#2610/5495 長編
★タイトル (EXM ) 94/ 5/11 7:30 (200)
JETBOY.11
★内容
「JETBOY」
第11話「朦朧の中で」
「ウ、ウッ・・・・・・ 」
「伊丹さん、大丈夫っすか? 」
痛い、身体中が痛い。
「あ、あれ? 誠は? 」
俺は、誠のサンドバッグ代わりの殴られ役を演じていたはずだったのに。何
故か、簡易ベッドの上で仰向けになっている。
気を失ってしまったんだろう。
俺の周りには平山と、その臨月近い奥方、会長がいた。ここはジムの医務室
である。
窓の外からまぶしい光が降ってきた。爽やかな光線だ。昼間のよどんだもの
ではない。時計を見た。午前10時近くを刻んでいた。
「まこ・・・・・・と・・・・ は? 」
「今日の朝一番で、東京にお帰りになりましたよ」
平山夫人が冷えたトマトスープを持ってきてくれた。
トマトスープの色は当然の如く赤である。俺の記憶に、返り血のついた誠の
Tシャツが蘇った。
無茶な事したもんだ。マウスピースも付けずに14オンス程度のグローブで
殴りあったのである。俺は覚えてはいないが、誠の顔にも相当、キズがついて
しまったのではないかと心配だ。
顔にも相当のダメージを受けた。歯も何本か折れている。生傷だらけの口に
トマトスープを注ぎ込んでみた。
「いててっ」 けど熱い食べ物なんて、この状態ではご法度である。
とても腹が減っていたが、食事をすること自体苦痛である。トマトスープは
下げてもらった。
「我慢して食べなきゃ」平山夫人の言う事も御もっともだが、今は、喋るこ
ともままならない。
鏡で自分の顔を見る。不細工が更に不細工になってしまっている。所々ドス
黒くなっている部分と、切り刻まれた部分がある。ガッツ石松を笑えない。
何時間、殴られ続けていたんだろ。
ただ、決して倒れてなるものかと、意地を張り続けていた事だけは事実だ。
どうしても、誠に試練を与えたいと思っていた。
誠は万事において天才だ。今までそれが故に、彼女に注意出来る奴がいなかっ
たわけだが。
ただ、こうしていること自体、すでにKOされてしまったということだ。俺
は、誠に大事なことを教えてやれなかった。まあ、仕方ない。鈍才が天才を諭
すこと自体おかしなもんだと髪をむしった。
開始10分の、記憶のハッキリしている部分を思い起こしてみる。俺は、ノー
ガードで、向かってくる誠に立ち向かおうとしていた。俺だって高校時代、高
野連に見つからないようにコッソリとトンパチやらかしたことだってある。自
信があったから、女子のパンチくらい受け止めてやる自信があったのだ。
けど、一発も手が出せずに、逆に何発もくらって、顔、どてっ腹、胃袋、あ
らゆる所に傷を負った。
サッカーの1対1の競り合いみたいな感じだった。ブロックしてパンチを防
ごうとしたのだが、その腕を揉みくちゃにされて、防ぐこともままならない。
誠のプレーの特色なのだが、密集状態でズルをするのが巧い。これは絶対伸二
ゆずりだと思う。ボクシングでもそれを応用して、徹底的に削ってたわけだ。
一番痛いのは、足首だ。
10分くらい殴られ続けたところで意識が途切れた。
そのあとの事を会長に聞いてみた。会長はニンマリとして、俺の肩を軽く叩
いた。
俺には、その次の会長の言葉が信じられなかった。
「まこちゃんが怖がってリングから逃げ出したのは始めてじゃ。お前さん、
気は失っていたが、あんときの目、是非ウチの平山に見せてやりたかったぐら
いじゃ」
誠が? 逃げ出した?
