#2615/5495 長編
★タイトル (MUJ ) 94/ 5/15 11:13 (128)
代理UP>店長候補3 鳥 (転載者:藤堂龍)
★内容
3
亮太の勤務は、ほとんどが夜勤である。店長は五時には帰ってしまうので、夜の
店の全責任は、副店長が負うということになる。夜勤は、十一時までということに
なってはいるが、その時間に店を出たことはまったくなかった。後片付けや清掃を
すませると、いつも零時を回っていた。人手が足りないこともあって、亮太は、掃
除から注文とりまでアルバイトと一緒に働いた。そして、毎日のようにレジの打ち
まちがいがあって、レジの金額と伝票の数字を合わせるために、遅いときには、三
時間もかかった。
しかし、くたくたに疲労しても、それが評価されるのだと思えば、ますます働く
意欲がわいてきた。副店長となって二カ月がすぎ、亮太は働き続けたが、しかしし
だいに疲れが体にたまったくるのも感じられた。
八月のある日、亮太は、事務室でほっと一息をついて、たばこをつけた。店には
子供たちも多く入るようになってきた。客の入りは上々である。
毎晩、熱帯夜が続いていた。亮太は、前にいた工場のことを考えて、冷房の効い
た店内で働けるのがありがたいことだと思った。
「なんだ、こりゃあ〜!」
そのとき、突然、太いがらがらに濁った罵声が聞こえた。
「この店じゃ、こんなものを食わせるのか。お〜い、店長。店長出て来いっ!」
亮太は、顔をしかめながら歩いていった。
「お客様、失礼がありましたでしょうか」
その男は、ぐにゃぐにゃに歪んだ姿勢で体を斜めに向けながら、なめるように亮太
をにらみつけて、どんぶりを指さした。
「どうもこうもねえだろ。これを見ろ」
チャーシューメンのスープに、小さなゴキブリが仰向けに浮いていた。
「おめえの店じゃ、こんなもの客に食わせるのかよ。金をとる商売のくせに、な
めた仕事をしやがって。いったい、どう責任をとるつもりなんだ」
「もうしわけありません……」
亮太は、足が震えて立っていられないほどだった。息がつまって声がかすれてく
る。
「どう責任をとるのかって、きいてるんだよ」
「あ……」
亮太がおびえているのを見て、その男はますます居丈高に声を荒げた。
「俺がな、この店はゴキブリを客に食わせるんだって町に出て話まわれば、こんな
店、客はぱったり来なくなって、すぐにつぶれちまうんだぞ。わかってるのか」
「……」
派手な服装からみても、完全なやくざだった。亮太は、自分でも呆れるぐらいに、
がたがたとおびえきっていた。
「お前、店長なら誠意を示せよ」
「はあ……」
「一言も謝らないって言うのか。ふざけんじゃねえよ」
男は、コップの水を亮太の頭にバシャッと、かけた。
「あ、はい」
「土下座して謝れ。ここに土下座して謝ったらどうだよ」
亮太は、無我夢中で、その客の足元にひざまづいて、頭を下げた。
「もうしわけございません……」
「そうだな。そういう誠意を示せば、いいんだよ。奥へ行こうぜ」
事務室に引きずられるように入った亮太は、その男に説教され、さんざんに毒づ
かれたあげく、迷惑料と称して五万円を要求された。
「じゃあな、まあ、このことは人には言わないでおいてやるぜ」
金をポケットに入れ、得々として、その男は店を出て行った。亮太が、我に返っ
て見回すと、店内の客は、一人残らずいなくなっていた。
店から帰り、布団に倒れるように入った亮太は、眠ることもできずに、ただぼん
やりしていた。
(いろいろなお客様がいるんだから、しかたがない。どんな仕事でも、厳しくて嫌
なことはあるさ……)
店長の堀川英輔の顔が浮かんできた。彼は、二十六歳。物腰も都会的で、服のセ
ンスもスマートで、女子のアルバイトたちに人気がある。しかし、最後のところで
は自分勝手で、無責任なところがある。要領がよいと言えば、それまでだが、ああ
いうやつが、早く出世するということなのだろうか。
(俺は、かっこ良くスマートにやっていくことはできない。でも、地道に一生懸命
にやれば、あいつにだって決して負けはしないんだ。俺は、頑張ってあいつより早
