#2628/5495 長編
★タイトル (GVJ ) 94/ 5/30 1:47 (141)
お題>鬼(3) 青木無常
★内容
内耳の通信プロセッサに向けてチーロンが、あれこれ問いかけるのをもどかしげ
に見やりながらユンカイはふと、これは独り言をつぶやく狂人と区別がつかないな
と考えた。どちらも一見したかぎりでは、路上で空中にでも話しかけているといっ
た風にはかわりない。ありふれた光景なので気にとめることもないが、よだれをた
らしながら狂気の光を目にたたえて見えない虚空と会話する類の人間とすれちがっ
ても、ほとんど気づくことさえないのかもしれない。
チーロンはずいぶん長いこと質疑応答をくりかえしたあげく、いったんコールを
切ったあと、あらためて情報バンクにアクセスし直した。
「カットオフ。すごいですね、先輩。読みどおりですよ」
やがて通信を終えてチーロンが、尊敬のまなざしでユンカイを見ながら云った。
「どうしてわかったんです? ハディージャ・アルマフルーサ・アッザハブはたし
かにTPの秘めた才能があったそうです。ただそれも悲惨な境遇に抑圧されて、秘
めたまんま表面化したことはなかったそうですが。でも数値の上だけなら、かなり
のクラスのテレパスだそうですよ」
「だろうな」
仏頂面のままユンカイは答えた。「あの幻はたしかに破格だ。まして、それで人
の心臓とめたり窒息までさせちまう、とあっちゃな」
「つまりあれは――」
あっという表情でチーロンが口にするのへ、
「テレパシー投感だ。ありゃ、そのハディージャなんたらの頭ン中の幻想が、その
ままおれたちに投射されて見えたモンなんだ」
「投感テレパスですか」チーロンは感心したようにため息をついた。「初めて見た」
「たいがいそうだろうさ。かなり珍しいタイプのサイらしいからな」
「へえ、そうなんですか? それはたいしたものだなあ」
チーロンのセリフに、ユンカイは情けなげに顔を歪めてみせる。
「おいおい呑気な味出してんじゃねえよ。もうひとつの方はどうだっんだ」
「あ、入院の際の? それが思っていたより、かなりひどい話みたいなんです。ほ
とんど死にかけてたほどだ、って」
フン、とユンカイは鼻をならした。「それで?」
「運びこまれたときは意識なくて、三日間眠りつづけてたそうなんです。ただ、し
きりと胸もとをまさぐりながら、おかあさん、おかあさん、てうわ言をくりかえし
てて。その間に彼女の網膜パターンから、ずっと以前に系列の病院の治療を受けて
ることがわかったんですが。その時に彼女を運びこんだのがどこかの会社の重役か
何かだったらしいんですけどね。最初、その重役は単なる通りすがりの者だと名乗
ってたらしいんですが……」
ユンカイはぎろりと横目で、長身の後輩をにらみあげた。
「おおかた、その娘の客か何かだったんだろうが」
「先輩、すごい」
チーロンはさらに尊敬をこめてユンカイを見やった。
「おいこのバカ。妙なことに感心すんじゃねえ。先をつづけろ」
「ええ。それでバンクにアクセスし直して問いあわせてみたところ、やっぱり彼女、
かなり頻繁に売春で摘発されてました。人気があったみたいですね。ほかのとは、
桁ちがいですよ」
「ふん、予想がつかねえでもねえな。顕現はしてなくても、まごうかたなき投感テ
レパスだ。いい気分を増幅して相手に投げかえしてでもいたんだろうよ。無意識に、
な。こいつもおれの想像だが、ハディージャはちょいと頭がゆるかったはずだ。ど
うだ?」
「ええ、まあ。当たりです」
と、今度は感心は見せずに困ったような顔をしてあいまいにうなずいてみせた。
“頭がゆるい”というユンカイの表現に反発を感じたせいだろう。
「へ。それで、ハディージャのその、おかあさんとやらは? 病院にはかけつけた
のか?」
「それがこれもひどい話なんですけどね。彼女、どうも身よりがないらしくって。
肉親どころか、聞き込みに友だちだと答える人さえひとりもいなかったらしいんで
すよ」
「ふん、どぶ泥の底のくずどもなんざ、たいがいそんなもんさ。となると、おかあ
さんてうわ言がよくわからねえな。――で? ハディージャはいつ気がついたんだ?」
「それがわからなかったんだそうです。当直の医師も、警備の人もまったく気づか
ないうちに、いなくなっていたんだそうで。居眠りでもしてたんじゃないかって、
問いあわせに応対してくれた人はちょっと憤慨した感じでいってましたけど」
「全員がか? ちがうだろうな。たぶん、ハディージャの幻覚に見とれてでもいた
んだろうさ。まあ、だいたい概要はわかった。問題は、なぜ急にハディージャの能
力が派手に動きはじめちまったのか。それと、なんのために彼女は病院をぬけ出し
て街をさまよい歩き――そして人を殺してまわっているか、だ」
「殺してまわってるって、意識して、ですか?」
「なこた、知らねえがよ。まあ、自分の幻覚が人にどんな作用をおよぼしているの
かに気づかずに、ただ単に散歩してるだけなのかもしれねえが。けど――それにし
ちゃ、人が死にすぎてる。めちゃめちゃだ。それに――さっき見たときにおまえも
感じなかったか? 彼女の――憎悪を、よ」
「それは……たしかにそんな気もしましたけど……」
なおも歯切れの悪いチーロンのセリフは無視して、ユンカイはさらに鼻の頭にぐ
いぐいぐいと皺をよせた。
「それと、最後にあのピエロどもの後ろに見えた宝石みてえなの。なんだかよくわ
からねえが、どうもあれが気になるんだ。くそ……なんだったかな……」
つぶやきながら唇をかむユンカイのかたわらで、チーロンが「そういえば」と口
にした。
「あの首飾り、見おぼえありますよ」
「首飾り?」目をむいてユンカイは問いかえす。「首飾りか、ありゃ? どうもお
れは装飾品にゃうとくてな」
「いえ、ぼくだってあれだけ見たんじゃ首飾りだとはわかりませんよ。でも、そう
だ、ついさっきあれと同じデザインの首飾りを見たものだから」
「なに?」
頓狂な声をあげてユンカイは、チーロンににじり寄った。「見た? どこで?」
「あの、さっきのあのバーで。ほら、入口んところで騒いでた連中、いたでしょう?
