#2583/5495 長編
★タイトル (GVJ ) 94/ 4/ 3 12: 6 (121)
幻都放浪(終) 青木無常
★内容
紅蓮の炎にごうごうと燃えていく童子の後頭部、延髄あたりに突き立った矢を目
にしたとき、俺はやっとのことで何が起こったのかを理解していた。
標的の巨大さを考えれば、さぞ狙いをつけやすかったことだろう。
赤い矢羽根――その名は<八月>だ。
視線をめぐらすと、まばゆい朝の陽光を受けてなお神々しくそびえる光の塔の根
もとに、ふたつの人影がたたずんでいた。
白いマントを羽織った長身の美貌を後ろにしたがえて、麗子は<宮殿>の最上階
におきざりにしてきた俺の弓を、放ち切った姿勢でかまえていた。
立ちこめていた紫色の霧は朝に溶けるようにして四散していき、朦朧とした表情
で、タツやアブーカジェリフ、そして虎法師が顔を上げる。
俺自身、痺れるような苦痛を頭の芯に残しているものの、瞬間的に全身をかけ巡
ったあのあらゆる種類の悪寒と苦痛はほぼ、消えかけていた。
どうも、また生きのびちまったみたいだ。
ふん、と鼻を鳴らして俺は階段の上にあぐらを組みなおし、頬づえをついて妹を
見やった。
つ、と、かまえていた弓を降ろすと麗子は、ケイオスを塔の根もとにおきざりに
してつかつかと歩みよってきた。
俺の目の前まで、憤然とした足どりであがってきて、ついと弓と矢筒をさし出し
た。
「忘れもの」
抑揚のない声で言った。
肩をすくめ、受けとろうと身を乗り出すや――平手うちが、俺の頬を見まった。
パン、と小気味いいほどの音が街路に響きわたり、眺めていた全員が――あの、
ケイオスまでもが――呆然と目をむいた。
涙をたたえた目が、何も言わずに俺を真正面からにらみつけていた。
何も言わなくても、何を言いたいかは痛いほどよくわかった。
俺は、しかられたガキのように眉根をよせて口をへの字に歪めながら、ごめん、
と小さな声でつぶやいた。
そんな俺を見て麗子は、顔を震わせながら息を吸い、吐き出した。
そして言った。
「約束して」
と。
首をすくめる俺を見て、ちらりと微笑がその薄い唇をかすめたが、すぐにそれを
押しこめて妹はつづけた。
「また元気な姿で、もう一度わたしに会いにくるって」
聞いて俺は眉間に皺をよせ、唇を突き出し、そして情けなげに顔を歪めたあげく、
首を左右にふった。
「約束はできねえ」
仏頂面で言い、瞬時、信じられぬ、とでも言いたげに目をいっぱいに見ひらく麗
子に向けて、にやりと笑ってやった。
「けど、努力はするさ。誓う」
言って、うんとうなずいてみせた。
そしてさし出された弓と矢筒に手をのばす。
弓の柄の部分で、俺と麗子の指さきだけがそっと、触れた。
俺たちは、どちらからともなく、淡く微笑みあい――そして右と左に、それぞれ
の道を歩きはじめたんだ。
19
新宿中央公園の向こう側、比較的原型をとどめたホテルの一室で、俺はその日か
らほぼ一週間近く、泥のように眠りつづけた。
朦朧と飯を食い、用を足す以外はほとんどの時間を深い眠りの中で過ごし、そし
て一週間目の昼さがりにふと、現世にいきなり放り出されたようにして目を覚まし
た。
あと二日をそのホテルで過ごし、それから、タツ、沙羅、アブーカジェリフ、そ
して虎法師とともに、三日をかけて狩りをしながら横浜港へと帰りついた。
隆二はどうしたかというと、実はよくわからない。沙羅の言によれば<混沌>に
残ったということらしいが、わざわざ身の危険をおかしてまでかつての恋人を救い
に現れたあの行動とどう考えても矛盾している。