俺は会長に、記憶が消えた後の事を問いただした。
「ええっ! 俺そんなこと? イテテテッ!」
会長は、笑いながら事の顛末を克明に語り続ける。
その事実に顔を歪めてしまった。痛みが顔中に走る。
「マコちゃんを襲って押し倒し、Tシャツとホットパンツをはぎ取ってしまっ
たんじゃな。さしものマコちゃんも怯えておった。飢えてるときの伸二でもあ
んな行為には及ばんからのぉ」
な、何故・・・・・・ こぶだらけの頭を叩いて、自問自答した。
「ま、誠の奴、やっぱり怒ってたんでしょうね」
俺の嘆きの声をあげた。しかし会長は意外な反応を示した。
「んにゃ、あんときはなぁ・・・・・・。ま、これは他言無用ってマコちゃんが言っ
とったから、ここでは言わんがね」
会長がニヤニヤと笑っている。煙草を勧めた。
「ま、こいつでもどないだ」
「どうも・・・・・・ 」マイルドセブンセレクトを一本、火をつけて味わってみ
た。空きっ腹だけに、余計食欲を与えてしまう一服である。
「俺、やっぱり責任とらなきゃならんのでしょうか・・・・? 」
誠の奴、ナイーブだ。きっとまた、心に壁を作ってしまったに違いない。あい
つの態度が後天的なもんだということ位、付き合ってみれば分かることだ。『多
分、人を信じることができないから』、渚しか信頼出来ないから。
結局俺は、誠に更に分厚い壁を作らせてしまう事になってしまったのである。
煙草の味が空虚だ。おいしくない。
俺はジムのほうに事情を話し、仕事を切り上げて帰京することにした。
平山には申し訳ないことをした。武道館のチケットがあまりさばけてないこと
は俺も知っていた。俺の記事ひとつがセールスに大きくかかわってくるとしたら、
俺はプロとして、中途半端な仕事しかしなかったわけだ。
それと今日、チェアマンの裁定が発表される。抗議運動のせいか、処分が遅れ
ていた。誠の運命はあのおっさんが握っているわけだ。
機上のスポーツニュースは、ヴェルディに入団した選手の事を一面に割いてい
る。JALのエコノミークラスで、じっとそれを見ていた。
★
「やっぱりぃ、東京はエエなぁ」
新宿高層街が向こうに見えるこの街に俺は住んでいる。東伏見のアイスアリー
ナから至近のこの賃貸マンションは築25年、もうぼちぼち老朽化が始まってい
る。壁紙くらいとっかえようかと思う。
昨日のリンチ紛いのスパーリングで、全身動かすのが億劫だ。俺が好き好んで
飛び込んだわけだが、誠の睨みなんぞに動かされている場合ではなかった。
とても空腹で、飢えていた。
飢えていたのは胃袋だけじゃない。「横浜」だ。横浜には渚がいる。俺は渚の
仕種に飢えていた。
食事を運ぶと口の中が痛いから、朝から何も食べていない。塩辛い食い物は避
けた方が賢明である。機内食を一口食ってみたのだが、激痛のあまりに食欲さえ
も失ってしまった。
だからと言って、点滴は・・・・・・ 。
擦り切れた畳から起き上がって、テレビのリモコンを探そうとした。
プロロロロロロロロ・・・・・・・・
黒電話が呼んでいる。這いつくばって、とかげのようにして、受話器を取った。
「もしもし」
「伊丹さーん! 伊丹さんですね! 」
「渚ぁぁぁぁっ! 」
受話器から、最近いちだんと可愛くなった渚の声が聞こえてきた。
「誠の処分が決まりましたぁ! 3試合、3試合の出場停止だけでいいんで
すって!」
「えっ! 」
3試合の出場停止とは、まあなんと寛大な。新聞の報道では5試合以上の出場
停止が濃厚だという説が強く、ファーストステージ出場停止の可能性もあったわ
けである。永久追放の可能性もあったのに。
この裁定は嬉しい反面、不可解な臭いがする。真相を暴く必要はあった。
渚の声が弾んでいる。
「よかった! 国立のヴェルディ戦には間に合うって! 」
「そっかぁ! そりゃめでたい! 」
ふーん、ヴェルディ戦には出れるのか。なるほど、一つ思い当たる節があった。
書きなぐられたアドレスブックから、広告代理店Hの企画営業担当の矢島の電話
番号を捜し出しながら、話を続けた。
渚の声が、先程の陽気な感じから、少し湿り気を帯びたのにかわった。
「それもそうだけど、昨日はごめんなさい。今日はテレビの用事があるから、
お見舞いにはいけないけど、誠には悪気は無いから、許してやって」
「別に、八つ当たりくらい。痛くもなんともないし」
「ほ、本当? 誠に病院送りにされたクラスメートは沢山いるんだよ」
