#2673/5495 長編
★タイトル (GVJ ) 94/ 7/ 4 17:30 (199)
憑狼楽団(3) 青木無常
★内容
るっきり無視して、ほとんど百メートル走みたいな勢いで逃げちゃったの。
秀智さんと円城寺さんは顔を見あわせてくすくすと笑いあっていたけど、ふいに
困ったような顔になって、あげくのはてにあたしを見た。
「あいつに用があって来たんだけどな」
とくる。
そりゃそうだろうけど、あたしを頼られてもちょっと困る。
「君、名前なんていうの?」
とソフトに円城寺さんが訊いてきたので、あたしなんだか反射的に、
「あっはい、あたし、江藤河鹿と申します」
なんて何だか面接試験の解答みたいな答えかたしてた。
「カジカちゃんてのか。かわった名前だなあ」
そういって笑う秀智さんの口調がいかに好意にあふれてたとしても、あたしこの
時ばかりは恥ずかしさに顔から火がふき出そうだった。
「カジカって、たしか蛙のことだったよね」
と、これもわざとらしいほど真顔で円城寺さんが訊いてくる。だからあたし、も
うヤケクソで、
「はい。カジカガエルのカジカです。あと、魚でもカジカってのがいるけど、あ
たしの名前は蛙の方からとったんだそうです。お母さんがつけてくれました。とっ
てもかわいい声で、鳴くんだそうです」
そう答えた。
へえ、と二人とも奇妙に感心した様子で何度も首をうなずかせていたんだけど、
やがてそんなこと今はどうでもいいと気づいたんだろう。ワンテンポ遅れて、予想
どおりの質問がとんできた。
「あいつの彼女?」
と。
ムキになって否定するまでもないから、この日、この部分だけはしごく冷静に首
を左右にふるうことができた。
「たぶん、話をしたのも今日がはじめてです。クラスメートなんだけど」
川薙さんのライブ会場で偶然いっしょになって、と喉まで出かかった言葉を口に
するよりはやく、円城寺さんが質問をかぶせてきた。
「あいつ、あいかわらず音楽やってるとき以外は目立たない?」
あたしは肩をすくめてみせる。
「ベースやってるってこと自体、ついさっきまで考えつきもしませんでした」
やっぱりね、という感じで円城寺さんが肩をすくめかえすのへ、おめえも似たよ
うなもんだろうが、と秀智さんがチャチャを入れる。たしかに、見た目はギターの
達人とかにはとても見えない。
そして二人、どうしようか、とでもいいたげに意味ありげな視線をひとしきりか
わしたあげく、
「あいつ、おれがデビューする前後から、あんまりベース弾かなくなっちまって
よ。バンド活動とかになったら、もうこれがさっぱりンなっちまってさ」
と秀智さんが切りだした。
なぜですか、と、いまだに上気のおさまらないまま問うと、あの凶悪ロッカーと
して名高い川薙秀智が、なんだか弱々しげに視線を落として黙りこむ。
たぶん、説明しにくい仔細があるんだろう。
あたしはそれ以上かける言葉もなく、うつむく秀智さんを眺めやっていた。
しばらくして、ふっとため息をひとつついて秀智さんは顔をあげ、
「まあ、それで、むかしいっしょにやってた円城寺でもひっぱり出しゃ、ちっと
はやる気出るかな、と思って。スケジュール無理やりあけて円城寺ひっぱって、こ
こまで来たって、そういうわけ」
最初から徒労だって、自分でもわかってたって口調だった。
そしてふたたび、黙りこむ。
とりなすように円城寺さんが口を開いた。
「まあ、知ってるかしらないけど、川薙は今やノリはじめのプロのアーティスト
だから、そうそうこうやって訪ねてくるわけにもいかないけどさ」あたし、ファン
です! と喉まで出かかっておきながらひっかかったままの主張は今度もあっさり
と圧殺され、「おれは様子みがてら、ちょくちょくこのあたりに出没させてもらう
よ。家もけっこう近いし、とりあえず生活のためにバイトしてるけど、根本的にヒ
マな身だからな」
意地はらずに、おれのバンドに来りゃいいのによ、とはこれも秀智さんの、ぼや
きともとれないつぶやきだ。
それに対して円城寺さんはフッと、短く笑いをもらし、今日はひきあげようや、
と云った。
「タイミング、いまいちだったってとこさ」
フン、そうかね、とつぶやきながら秀智さんも立ちあがり、うーんと胸の底から
しぼり出すようにうなり声をあげながら、全身つかって思いきりのいいのびをして
みせた。
「じゃあな、カジカちゃん。気がむいたら、おれのライブも聴きにきてくれよ」
ファンです、この前のライブ、行きました、感動しました! との叫びはあいか
わらず心の叫びのまんま、川薙秀智さんはちらりと微笑をおきざりにすたすたと歩
き出した。