そのことを問いただすと、沙羅は、
「だから、終わったんだってばさ」
と、晴々としたハスキーボイスでそう告げた。
なんだかさっぱりわけがわからねえが、まあそういうことなのだろう。
山下公園のバザールの髭おやじは、俺たちの姿を見るやうれしそうにケッと吐き
捨て、
「バカどもが。二度と戻ってくるなと言ったのに、またノコノコ雁首そろえやが
って」
と毒づきながら、俺たちが道々狩りで得た獲物とひきかえにまたうまい食事をふ
るまってくれた。
そのまま一ヵ月とすこしをそこで、おやじの店を手伝ったり狩りに出たりして過
ごし、そして台風を三つやり過ごした晩秋のころに、おやじの検分のもと、ヨット
ハーバーで物色した船に食料や、必要な物資をつみこみにかかった。
タツや虎法師が近くの図書館に通ってヨットでの太平洋横断の知識をつめこんだ
が、この短期間にどれだけのものが身についたかは、正直、心もとないようだ。そ
れでも筏で海に乗り出すよりはずいぶんと勝算は高いだろう。すくなくとも<混沌>
相手に喧嘩を売るよりはよほどまともな勝負だ、と虎法師は保証した。
その夜、航海のルートと予想上陸地点、日数、その後の方針などに、大ざっぱな
がら最終検討を加えていた食後のテーブルからふいに沙羅が離れ、ひとりバザール
の掘っ立て小屋から外へ出た。
俺とタツは顔を見あわせ、虎法師相手に満面を喜びに満ちあふれさせながらアブ
ーカジェリフが故郷のことや家族のことを語っているのを尻目に、そっと少女の後
を追った。
沙羅は黒々とうねる海を眺めやりつつ、抱えこんだ膝に顎を乗せていた。
「どうした、沙羅」
タツの問いかけにも答えず、沙羅はそうしてしばしうつろな視線で海を眺めやる
ばかりだった。
「残りたいのか?」
わけ知り顔で俺がそう問うと、沙羅の顔貌にはじめて、微笑が浮かんだ。
「バーカ」
微笑みながら憎々しげに沙羅は立ちあがり、あーあ、と声をあげてからのびをし
た。
そして、馬鹿みたいに不審げに見やる男ふたりに向けてつい、と手をさしだし、
言った。
「DANCE WITH ME」
と。
俺は呆然と沙羅の顔を見やる。
そんな俺の阿呆面を指さきでとんと、はじき、眉根をよせる俺に微笑みかけなが
ら手をとって引いた。
そうして沙羅は、俺とタツとを交互に相手に選びながら、軽いステップのダンス
を踊り、そして軽く息をはずませて楽しそうに笑いながら、こう言った。
「いつまでも、こうして楽しく過ごせればいいよね」
と。
俺はわけのわからぬまま眉根を寄せるばかりだったが、意外なことにタツの野郎
は心からの同意をこめてうなずきながら、ああ、そうだな、と笑って言った。
そして俺たちは眠りについた。
出発の朝は、頭の中身が底からぬけてこぼれ落ちそうなほどの能天気な秋晴れだ
った。
バザールの髭おやじ以下、一ヵ月のあいだにすっかりなじみになっていた山下公
園の面々に見おくられて、俺たちは船出した。
目的地はアブーカジェリフの故郷、イルアーナ。そこが今、どんな状態になって
いるのかも不明。いつたどりつけるかもよくわからない。下手をすれば難破して海
のもくずだ。
そんな先の見えない未来に俺たちは、はればれとした笑顔を向けた。
いつでも旅をしていたい、というどこかで聞いたようなセリフがだれのセリフな
のかはよくわからない。だから、これは俺のセリフにしてしまうことにする。
いつでも旅をしていたい。
そして、そうつぶやく俺に罵声をあびせながら賛同する仲間たちも俺にはいる。
だから俺たちは今日、新しい旅に出るんだ。
――了