く地区マネージャーになってやるぞ。見てろ……)
そう思って歯を食いしばると、屈辱感が和らいでいくような気がした。
(なにがあったって、負けるもんか。店長になったら、俺の勝ちなんだ。泥水を
すすったって、何度土下座したって、店長になりさえすれば……)
歯軋りを噛みながら、しかし、亮太は茫漠たる空虚感に襲われた。
亮太は、真っ暗に視界の中に、飯野里美の姿を思い浮かべた。
里美は、高校時代の同級生で、亮太のあこがれだった。いつも笑顔で、亮太にも
優しくしてくれたので、亮太は本気でのぼせてしまった。しかし、彼女のことを考
えるたびに自分が惨めに思えて、結局なにも言えずに卒業式を迎えてしまった。
いつも惨めだった自分。おどおどと、人の足蹴にされるだけだった自分。しかし、
今は、それを抜け出す希望が見えているのだ。そうだ、希望があるのだ。
(店長に出世すれば、きっと幸せがくる――)
亮太は、再び自分に言い聞かせた。
翌日出勤すると、亮太を待っていた堀川店長が烈火のごとく怒ってきた。
「森町さん、困るよ。ラーメンにゴキブリが入っていたんだって。昨日の夜は何が
あったんだよ」
「あ……」
亮太がおどおどしていると、堀川店長は、早口でまくし立てた。
「言わなくても、聞いてるよ。森町さん、あんた馬鹿か。そんなやつ、たかりに決
まってるだろうが。そんなときはなあ、『出るところに、じゃでましょう』って、
ちょっと脅してやりゃ、逃げてっちまうのに。下手に下手にでるから、そこまでつ
けこまれるんだよ。――まさか、本当にゴキブリが入ってたんじゃないだろうね」
亮太は黙っていた。そんなことは、確かめようがなかった。
「まあ、どっちにしろあんたの責任だけどな」
堀川店長は、呆れたように言った。
「金までいいなりに渡しちまうなんて。いっとくけど、そんな金は、店からは出せ
ないよ。あんたの責任なんだから、あんた自分で出してくれよ。もうすぐ真田マネ
ージャーがいらっしゃるから、もうこれぐらいにするけど、全部報告しておくから
な。言っておくけど、私の責任じゃないからな。夜の店の管理は、すべて森町さん、
あんたの責任だ。すべては、”あんた”の責任だからな」
念を押すように何度も言って、堀川店長は事務室を速足で出て行った。
その日は、地区マネージャーの巡回の日だった。事務室から出た亮太は、真田マ
ネージャーが鋭い目でテーブルを見回っているのを見て、ぞっとした。
真田マネージャーが、はっとしたように視線を止めた。そして、顔を上げ、亮太
がいるのに気付くと、来いと手招きをした。
「なんだこれは」
小さいが、血も凍るような冷たい声だった。亮太がしゃがんで見ると、椅子の端
のほうに、ガムがついていた。
「おい、森町。事務室へ来い」
震えながら事務室に入ると、真田マネージャーは亮太の鼻先に、ガムを突き出し
て言った。
「なんだ、これは。こんなものがお客様の服につきでもしたら、どうなると思って
いるんだ」
「はい、申し訳ありません」
「馬鹿野郎っ、お前がたるんでいるから、こんなことになるんだっ」
真田マネージャーは、いきなり亮太をなぐり飛ばした。
「ありがとうございましたっ!」
亮太は、よろめきながら反射的にそう答えていた。鼻から一筋、血が垂れていっ
た。
「森町、お前は人を使うことができないな。人を使えなくて、自分一人で忙しがっ
ているやつは、管理者としては最低だぞ。なんで、アルバイト連中に、店内を自発
的にきれいにさせるようにできないんだ。監督の責任だぞ。堀川店長から聞いたが
昨日の晩も、へんなやつに難癖をつけられて、対応できなかったんだってな。こん
なことじゃ、とても店長になるのは無理だな」
店長になるのは無理だな――真田にそう言われて、亮太は凍るような絶望感を覚
えた。
「お前、店長マニュアルは読んでるのか」
「はい、読んでいます」
「ただ字面だけ追っても、頭に入っていないんじゃしょうがない。もっと気合を入
れてやれ」
「はい」
(艱難汝を玉にする、艱難汝を玉にする、だ……)
亮太は、何度も心の中で繰り返していた。