あわてて追うでもなく、円城寺さんはのんびりとあたしをふりかえった。
「また会えると思う。おれの勘、けっこう当たるから」
そういって、ひょいと手をあげて笑ってみせた。
そんなわけ、あるかな、とあたし半信半疑で中途半端に笑いながら手をふりかえ
す。
円城寺さんの言葉、ホントになればいいな、とは思わないでもなかったけど、あ
の時はたぶん、やっぱり信じられなかったんだ。
3
つぎの日、妙にあたしを避けてる風にも見えないこともない風神丸(こう呼ぶこ
とに決めたの、由来は聞きそびれてさっぱりだけど、なんとなく秋彦にこの呼び名、
似合ってるし)を昼休みに無理やりとっつかまえて、あれこれ問いただした。
風神丸も最初は、なかばテレたように、あとのなかばはまずいことを聞かれるこ
とを恐れてでもいるようにあたしを敬遠していたみたいだけど、やっぱり秀智さん
や円城寺さんのことは気になるみたいで、訥々として、だいたいは沈黙か投げやり
な「知らないよ、そんなこと」って感じのセリフばかりだったけど、いろいろあた
しの質問にも答えてくれた。
あいつが聞きたがってた秀智さんや円城寺さんのこと、あたしあの後すぐ別れち
ゃったし大して教えてあげられることもなかったんだけど、やっぱり二人が風神丸
のこと心配してるって云ってあげたらそれなりにうれしかったみたいで、てれまく
ったみたいな仏頂面をして指を宙に遊ばせてたりした。
そういう風にして、おたがい大して話せることもなかったけれど、何となく腰を
ならべて屋上に陣どり、同じ時間を共有していたから、下校時間になってあたしが
さも当然、みたいな何くわぬ顔して鞄もって「いっしょに帰ろ」ともいわずにあい
つのところへ一直線した時も、けっこう違和感なく(と、あたしは思う)肩をなら
べて帰途をともにした。
共通の話題って川薙秀智(さん)のことだけだったからそれを持ち出したんだけ
ど、お互い、立場はかなりちがうみたいだけど熱狂的に秀智さんが好きって点では
完全に一致してるから、あれこれうなずきあったり議論しあったりと、かなりうち
とけた雰囲気だったし、だからわざわざ帰り道をおおまわりしてまで共有する時間
をせいいっぱい長びかせても、おたがいまったくものたりない短い時間だったこと
はたしかだと思う。
そうしてあたしと風神丸はけっこう仲よしになったんだけど、北海道で川薙さん
と何があったのかとか、なぜ新しいバンドつくらないのかとか、円城寺さんがいっ
しょにやりたがってたぞとか、やっぱりそっち方面に話をもっていくとあいつはむ
っつりとおし黙ってしまい、お約束のように時には不機嫌に怒り出したりもするの
は、あいかわらずだった。
いろいろ仔細があるんだろうなってことは何となくわかっていた。
でも、つきあってみると(べつに深い意味はないよ)けっこう風神丸ってあたし
にとっては気安く接することのできる部類の男の子だし、不機嫌になったりしても
ぎりぎりの線で本気じゃないってわかってたから、あたしもからかい混じりにその
手の話題をわざと持ち出したりもしていたんだ。
ライブ会場以来、最初に遭遇したあの公園で、あいかわらずあいつはよくベース
を抱えてあのベンチに腰かけていたけど、あれ以来、あたしにもベースの音を聴か
せてはくれなくもなっていた。
それは照れとか、そういうのじゃなくてたぶん、あたしが川薙秀智と(まがりな
りにも)個人的に知り合いになっちゃったって部分が大いに関係してるんだろうな
って、おぼろげに推測していた。
「惜しいよなあ。あんたのベースの音、けっこう気にいってたのにさ。たまには
弾いてくれたっていいじゃん」
頬をふくらませながらあたしがそう云ったりすると、風神丸はフンと鼻をならし
て「「それでもどこかうれしげに笑いながら、
「ロクにおれの音、聴いたこともないくせに」
と云って、それでも出血大サービスみたいにヴ……ン、と一発だけ、気まぐれに
弦を弾いたりもしてくれた。
そんな、ちょっと新しい時間をあたしが手に入れはじめていたころのことだった。
こともあろうに、あの川薙秀智さんたちと再会を果たすことができたのは。
学校が休みの土曜にいつもみたいに、別に約束もしてないけどもしかしたらあい
つ、いるかもしれないなと何となく足を向けたあの公園で、あいつを見つけられな
いかわりにアベックに占拠されてるベンチを前に、川薙さんと円城寺さんとが二人
して所在なげな顔をしながら立っているのを見つけてあたし、呆然とした。
とまどいつつも、昼さがりの公園に集う有象無象の大衆どもに対して意味もなく
