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ヴェーゼ 第3章 旅の始まり 4 リーベルG
★内容
4
突然、アンソーヤの歩みが停止した。普段から青白い顔から血の気が引く。
「敵だ!近い!」
兵士達は素早くその声に反応した。ギブスン大佐が命令するまでもなく、クロスボ
ウに手をかけつつ足を止める。
「命令あるまで撃つな!」ギブスンはとりあえずそう命じておいて、足早にアンソ
ーヤの元に駆け寄った。「確かですか、アンソーヤ?」
「この殺気が分からないのか!」アンソーヤは苛立ちを隠そうともせずに怒鳴った。
「あっちだ」
少年が指し示した方向に全員の視線が集中した。星が瞬く夜空に、まるで流れ星の
ように白い点が飛んでいるのが確かに見えた。それは見る間に大きくなり、純白のマ
ントに包まれた人間の形へと変わった。
「魔法使い協会の魔法使いだ」ギブスンは、その純白のマントが何を表すのか知っ
ていた。「しかし……」
ギブスンは優柔不断な指揮官ではなかったが、それでもとっさに躊躇せざるを得な
かった。接近してくる魔法使いが敵意を持っているのかどうか分からないのだ。
ギブスンが決心を定める間もなく、魔法使いは一同の行く手を塞ぐ位置に着地した。
全員が端正な男の魔法使いに、視線と武器の狙いを集中させた。だが、魔法使いは、
恐れる色も見せずに口を開いた。
「おれは魔法使い協会の白の塔に属するキキューロだ」薄笑いをたたえた視線が、
アンソーヤたちを一周した。「お前たちは何者だ。名乗る名があれば名乗るがいい。
名乗りたくなければそれでも一向に構わないぞ」
クレメンテが一歩進み出た。
「我々は、ガジェから来た商隊だ」とりあえず用意した設定を叫ぶ。「ネイガーベ
ンへ向かう途中だ。私は先導を頼まれたクレーメルという者だ。マシャの者が何故に
道を塞ぐのですか!?」
「ふん、もう少しましな言い訳を用意したらどうなんだ?」キキューロはクレメン
テの叫びを、あっさりはねのけた。「ネイガーベンへ行くにしては、少し遠回りじゃ
ないか、あ?」
「それには理由があるのだ、魔法使いキキューロ!」クレメンテは必死に言い募っ
た。「この先の魔女の家に用事が……」
「魔女だと?パウレンのことか?それとも」キキューロはにやりと笑って、クレメ
ンテの言葉を遮った。「黒い髪の女の方か?」
クレメンテは絶句した。その瞬間、ギブスンが叫んだ。
「殺せ!」
クレメンテはとっさに前方に身を投げた。その真上を、10以上の矢が通過してい
った。全てが正確にキキューロの身体を狙っていた。
キキューロは狼狽のかけらも見せようとせず、マントをぐるりとはためかせると、
片手を軽く前に出して何かを唱えた。
常に冷静沈着を保つように訓練されている兵士たちの口から、驚きの声が洩れた。
音速に近いスピードで発射された矢が、ことごとく急停止し、キキューロの手の中に
収まったのである。
「これだけかね?」つまらなそうにキキューロは訊いた。
「射て!」ギブスンは命じた。「狙点を散らせ!」
命令は即座に実行された。無言の連携の中で、12人の兵士たちはキキューロの頭
から、足の先まで、思い思いの場所に狙いを定めて矢を放った。チームとしての訓練
を受けていないB・Vがわずかに遅れたものの、誰も気に止めている余裕などなかっ
た。
ふわり。
まるで鳥が翼を広げるような優雅さを見せ、キキューロは再びマントを翻した。薄
い布のマントは、耐衝撃エネルギーシールドでも不可能な正確さで、矢のことごとく
をはねかえした。
「なかなかいいな」キキューロは手を叩いて見せた。「次は何かね?」
不意に鈍い炸裂音が全員の耳を打った。
始めてキキューロは驚愕の表情を浮かべた。ゆっくりと右の腕を上げて左の肩に触
れ、それが鮮血で染まっているのを見て、信じられないように両目が大きく見開かれ
る。
伏せ撃ちの格好で硝煙の残る拳銃を握ったクレメンテは、素早く起きあがると次の
弾丸を装填した。そして、今度はキキューロの頭部を撃ち抜くべく狙いを定めようと
して……次の瞬間、悲鳴を上げた。
巨大な鴉が音もなく出現したかと思うと、クレメンテの顔面に降り立った。鋭い刃
