#2631/5495 長編
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ヴェーゼ 第1章 リエ 1 リーベルG
★内容
1
地球時間午前0時ジャストに、リエ・ナガセ中尉は<ムーンゲート>を通過した。
第2級攻撃装備に身を固めた24才の中尉は、その瞬間を確かに認識した、と思っ
た。レビュー(Reverse Demension World)への転移は、1ナノ秒以下を要するだけ
なのだが、人間の知覚は時として、そのような瞬間の中の瞬間を明確に分類し、記憶
することができるらしい。
ブーツが柔らかな草を踏みしめた。地球ではもはや植物園か、VRヴィジョンでし
か見ることができないジャングルが、ここではしごく当たり前にリエを包んでいた。
不意に装備している分子フィルターを外したくなる衝動が沸き起こったが、リエはそ
れを押さえつけた。何年にもわたる科学者グループの調査でも、大気中にいかなる有
害成分も発見されていない。有機的にも無機的にもだ。だが、それは決して100パ
ーセントを意味しない。この広大な世界の全てが、わずか10年余りで調査され、研
究され尽くしたと考えるのは、相当な楽天主義者だけだろう。
もっとも、厳重な検疫もそろそろ緩和されるらしい。今まで、アンストゥル・セヴ
ァルティの生の空気を呼吸した人間は、2度と<ムーンゲート>をくぐり抜けること
を許されなかったのだが、一ヶ月の完全隔離および遺伝子構造検査を含む精密検査で
異常が認められなければ地球に帰ることができる。すでにこの世界に試験的に移住し
て10年になる人々に何の異常も見られないのだから、その措置が実施される日も遠
くはない。
レビュー9。それがこの世界の公式名称である。だが、一般にはアンストゥル・セ
ヴァルティまたは省略形のアンスティの方が通りがいい。今まで発見された14のレ
ビューの中で、唯一テラフォーミングなしで人間が生活できる世界。唯一、先住民が
存在した世界。そして、科学ではなく魔法が支配する世界。アンストゥル・セヴァル
ティ。アンスティ。
----整列。小隊長は報告せよ。
リエの内耳に埋め込まれた通信機が命令を囁いた。リエは素早く周囲を見回した。
アンストゥル・セヴァルティと地球時間は正確に同調しているため、今は地球と同
じく夜だった。月のないこの世界では、夜は文字どおり闇の世界となってしまう。わ
ずかに点在する星の光を、スターライトレンズが増幅してくれなければ、リエも、中
隊も全く身動きが取れないに違いない。
もちろん、魔法で夜目がきく者は別だが。
----第6小隊、集合!
リエは指揮下の小隊を呼び集めた。特に周波数を意識する必要はない。MIサーバ
が、瞬間的に識別してクライアントごとに異なる周波数で発信してくれるのだ。
たちまち第6小隊の12名が集合した。みな、一様に緊張を隠せない。特殊部隊と
して充分以上の訓練を積んでいる兵士達も、アンストゥル・セヴァルティに足を踏み
入れるのは初めてなのだ。もちろん、リエ自身もそうなのだが、指揮官としての矜持
を保つために、リラックスしているようにみせかけなければならなかった。
----第6小隊、集合。待機。
リエは報告を終えた。闇の中から、微かなブルーのきらめきとともに、次々と兵士
が出現しては、自分の属する小隊に集合していく。やがて1個中隊の人数が揃ったと
き、今回のミッションが開始されるのだ。リエはその時をじっと待った。
アンソーヤは不機嫌だった。もっとも、この少年はどんなときでも無愛想で不満そ
うな顔をしていた。
「たった一個中隊だと?」指揮コンソールの隣に設けられた臨時シートの上で、ア
ンソーヤは居心地悪そうに身動きした。
「公然と軍を動かすことができない以上、これが最大限度です」統合軍第99特殊
陸戦機動部隊の指揮官、ギブスン大佐はぶっきらぼうに答えた。臨時シートに座る美
しい少年に視線を向けようともしない。
「あいつらは」アンソーヤはスクリーンのCGを指した。「本当に信頼できる奴等
なんだろうな、カーネル?」
自分の部下を「あいつら」呼ばわりされたギブスン大佐は、一瞬怒りの色をひらめ
かせた。相手が地球で最大の力を持つ魔法使いでなければ、とっくにそれを爆発させ
ていたに違いない。
「彼らは地球で最も優秀な部隊です」
固い声でそれだけ答えると、ギブスン大佐はコンソールに状況報告を命じた。1秒
でそれが送られてくると、大佐はその分析に没頭しているフリをして、アンソーヤを
無視した。
アンソーヤは退屈したようにシートに身体を沈めた。透き通るほど薄い金髪と、ア