優越感を感じながら「こんにちわ」と声をかけてみる。もっとも、そのかけた声が
緊張にふるえていた上、頬まで火炎放射器みたいに熱くなりまくっていたんだから、
他愛ないことこの上ない。
「いないみたいですね、風神丸」
とあたしは、意志とはまるっきりかかわりなく秀智さんから微妙に目をそらしな
がら、何となく話しかけやすい円城寺さんに向けてそう云った。
そしたら、
「いや、奴もだけどさ」と、秀智さんがまじめな顔をしてあたしを見つめながら、
云ったんだ。「君にも、もういちど会ってみたいなって、そう思っててな」
ぽりぽりと鼻のあたまをかきながら、うかがうようにして上目づかいであたしを
見る。
え? え? あたしをですか、と馬鹿みたいなリアクションしかできないあたし
を見て、秀智さんはやっぱりおかしげに笑いながら、うんそのとおり、と何度もう
なずいてみせた。
結局、しばらく待ってみたけど風神丸は現れず、あたしたちは三人で駅前の居酒
屋に場所をうつして話をした。
あたしも最初は、秀智さんを前にして緊張しまくりでほとんどまともに顔をあげ
ることもできなかったんだけど、二人の気安い人柄に加えて心地よい酔いも手伝っ
てか、いつのまにか、こんなに気安くしていいのかってくらい砕けた気分になって
いた。
「秀智さん、風神丸の奴ってば、あたしの前じゃベースのベの字も弾いてくれな
いんですよ。それもあの日、秀智さんに会った後からなんだから。これって秀智さ
んのせいとちがいます?」
なんて、素面の今になって思い出すと背筋氷結もののセリフを面と向かって口に
できたのだから、ホント酔いの力って恐ろしい。
もっとも、その秀智さんにしてからが、
「んなこたおれの知ったことかよ。あいつァよ、もともとそういうヤツなんだよ
もともと」
って調子でバンバンあたしの背中を叩くノリだったりもしたから、あたしたちあ
の場ではけっこういいコンビだったのかもしれない。
「たぶん、おれがベース覚えたからだと思う」
さんざっぱら、その場にいない共通の知り合いをこき降ろした末に、秀智さんは
ふいに黙りこんでしばらく何かを考えるようにしてむっつりと口をつぐんだあげく、
そう語りはじめた。
円城寺さんが東京へいく前後から、秀智さんは冗談半分で風神丸からベースの弾
き方を習いはじめていたらしい。それ以前に円城寺さんからもギターの手ほどきを
ある程度受けていたそうだから、下地はあったことになる。
本人はわめきまくり吠えまくるのが好きなだけの蛮人のつもりだったから、ベー
シストとして本格的に修養をつむつもりでもなかったらしいけど、たぶん、だれの
意にも反して、川薙秀智には奇妙な才能があった。
円城寺さんの形容によればそれは、繊細さを底に秘めた荒々しさを体現する野獣
のヴォーカルや、独特の言語感覚を秘めた作詞の才能ともかなり形態のちがう、一
種異様な、極論してしまえば奇形児めいてさえいる、奇怪に印象的なベースワーク
のセンスだった。
肯定派、否定派共通の見解として、川薙秀智のベースはバンドにとって必ずしも
必要な音とはとてもいえないらしい。それどころか、場合によっては単独であれば
できの悪い前衛芸術に堕しかねない危うさがすくなからず存在するのだという。
そしてそういう部分こそが川薙秀智のベースを一種ぬきん出た味のあるものと成
さしめているのであり、また危うさへの保障として川薙バンドはツインベースとい
う異端な構成をとっているということでもある。
ともあれ、そんな川薙秀智の、ともすれば単なるめちゃめちゃさとしか受けとれ
ないような奇妙な才能に、だれよりもはやく、そして深く気づいたのがあの風神丸
だった。
円城寺宏樹というギタリストを失い、しばしのあいだ川薙秀智と風神丸、ふたり
だけの時期がつづいた。そして今の川薙バンドの母体をなすキーボードとギターと
を新たに加えたデビュー前のある時期、まさにバンドとしての蜜月を迎えたかに見
えた時期の「「風神丸のとつぜんの脱退。
「おれがベース弾けるようになってよ」と、秀智さんは酔って真っ赤になりなが
ら、居酒屋の、木目のくっきりと浮いたテーブルにけだるく肘をついて顎をあずけ
る。「最初はあいつも、喜んでくれたんだ。最初は、よ」
でも、日が経つにつれ、笑わなくなり、口数も少なくなっていったんだそうだ。
最初は、新しいバンドのメンツになれないせいか、といらぬ心配を秀智さんもし
ていた。でも、よくよく観察してみれば、新しいメンツのどちらともけっこう気安
く親しげで、とくにわだかまりがある様子もない。
それどころかどちらかというと、秀智さん自身と接するときにこそむしろ、うち