引き、万が一でも人気の多い場所に逃げ込まれたらおしまいだ。人前に、こ
の額を曝すわけには行かない。曝す危険を犯さなければ、ティシュタルを発見できない
。悪いが僕は自分がかわいい。
全ての意識を身体に納め、もう一度、例のメダルを取り出し、同じ事をする。
石が輝き、額のしるしは静かに消え去る。
盗賊といえど、司法神官の僕では、そう簡単に殺せない。殺せばめんどうな手続きが
発生する。殺せない相手に、この秘密を見せるなんて、もってのほかだ。
額に触れ、磨き上げた鉄杖で消えたことを確かめ、僕は走り出した。
走りながら、鉄杖を背に戻す。
額の刻印が消えても、僕の運動能力は常人のそれをはるかに越える。僕の小柄な身体
は、まるでしなやかな鞭のようだと誰かが言った。
細い下半身から繰り出す蹴りは、大の大人も一撃で倒す。一見子供の僕が、強烈な破
壊力を見せると、たいていの人間が驚き、まあ、後は全てが楽になる。
この司法神官の礼服より、メダルより、頭の小さな角より、目の前の一撃が、人々に
はよく効くようだ。
大地を蹴り、礼服の裾を翻して、先を急ぐ。
敵のスピードと自分の能力から計算すると、そろそろ接触の可能性がある。あれだけ
の生命力があるならば、消耗しているはずがない。ティシュタルは、万全の用意で僕を
迎えるだろう。
予感が、ますます膨らんでくる。いや、これは予感じゃない。ただの期待だ。
長い、長い間独りだった僕の、心が生み出す期待に過ぎない。あんまり期待するな。
登山道に入った。
はるか昔、この山の上に戦神の神殿があった。その参拝用の細い道だ。その戦神を、
トゥール信者はトゥール神だと主張し、ティシュトリヤ信者は自分たちの神だと主張し
ている。
今は、立派な参拝道が、別の、もっと登りやすい斜面に用意され、季節になれば二柱
の信者で賑わっている。
背の鉄杖を、抜く。
僕の期待が、そのとおりのものならば、こんな鉄の塊ごとき、相手はへでもないだろ
う。
スピード落とし足を止め、今度は五感を使って気配を探る・・・
ない。
気配が少しも感じられない。
こちらの想像を上回る早さで移動しているのか。それとも。
待ち伏せされているとは考えにくい。僕も気配は消している。
どちらに向かったかの正確なデータが欲しい。
あんまりやりたかないが、もう一度、メダルを----
「なんだ、子供か。」
右上方から影が射した。驚いたことに、微塵も気配を感じなかった。
今更慌てられない。うまくすれば子供とだまして、相手を油断させられる。今着てい
る白い略礼服は、この地方の子供が着ている服に少し似たデザインなのだ。
ゆっくり顔を上げる。
「よお、何してんだあ。」
岩の上から、のんびりと問いかけて来たのは一人の女性だった。
この人もその一人だろう。見れば、昔見た遊牧民のようないでたちだ。獣の毛で織っ
た荒い布地の服に、腰には大振りの作業用ナイフを下げている。木の枝を切り払ったり
、ちょっとしたことに使う奴だ。
この辺りは、放牧を行う種族があると聞いていた。この斜面の向こう側には、珍しい
、薬用の苔や、山羊が好んで食べる短い草なんかが生えている。
恐れられている魔の森も、荒れた岩山も、彼らにはあまり恐怖の対象とはならないの
だろう。盗賊も、ここまでは来ないとたかをくくっているのか。
恐れているのは主に、都市の洗礼を受けた人間たちだ。あのおびえた村長などは代表
的な人物だ。
ふわりと飛び降りる。しなやかな動作だ。短いブーツで音もなく着地する。
「まず人の質問に答えてから、自分の質問に取りかかれって、親に教わらなかったのか
、司法神官。」
逃げた。が、飛ぶより早くナイフが来た。