渚の話は実際そうだ。けど強がってみせることにした。それでも実際、肋骨二
三本は折れてるかもしれない。
「だーいじょうぶ! 大人は体のつくりが違うんよ」
「ほんとに、ほんと? 私、ウデのいい接骨医知ってるし、お給料も入ったか
ら・・・・・・ 」
「なぎさちゃん。お金はね、君の将来の為に使いなよ。俺だって底無しの貧乏
なワケじゃあないし」
強く優しく諭した。伊丹英世は嘘つきである。そして三国一の見栄っ張りだ。
「そ、そう・・・・・・ 」
矢島の電話番号が見つかった。ちょっとした裏ネタを握れそうである。
「渚ちゃん、明日の試合が終わったら、横浜の『豚珍館』に食べにいこ」
「本当? 明日きっと勝つから、プレミアムで食べまくろうね」
「うん。それと、さっき知り合い知り合いから調べてほしいことがあって探し
ていたんだけど、見つかったんで、知らせようと思ってんだ。御免! また明日
会おう」
「うん、明日ぁ、平塚駅前で10時。ウェービーヘアのカツラの女の子が目印
だよ」
「じゃ、明日」
電話を切り、そして今度は広告代理店Hの矢島のところに電話をかけた。
矢島は、俺の後輩である。Jリーグ広報担当でもあった。もし俺の推測が正し
いとしたら、少しやばい話になる。
コール一発で、カスレ声の矢島が電話に出た。
「はい、Hの矢島です」
「伊丹だけどさ、実を言うと聞きたいことがあーる、んだよな」
はっきしいって、矢島は俺には逆らえない。ビシバシ責めたててやるつもりだっ
た。大学時代の関係は、サークルの副部長とパシリの関係である。
矢島はこの後、事の顛末を吐くことになる。それはそれは、商業主義の素晴ら
しい世界をかいまみるものであるといえた。
★
2週間後の水曜日、祭日の国立競技場は快晴に恵まれた。
この試合は横浜フリューゲルスのホームゲームである。スタジアムは青と緑に
二分され、試合開始1時間前から既に応援合戦が始まっていた。
けど、今日の光景は少し異様であった。
井上誠の復帰第一戦というファクターがあった。相手はにっくきヴェルディで
ある。しかしそれ以上の違和感が醸し出されていたのである。
俺はいま、右手に菖蒲の花束を持っている。横浜ジェッツが開場後、自由席の
フリエサポーター先着2000名に配ったのである。雑誌に掲載していた誠のイ
ンタビューで、誠自身が「好きな花は菖蒲」と答えたからだと思う。この花を持っ
て誠の復帰を祝おうというのだ。
オーロラビジョンにスターティングイレブンが映し出される。
「MF 井上マコトォォォッ! 背番号5」
フリエサポーターの大絶叫が俺の耳を貫く。紙テープが舞い、サンバドラムが
鳴り響く。本場よりも凄いのでは。
Jリーグに、誠の早期復帰を強く求めた広告代理店HとJリーグのシリーズス
ポンサーでもあるS社の佐治氏もさぞかしほくそえんでいることだろう。Jリー
グのアキレス腱はスポンサーである。未確認だが、誠と渚がS社のCFキャラク
ターに抜擢されるというハナシも聞いた。それだけにイメージダウンは御免被る
とS社が広告代理店に働きかけたのであろう。商業主義が教条主義を凌駕した例
であるといえた。
まあいい、誠の華麗でレベルの高いプレーが見られるということはいいことだ。
スタンドの感情が爆発した。選手が体慣らしにグラウンドに姿を現したからだ。
そして俺が前々から煮詰めていた、誠のサポーターズソングが大観衆に姿を現す
時が来たのである。
この歌は、男闘呼組の「タイムゾーン」のアレンジである。スタンド全体がジャ
ニーズ系コンサートのノリで埋め尽くされた。
WOW WOW WOW WOW WOW マックゴール WOW WOW WOW WOW WOW マックゴール
誠がゴール裏に向かって走った!
サポーター達に向かって一礼するのがイレブンのお約束であるが、この歌声に
心高ぶったのだろうか、体が走り出したようである。
ペコリ、誠が大きく一礼する。そのときの風景が美しかった。
青空から菖蒲の花束が、誠に向かって降り注いだのである。嬉しさのあまり、
誠はもう一度一礼し、そしてバック転を見せてくれた。
サポーター達は、揃い踏みを待っていた。あとは、後はヴェルディを倒すだけ
である。
サンバドラムが再びけたたましく鳴り響く。フリエ!フリエ!の大合唱が、誠
の、そしてイレブンの魂に火をつけたに違いない。
今日は、菖蒲の季節だ。
つづく