ルピノのように白いその顔は、12歳の少年を折れそうなぐらい脆弱な存在に見せか
けている。文字どおり見せかけているだけであることを、ギブスン大佐は知っていた。
臨時シートに座る小さな身体のどこかには、大都市一つをトーストに塗ったバターの
ように溶かしてしまう力が秘められているのだ。
ギブスンが秘かに観察していることを知ってか知らずか、アンソーヤは細い手首を
ひゅっとひねって空中に小さな炎を生み出して遊び始めた。青く美しい炎は、物理法
則をあざ笑うように空中に浮かび、アルファベットの「A」を形作った。続いて「N」
になり、「S」に変わった。アンソーヤが描き出そうとしているのが、自分の名前な
のか、少年が一番興味を持っているレヴューなのかと、ギブスンは興味を持ったが、
次の文字が綴られる前に、シグを通じて報告がもたらされた。
----中隊の転移が完了しました。
報告には中隊全員の個人情報が付加していたが、大佐はそれを見もしないで命令を
発した。
----よろしい。フェイズ2を開始せよ。
シグは正式には「統合情報シンクロナイズド・プロセッシング・インターフェイス」
という長い名称を持っている。体内に注入された数種類のナノマシンによって、頭の
中の情報を瞬時に伝達することができ、また視覚や聴覚に頼るよりも遥かに膨大なデ
ータを整理された形で受け取ることができる。初めは四肢を動かすことができない人
々のために開発されたインターフェイスであり、その有効範囲も限られていたが、現
在では衛星軌道上を含む地球上であれば、タイムラグなしにあらゆるメディアにアク
セスできるようになっている。
無論、今ギブスン大佐がアクセスしているのは、軍事用の限定されたシグであり、
あらかじめID登録された人間以外は近付くこともできない。
「はじまります」ギブスンはアンソーヤに声をかけた。アンソーヤは魔学の達人が
大抵そうであるようにシグに接続されるのを拒否している。
「楽しみだな」アンソーヤは頷いた。「本当に楽しみだ」
----これより作戦を開始する。作戦指揮官が全員に宣言した。
リエは緊張が増したのを感じたが、同時に小さな安堵も感じていた。特殊部隊には
よくあることだが、作戦の直前までブリーフィングが一切行われなかった。もちろん
作戦に疑問を持つことなど許されるわけではないが、知っているのといないとでは、
精神的な余裕が異なる。
指揮官の次の声を待っているリエの耳に、微かなノイズが届いた。すぐに収まると
思って気にもかけなかったが、ノイズは次第に高い音へと変化しながら消える気配も
見せなかった。
もちろん、ここアンストゥル・セヴァルティでは地球全土を覆うグローバルシグに
アクセスすることはできない。アンストゥル・セヴァルティの軌道にはいかなる衛星
も乗っていないから、情報の中継ができないのである。そのため、戦闘支援車両に搭
載されているMIサーバがローカルエリア・シグを形成して、今回の作戦に関する全
ての情報を管理している。だが、アンストゥル・セヴァルティではあらゆるエレクト
ロニクスの性能が急激に劣化することは周知の事実だった。通信系統にノイズが生じ
ても不思議ではない。もっとも通信系統の異常が目にあまるほどになれば、待機して
いる魔法使いが、エレクトロニクスに頼らずに交信を確保することになっている。
ノイズの間を縫うように、作戦指揮官の声が入り、リエが想像すらしていなかった
作戦を告げ始めた。
----我々は、ここから2キロの地点にある、レヴュー9先住民の村落を襲撃し、そ
の住民全員を壊滅させる。標的の数は107。作戦に要する推定時間は40分から5
0分である……
リエは驚いた。だが、当然わき上がる筈の疑問は何故か浮かばなかった。リエの思
考の冷静な部分が、その原因をすぐにつきとめた。
----このノイズは……サブリミナルヒュプノサウンド……深層意識をコントロール
する音……
指揮官の声は続いていた。リエは何の疑問も抱かずに、真剣にそれに耳を傾けてい
る自分を、他人のような冷静さで眺めた。
----作戦の詳細は、すでに諸君に伝達されている。それは段階を追って、あらかじ
め設定されたパスワードによって記憶として活性化されることになる……
ノイズはすでに聞こえなくなっていた。兵士達を深層からコントロールし、同時に
作戦の詳細情報を脳内のどこかに送り込むという役割を終えたのだろう。
----最初のパスワードは、目標の村落への侵入ルートと、各小隊のポジショニング
を活性化する。以上だ。成功を祈る。アン・ガルデ!
