AWC 【夕刻・曖昧・余情物語】 一の刻「記憶」(上) らいと・ひる


        
#2641/5495 長編
★タイトル (NKG     )  94/ 6/16  22:37  (149)
【夕刻・曖昧・余情物語】 一の刻「記憶」(上) らいと・ひる
★内容

 黄昏、黒髪、かすりの着物。

 夕刻の曖昧なあの記憶。
 なんの飾り気もない素朴な夕暮れに、一人の少女の記憶が甦る。
 あれはいつの頃だったのだろうか。
 埋もれた時間のなかで、刻まれた想いはどこにいったのか。

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//            夕刻・曖昧・余情物語                      //
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//             一の刻 「記憶」                             //
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 ぼくがこの村に戻ってきたのは、単なる気まぐれだった。
 幼い頃の一時期、この村で過ごしたことのあるぼくは、里帰りのような感覚でここ
へ戻ってきた。
 ほぼ十年ぶりで見た村の光景は、昔とさほど変わるものではなかった。
 幼いといっても、十才になった頃の事だ。物心がはっきりとついて、ようやく世の
中を見回せる年でもあった。

    **FLASHBACK

『章ちゃん』
 風にのってあの子の声が聞こえてくる。
『章ちゃん』
 ぼくの名前を呼んでいる。あの子の笑顔が待っている。
 茜色に染まった空に浮かぶ夕月を背にして、あの子のもとへと駆け出していく。
 そして、ぼくはうれしそうにあの子の名前を呼ぶ。
「澪ちゃん」

    **

 幻影。
 そんな言葉が頭に浮かんだのは、あの頃の事を考えている時だった。
 名前だけしか知らない少女。
 いつも一人でぽつんと立っていたあの子の記憶は、今でも薄れることはないが、当
時からしてその子の存在は曖昧のままだった。
 ぼくがいたあの村は、盆地。山にぐるりと囲まれた小さな村だった。
 近くに貯水湖があり、ぼくらはいつもそこの近くの森で遊んでいた。
 地図で見れば、ぼくのいた村が、近くの村まで数十キロは離れていたことがわかる。
 そんな距離を毎日あの子は歩いてきたのだろうか。
 あの子とは、引っ越すまでの短い間、ほとんど毎日、会って遊んでいた。
 まだ、村になじめないでいた頃からだった。
 あの子は不思議な子だった。

 ずっと、隣の村の子と思っていた。

    **FLASHBACK

『今度はあたしの番よ』
 甘く、か細い声がぼくの耳にこだまする。
 あの子はそっと手を差しだし、ぼくが手毬を渡すのを待っている。
 溢れんばかりの笑顔を無邪気に向ける。

 『ひとつ、ひとよい…ふたつ、ふたみち…みっつ、みかずき…よっつ、よみふだ…い
つつ……』

 手毬をつきながら、数え唄を唄う。
 そんなあの子に、幼いながらも見とれてしまったこともある。
 甘い舌ったらずの声ではあるが、それが風にとけ込み、自然の音と調和して和音と
なってあたりにこだまする。そして、魔法でもかけられたかのように、まわりの空気
がきらきらと輝きだすのだ。

    **

「あらぁ、もしかして章ちゃん?」
 ぼくは、少しカン高い女性の声で振り返った。
 少し小太りの人懐っこい顔のおばさん。ぼくがこの村に住んでいた時、お世話になっ
た近所の人だ。
「どうも、ご無沙汰しています」
 照れながらそう答えるぼくの肩を、ぽんぽんと叩きながらおばさんはにっこりと笑
う。
「大きくなったじゃない。ねぇ、家へ寄ってきなさいよ。晩ご飯ぐらいご馳走するわ
よ。」
「いえ、今日は夜までに戻らないとまずいので、せっかくですが」
「あら、そう。残念ね」
 このおばさんの家には子どもがいない。だから、ぼくのことをわが子のように面倒
見てくれたものだ。短い間であったが、楽しく過ごせたのは、この人のおかげもあっ
た。
「貯水湖へ行くのかい?」
 ふとおばさんは、ぼくに訪ねる。その顔には何か心配そうな表情が見えかくれして
いる。
「ええ、まあ」
 ぼくは、曖昧な返事をする。この村へ来た目的などなかった。ただ、埋もれた記憶
を掘りおこすためには、あそこへ行かなくてはならないのかもしれない。
「あまりこういう話はしたくないんだけどね。最近、あの辺でいろいろ事件が起きて
てね、通り魔の仕業ではないかという噂があるんだよ。まあ、明るいうちに帰るのな
ら大丈夫かもしれないけど、気をつけるんだよ。」
「おばさん、昔と変わりませんね…心配性のところは」

    **FLASHBACK

「章ちゃん。また明日ね」
 あの子はそう言って手を振った。
 だが、あの時、ぼくは何もいえずに手を振るしかできなかった。
 次の日には、この村を引っ越していかなければならないことを伝えねばならなかっ
たのに。
「また、遊ぼうね」
 あの子の笑顔が頭に焼き付いていく。

 さよならの理由を言わなければならなかったのに。

    **

 貯水湖の様子は、十年前とほぼ変わらぬ状態だった。
 水の表面にキラキラと輝く光はあの当時と変わらない。
 あの幻想が再び甦るような、そんな気がしてきた。
 曖昧な記憶につられて、足が森の方へと引き寄せられる。懐かしさがこみ上げてく
るような気分だ。
 幼い頃の風景が、記憶に呼び起こされ、目の前のものと一致していく。奇妙な感覚
ではあるが、とても心地が良い。
 そのまま、なにげなしに森の中をさまよう。
 今ぼくは、現実と幻想の狭間にいる。触れれば消えそうな幻も、ここではしっかり
と存在しているような感覚だ。

『あっちの水は甘いか こっちの水は甘いぞ』

 ふと、微かな歌声がぼくの耳に聞こえてくる。空気がキラキラ輝いていた。

   **FLASHBACK

「あなたも一人なの?」
 まだ、この村来たばかりの頃。貯水湖のきれいな水面をぼんやり見ていたぼくに、
あの子はそう言って声をかけてきた。
 丈の短いかすりの着物を着た姿は、幼さの中に小悪魔的な美しさを秘めているよう
であった。
 そして、少し首をかしげ、不思議そうにぼくを見つめる。
 その純粋な瞳に魅いられて、ぼくは返事をするのを忘れてその子に見とれてしまっ
た。
「あたし、ミオっていうの。あなたは?」
 舌ったらずだが、甘く魅惑的な声。
「ぼくは、ショウ。…えっと……」
 ぼくは小枝を捜して地面に『章』と書く。自分の名前を幼心に気に入ってたものだ
から、少し照れながらもそういう行動にでてしまったのだ。
「ふうん。かっこいいね」
 あの子のあどけない笑顔が目に映る。
「ミオってどうかくの?」
 ぼくは手に持っていた小枝を渡してそう聞く。
 あの子は、それを受け取ると、とてもきれいな筆運びで『澪』という字を地面に書
く。
「むずかしい字だね。でもきれいだね」
 その素朴な感想にあの子は「ありがと」と照れたように答える。
 それが、ぼくたちの初めての出逢いだった。

   **





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