あの一人が首につけてたの、何となく眺めてたものだから」
「危ェ」
みなまで聞かずにユンカイは喉をうならせながら、もと来た道をひきかえしはじ
めた。
半地下の階段を降りる前から、うねる波の間に間に牙をむく鮫の姿がバーの扉を
すりぬけるようにのたうっているのが目についた。
「こりゃたしかに――」
踏みこみかけてユンカイはたたらを踏んだ。
黒いタールのような奇怪な海の底にプレアデスの光輝や過剰星雲がゆらめき、熱
帯魚のようにカラフルな装いの道化師たちが楽しげに、けらけらと笑いながら透明
な闇の中で宙がえりをしていた。
地獄の使者のごとき黒づくめのフードが、巨大な鎌をふりたてて扉の彼方に消え、
ふいにうねる波涛は澄んだ青にかわる。
「見たことがねえんだろうな」
呆然と幻惑を眺めおろすばかりだったユンカイが、ふと、静かにそういった。
え、とチーロンが訊きかえす。
「海を、さ」
面倒そうに、ユンカイは口にした。「見ろよ、この青さ。紙っぺらに書いたみて
えに、哀しいほどきれいじゃねえか。それにさっき見た黒い海。いかにも想像の産
物さ。あんなんで心臓とめちまうなんざ――ちくしょう、それでもおれたちゃ、脇
から見てただけだからな」
「先輩……」
チーロンの、つぶやきともとれない呼びかけに応えるようにして、青い波はゆる
りと弧を描いて消えた。
楽しげに宙を舞いとんぼを切る道化師たちも、吸い込まれるようにして扉の奥に
消え失せる。
そして、すべての幻像が去ってしまった後も、チャン・ユンカイは長いあいだ動
こうとさえしなかった。
店の内部にはあいかわらず、薄闇と扇情的な音楽とがあふれかえっていた。
群れていたガキどもは、恐怖とも歓喜ともつかぬ顔をしてテーブルに伏せたまま
ぴくりとも動かず、カウンターに上体をあずけた姿勢で硬直している禿頭ちょび髭
の親父もまた、目を見ひらいたまま奇妙な表情を顔面にこびりつかせて、息絶えて
いる。
店奥に陣取って寝こける酔っぱらいだけはあいかわらず、もとの姿勢のままだ。
安らかな寝息を立てている。熟睡している人間には、顕現した悪夢もさほどの力を
発揮しないのかもしれない。
そして、もうひとつ。
テーブルの一角に伏して眠る十四、五の娘のたてる寝息はルー・チーロンに、危
うげな夢を思わせる不安な眠りを想起させた。
おかあさん、と唇の形だけで、幾度も、幾度も、おぼろにつぶやく。その手には、
むしりとったように鎖のちぎれたネックレスにつながれた、ブラッドストーンのペ
ンダントが堅く、握りしめられていた。
「よお」
やがて、かすれた声で静かに、ユンカイが云った。
「電話をしろよ。眠り姫が起きないうちに、よ」
「……どこにです?」
夢見心地のまま問いかえすチーロンに、チャン・ユンカイは「知るもんか」と吐
き捨てるようにして答え、そして、つけ加えるようにして口にした。
「王子さまにゃ、なれねえよ」
苦汁をしぼり出すような口調にチーロンは、目を見はりながら――おしつぶされ
た笑いを無理やりひきずり出すようにして、おどけた口調で云った。
「先輩、そのセリフ、先輩にはぜんぜん似合ってません」
ふん、うるせえ、と瞬時、ユンカイはほっとしたように笑顔を浮かべてみせた。
白い世界は地下にまで音もなく冷気を吹き込み、ふたりは長いあいだ、何もする
ことを思いつかないように、寝息をたてる少女の無邪気な寝顔に、声もなく見入る
ばかりだった。
――了