最後の言葉と同時に、自分の名前と同じぐらい明瞭な光景として、一連の詳細な地
形図と進行ルートが、リエの脳裏にありありと浮かび上がった。それだけでなく、リ
エとその小隊がこれから進む道が、実体験に基づく記憶として甦る。実際にそのルー
トを事前に辿った人間の記憶を、MIがリエ用に再定義して植えつけた記憶であるに
違いない。
リエは指揮下の小隊員に合図を送った。ブーツが柔らかな草を踏みつけ、小隊はほ
とんど音を立てず、足跡すら残さずに移動を開始した。
リエが正常な思考を保っていたら、自分が荷担している行為がいかに異常であるか
を知って驚愕したに違いない。それは、この夜の作戦に参加した全ての兵士達にして
も同じことであろう。
アンストゥル・セヴァルティ----レヴュー9が発見されたとき、政府は直ちにその
事実を発表することができなかった。何故ならば、アンストゥル・セヴァルティには
先住民がいたからである。
明らかにこの次元世界では、生物の進化は地球のそれとほぼ同じ過程をたどったら
しく、必然的にヒューマン・ビーイングが地上の支配権を握っていた。だが、その歴
史は地球に比べれば遥かに穏やかなものだった。これは慎重に住民と接触して調査を
した結果、判明したものである。
例えば、アンストゥル・セヴァルティの歴史においては、宗教という思想はついに
登場しなかった。イエス・キリストは誕生せず、彼に変わる神の代理人もまた存在し
なかった。「神」、「精霊」という考えは存在したものの、地球の歴史の大部分を占
め迷信や神秘主義が一大勢力となることはついになかった。そのため、アンシアンは
かなり早い時期から非常に合理的な精神構造を身につけていたのである。
それでは、アンシアン達が科学技術文明を発達させていったかというと、そうでは
なかった。彼らは科学と文明によって自然を屈服させ征服するのではなく、むしろそ
れらと一体化し、共存する方向へと自らを導いたのであった。アンシアンが力を注い
だのは、自然に内在する力を引き出すことであり、それが魔法を生んだ。
アンストゥル・セヴァルティには非常に多くの民族が共存し、好きな場所に町や村
や、あるいは都市国家を築いている。地球人が、ひそかに紛れ込むことは不可能では
なかった。百世帯以上の志願者が、言語を含む簡単な訓練の後、送り込まれた。彼ら
は今では、ほとんどアンストゥル・セヴァルティの世界の一住民と変わらない生活を
送っている。
魔法は志願移住者たちを通じて地球へともたらされた。それは地球の呪術や神秘学
などとは比較にならないほど、しっかりと体系付けられ理論化されており、立派な学
問として存在していた。やがて、1年という短い期間で、地球の科学大系は新たな一
系統を急速に発達させることとなった。それは既存の科学と魔法を結びつけたもので
「Magical Science - 魔法科学」と呼ばれることになる。そして、NWC67年、最
初のMI(Magical Inteligence) ----魔法知性----が誕生したとき、魔学はすでに人
類にとってなくてはならない存在になっていた。
現在では、地球の半分の人間が何らかの形で魔学を学んでいた。だが、その力はど
れほど努力しても、生粋のアンシアンには遠く及ばなかった。原因ははっきりしなか
ったが、おそらくアンストゥル・セヴァルティ自体に、何か未知の要素が存在するの
だと思われた。
従って、統合政府としては、他の移住可能なレヴューに対して採ったような手段--
--すなわち科学技術を盾に強引に植民する----を、アンストゥル・セヴァルティに対
しても適用するわけにはいかなかった。アンストゥル・セヴァルティでは、レーザー
を初めとする近代兵器は極端にその能力を低下させ、兵器としては火薬を使った旧式
な装備しか役に立たない。それらがアンシアンの強大な魔法に対して有効であるかど
うか、正確なところは誰にもわからなかったのだ。移民局は後5年後には、本格的な
移民を開始する予定であった。そのときには、アンシアンも彼らの世界に新たな民族
が増えたことを知るだろうが、できれば穏便に受け入れてもらいたいのは当然のこと
である。
この夜、アンストゥル・セヴァルティに特殊部隊一個中隊が送り込まれたことを知
っているのは、当人たちを除けば、政府のほんの一握りの高官たちだけである。少し
後になってこの事実を知った何人かの関係者は、驚愕して高官たちに理由を問う。だ
が、彼らが得たものは貝のような沈黙だけであった。