「あ・・・!」
ナイフと言うよりは鉈だ。重い鉄の塊が、鎖骨を砕き、肩に食い込む。
なんとか身を引いて、鉈から逃れる。
しまった。杖を落とした。
もう遅い。
二撃めが来る。
間に合わない。右胸を貫かれる。
右の手首までを僕の血に染めて、彼女が笑う。
右肩を砕いた時の血だ。胸からはまだ大きな出血がない。
ティシュタルか。この女がそうか。
「心臓を狙ったのに、よく避けた。さすが。」
生け贄を取り、神々との戦いに勝つ、善の側に所属する神ティシュトリヤの星。
全ての星の中でもっとも輝かしいティシュタルが、黒いという奇妙な名前。
「一人で来たのか。罠かと思ったよ。でも、誰も応援が来ないじゃないか。ええ?」
ぐい、とナイフを押し込んでくる。
背中の皮を突き抜ける、ぶちりと嫌な音がした。
たいした力だ。使い方もうまい。
そして何より、殺気がない。
殺気がなければ攻撃のタイミングがつかめない。
さて、どうするか。
よほどの怪力でないかぎり、この身体の骨を砕き、肉を貫くことはできない。
普通の人間どころか、帝国軍人にも等しい実力を持つ、司法神官の中にさえ、僕を傷
つけられるものなど滅多にいない。
この女は・・・
「こんな地方の盗賊狩りに、司法神官だの、トゥール戦士団だのが出てくるなんて、妙
な話だけど、どうしてなわけよ。教えてもらおうか。」
ナイフを血が伝う。細い線を描きながら、銀と赤の縞模様を作っている。背中にも、
血が滲んで来たようだ。なまあたたかく、濡れている。
こんなに近くにいる相手に、信じられないが殺気がない。気配もない。
鉄の冷たい質感が、熱い。
右胸に、もう一つ心臓が生まれたみたいに、脈打っている。
襟首を締め上げられる。
目の前に確かにいるのに、空気のようだ。
吐息を感じる。でも存在感がない。
確かな質感を持って胸から生えた鉄塊の、その延長線上に気配がない。
僕は、通常の五感よりも、それ以外の感覚器でものを認識する。
だが、その部分にも、響いてこない。傷のためだろうか。それとも、達人ってやつな
のだろうか。
武術を極めた人間の、無我の境地ってやつなのか。
「しゃべりたくなけりゃ、ちょいとこの刃をひねってやろうか。」
声は聞こえる。姿も見える。
けれども何だろう。この奇妙なギャップは。
どこか、覚えがあるような・・・
ふいに、胸の支点が消えた。
勢いよく引かれて、足がよろめく。膝を付く。が、倒れない。倒れてたまるか。
僕の赤がしたたるナイフを下げて、彼女は存在する。
影、に近いか。影には気配も殺気もない。いや。違う。
普通の人間に感じるような、感情の起伏の流れが、ごくわずかだが、ある。
では、人間か。人間離れしているが。
喉の奥に、甘ったるい、あたたかい匂いがあふれる。
視界が、揺れる。
久しぶりの大怪我で、身体もショックを受けているのか。もう目に来るなんて。
黒いティシュタルは、その名の通り黒い瞳で見下している。僕の前髪をつかんで、角
を隠した帯を解く。
顎を捕まれ、興味深そうに眺められる。
目と目が合った。
僕はよく見えない。相手は、小さな灰色の角から、濡れた肩と胸、爪先まで眺め回し
ている。視線に洗われているのが解る。
でも、気配は相変わらずだ。希薄な、何か・・・でしかない。何故だろう。こんな特
徴を持つヒューマノイドは、さしあたっての僕の記憶には見当たらないが。
片手に僕の身体をぶら下げ、もう片方の手で、頭の角を探っている。
ああ、黒い瞳孔が鏡になって、僕を映す。
ここまで来て何もないのは、もう望みが薄いんだが、まだ望みを捨てきれない。
「一角獣とは、めずらしいね。エルフの一族は、初めて見た。」