#2671/5495 長編
★タイトル (GVJ ) 94/ 7/ 4 17:17 (199)
憑狼楽団(1) 青木無常
★内容
憑狼楽団
青木無常
1
あいつが目立っていたのは、ただ単に周囲の喧騒からひとり超克して浮き上がっ
ていたから、だけではなかったと思う。
たしかに川薙秀智といえばやや、いや、かなりマイナーなアーティストだし、そ
れも小規模ホールでのライブにしか過ぎないことはまちがいない。
それでも、いや、それだからこそ、そこに集った群衆は尋常とはほど遠い熱気を
ぶちまけまくっていたし、観客総立ちのなかでひとり、シートに深く背をあずけ、
腕組みをしてさめた視線を人群れのすき間からステージへとそそぐその少年の姿そ
のものが、異様なものとして周囲の目に映っていたであろうことは想像に難くない。
にもかかわらず、聞こえよがしのカゲ口ひとつ、ささやかれずにすんだ理由はた
ぶん、あいつ「「風神丸が、静かに、そして圧倒的に放っていた雰囲気のせいだっ
た「「とあたしは思ってる。
地のままの黒の、どちらかというとざんばらに近い肩までの長髪の下からのぞく、
その印象的な双の瞳の放つ色は、熱狂を通りこして怒りに達しているようにさえ見
えた。
あの日、あの場に集うただれよりもその少年が、ステージ上で絶叫する川薙秀智
に熱い視線をおくっていたであろうことは、たぶんあたしだけでなく、あいつを目
にしただれもが感じていたことなんだろう。
だからこそあの危険な、狂暴さにどっぷりとひたりきった野獣のフィールドのた
だ中にあって、あいつは興奮にまかせた暴力の餌食になるどころか、ささやき声の
コメントでさえひかえ目にさせるほど特殊「「そう、特殊な地位を保持していられ
たのだ。さもなければ熱狂する群衆のまっただ中でただひとり、腕組みをしてシー
トにふんぞりかえっているなどという不届きが許されたはずがない。
許されないかわりにあいつは、敬して遠ざけられていた。
怖れられていた、といってもいいかもしれない。
ステージの上で、血に飢えた野獣そのもののごとく吼えたける川薙秀智。それに
触発されてわめき、手をうち、拳をふりあげ足ふみならす危険な奴らのただ中にあ
ってさえ、あいつは、当の主役であるロックシンガーをさえ凌駕するほどの危険な
雰囲気を、まるでむき出しの刃のように冷えびえと放散していたのだ。
あたしは、そんな異様な雰囲気を放つ、ある意味でだれよりも熱狂的な川薙秀智
ファンの存在を気にするあまり、その夜のライブは想像していたほど楽しめなかっ
た。
たぶん、そいつのことをまったく知らなかったとしてもそうだったであろうこと
は、ライブがクライマックスに達するまでの周囲の連中を眺めるだけでも容易に想
像がついた。
ましてあたしは、その顔に見覚えがあったのだから。
名前はたしか、森下秋彦といった。学校で顔をあわせたのは二年に進級したこの
春がはじめてだったけど、一年の三学期はじめあたりには転校してきていたそうだ。
無口であまり笑わず、仲間はずれというほどでもないがいつも輪の外の微妙な位
置にいる、もの静かな男の子だった。スリムでやや小柄な、どことなく華奢、とい
う言葉さえもが似合いそうなその体格と、日本風の鋭い顔の輪郭、そして刃物のよ
うに危険な目つきとが相乗してか、女の子のあいだではひそやかに人気がないでも
なかったが、そのとっつきにくさが災いしてかそれがあまり表だって現れることも
なかったようだ。
あたしはといえば、あいさつひとつ交わしたことのない男の子のことなど眼中に
もなかったので、そのライブの夜までは森下秋彦のことなど存在する、という程度
にしか認識していなかった。
だからひとつぽつりと空いたままの会場のシートに、予定を大幅に遅れて鳴りは
じめた開演ベルが鳴りやもうという寸前にゆっくりと、どこかためらうような足ど
りで現れた男の子が知った顔だということに気づいた時には、ただただ呆然として
いただけだった。
その呆然が、ひとりで会場に足を運ばざるを得ないマイナーなアーティストのラ
イブに偶然見つけた、見知った顔の同志への親近感にかわるまでには、そう時間が
かかったわけでもない。
でも、秀智がステージに出現したとたんにいっせいに立ちあがった観客の中で
(もちろん、あたしもその一人だ)ただひとり、どちらかというとむっつりとした
顔つきでシートに深く背をあずけたまま微動だにしないかたくなさを目にしてから
は、ライブが終わった時にどう話しかけようかとあれこれ思いめぐらせていたあた
しの計画は砂上の城のごとくあっという間にさらさらと崩れ落ちていたんだ。