物のような嘴と、鉤爪が動き、鮮血が噴き出した。他の兵士たちも、今では銃を抜い
ていたが、誰もクレメンテを射殺する危険を冒してまで、鴉に発砲する勇気を持てず
にいた。
クレメンテは銃を放り出し、くぐもった悲鳴を上げながら、両手で鴉の動きを止め
ようと必死の努力を繰り返していた。だが、鴉は巧みにそれを避けつつ、容赦なくク
レメンテの顔面を引き裂いていた。破裂した眼球が神経繊維を引きずりながら飛び、
もがれた鼻が細かい骨のかけらとともに地面に落ちた。
「撃て!」ようやくギブスンがかすれ声で命令を発した。「構わん、撃ち殺せ!」
呪縛の解けた数人の兵士が銃口を上げた。だが、兵士の一人が発砲する前に、恐慌
の叫びを発した。いつの間にか、憤怒の形相もすさまじいキキューロが、兵士の眼前
に立ちはだかっていたからである。瞬間移動したとしか思えない。
「この、くそ野郎!ローロ・デグローロ!」
キキューロは呪文とともに力を叩きつけた。異音とともに、兵士の上半身が破裂し
血と肉片が噴水のようにまき散らされた。
銃声がたて続けに轟き、銃弾が闇を切り裂いた。兵士達は脅えていたものの、訓練
を忘れてはいなかった。全ての狙いは正確にキキューロの急所に定められていた。
だが、キキューロの動きはそれを上回った。ワルツでも踊っているような優雅さす
ら見せながら、最小限の動きで狙点から逃れ、別の兵士の背後に移動する。そのまま
片手を軽く突き出し、兵士の頭を吹き飛ばしておいて、素早くまた移動した。銃弾が
後を追ったが、キキューロのマントの端すら捉えることができなかった。
アンソーヤも遊んでいたわけではない。さすがに恐怖の表情を浮かべているドナの
手を強くつかんで、自分の傍らに引き寄せる。
「結界を張る」短くアンソーヤは言った。「ぼくの側を離れるな」
アンソーヤが片手で印を切り、早口で結界を張る呪文を発した。目には見えないが
ドナは確かに堅牢な場が自分たちの周りに形成されたのを感じた。
キキューロが跳躍しながら振り向いた。怒りに歪んだ端正な顔に、興味の色が浮か
んだ。着水する白鳥のように地面に降り立ったキキューロは、弾丸を装填し直してい
る兵士たちには目もくれずアンソーヤの方へ歩き出した。
「ふん。少しはまともな魔法を使える奴がいたらしいな」侮蔑を隠そうともせず、
キキューロは言い放った。「それはどこで学んだものなんだ、坊や?」
「それ以上、近付くな」アンソーヤは低い声で警告した。
キキューロは嘲笑した。
「その程度の力で、おれを止められるつもりか?身の程知らずなガキだ。もう少し
人生というものを学ぶ必要があるな」
アンソーヤの瞳に怒りが燃えた。キキューロの言葉を完全に理解しているわけでは
ないが、喋っている内容は明らかだった。
「くそくらえ!」罵声が飛び出した。
「ふん。力は未熟だが、勇気は称賛に値するな」キキューロはせせら笑った。「ど
うだ、その勇気に免じて、一対一の決闘を許してやってもいいぞ?お前が負けても、
他のヤツには手を出さないことを約束してやろう。どうだ?」
「くそくらえ!」アンソーヤは再び叫んだ。「誰がお前の言葉なんぞ信じるものか」
「ふん。なら仕方がない」キキューロは提案を拒否されても失望などしなかった。
「先にこの阿呆どもを片づけてから、ゆっくり相手をしてやろう。そこの女は殺さな
いけどな。お前を片づけた後、生まれたままの姿で、おれの相手をしてもらうんだか
らな。楽しみにしてな、イブラー!」
ドナに投げつけられた最後の言葉は、この大陸の標準語で「淫売」を意味する侮蔑
的な単語だった。アンソーヤとドナは怒りで真っ赤になった。
キキューロは兵士たちに向き直った。右肩からは相変わらず血が噴き出していたが
気にする様子も見せなかった。羽ばたきの音とともに鴉が飛来して、左肩にとまると
右肩の鮮血を興味をこめて見つめ始めた。
「さて」キキューロは獲物を前にした肉食獣のように残忍な笑みを刻んだ。「誰か
ら遊んでくれるのかな?」
イーズが用意した食事は3人と2匹分にしては量が多かった。少なくともリエはそ
う感じたのだが、パウレンもカダロルも気にした様子もなかった。リエは忙しそうに
多くの皿やカップを並べるイーズを手伝おうと申し出たが、『アリス』の世界から抜
け出してきたような白ウサギは、それを断った。
