#2627/5495 長編
★タイトル (GVJ ) 94/ 5/30 1:44 (180)
お題>鬼(2) 青木無常
★内容
「よう親父。どうだい景気は? あん?」
ユンカイの短躯を目にするや禿頭ちょび髭のマスターはカウンターの内部で露骨
にしかめ面をした。それでもあきらめたように「ああ、ユンカイの旦那。いつもの
やつですかい」
とシェイカーに手をのばすあたり、チャン・ユンカイ相手にしては破格の好待遇
といわねばなるまい。
「なに、酒? いや、そうか、悪いなあ。勤務中なんだが。いやせっかくの好意だ
し、これはことわっちゃ失礼てなもんだ。うるせえチーロン、小さいことをぐだぐ
だ云うな。な? 親父。ところで最近かわったこた、ないか? ない? そりゃた
いへんけっこう。世はなべてこともなし、てね。はっはっはーだ」
ほとんど一人でわめきたてるような調子で、さし出された“悪魔の水”と呼ばれ
る悪名高き安カクテルをひょいととりあげぐーいと飲み干す。
「よしゃ親父。もう一杯だ。繁盛してるか? ん?」
上機嫌で無意味に問う。困惑顔ながらもマスターは従順にシェイカーをふりつつ、
この界隈ではかなり広い部類に属する店内をざっと目で見わたしながら、
「ごらんのとおりでさ。今夜はもう、商売にはなりそうもありませんな」
ため息をつきながらそう云った。
たしかにかなり抑えた照明とフルヴォリューム、アップテンポのBGMにかきま
わされていながら、広い店内には閑古鳥が鳴いていた。ユンカイたちをのぞけば店
奥のボックス席に寝こける中年がひとりと、後は入口近くで傍若無人にわめき立て
るミドルティーンにしか見えない一団が客のすべてだ。
「まあ、このコンディションじゃな。あのガキどもがいるだけでもめっけもんだな。
しかしヤツら、妙なヤクなんぞやっちゃいねえだろうな」
「まさか。かんべんしてくださいよチャンさん。ありゃこのあたりじゃ有名なタチ
の悪い悪ガキどもで。変に悪知恵がきいててあまりシッポ出さないんで店にゃ入れ
ますが、正直あんまり歓迎したくはない連中でしてね。ドラッグだかなんだかしら
ないが、そういうものを、もし仮に持っていたとしても、ウチにゃいっさい関係な
いですから。そのへん、よろしく頼んますよ」
フンと鼻を鳴らしつつユンカイはさし出された二杯めに手をのばす。
そのときフッと、照明と音楽とが消えた。
「あ、停電かな?」
呑気な口調でいうチーロンの横で、ごくごくごくと勢いよく喉を鳴らす音がした
後に、
「なんでえ親父、電気代ちゃんと払えよ」
とユンカイがつっこむ。入口付近は瞬時、静まりかえったが、すぐに先にも倍す
る陽気な笑い声が爆発した。
「さ、先輩、もういきましょうったら。また課長に叱られますよ」
「へん、課長がなんだってんだ。頼む、もう一杯だけ。な? な? これだけじゃ
酔えやしねえ」
「酔ってしまってはいけないんですってば、もう」
「るせえ。エリートさまが。親父、もう一杯だ。早くしろ」
「もういいんです。あっ、電気もついた。それじゃどうもお邪魔しました」
店内にあふれかえる騒音に負けじと声をはりあげて律儀に頭をさげながら、チー
ロンはグラスをもって離さないユンカイをひきずるようにして店を出た。
「なんでえこの糞、石頭めが。ほらまたいき倒れだぞ。面倒見てやれってんだ。ち
ぶつくさと文句をたれながらユンカイは、白い路上につっぷしたビジネスマン風
の男を指さしてみせた。
チーロンはユンカイの襟首をつかんだままつかつかと伏した男に歩みより、すば
やく手をとって脈をみた。
そして隙を見てバーにUターンしかけたユンカイの背中に向けて、声をはりあげ
る。
「先輩、この人まだ生きてます」
「あ? 生きてる?」
あからさまな迷惑顔でユンカイは面倒くさげに声を返し、寸時ためらった後、し
ぶしぶながら踵をかえした。
「んじゃ単なる酔っぱらいじゃねえのか?」
「どうですかね。たしかにすこし、アルコール臭いけど」
「まあ何でもいいや、とっとと救急にひきわたしちまいな。こんなとこいたんじゃ、
いいかげん風邪ひいちまう。早く電話してこい」
「今しました。二分以内に到着するそうです。それにしても、ぼくたちがあの地下
の店にいる五分くらいの間のできごとですね。もしかしたら、ほとんどタッチの差
だったかもしれない。くそ、いったい何が起こったんだろ」
「知るもんか」
白い息を吐きつつ、まるで遅いバスをでも待っているようにして全身を揺らしな
がらユンカイは毒づいた。
その合間をぬうようにして、う、うう、とチーロンに抱えられた男が弱々しくう
めきをあげた。
「なんでえ、生きてるじゃねえか」
「だからさっきそう云ったでしょ」
さすがに呆れ顔でチーロンは返し、男の耳もとに口をよせた。「どうしたんです?