ただし、奇妙な好奇心だけはライブのあいだ中「「いや、熱狂と興奮の渦中でア
ンコールの幕が閉じられてからもなおいっそう、つのりこそすれ薄れることはなか
ったといっていい。
あいつ、森下秋彦は、罵倒に近いわめき声で川薙秀智が別れのあいさつを放り捨
てて背を向けるやいなや、つい、と何のためらいもなく立ちあがった。
そして、後を追おうか、しかし秀智がさらなるアンコールの声にこたえて再度ス
テージに帰ってきてはくれまいか、などという一瞬のあたしの躊躇を断ち切るよう
にして、一種小気味いいほどの性急さとかたくなさとを伴ってステージに背を向け、
なんのためらいもなく歩み去っていったのだ。
それはいま考えてみると、川薙秀智の退場のタイミングを知りつくしていたがゆ
えの見切りに、たしかにちがいなかった。
まさに印象どおり、森下秋彦はあの日会場にいただれよりも「「いや、全国に存
在する川薙秀智ファンのだれよりも、あの川薙秀智を知りつくし、そして執着して
いたのだ。
そんなこととは露しらぬあたしは、なおも凶猛に叫び、猛りつづける観客たちに
囲まれていながらどうにも気はそぞろなまま、かなり中途半端なタイミングでライ
ブ会場を後にした。
そしてこれも、思い切りの悪い足どりで小走りに外に出て四囲を見まわしてみた
んだけど、あの怜悧な刃のような双の瞳や、かたくなに閉ざされた華奢な小さな背
中を見つけだすことは当然のようにできなくて、呆然とたたずむだけしかできなか
ったんだ。
とうぜん、あれほど楽しみにしていた川薙秀智のライブを堪能した直後にもかか
わらず、機嫌がいいとはとてもいえない状態だったから、
「あ、ねえねえ、お姉さんひとり? いまからボクらといっしょにお酒飲みにい
かない?」
とか能天気なセリフで声かけてきたナンパ小僧どもにぎろりと鉈の一瞥をくれて、
「うるせえぞカス。はり飛ばされたい?」
と秀智ばりの罵倒を吐き捨てる自分に自分で驚きを感じながらも、無理もないか、
とかあきれたことに妙に納得してもいた。
現実にはあたし、身長もふつうサイズだし腕力なんかもちろんないし、武道とか
の心得のかけらも持ちあわせてはいないんだけど、カーリーヘアと見まごうばかり
の量感のある、ライオンみたいな長い髪ときつめの目線や、発散する雰囲気なんか
がかなり、恐い印象があるらしい。
そして何より、女の子にしてはかなり低い、ドスの利いた声をしてるから、こう
いう感じで一声吼えればそこらの軟弱な男の子くらいならマジでびびらせることが
できる。
だからたいていのナンパなんて、うざったいと思ったら簡単に撃退できるし、し
つこくつきまとわれることなんて滅多にない。
もちろん、その日最悪に機嫌の悪いあたしに声をかけてきた不運な二人組もあた
しの勢いを一目見るやすごすごと退散してくれた。 実をいえば、相手が自分から
すっこんでくれてかなりホッとしていたんだ。女の子相手にマジにカッとなって手
をふりあげかねない、頭に血ののぼりやすいバカ男だってけっこういるし、そうい
うのが相手だと、歯がみしたくなるほどの悔しさのみこんでシッポまいて逃げるし
か手はないわけだから。
とまあそういうわけでどうにか無事にその夜を終え、そして翌々日の月曜日。
学校であたしは、森下秋彦が欠席していることに軽からぬ失望を覚えつつ授業が
終わるのをもどかしく待ち、資料室で調べたあいつの住所をたよりにやみくもに学
校を飛び出して、何をどう話したいのかもよくわからないままあちこちをさまよい
歩いたのだった。
あいつの家は、駅からさほど離れてもいない小ぢんまりとした、中堅どころのサ
ラリーマンの一家が住んでいそうなマンションの一室だった。
秋彦はいま家にはいないわよ、とあたしに告げた母親らしき女性は、あふれ出る
好奇心を隠そうともせずに上から下まであたしのことを眺めまわしたあげく、こと
もあろうに
「あなた、あいつの彼女?」
と何の屈託もなくそう訊いてきた。
もちろん、飛びあがるほどびっくりしたあげく困惑もあらわにあたしはそれを否
定したのだが、お母さんはそんなあたしを見てさも「息子の彼女には悪くないかも
ね」とでもいいたげに好もしげに笑っただけだった。
びっくりするほど、というわけでもないけど、世間的に見ても年齢的にもかなり
きれいな部類に属する女性なので、さほど反感を抱きはしなかった。
ちょっと派手めに見えかねない、息子とは明らかに種類のちがう雰囲気を発散す
るその美丈夫ぶりが、あたしがふだん人から受けやすい評価と似ている(と、あた
しが勝手に思っただけ、だけど)のも、あたしがあいつのお母さんに好感を抱いた