「ああ、いいから座ってな、客人」イーズは生意気な口調でリエを追い払った。「
手伝いなら、トートがいるから大丈夫さ」
そのトートは気の毒にも、イーズの怒鳴り声に従って広いパウレンの小屋の中を飛
び回っていた。
「おお、いい匂いだ」カダロルはテーブルに並びつつある料理を見回して舌なめず
りした。「ビールがあると、もっと良かったんだが」
「私の小屋では上等なワイン以外は封を切らせないことにしている」パウレンは樽
詰めのワインをグラスに注ぎながら言った。「おぬしは医者のくせに、どうしてもっ
と、身体にいい飲み物を飲まないのだ」
「ビールが身体に悪いなんて誰が言ったんだ?」
「おぬしの丸く突き出した腹を見れば、誰だって分かるであろうが」
「あのなあ。ビール腹なんて、何の根拠もないんだぞ」カダロルはリエを見た。「
あんたの世界にもビールはあるのかね?」
「ええ、あります」リエは冷えたビールが喉を潤す記憶に思わず郷愁をかき立てら
れた。「実を言うと、あたしもビールは好きな方です」
「ほらみろ」勝ち誇ったようにカダロルは言った。「世界が違っても旨いものは、
変わらず旨いんだ」
「とにかく今夜はワインで我慢してもらおう」パウレンはグラスをテーブルにおい
た。
「まあ、確かにパウレンのワインも悪くはないがな」カダロルはまたリエに向き直
った。「今度、機会があったらネイガーベンのダブルル店に連れてってやろう。地下
にある小さな酒場なんだがね、そこの手造りのビールは最高だ」
「ありがとう、ドクター」リエは微笑んだ。「楽しみにしてます」
「さあ、酒飲みども」パウレンが呼びかけた。「用意がととのったようだ」
全員がテーブルについた。乾杯の習慣はないらしく、カダロルは待ちわびたように
ワインをすすり、シチューを口に運び始めた。
「ところで、これからどうするのかね?」カダロルがもぐもぐやりながら訊いた。
「ここで魔法の修行をします」リエはサラダをつつきながら答えた。「寝ぼけて、
うっかり魔法を使って、誰かをカエルに変えたりしないように」
「なるほど」カダロルは頷いた。「このパウレンは魔法使いとしては大したもんだ
が、教師としてはどうしようもないからな。不平不満があれば、遠慮なしにおれに言
ってくれ」
「このやぶ医者の言うことなど真に受けるのでないぞ、リエ」パウレンがグラスを
傾けながら言った。「病気や怪我をしないように気を付けることだ。こいつの手で治
療を受けることにでもなったら、それこそ悲劇というものだからな」
「治癒の魔法に限って言えば」カダロルは反論した。「あんたより上だと思うが」
「ほう、自分の身体で試して見るか?」パウレンが挑戦的な視線を投げた。
「あ、あの」慌ててリエは割って入った。「どうも良く分からないんですけど」
2人は口を閉じてリエを見た。イーズとトートはテーブルの上の議論よりも、食べ
物と酒にしか興味がないようだった。
「カダロルさんも魔法を持っているんですよね?」カダロルが頷いた。「だけど、
魔法使いとは呼ばないのはどうしてですか?そもそも、誰もがある程度の魔法を持っ
ているのに、どうして魔法使いという職業が成り立つんですか?」
「いい質問だ」パウレンは嬉しそうに頷いた。「簡単に言えばだ、全ての魔法使い
は、ある目的のために存在しているのだ。ある謎を解くため、といってもいい。もち
ろん、その中心はマシャの3つの塔なのだが、私のような自由魔法使いも究極的な目
的は同じなのだ。
では、その目的とは何かというと……何だと思う?」
唐突に向けられた質問に、リエはたじろぎ、熱いジャガイモの塊を噛まずに飲み込
んでしまった。冷たいワインで、それを胃に流し込むと、ようやく口を開いた。
「馬鹿々々しい夢物語さ」カダロルが揶揄するように言った。「魔法使いなんてい
う人種が、いかに非現実的な集団かという証明だよ」
「おぬしのような凡人には永遠に分からないだろうさ」パウレンが切り返す。
カダロルは肩をすくめて、料理に戻った。
「教えて下さい」リエは頼んだ。「秘密ですか?」
「いや、誰でも知っていることだ」パウレンはワインを一口含むと、神託でも告げ
るような誇らしげな口調で言った。「すなわち、我々の目標は神へ至る道を見つける
ことなのだ!」