だいじょうぶですか?」
対して、異様なリアクションがもたらされた。
「鮫が……」
男は、そうつぶやいたのだ。
「鮫?」
思わず訊きかえした。が、チーロンとユンカイの疑問は無視して男は、さらに不
可解な単語を羅列する。
「飛ぶ……道化師が……寄るな……こっちに来るな……きみはこんなところで……
ひとりで……」
困惑の体でチーロンとユンカイは互いの顔と男とに、交互に目をやった。
そのとき男は、ふいに白い闇空に向けて、喉もはり裂けんばかりの絶叫を放った。
「おいっ。だいじょうぶですかっ? おいっ。おいっ」
思わずとり乱したか、チーロンは叫びながら男をゆさぶった。
いずれにせよ手遅れだったろう。ふいに男は、糸を断ち切られでもしたかのよう
にことんと首を落とし、息絶えた。
脈をはかり、呆然とチーロンがユンカイを見あげた。
「どうなってやがる」
遅すぎたサイレンの音が近づくのを背に、ユンカイもまた気味が悪そうに背筋を
ぶるると震わせた。
救急フライアの前照灯がビル群の間からぬうと現れて急降下するのに目を向けか
け――
「おいねえちゃん! そこにいてくれ!」
ふいにユンカイは叫びつつ、とととと駆け出した。
「先輩!」
どうしたんです、と身動きならないままチーロンが叫ぶより早く、
「例の病院から行方くらましたあの娘だよ!」
セリフをおきざりにして、ユンカイは街路を曲がった。
ふらふらと、まるで幽霊のようにたよりなげな足どりで歩いていた、純白のドレ
スに身をつつんだブルネットの少女は、ほとんど一瞬の差で消えた角をユンカイが
まわった時にはすでに――どこにもいなかった。
かわりに、先刻路上をただよっていた道化師の一団がいた。
呆然と目を見はり、ついで一団を見はるかすように背のびをしたりくぐんだりし
て少女の姿をさがしたが、まるで見あたらない。
くすくすくすと、道化師の一団が笑った。背の高いのやら低いのやら、伝統的な
水玉模様から花をまき散らしたようなもの、文楽を思わせる金ぴかの着物、電脳模
様、装飾過剰の電飾衣装、顔に剽げた隈取り、露出過多のトランジスタグラマー、
燃え盛る炎、安手のコミックヒーロー、黒ずくめの悪魔。どれもこれも、異様に昂
揚した衣装や仮面、化粧などで全身を鎧ってはいたが、奇妙に若い、というよりは
幼い印象をただよわせている。
きらびやかで、雑多で、そして陽気な一団はくすくすと笑いを交錯させながら飛
んだり跳ねたりしてユンカイの周囲を巡りはじめた。
「なんだてめえら、どけ」
口汚くののしりながらもユンカイは、奇妙な違和感を感じていた。
飛び交う笑いは幻のように反響して耳に痛いほどだった。にもかかわらず――異
様に静かで、透明だったのだ。
若い奴らの、時に残酷なまでの陽気さなど見あきている。さっきのバーの小僧ど
もなどその典型だ。おしつけがましいほどの圧力はもてあましたエネルギーに裏づ
けられているのだろう。奴らの責任ではないが、たいがいは抑えようともしない。
それに、たとえ抑えてはいても噴き出してくるものがたしかにある。奴らは、群れ
てそこにいるだけですでに何かを発散しているのだ。
この連中にはそれがない。
まるで幻想の内部をただよう無邪気な妖精たちのように、軽く、うつろで、地に
足がついていないような印象があるのだ。
――否。
目を見はりつつユンカイは、力なく、首を左右にふった。そして、
「地についてねえじゃねえか……」