一因かもしれない。
ともあれ、友だちのように気安い口調で彼女は、
「あいつなら、たぶん公園にいると思うよ。ここからだと通りの向こう側、右は
しよりの、池ばたのベンチのどこか、かな。アベックにそこを占領されてなければ、
の話だけどね」
とそう教えてくれた。
お礼をいってマンションを後にしたころあいに、不思議と、といおうかやっと、
とでも表現した方がぴったりしているのか「「ともあれ、あのライブの夜からあた
しの頭の内部にいすわりつづけていた奇妙な、得体のしれない熱気が去りかけてい
た。
歩いて十分弱、公園に足を踏み入れて瞬時、躊躇する。かなり広い公園で、内部
の池も広いだけでなくけっこう複雑な形をしているので、お母さんの説明とあたし
の理解との間にどれだけのギャップがあるか、少々判じかねたからだ。
しばし考えたあげく、ここ数日でつみあげてきた森下秋彦の人物イメージをてき
とうに付与して方向を決めた。
しばらくもいかないうちに、ベースの音があたしの勘に呼びかけてきた。
アンプを通してるわけじゃないから、かなり小さな音だったはずだし、だいいち
森下秋彦がベースを弾くなんてその時点では知るよしもなかったのだから、見る前
からそれをあいつの出す音と感じたのは、まさに直感以外のなにものでもない。
たぶん、重低音なのに奇妙に繊細で、そして奇妙にやさしく、それでいてその底
に奇妙な荒々しさを放つ響きを、その小さなベースの音に感じたからなのだろう。
背をまるめ、やや顔を伏せぎみにして周囲から隔絶したフィールドを形成する、
男の子にしてはちょっと華奢な印象の背中はたしかに森下秋彦のものだった。
静かに、ゆったりと、太い弦をつまびくその後ろ姿にしばし見いった後、あたし
は意を決して声をかけた。
「森下くん」
重く響いていた重低音の余韻を、つい、と指でおさえてあいつは、呆けたような
顔つきでふりかえった。
「……江藤さん……?」
夢幻境から無理やりひき戻されたような顔つきにふさわしい、ボケた感じの呼び
かけは、教室で見るどこか閉じこもったかたくなな雰囲気とも、ライブ会場で目に
したむき身の刃のような危険な雰囲気ともちがっていて、あたしはなんとなく安心
したようにくすりと笑いをもらしていた。
「あたしの名前、覚えてたんだね」
微笑みながらあたしは、あいつの隣に腰をおろす。
森下秋彦はちょっととまどったように小さく腰を浮かして場所をずらし、それで
も学校ではあまり見せない微笑を浮かべてうなずいた。
「名字はともかく、河鹿って名前はかなり印象深いものがあるからね」
そのときあたしは、たぶんかなり渋い顔をしていたんだと思う。
いまではけっこう気に入った名前ではあるけれど、子どものころはこの河鹿って
名のせいでかなりからかわれたりいじめられたりしたし、一時は本気で、こんな名
前をつけた両親をうらんでみたりもしていた。だからやっぱり、こうして正面きっ
て名前のことをいわれるとやっぱりかなりの抵抗があったんだ。
だけどそんなこと露ほども知らない秋彦は、真正面からあたしの顔を見ながら微
笑の上にぷっと笑いを重ねていた。
子どものようにあけっぴろげな笑顔だった。
べつに惚れたとか、そういうんじゃないけど、おそらく滅多に見られないだろう
その笑顔にあたしの胸が密かに昂鳴ったのは否定のしようもない。
だからこそ、そんな想いをみずから打ち消すようにしてあたしは、
「ベース弾くんだ。知らなかった」
と口にしていたんだ。
あいつは肩をすくめて「うん」と短くいい、つけ加えるようにして弦の一本をブ
……ンと響かせる。
そんな態度に、少なくともあたしに対して好意に近いもの、くらいは抱いてるみ
たいだな、と勝手に解釈してあたしはさらにつづけた。
「もしかして、川薙秀智の影響?」
とたん、あいつの顔が硬くなったのも、今にして思えば当然の反応だけどその時
のあたしにはまったく予想外の展開だった。
「いたね。あそこに」
とあいつが口にした言葉にも明らかなよそよそしさを感じて、さすがのあたしも
少しあわてていたかもしれない。
「あ、うん。好きだから、川薙秀智。森下くんも?」
聞かずもがなのセリフであることは、自分でもよくわかっていた。
あの熱狂の火の玉ホールのまっただなかで、だれよりも熱い視線をステージ上に
そそぎながら終始腰ひとつあげず、腕組みをしたままでいた少年が、単なるファン
や何かであるはずがない、ということにはあたしだって気づいていたつもりだった
から。
案の定、秋彦はむっつりとおし黙ったまま、意味もなく弦を弾いて重苦しい音を