ため息のようにつぶやいた。
地に足がついていないような――ではない。
ふわりと飛んだ羽毛模様のパステル調が、ユンカイの頭上で逆さに浮かびながら
投げキスを放ってよこした。
文字どおり、地に足がついていないのだ。
重力の法則を無視して、中途半端に空中を浮遊する道化師の一団は、なおも陽気
で空虚な笑いを響かせたまま、ユンカイの四囲を楽しげに跳び巡った。
糞が、とユンカイは小さくつぶやく。
「どうなってやがる。あの小娘はどこいきゃがったってんだ……」
その時、ユンカイの独白に応えるようにして、跳ねまわる道化師たちの背後に奇
妙な幻像が身を結んだ。
小さな、ささやかな、ブラッドストーンの宝石の幻像。
巡る極彩色の一団の影で、見落として当然のはずのその小さな像がユンカイの目
をひいたのはいったいなぜだったのか。
「先輩、これいったい何です?」
なかば泣き声のようなチーロンの震え声が背後から呼びかけたとき――
すべてが消え失せた。
ずいぶん長い間、呆然とただ立ちつくしていたような気がする。
「それじゃ、おめえも」ようようのことでユンカイが口を開いたとき、街路にはた
だ単調に白い闇がわだかまっているばかりだった。「見たんだな?」
「見ました」
魂をぬかれたような口調でチーロンが答える。「あれいったい、なんなんです?
ホロ映像?」
「にしちゃ、麻薬みてえによく効いたな。サラウンディのシステムがっちりそろえ
た施設なら、あの程度の芸当も屁でもねえんだろうが」
「それらしき装置、ここらへんには見あたりませんよねえ」
と、きょろきょろと周囲を見まわす。殺風景なビルの背中がそびえているだけだ。
「ま、どうでもいいけどよ」
ふいに、ユンカイはさばさばとした口調で云い捨てた。驚くべき回復力、という
べきか。あんぐりと口をあけて馬鹿面さらすチーロンに仏頂面で問いかける。
「さっきの野郎、どうした?」
「え? あ、やっぱりダメそうでした。病院に運んで、心臓マッサージするってい
ってましたが、ついた救急フライアがほんのしばらくでしたけど動かなくなっちゃ
って。エンジン、冷えちゃってたのかなあ」
「バカぬかせ。たとえアイドリング切ってたって、ほんの二、三分のこったろうが」
「でも、バカにならない寒さだし。ああ、それと、ぼく署の方に連絡入れてたんで
すけど、それが途中で切れちゃって。やっぱりぼくのコムプロ、故障してしまった
ようです。それで先輩のあと追って」
「ちょっと待て」
不快げに眉根をぐい、ぐい、ぐいと寄せつつ、ユンカイはチーロンの言葉をさえ
ぎった。仏頂面で眉間にしわを開いてはよせてみせるのは、この男が珍しくももの
を考えているときの癖だった。
「今はどうだ?」
「は?」
とあいまいに笑いながら訊きかえすのに、ユンカイはもどかしげにくりかえした。
「今はどうなんだよ、通信プロセッサ。使えるのか? あ?」
「そ、そんなに怒らないでくださいよ。コール。あ、使えるみたい」
フン、と鼻をならしながらもう一度憎々しげな表情で顔面にしわをよせ、
「警察病院に連絡しろ。行方不明のあの娘がいた病院だ」
「は、はい。あの、それで何を?」
「精密検査をどこまでやったかを、だ。いや、つまり――知覚度がどの程度か、て
ことをだ。TPの才能があったかどうか、だな。あ、それから、あの娘が病院に運
びこまれた際のくわしいプロセスなんかも訊いといてくれ」
「はあ。わかりました。コール、ラウレン都警病院」